朝から学校へ登校し、自クラスの扉を開けると、そこに待っていたのは泉美であった。
「今日は朝から来たんですね」
腕を組んで仁王立ちしている泉美にイザヤはニコッと笑う。
「こんな日もあるさ」
そう言って自分の席に座ろうと歩き始める。しかし、泉美がイザヤの服を掴んでそれを阻止する。
「言っておきますが、私は怒っています」
そんな事を言う泉美の声は平坦である。しかし、
「顔を見れば分かるよ。だけど、僕は怒られる様な事はしてないよ」
「…………」
泉美は掴んでいるイザヤの服を離す。イザヤはそれを見て再び歩き出して、やっと自分の席に座った。だが、クラスの生徒からの視線がイザヤに刺さる。どうやら、昨日の事は既に知れ渡っている様だ。
「今日も北山先輩は休みの様ですよ」
「そうなの」
興味なさそうな返事に泉美は眉を顰める。しかし、冷静にならなければならない。そうしないと、目の前の男のペースに飲まれてしまう。
「冷たいのですね」
「クールな男と思っていいよ」
減らず口を叩くイザヤに、泉美は呆れる。
「どうして貴方は、他人を弄ぶのですか?」
「面白いからだよ」
「……もういいです」
泉美は黙って、ホームルームが始まるのを待っている。イザヤも外の景色を眺めながら、先生が来るのを待っていた。
午後の授業が終わり、皆が席を立つ。イザヤも他の生徒と同様に、椅子から立ち上がる。放課後は、クラブ活動をする生徒やこのまま家に帰る生徒がいるだろうが、イザヤの場合は後者である。生徒会役員をクビになったイザヤには、時間が有り余っていた。途端にやる事が無くなると困ってしまう。まあ、その原因は自分自身なのだが。
「帰るのですか?」
「ああ、少し寄り道して帰る事にするよ」
「……そうですか」
「ああ、またね。泉美ちゃん」
そう言葉を交わして、イザヤはクラスを出ようとする。しかし、扉の前でイザヤは足を止める。そして、泉美の方へ顔を振り返る。
「そうだ、反魔法師団体の動きが活発になってるから、帰りは気を付けなよ」
イザヤが足を止めた時、泉美はどうしたのかと首を傾げたが、それは自分への忠告であった。
「ご忠告ありがとうございます」
「君の事だから、見栄張って前に出たりしない様にね」
余分な一言を加えるイザヤに、泉美はムッとする。しかし、自分を気遣ってくれる事に嬉しくなる。
「一緒に帰ってくれないのですか?」
心配するなら共に帰ってくれと、ほんの少しばかりの願いを吐露する。
「香澄ちゃんと帰りなよ」
そう言葉を吐いてイザヤはクラスを出る。そして、下駄箱で靴に履き替えて、校内から出て行った。窓からイザヤを見る泉美の顔は、どこが寂しそうであった。
テロリスト捜索のために達也は生徒会を休んでいる。そのため、生徒会室にいるのは深雪、ほのか、泉美、水波の四人である。前よりも生徒会室が広く感じられるのは、イザヤが居なくなったからであろう。イザヤは危険な存在であると認知した上で、近くに置いておいた。しかし、それが裏目になり、友人達に悪影響を与えた事は、深雪としても反省すべき事である。
「今日、生徒会の仕事が終わったら、雫の家に行こうと思うの」
ほのかがなんの前触れもなく口を開き、皆に話し始める。
「だから、深雪も付いてきてくれない?」
「ええ、私も行くわ」
ほのかのお願いに深雪は了承する。
「私も行きます」
「私も」
深雪の後から、水波と泉美も雫の家に連れて行って欲しいと願う。泉美は、単純に雫のことが心配なのだ。水波は雫の心配もあるが、深雪の護衛が本来の目的である。最近、反魔法師団体の動きが活発となっている中、街中で絡まれる恐れがある。達也がいない今、自分が深雪を守らなければならない。
「さっさと仕事を終わらせていくわよ」
それからの四人は速かった。達也がいない分、仕事の効率は下がるが、テキパキと仕事を終わらせ、生徒会室を後にした。
(雫、待ってて)
ほのかはある決意を固める。
イザヤは今、神奈川県にいる。一度家に帰って、私服に着替えてからこの地を訪れている。理由としては、夕飯はしらす丼が食べたいなと、ふと思ったことから神奈川まで来てしまった。しかし、夕飯の時間はだいぶ先であるため、目的もなく歩いているのだ。もしかすれば、新たな出会いがあるかもしれないと。イザヤの場合、出会いは向こうからやって来るものである。
「退いてください」
イザヤが今立っている歩道から、約二十メートル先に少女が男二人に絡まれている。少女は制服を着ていることから、学生であることがわかる。しかし、高校生には見えないので中学生くらいかと思った。男達の方は、いかにも柄の悪そうな服装や顔つきである。
「君、ちょっと俺たちとお茶していかない?」
「俺、奢るからさ」
男二人はカフェに行くような風貌ではないため、イザヤは思わず笑ってしまった。少女の目はキツく男達を睨んでいるが、男達は怯まない。男の一人が少女に手を伸ばそうとした時、イザヤはその男の腕を掴む。
「あ?誰だお前?」
「どうも、通りすがりの者です」
「男はお呼びじゃねーんだよ」
腕を掴まれた男は、イザヤに拳を振り下ろす。しかし、振り下ろした場所にイザヤは居なかった。
「……消えた?」
そう呟いたのは男達ではなく、少女の方だった。
「こっちだよ」
イザヤは突然、男の後ろから姿を現して背中を蹴飛ばした。
「ぐあっ!?」
後ろから蹴られた男は、思いっきり地面に倒れた。もう一人の男は、何が起こったのか理解できず、困惑した様子である。
「次は君の番だね」
イザヤに視線を向けられた困惑男は、恐怖してその場から逃げ出した。
「おいおい、友達置いてっちゃダメじゃん」
倒れて気を失っている男の背中を踏んでイザヤはため息をつく。
「あの……」
少女がイザヤに恐る恐る近づいて来る。
「君、大丈夫だった?」
「は、はい。ありがとうございます」
何度も深々と頭を下げる少女にイザヤは笑う。イザヤは少女を観察する。イザヤの少女に対する第一印象は、小動物である。可愛らしい容姿と平均よりも低い身長からそう結論づけた。それに、
(なかなか良い魔法力を持っている)
彼女の魔法師として資質は、上澄みだろうとイザヤは考える。
「わ、私の名前は三矢詩奈と言います。貴方のお名前を教えてください」
なんと、この少女は十師族の三矢家の人間であったのだ。以前、三矢家現当主、三矢元の側近の男に魔法で操り、師族会議の場所を教えてもらったが、その時は詩奈の存在は知らなかった。イザヤはこの巡り合わせに少し驚くが、決して顔には出さなかった。
「僕の名前は折紙イザヤだ。よろしくね」
イザヤの差し出した手を、詩奈は小さな手で握手を交わす。
「あ、あの…」
「ん?なんだい?」
詩奈は何か言いたそうな顔をしている。イザヤは彼女の言葉を待つことにした。
「も、もしよろしければ、一緒に喫茶店にでも入りませんか?」
「……これって逆ナン?」
イザヤの言葉に、詩奈は顔を赤くして慌てふためいた。助けてもらったお礼をしたいようだ。しかし、先程まで悪い男二人に絡まれていたというのに、危機感の無い子だなと思うイザヤであった。
詩奈になんでも頼んでくれと言われた。年下の女の子に奢られるのは何か思うところがあるイザヤだが、いつもの様にアイスコーヒーを注文する。詩奈は紅茶を注文した。飲み物がくるまでの間、イザヤは詩奈に色々と質問することにした。
「君、魔法師だよね?」
「え!?、は、はい。折紙さんもですよね?」
「イザヤでいいよ」
「……失礼ながら、イザヤさんがあの時消えたのは何の魔法ですか?」
他人の魔法を詮索するのは御法度なのだが、イザヤは話しても問題ない。自分にとって数多くある魔法の一部に過ぎないのだがら。
「他人の目から僕を認識させなくする魔法さ。こんな風にね」
詩奈の目からイザヤが音も無く突然と消えた。詩奈は驚いて立ち上がる。どこへ行ったのかとキョロキョロと店内を見渡すが、
「ここだよ」
詩奈の目の前にイザヤが現れた。
「!?」
「何を驚いているんだい?僕は君の目の前にずっと座っていたよ」
「……認識をさせなくするというか、イザヤさんの存在そのものが消えたかの様な感覚でした」
「人を驚かせるのにピッタリの魔法だ」
イザヤはニコッと詩奈に笑いかける。その笑顔を見た詩奈も笑いが込み上げて来る。
「ふふっ、イザヤさんは面白い方ですね」
手で口を隠しながら話す詩奈。イザヤは詩奈の言葉に目が点になる。
「どうしました?」
「……いや、人から面白いと言われた事なんて今まで無かったから」
イザヤは詩奈から視線を外し、窓の外を見ながら黙ってアイスコーヒーを飲む。詩奈は不思議に思ったのか、首を傾げる。先程まで喋っていたイザヤが突然無言になったので、何かまずい事でも言ってしまったのかと詩奈は不安になった。
「あ、あの……」
「ん?ああ、ごめんね。次の質問なんだけどさ」
「は、はい」
気を取り直してイザヤは詩奈に質問する。
「何で一人で歩いていたの?」
「え?」
「だって君、あの三矢家でしょう?今は反魔法師団体の動きが活発になっているのに、周りに護衛を付けないなんて不用心としか言えないね」
これは、イザヤが詩奈に会った時から思っていた事である。この辺りはまだ反魔法師団体の動きが見られないが、用心をするに越したことはない。だが、詩奈には護衛が居なかった。隠れて見守っているのかと思ったが、そんな人間もいない。ハッキリ言って、狙ってくださいと言っている様なものである。
「いつもなら、侍郎君という子が居るんですけど、彼は今日用事があって早く帰っているんです」
「なら、代わりの人を付けないと」
「すみません、この辺はまだ大丈夫だと軽い気持ちでいました」
詩奈はイザヤに深く頭を下げる。
「頭を上げなよ。僕は別に謝って欲しかったわけじゃないよ」
「そ、そうですね。すみません」
「また謝ってる」
イザヤに指摘されて、詩奈は顔を赤らめる。そんな詩奈の姿にイザヤは微笑する。
「つ、次は私から質問してもいいですか?」
詩奈は小さな手を挙げて発言する。
「どうぞ」
「イザヤさんは見たところ私よりも年上に見えるのですが、高校はどこですか?」
「第一高校さ」
「そうなんですね!私も四月からそこに入学するんです」
「へー、それは偶然だね」
詩奈が同じ第一高校に入学すると分かって、イザヤは素直に喜ぶ。
(新しいオモチャ発見)
目の前の小動物の様な詩奈を、イザヤはオモチャと認めたのだった。その後、二人は仲良く談笑を続けるのだった。
喫茶店での談笑も終わり、詩奈がキャビネット(個型電車)に乗って家に帰るため、二人は駅に向かって歩いていた。しかし途中、思わぬ事態が発生する。それは、反魔法師集団が大通りを塞いで抗議デモを行なっていたのだ。そのせいで駅までの道が塞がれてしまった。
「この辺りにも既に反魔法師団体が」
詩奈は体が震えて恐怖した。街の空気は先程までと大きく異なり、殺伐としていた。パトカーのサイレンも鳴り響き、警官達が抗議デモ鎮圧のために動き始める。
「ここは危ないから、違う道で駅に向かおう」
この大通りを抜けたら駅が見えてくるのだが、少し時間がかかるが、遠回りすることを選んだ。
「は、はい」
イザヤの提案に詩奈は震える声で答える。二人は来た道を戻るために踵を返すが、目の前から反魔法師集団が近付いてきた。彼らが凝視していたのはイザヤではなく、その隣の詩奈であった。どうやら、顔が知られているらしい。その集団の一人が詩奈に向かって発言する。
「お前の一族は悪だ。罪深き邪法の使い手よ!」
「な、何を言うのですか!?」
自分の家の人間を悪だと言われた詩奈は、咄嗟に声を上げる。
「悔い改めよ!」
「罪深き者よ!」
詩奈は反論しようとするが、その声は虚しく大勢の人間の声にかき消される事となる。彼らの手には鉄パイプや木刀が握りしめられていた。それを見た時、詩奈は恐怖で固まる。ジリジリと近づいて来る彼らに、イザヤはため息を吐く。
「君たち、暇なんだね」
「な!?何を言うか貴様!お前も邪法の使い手か!」
「そんな運動をしてもこの世から魔法師が消える事なんてないのに。むしろ、消されるのは君たちの方かもね」
「貴様!罰を受けよ!」
男が鉄パイプをイザヤに向けて振り下ろす。しかし、イザヤはその攻撃を容易く回避して、詩奈の手を握る。
「走るよ」
「え?」
イザヤに手を引っ張られて詩奈は走り出す。
「逃すな!追え!」
逃げる二人を反魔法師集団は追いかける。イザヤは詩奈の手を引いて、狭い路地に駆け込む。
「あんな奴ら相手にしても仕方が無いからね」
「ど、どこに逃げるのですか?」
「大丈夫。すぐに撒くよ」
後ろから追いかけて来る声が聞こえて来る。詩奈は後ろを振り向くと、反魔法師集団の津波が迫って来る。
「す、すぐ後ろにいます!」
「分かってるよ。(久しぶりにあれをやるか)」
このような状況でも笑っているイザヤを見て、詩奈は段々と恐怖が薄れていった。イザヤは曲がり角を右へ曲がる。しかし、目の前は行き止まりだった。
「行き止まりです。イザヤさん!」
「詩奈ちゃん、僕が3つ数えたら高くジャンプするんだ」
「え!?」
「追い詰めたぞ!」
後ろから聞こえて来る反魔法師集団の声が、詩奈の体を跳ねさせる。
「いくよ、詩奈ちゃん」
「は、はい!」
目の前には壁。後ろには奴らが。詩奈はどうにでもなれとイザヤの言葉に従う。
「1……2……3!」
イザヤと詩奈は強く地面を蹴ってジャンプする。するとどうだろう。二人の体は、まるで羽が生えたかの様に空高く飛び上がったのだ。
「えええぇぇぇぇぇーーー!?」
これには詩奈も大声をあげて驚く他なかった。
「さあ、詩奈ちゃん、一歩ずつ足を踏み出すんだ」
イザヤは驚いている詩奈の両手を掴み、エスコートする。詩奈はその言葉に従い、右足、左足と前に出して空中を歩く。何が起こっているのか、詩奈には全く分からない。何故下に落ちないのか。何故歩けているのか。疑問だらけだが、詩奈の胸は高鳴っている。
「すごい!私、空を歩いてる!」
大変喜ぶ詩奈にイザヤも満足気な顔をする。二人は、20階建てのマンションよりも高く飛び上がった為、人が点に見える。追ってきた反魔法師集団もどこへいるのか分からない。彼らはさぞ悔しい事だろう。
「さあ、このまま駅に向かおう」
「はい!」
二人は、駅近くの建物の屋上に降りて少し歩いた後、駅に到着した。詩奈はまだ心臓の音が止まないのか、胸に手を当てている。
「どうだった?楽しかったかい?」
そう聞いてくるイザヤに、詩奈は笑顔で振り返る。
「はい!あんなに楽しいの初めてでした」
この一日、詩奈にはさまざまな出来事が短時間で降り注いだ。男二人にナンパされたり、反魔法師集団に追いかけられたり、空を歩いたり、彼女の人生の中でこれほど感情の変化が激しかった事はないだろう。詩奈はイザヤに近づいて、彼の手を握る。
「私、この日を絶対に忘れません。イザヤさん、また会いましょうね」
詩奈の笑顔にイザヤも笑顔で答える。
「僕もだよ詩奈ちゃん、次は第一高校で会おう」
「はい!」
こうして、詩奈とイザヤは手を振って別れた。ただの時間潰しの散歩だった筈なのに、価値ある時間を過ごした事にイザヤは大変満足した。夕焼けの空を見ながら、イザヤはしらす丼を食べに行った。
時間は少し遡って、深雪達一向は北山家を訪れていた。ほのかが先頭に立ってインターホンを鳴らす。
「はい」
インターホンから女性の声が聞こえてくる。ほのかはその声が、見知った使用人の声であること分かった。
「こんにちは、ほのかです。雫に会いたいのですが」
「……申し訳ございません。お嬢様は体調を悪くされているので会う事はできません」
使用人は雫から誰も入れるなと命を受けている。雫の親友であるほのかであっても、雫に仕えているため、雫の命令が絶対なのだ。心痛むが、帰る様に促す。
「わかりました。じゃあ、力尽くで入りますね」
「え?」
次の瞬間、玄関からものすごい音が聞こえてきた。使用人は慌てて玄関向かうが時既に遅し。玄関の扉はぶち壊されていた。
「さて、これで入れるわね」
「うん、早く雫の部屋に行こう」
「ほ、本当にこんな事して良いのでしょうか?」
「さすが深雪先輩です!」
友達のためなら人の家の玄関を壊すなんて朝飯前なのだ。使用人はその場にへたれ込む。その横を深雪達は、通り過ぎる。目指すは雫の部屋である。しかし、
「なんの音!?」
雫が階段から勢いよく駆け降りてきたのだった。
「雫」
「あっ」
ほのかと雫の目があった。その瞬間、雫は階段を駆け上がっていく。
「雫、逃げないで!」
部屋に逃げる雫を追いかけるほのか。それに続く深雪、水波、泉美。もちろん、靴は脱いである。雫は自分の部屋に入って扉を閉めようとするが、ほのかが手を滑り込ませてそれを防ぐ。
「イタタタタ。痛い、痛い雫!」
「ほのか!手を引っ込めて!」
「嫌よ!そうしたら雫、鍵閉めるでしょう!」
両者一歩も譲らない攻防戦。しかし、後から来た深雪が扉を押す事で部屋に入ることが出来た。押し負けた雫は、そのままベッドの布団に包まり、姿を隠す。
「雫………」
「……皆んな、なんで来たの?」
「なんでって、雫が心配だからよ」
「もう私……力が出ない」
布団の中から漏れ出る雫の悲しい声に、ほのかは一歩ずつ雫に近づいて行く。深雪達は、二人を後ろから見守っている。
「何が力が出ないよ。さっき、勢いよく階段を降りてきたじゃない」
「そんなの知らない」
「イザヤ君に何を言われたか知らないけど、私はそんな雫を見たくないわ」
「……私の心は、偽物なんだ」
「偽物?」
「私の心は、イザヤに作られたものなの。イザヤが好きな感情は、本当はイザヤに魔法で作られた物なの」
「「「「!?」」」」
雫が部屋に引き篭もるまでに至った理由が、今ここで理解したのだ。事もあろうに、イザヤは一人の少女の心を弄んで捨てたのだと。
「ひどい」
「まさか、雫にそんなことを…」
「………」
今までずっと苦しんでいたのだ。イザヤに作られた想いに。雫は苦しんでいたのだ。
「もう私は……何もやる気が起きない。全てがどうでもいいんだ」
「雫……」
親友の悲痛な気持ちに、ほのかは心を痛める。自分はただ、目の前の親友に何もすることが出来ないのかと。
「本当にそうでしょうか?」
「「「「え?」」」」
ここに一人、イザヤをよく理解する泉美が疑問の声を上げる。
「どう言うこと?泉美ちゃん」
深雪が顎に手を当てて考えている泉美に尋ねる。
「…イザヤ君は、本当に魔法を使ったんでしょうか?」
「え?」
そもそもの話、イザヤは雫に魔法をかけたのか。
「でも、イザヤ君は雫に言葉の魔法を掛けたって」
ほのかの言葉に、深雪と水波は頷く。自分達もはっきりと聞いたのだ。
「私もそれは聞きました。ですが、イザヤ君が感情を操り、嫌われる様な行動を果たしてするのかと思いまして」
「それは…………………するんじゃないかしら?」
深雪は泉美の言葉に少し考えるが、イザヤなら平気でやりそうだなと結論に至った。水波も深雪の言葉にウンウンと頷く。
「ええ、あのクズなイザヤ君なら平気でそうするでしょう。でも、相手が北山先輩なら別です」
「え?」
「イザヤ君は、北山先輩の事を他の人よりも特別視しています」
「なんで分かるの?」
ほのかは泉美に尋ねる。
「だって、私もイザヤ君のことが好きですから。好きな人が誰を見ているのかなんて、いつも隣にいる私が気付かないはずがないんですから」
それは、この場にいる誰よりも説得力がある言葉だった。同じ想いを持つ泉美の言葉を、この場にいる全員が納得したのだ。
「北山先輩、イザヤ君と具体的にどんな会話をしたんですか?」
泉美は今もなお布団に包まっている雫に尋ねる。
「それは……」
雫は思い出したくもない過去を皆に話す。
[僕にとって自分以外は、僕を楽しませてくれるオモチャでしかないからです]
[僕はね雫先輩、退屈で仕方がないんですよこの世界が。だからね、わざと手加減して相手のレベルに合わせたり、オモチャを強くして他のオモチャと戦わせたりして楽しんでいるですよ]
[私は、オモチャじゃない!!]
[いや、貴方は素晴らしいオモチャですよ。何せ、深雪先輩に勝ったのですから。まあ、試合というルールに縛られていましたけどね。それでも、僕は面白かったですよ]
[…………悲しい人]
[悲しい?僕が?]
[貴方は歪んでいる。きっと、誰かに愛されたことがないんだ]
[愛なんて自分を縛る為の鎖でしかありません。僕は自由でいたいんですよ。誰にも縛られずに、このゲームという名の世界を楽しみたいんですよ。故に、僕は一生、誰かを愛する事はありません]
[それは絶対に間違っている]
[間違ってる?誰がを愛する事にメリットは無いですよ。僕は子供なんていらないですから]
雫の話を聞いていた一同は、改めてイザヤのクズさに驚いた。人をオモチャとして認識している事に。イザヤはどうしようもない人間なのだ。
「イザヤ君は相変わらずですね」
そう呟く泉美。
「…泉美ちゃん、あなた驚かないの?」
「驚きはしましたが、いつものイザヤ君だなと思いまして」
「貴方もだいぶ毒されているわね」
自分の後輩が心配になる深雪。
「まず、イザヤ君が北山先輩を好きではない事は事実でしょう」
「…………」
その言葉に布団の中の雫は体を小さく丸める。
「ですがイザヤ君の言葉を借りるなら、北山先輩は特別なオモチャであると思うんです」
「!?」
「替えの利がないオモチャである北山先輩を貶める理由がありません」
泉美は思う。イザヤは子供だ。子供は大切なオモチャを大事に扱うものである。そんなイザヤが雫を貶める様な言葉を吐くとすれば、イザヤの何かの琴線に触れた時である。
「何かがイザヤ君の触れてはならない事に触れてしまったとすれば………」
「触れてはならない事?」
ほのかは首を傾げる。イザヤに触れてはいけないことなんてあるのかと。他人をいじって遊ぶくせに、自分の触れてほしくない事に触れたら怒る。なんて子供っぽいんだ。だが、それがイザヤである。雫はゆっくりと口を開く。一つ、思い当たる事があったからだ。
「私が…誰かに愛された事が無いって言ったからかな。イザヤ、両親がいないから」
「「「「!?」」」」「それです!」
両親がいないから、イザヤは愛を知らない。愛を貰っていない。相手を屈服させる圧倒的な魔法力。欲しいものは自分で手に入れられるイザヤが、唯一持っていないもの。それが、愛。だんだんとパズルのピースがはまっていく感じがする。
「じゃあ、イザヤ君が言ってた魔法は?」
「それは、ただの言葉です」
「どういう事?」
「言葉によって相手を惑わす。本当に魔法を使わなくても、言葉巧みに相手を嵌める。まるで魔法みたいに。イザヤ君が好きそうな事です」
イザヤの理解度が高い泉美は、イザヤがやりそうな手口を皆に伝える。
「じゃあ雫は?」
「イザヤ君にまんまと騙されたみたいですね。魔法なんて、最初から掛けていなかった」
「「「「………」」」」
泉美を除く皆が、折紙イザヤという人間のおおまかな全体像を把握し始める。イザヤは子供そのもので、オモチャで遊び、他人を弄り、自分の触れてほしく無い事に触れたら相手に仕返しする。なんて、
((((め、めんどくさい))))
皆の意見が一致する。それと同時に、イザヤといつも共にいる泉美に同情の目が集まる。
「そうか……そうなんだ……」
「雫」
「わかった。私のやるべき事、私が向き合わなくちゃいけない事」
雫は布団からやっと出てきた。目の下は赤くなっているが、今の雫には悲しい気持ちは残っていない。雫はスタスタと泉美に近づく。
「泉美、私は貴方が羨ましい。同じクラスで席が隣。イザヤをよく理解している事。貴方もイザヤに特別視されている事」
「………」
「だけど、私はもう彼を突き離さない。私は、貴方に負けない」
雫からの宣戦布告。深雪達がそれを見守る中、泉美は雫から差し出された手を強く握る。
「彼の隣に立ち続けるのは私です。その言葉、受けて立ちます」
ここには、どうしようもない男を好きになってしまった恋する乙女が二人。互いを認め合いながら、互いをライバルと認識する。そんな二人に、ほのかや深雪や水波もニコリと笑う。こうして、一件落着。とはいかないのがお約束。
「ところで、壊した玄関の扉どうするの?」
「「「「あっ」」」」
北山夫妻が家に帰ってきた後、ほのかは土下座で二人を出迎えるのだった。
(早く会えないかな、イザヤさん)
イザヤに恋する乙女が一人、追加されました。