入学式は滞りなく終わった。詩奈はお世辞にも答辞が上手いとは言えなかったが、何度も支えはそうになりながらも一生懸命に読んでいた。新入生らしい、初々しい光景が見られた。
「詩奈ちゃん」
「泉美さん?」
答辞が終わってすぐ、泉美は詩奈を呼び止めた。
「答辞、素敵でしたよ」
「ありがとうございます…それで、何か御用でしょうか?」
詩奈は泉美が声を掛けてきた理由を訪ねた。
「例の件を正式に相談したいので、これから少しお時間を頂けませんか?」
例の件というのは生徒会に入る事だろうと詩奈は考えるまでもなく分かった。
「はい、構いません」
「侍郎くんに声を掛けなくていいんですか?」
「入学式の後、生徒会の方からお話があるのは侍郎くんもわかっている事ですから」
泉美は詩奈を連れて、生徒会室に入る。そこに待っていたのは、深雪と水波であった。泉美は詩奈が深雪の正面に座るように誘導した。
「まずは掛けてください」
深雪は微笑みながら、詩奈に言葉を掛ける。詩奈は緊張ながらも腰を下ろした。
「当校生徒会の慣習については、七草副会長から既にご説明があったと思います」
「はい、理解しています」
「そうですか、ではそれを踏まえてお願いします。三矢詩奈さん、生徒会役員になってはいただけませんか?」
「光栄です、謹んで務めさせていただきます」
深雪の表情がわずかに緩む。去年のように断られたり、入学の成績関係なく、全く別の人を生徒会入りさせたりと色々とあったので、今回はスムーズに終わって良かったと安堵した。
「それでは、詩奈ちゃんには明日から生徒会書記として活躍していただきます。仕事の内容は、水波ちゃんに訊ねてください」
「書記の桜井水波です。よろしくお願いします」
深雪のセリフを受けて、水波はお辞儀しながらそう述べる。
「こちらこそよろしくお願いします!」
先輩が先に頭を下げたことに焦った詩奈は、慌ててお辞儀した。
入学式の後片付けを終えた達也は、幹比古、雫、ほのかと一緒に講堂から出た。しかし、講堂から出るとすぐに、幹比古は訝しげな表情を浮かべて立ち止まった。
「どうした幹比古?」
「……誰かが術を使ってる?」
達也の質問に幹比古がそう答えた。雫とほのかは何のことかと互いの顔を見合わせた。
「そうだね、多分『順風耳』という遠く離れた特定の場所の音を拾う術だ」
「盗み聞きの術?」
「ま、まあ、わかりやすく言うとそうだね」
誰かが盗聴している。そう聞いた時、達也はある一人の男を思い浮かべた。あの生意気な後輩を。しかし、あの男ならば、誰かに気付かれる事もなく盗み聞き出来るだろう。
「イザヤ?」
雫は達也の顔を見て訊ねた。だが達也は首を振る。
「いや、違うだろう。もっと別の人間だ。幹比古」
「かなり修行は積んでるだろう。技術的には高い部類だ。でも、術の出力が低いな。わざと力を押さえているのか、それとも適正に恵まれていないのか」
幹比古の話を聞く限り、イザヤではない事は確かである。では誰なのか。
「場所は分かるか?」
幹比古は目を閉じて集中する。そして見つけた。
「いた、第一小体育館だ」
幹比古は目を開けて、達也に伝える。
「達也さん…今日、小体育館は解放されていませんでしたよね?」
ほのかの問い掛けに、達也は小さく頷く。
「そうだな、とりあえず現場に行こう」
達也の意見に反対するものはいなかった。
イザヤは今、第一高校の図書館で本を読んでいた。イザヤはもう生徒会役員でも、ましてや風紀委員でもないので、今日の新入生の入学式に来る必要は無いのである。では何故来ているのかと言うと、呼び出されたのだ。泉美に。遡る事それは昨日の夜である。イザヤに一本の電話が掛かってきた。
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「もしもし、イザヤ君」
「どうしたの泉美ちゃん、こんな時間に」
泉美から電話が掛かってきた時間は午後八時を超えていた。
「イザヤ君、明日暇ですか?」
「まあ暇だね。君は、明日は新入生の入学式があるんじゃないの?」
「ええ、そうですよ。あなたがクビになった生徒会役員の仕事がありますから」
わざわざ生徒会役員とクビという単語を強調してくるあたり、いい性格をしているとイザヤは思う。
「それで、生徒会役員をクビになった僕になんの用ですか?」
「……明日学校へ来てください」
「なんで?」
イザヤは純粋な疑問をぶつける。
「三矢詩奈という女の子をご存知ですね」
「知ってるよ……そうか、あの子総代なんだ」
「……私の知らないところで、また女の子を誑かしたんですね」
「おいおい、人聞きが悪いな泉美ちゃん。ただ単に、僕はあの子に気に入られただけだよ」
「どうだか」
全く信じてもらえていないようだ。電話越しに聞こえる泉美の声は、少し不満であった。
「それで、何で僕が明日行かないといけないわけ?」
「詩奈ちゃんに、貴方がいかに酷い人間なのかを教えないといけないからです。あの子は貴方の外側しか見ていません。悲しい思いをする前に、私が気付かせてあげます」
使命感みたいなことものに駆られている泉美がイザヤにそう伝えた。イザヤはその言葉にフッと笑う。
「わざわざご苦労様。じゃあ切るね」
「明日ちゃんと来てくださいね」
「行く理由がないよ。そう言って、本当は君が僕に会いたいだけじゃないの?」
「……………」
先程までの会話が途切れた。「もしかして図星か?」と思うイザヤは、ジッと泉美の言葉を待つ。
「……春休み、一度も遊びませんでしたよね。夏はもっと遊んだのに」
「そうだね」
「……寂しかったので明日会いたいです」
「………………分かったよ」
純粋な思いを告げられては、イザヤも反応に困る。イザヤは、自分に対する相手からの純粋な気持ちに慣れていない。
「それは良かった。じゃあよろしくお願いしますね」
それを逆手に取った泉美の戦略であった。泉美は話終わると一方的に電話を切った。イザヤは珍しく目が点になった。
「………やられた」
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というのが昨日の話。イザヤは昨日のことを思い返しては、泉美がだんだんと食えない奴になっている事に自然と口角が上がる。
「そろそろここから出るか」
イザヤはパタンと読んでいた本を閉じる。図書館に設置されている大きな時計を見ると、入学式は十分も前に終わっていた。イザヤは立ち上がり、背伸びをして体を伸ばす。
「さてと、誰か知らないが体育館の裏手で生徒会室を盗聴してるのは何処のどいつだ?」
イザヤはそのまま図書館から出て行った。
誰かが自分に近づいてくる。今日一高に入学したばかりの新入生、矢車侍郎。生徒会室に向けていた意識を自分がいる場所、第一小体育館の裏手に引き戻した。
(この気配……一人か?)
自分の方角に一直線に歩いてくる気配を感じとる。さらに集中すると、自分に近づいてくる人間が男であると分かった。近づいてくる気配を全く隠していない。
(かなりの自信……舐められたものだな)
自分を捕まえる事など容易いと思われているのだろうと侍郎は考える。風紀委員か職員かあるいは第三者か。どれに当てはまるかは分からないがそう簡単に捕まえられてたまるものか。生徒会室に『順風耳』を使用しているだけでも、魔法の無断使用で咎められる。これ以上のリスクを負うつもりはない。侍郎は地面から立ち上がり、目を開ける。
「は?」
その声は、自分の口から出たものとは思えないほど抜けた声だった。何故なら、今自分が立っている場所が第一小体育館の裏手ではなく、知らない建物の屋上であった。
「ば、バカな!?ありえない!?」
侍郎は混乱していた。自分のいた場所が一瞬にして別の場所へと変化していた。侍郎はものすごい勢いで首を動かして、辺りを見渡す。周りには、何棟もの高層ビルが侍郎の視界いっぱいに広がっていた。遥か遠くまでビルが広がっている。
「な、何だここは!?」
まるでビルだけの世界に自分が降り立ったようだ。
(ここが幻術なのは間違いない)
しかし、自分の目と感覚が、ここが現実だと訴えている。侍郎が混乱している中、後ろから男の声が聞こえて来る。
「君が生徒会室に魔法で盗聴してたバカかい?」
今まで誰もいないはずだった場所から、突然見知らぬ男が歩いて来た。制服からして第一高校の生徒であるのは間違いない。
「誰だアンタは!?これはアンタがやったのか!?」
「まあね、面白いでしょ?この世界」
イザヤは手を大きく広げて答える。
「お前は誰だ!?」
「そっか、名乗ってなかったね。僕の名前は折紙イザヤ。さあ、僕は名乗ったよ。君は誰?」
「折紙イザヤ!?」
侍郎はその名前を聞いて驚く。詩奈が言っていた男の名前だ。
「そうか、お前が詩奈を誑かしたのか!?」
「君もそんなことを言うのか、まったく」
やれやれといった感じで、イザヤはため息を吐く。そして、侍郎に近づいて行く。侍郎は戦闘態勢に入る。CADを操作して、イザヤに対して攻撃魔法を発動しようとするが、何も起こらない。
「な、何故!?」
「ここは偽りの世界。ここが現実ではない事は君も分かっているだろう?」
イザヤは侍郎の体を軽く押した。すると、侍郎の足元がビルから離れ、そのまま落ちていく。
「うわあああああぁぁぁぁぁーーーーー!?」
侍郎は絶叫した。落ちていく。死んでしまう。侍郎が目にしたものは、先程まで立っていたビルの屋上から下を覗き込んでいたイザヤの笑顔であった。
「うわあああああぁぁぁぁぁーーーーー!?」
侍郎が地面に激突した瞬間、世界が変わる。戻って来たのだ。第一高校の体育館裏に。侍郎の体は全身汗だくで、土の上にへたり込んでいた。
「こ、ここは……」
頭が追いついていないのか、侍郎は周りを右往左往している。
「やあ、楽しかったかい?」
イザヤはニコニコしながら侍郎に近づく。
「も、戻って来た……」
ようやく状況が掴めたのか、侍郎はよろよろ立ち上がる。
「……ようやく来たか」
イザヤは侍郎に目を向けず、全く別の場所に視線を移した。
「イザヤ、お前なんでいるんだ?」
「いつも遅いですね、達也先輩」
達也達一行が、ようやく到着である。達也の後ろから小さな手を振っている雫に、イザヤは手を挙げて挨拶する。
「新入生だな、この付近で不正に魔法を使用されたのを感知した。話を聞きたいので同行してもらう」
上級生に声をかけられた、侍郎はその顔を知っていた。
(司波達也!?)
侍郎が警戒していた人物。そして、あの四葉家次期当主の婚約者。
「そ、それなら、この人も」
侍郎はイザヤの方に指をさす。
「……いや、僕が感知した魔法は、生徒会室を盗聴した魔法一つだけだ」
達也は幹比古に顔を向けるが、幹比古はそう答えた。
「な、なんだって……」
誰にも気づかれずにあんな魔法を発動出来るわけがない。そもそも、あんな魔法があるのかと侍郎は疑問に思う。
「イザヤ、さっきも聞いたが、どうしてここにいる?」
「泉美ちゃんに呼ばれたんです」
「泉美に?……まあいい」
達也は侍郎を連れて行こうとしたが、侍郎はヨタヨタと達也から逃げるが、足を挫いて地面に倒れた。
「…どうやら、俺たちがここに来る前に、何かあったようだなイザヤ」
「そうですね、保健室に連れて行ったほうがいいでしょう」
他人事のように言うイザヤに、達也は「お前がやったんだろ」と目で訴える。達也は倒れた侍郎を見ると、どうやら気を失っているようだった。達也は気を失った侍郎を担いで保健室へと足を運ぶ。
「ねぇ、イザヤ」
雫はイザヤの服を引っ張って訊ねる。
「なんですか?」
「泉美と何するの?」
雫はただ達也達についてきただけである。その場に残ってイザヤと話をする事がよっぽど良いのだ。
「さあ?僕もわかりません」
はぐらかすイザヤに雫はジト目になる。
「……私もついていく」
「良いんじゃないですか、別に二人だけとは言っていなかったし。泉美ちゃんの生徒会の仕事が終わるまで何処かで時間を潰しましょう」
「うん」
侍郎を保健室で寝かせた達也は、生徒会室へ行き、詩奈にこの事を伝えに行く。
「さ、侍郎くんは大丈夫なんですか?」
「ああ、イザヤに何をされたのかは分からないが、ぐっすり寝ているよ」
とりあえず侍郎が無事であると確認し、詩奈はホッと一息をつく。
「矢車君はしばらく起きないでしょうし、泉美ちゃんと詩奈ちゃんは、先にイザヤ君の所に行ってきたら?」
ここ生徒会室でもイザヤの話題が上がっていたようだ。泉美が詩奈に、イザヤがどれだけクズな奴かを熱弁していた所である。深雪達も泉美の熱く語る姿に思わず苦笑いする。自分が好きな男を、こうも罵倒できるのかと思ったが相手が相手である為、仕方が無いのだ。
「詩奈ちゃん、行きますよ。あなたの目を覚させてあげますから」
「ちょっ、ちょっと待ってください」
詩奈は泉美に手を引っ張られて、そのまま生徒会室を出て行った。
「まったく……」
「お兄様、イザヤ君のことは泉美ちゃんに任せるのが一番ですね」
「あの二人にはいつも世話を焼かされる」
深雪と達也は互いに顔を合わせ微笑むのだった。
泉美は片方の手で詩奈の手を掴みながら、もう片方の手でスマホを操作する。連絡先の中でも、星形マークで印付けてある名前を押す。この状況で電話を繋げる人間は、一人しかいない。
「イザヤ君、今何処ですか?」
「いま?食堂にいるよ。雫先輩も一緒でね」
「そうですか、今から向かいますね」
「はいはい」
プツリと電話が切れる。泉美はポケットにスマホをしまい、大股で歩いていく。
「い、泉美さん。引っ張らなくてもちゃんとついて行きますから」
「ああ、ごめんなさい」
泉美は詩奈から手を離す。少し強引すぎたと反省した。
「あ、あの、これからイザヤさんに会うんですよね?」
「そうですよ、心の準備が必要ですか?」
「い、いえ、大丈夫です」
詩奈はそう言うが、明らかに髪を整えたり、顔を赤くしたりしている。完全に心を鷲掴みされたようである。
「……大丈夫ですか?」
泉美は再度詩奈に確認する。
「大丈夫です、行きましょう」
泉美も数週間ぶりにイザヤと会うので、すこし心が浮いていた。こうして二人は並んで食堂を目指すのだった。
泉美と詩奈が食堂に着くと、入り口で待っていたのは雫であった。
「北山先輩」
「泉美やっと来た。あと貴方は?」
「は、初めまして。三矢詩奈です」
詩奈は慌てて頭を下げる。雫は詩奈に手を差し出す。
「私は北山雫、よろしく」
「よろしくお願いします」
詩奈は差し出された手を取り、握手を交わす。
「北山先輩、イザヤ君は何処ですか?」
「あそこ」
雫が指差す方角を泉美と詩奈は見つめる。そこにいたのは、トランプタワーをしているイザヤであった。
「何してるんですか?」
「イザヤ、泉美が来るのが遅いからトランプで遊んでる」
「行きましょう、詩奈ちゃん」
「はい」
泉美の呼びかけに詩奈は応えて、イザヤいる場所へと向かう。歩いてくる泉美達に気づいたイザヤは、トランプタワーを作る手を止めて話しかける。
「遅かったじゃん、泉美ちゃん」
「イザヤ君、お待たせしました」
泉美は返事をした後、イザヤではなくトランプタワーの方に目を向ける。目視で数えると、タワーは九段にも高く積み上がっていた。しかし、まだまだ高くするつもりのイザヤは立ち上がってトランプを置き続ける。
「あ、あの!」
「ん?」
泉美の後ろから少し大きな声で話す詩奈に、イザヤは咄嗟に目をやる。
「イザヤさん、お久しぶりです。三矢詩奈です。覚えておいででしょうか?」
「君を忘れてしまうほど、印象薄くは無いよ、詩奈ちゃん。元気にしてた?」
「は、はい!イザヤさんも」
久しぶりにイザヤと会えて、大変ご満悦な詩奈である。それを見ていた雫は、泉美に問いかける。
「新たなライバル?」
「……そう見みたいです」
泉美は腕を組みながら、イザヤと詩奈を見る。
「さて詩奈ちゃん、貴方はイザヤ君の対面に座ってください。私も北山先輩は、イザヤ君の隣に座りますから」
「え?」
「いまから、詩奈ちゃんの目を覚させてあげます」
「泉美ちゃん、僕トランプタワー作ってる最中なんだけど……」
イザヤは自分が作ってるトランプタワーを指差してそう答える。
「知りません、片付けてください」
「そんな………」
肩を落としながらトランプタワーを片付けたイザヤは、対面に座る詩奈の顔をじっと見ていた。
「あの、イザヤさん。そんなに見つめられますと…」
詩奈は顔を逸らして、顔を赤らめる。
「泉美、これはなんの集まり?」
唯一、雫だけがこの集まりの理由を知らない。
「北山先輩、見ての通り詩奈ちゃんはイザヤ君に恋しています」
「え!?泉美さん!?」
イザヤの目の前で言われるとは思わず、顔を手で覆い隠す詩奈。
「泉美ちゃん、それ僕の前で言う?」
「早いうちにイザヤ君の本性を知らないと、詩奈ちゃんが後で傷つくことになります」
泉美は真剣なのだ。詩奈がイザヤに恋する事は構わないが、それで泣いてしまう事にならないように、予防線を張っておきたいのだ。
「詩奈ちゃん、聞いてください。これから話すことは全部事実です」
「い、泉美さん………」
「僕たちもおとなしく聞いていようか、雫先輩」
「うん」
その後、泉美の口から語られるのは詩奈を驚かせるのには十分であった。裏で人を操って自分の思い通りに事を進ませたり、簡単に人を切り捨てる冷酷さ。挙げ句の果てには、自分を好きな女の子の心を壊そうとして泣かせたりする。もはや人の所業では無いと泉美は最後に締め括った。
「詩奈ちゃん、これでもまだイザヤ君の事が好きですか?」
そう問い掛けてくる泉美。
「………イザヤさん、全部本当なんですか?」
詩奈はイザヤを見る。その顔は出会った時の様にニコニコと笑っていた。
「本当だよ、全部。否定できる所がまるで無い」
「そ、そんな………」
詩奈はショックを受けた。自分が好きな男性が、泉美が言っていた通りの人間だったのなら、初めて会った時優しくしてくれたのは全部嘘なのかと。詩奈はしばらく放心状態だった。そんな時、雫が詩奈に声を掛ける。
「詩奈」
「は、はい」
「詩奈と呼ばせてもらうね、詩奈は何でイザヤの事が好きになったの?」
「そ、それは……」
本人の前で言うのかと、詩奈は雫とイザヤを交互に見る。
「僕、耳を塞いでるね」
イザヤは自分の耳を塞ぎ、目を閉じた。雫はイザヤから詩奈に視線を移して頷いた。詩奈もゆっくりと話し始めた。イザヤと出会ったあの時を。そうして話し終えた詩奈に雫はこう言った。
「なるほど、それは惚れても仕方が無い」
「え?」
「私もそんな場面に出くわしたら、絶対惚れる」
雫は一人、ウンウンと頷いた。
「北山先輩も、イザヤさんの事がお好きなのですか?」
詩奈は恐る恐る雫に聞いてみる。
「うん。というか、さっき泉美の話に出てきた泣かされた女の子は、私なの」
「え!?」
詩奈は開いた口が塞がらなかった。泣かせた男と泣かさせた女が隣同士で座っていること、詩奈は困惑した。
「ど、どうして好きなままでいられるんですか?」
「うーん、あの時は私も悪かったし、イザヤの事何も分かっていなかったから」
「北山先輩から見てイザヤさんはどんな人ですか?」
「子供だよイザヤは。だけどね、そんな子供な一面が私にはグッときたの。それに、自分が楽しむ為だとしても、私を成長させてくれた事は感謝してる」
「……………」
「イザヤはね、愛を知らないの。親から貰って当然の愛を、イザヤは貰ってこなかったから。だから、性格が捻じ曲がってしまっているけど、それでもイザヤが好き」
負けた。女性として何歩も先を歩く雫に、詩奈は完敗した。イザヤから心を壊されてもなお、好きでいられる事に詩奈は尊敬してしまう。
「そ、そこまでイザヤさんの事を……」
「詩奈も色々と苦労するだろうけど、イザヤの事が好きなら頑張って」
雫はイザヤの体をツンツンと突く。
「もう話は終わりました?」
「うん、おしまい」
雫はイザヤの言葉に小さく頷く。それを見てイザヤは耳から手を離す。
「イザヤさん、私………」
「…………」
「私、貴方を好きでいて良いんでしょうか?」
泉美と雫。既にイザヤの事が好きな人は二人もいる。どちらも強敵で自分には敵いそうに無い。だけども、この想いは……。
「詩奈ちゃん、君が決めるんだ」
「イザヤさん……」
「聞いてた通り僕はクズだ。その事を改める事は無いよ。だから詩奈ちゃんは自分で決めてくれ。誰に言われたからでも無い、自分の意思で決断してくれ」
それに詩奈は小さく頷いた。これにて話は終了した。四人は立ち上がり、食堂を出る。
「私は保健室に用があるので、これで失礼します」
詩奈は早足で廊下を走って行った。その様子を見たイザヤは泉美と雫に伝える。
「僕も保健室に行くよ。二人とも、また明日ね」
イザヤは詩奈の後を追いかける様に歩いて行った。
「やはり、詩奈ちゃんが気になるのでしょうか?」
「イザヤ、もしかして詩奈に甘いのかも?」
侍郎が目を開けた時、最初に見えたのは自分を覗き込む詩奈であった。
「侍郎くん!目を覚ましたのね!」
「……俺は大丈夫だ」
詩奈の顔に不安の色が見える。侍郎は心配をかけてしまったと後悔した。
「何処も痛いところはない?」
「ああ、何処も痛くないよ。正常だ」
「良かった、じゃあ……」
詩奈は右手を大きく振りかぶり、平手を侍郎に打ち付ける。部屋に乾いた音が鳴った。
「どうして……」
詩奈の両目に涙が浮かぶ。今にも声を出して泣き出しそうな詩奈の顔に侍郎は青ざめる。
「何で盗み聞きなんて馬鹿な真似したの?」
詩奈の声は震えていた。悲しいと同時に怒りがあった。
「私、そんなに頼りなく見える……?」
「詩奈……」
その時、保健室のドアが開いた。中から入ってきたのは、イザヤであった。
「イザヤさん、どうして?」
「あんた、何しにきた!?」
侍郎は咄嗟に体を起き上がらせ、詩奈を守る様にイザヤを睨みつける。イザヤはクスリと笑い、詩奈ではなく侍郎に近づいて行く。
「弱いな」
「何?」
「今の君は飛んでいる蚊と遜色ない。取るに足らない存在だ」
「イザヤさん、そんな事……」
詩奈が酷いと言う前に、侍郎が話し始めた。
「あんたの言う通りだ。俺は……魔法力が乏しく、詩奈を守る事も自分を守ることもできない。役立たずだ」
「侍郎くん……」
侍郎は嘆いていた。己の未熟な力を。もし自分に詩奈を守れる力があったらと、何度も思った。しかし、現実はそうでは無かった。自分は詩奈の護衛を外され、自分はどうして良いのかわからなくなった。
「力が欲しいかい?」
「え……?」
「誰かを守れる力が、欲しいかい」
「…‥欲しい。俺にも人を守れる力が」
「君は魔法力が乏しいと言っていたけど、それは間違いだ。君には素質がある。己の限界の、さらに向こうの壁を破壊する素質がね」
「壁?」
侍郎はイザヤの言っている事が分からなかった。
「僕が君を強くしてあげよう」
「!?」
イザヤは侍郎に右手を差し出した。
「この手を取れ、矢車侍郎。君は生まれ変わる。未だ見たことのない己の真の力を知る事になる。それにはリスクも当然ある。君は、この手をとれるかな?」
イザヤの挑発が侍郎の心に火をつける。侍郎は勢いよくその手を掴み、自分の方に引き寄せた。
「俺を強くして欲しい!あんたが言ったんだ。嘘だったら承知しないぞ!」
期待通りの言葉にイザヤはニヤリと笑う。置いてけぼりの詩奈はオロオロと二人を見守っていた。今この時より、矢車侍郎は一流の魔法師としての道を一歩踏み出すのだった。