車が発進してから10分が経過した。しかし、イザヤと夕歌の間に会話はない。あるのは車が走る音のみ。運転手の黒スーツの男は、チラチラとルームミラーを見ながら、イザヤ達を覗いていた。
(何も喋らないなー)
イザヤは夕歌の方から話を振ってくると思ってずっと待っていたが、夕歌は窓の外をずっと眺めていた。
「…………しりとりでもします?」
「……………」
返事はない。しりとりがだめなのか、そもそも自分と話す気すら無いのか。無反応は少し悲しい。
「フッ、冗談ですよ」
イザヤは冗談と言うことにしようと思った。
「……………アリ」
「やるんだ……」
イザヤと夕歌のしりとりが始まった。今度はイザヤの番である。
「リス」
「スイカ」
「カラス」
「スズメ」
このしりとりは駅に着くまで延々と続いた。何故しりとりをしようと言ったのか、イザヤ自身もよく分からないが、丁度良い暇つぶしになった。
新幹線に乗るのは、イザヤにとって初めての体験である。イザヤと夕歌は駅に着いた時、黒スーツの男と別れた。イザヤは男に軽く頭を下げ、男もそれに応えた。
「それでは行きましょうか」
「ええ、わかりました」
夕歌の呼びかけにイザヤは返事をし、二人は新幹線に乗り込む。この時間は他に人がおらず、貸切状態であった。イザヤと夕歌は、先頭車両から5番目の車両に乗り、発車するのを待っていた。イザヤは向かい側に座る夕歌を見て、再びアレを始めようとする。
「カエル」
「…………え?」
イザヤの突然の言葉に、夕歌は反応が遅れる。
「だからカエルですよ。次は貴方の番ですよ」
「………まだ続けるつもりなの?」
こいつ本気か、という目を向ける夕歌。
「貴方が何も喋らないからいけないんですよ」
しかし、イザヤは夕歌を非難する。
「というか、なんでしりとりなの?他にもっとあったでしょう?」
「暇すぎてしりとりしか思い浮かばなかったんですよ。そもそも、貴方達の方から僕を呼んでおいて、僕を放りっぱなしとはどういう事ですか?」
「それは………」
夕歌は言葉を飲み込んだ。「私も来たくなかったのよ」と。夕歌は自身の研究で忙しかった。夕歌は魔法演算領域のオーバーヒートについて研究していた。昨日、突然本家から連絡が入ったのだ。とある人間を迎えに行ってほしいと。そんなの自分では無くても良いだろうと思っていたが、四葉真夜からの命なので拒否することはできなかった。
「それよりも当主自ら人を本家に招き入れるなんて、貴方一体何者なの?」
夕歌は訝しんだ目をイザヤに向ける。どうやら自分の事を真夜から知らされていないようだ。どこから説明しようか。
「そうですね、去年の師族会議が誰かに盗聴されたことはご存知ですか?」
「ええ、知ってるわ」
「あれ、僕がやったんですよ」
「………は?」
夕歌は「こんな奴が」という顔をしてイザヤを見る。それに対して、良いリアクションだなとイザヤはニヤリと笑う。
「……どうしてそんな事したの?」
夕歌がイザヤに興味を持ったのか、前かがみになって質問する。
「スリルを味わうためですよ。後、十師族がどんな人間かを見たかったからですね」
「意味わかんない……」
夕歌の言葉は尤もである。イザヤの行動は時として、泉美や雫、詩奈でも理解する事は難しいのだ。
「というか、どうやって忍び込んだの?」
師族会議は厳重な警備の元に行われる。だから、夕歌には不思議でたまらなかった。
「知りたいですか?」
イザヤのその言葉に、夕歌はコクリと頷く。それに応じて、イザヤは口を開いた。
「お願いしたんですよ」
「お願い?」
夕歌は言葉を反芻した。
「警備の人間に言ったんですよ。お願いします、僕を通してくださいってね」
イザヤは両手を指と指の間に絡めて、神に願うように懇願したようなポーズを取る。そんなイザヤに、夕歌はハァとため息をつく。
「あっそ、つまり話したく無いわけね」
釣られた自分が馬鹿みたいだと夕歌は思う。
「あ、信じていませんね。人がせっかく話しているのに」
イザヤは夕歌の顔に指を差し、そう発言した。
「そもそも、お願いって何なのよ。人を馬鹿にするのもいい加減にしなさい」
夕歌はイザヤを睨んでキツく言い放った。しかし、そんな夕歌にイザヤは笑みを崩さない。
「本当ですよ、僕はお願いしたんです。ただ少しだけ、警備の人間の頭を弄ったんです」
「どういう事?」
「僕の姿が誰にも認識されないように、彼らに精神干渉魔法を使ったんです」
「なんですって?」
イザヤの言葉は、夕歌には聞き捨てならない事であった。いや、夕歌以外の四葉の人間もイザヤの言葉に驚きを隠せなかっただろう。
「僕の精神を干渉する魔法は、相手に姿を見えさせなくする事ができるんです」
しかし、今言った魔法もイザヤの無数にある魔法の中の一つでしか無い。イザヤは精神に干渉させる魔法を好む。だが、イザヤの力はこんなものでは無い。もっと恐ろしい魔法が存在するのだが、イザヤがそれを使うのは、もっと先のお話である。
「その魔法で監視の目を掻い潜ったのね」
「まあ、そんな所ですね」
夕歌はイザヤの言葉を鵜呑みにできるほど、その話を信じる事はできなかった。警備の人間を精神干渉魔法を使ったとは言うけど、誰一人としてイザヤの存在に気がつかなかった事があり得るのか。警備はホテルの周りを取り囲むように配置されていたはずだ。わざわざ警備一人一人に、魔法を使用したとは思えない。何かのカラクリがあるはずだ。夕歌は顎に手を置いて考える。
「今の僕の言葉を鵜呑みにしないあたり、流石は精神干渉魔法を使う四葉だけはありますね」
「……なるほど。当主が気にかけるだけはあるわね」
夕歌は目の前のイザヤに対して警戒する。自分は今、とんでもない人間と相対しているのではないかと思った。
「僕の事はこの辺でいいでしょう。次は貴方の事を教えて下さい」
次は貴方の番だと、イザヤは夕歌を見つめる。
「私の何を聞きたいの?」
「好きな食べ物は?普段何してる?得意な魔法は?色々と聞きたい事はありますよ」
「1番はいらないんじゃない?」
好きな食べ物など聞いてどうするんだと夕歌は思う。
「無いんですか好きな食べ物?」
「…………酢豚」
「いいじゃないですか酢豚。僕も好きですよ」
イザヤはニコリと夕歌に笑い掛ける。夕歌は「なんなんだコイツは?」という目でイザヤを見る。
(この子、まさか私に気があるの?)
自分からしても馬鹿馬鹿しい思考を巡らせる。夕歌はイザヤから物理的に距離を離す。先程まで前かがみになっていた体を、背もたれにもたれかける。
「じゃあ次の質問。普段何してますか?」
「魔法大学の大学院で研究しているわ」
「へー研究ですか。具体的にどの様な?」
「魔法演算領域のオーバーヒートについて研究しているわ」
オーバーヒート、その言葉を聞いた時イザヤの目がわずかに少し開いた。夕歌はそれを見逃さなかった。
「未だに魔法演算領域が詳細の解明されていないブラックボックスです。そんな場所を研究しているのは、貴方の得意の魔法が理由ですか?」
今度はイザヤが興味を示した。それに夕歌は言葉を続ける。
「もうわかっていると思うけど、私の得意魔法は精神干渉魔法よ。この研究は本家も積極的に支援してくれてる。必ず未来の魔法師の為にもなるわ」
いまだに謎が多いこの研究は、彼女が生きている内に解明できるかも分からない。だが、夕歌は自分に言い聞かせる様に言い放った。彼女には彼女なりの考えと意志がある様だ。
「いいですね、それ。凄く良い」
イザヤは自然と口角が上がった。イザヤは自らの意志に基づき行動をする人間を、つい気にかけてしまう。自らの意志で行動した時のみ人間は真価を発揮する。
「僕は貴方を尊敬しますよ。津久葉夕歌さん」
「………ありがとう」
少し照れくさくなったのか、夕歌はイザヤから視線を外す。
「貴方の事を知れてよかった。だから少しだけ僕の知識を、貴方に差し上げます」
「え?」
夕歌は再びイザヤの方に顔を向けた。するとイザヤは、夕歌がこちらに顔を向けた瞬間、右手の人差し指を夕歌の額にくっつけた。夕歌の頭の中に、たくさんの情報が流れてくる。夕歌はその情報量に圧倒されてしまう。
「こ、これは!?」
「どうです。貴方の研究に役立ちそうですか?」
「……………………」
夕歌は驚きのあまり言葉が出てこない。いや、まだ大量の情報に頭が追いついていないのか。あるいはその両方か。
「すごい………もしこれが本当なら、魔法師は新たな進化を開けるわ!」
夕歌は歓喜のあまりその場から立ち上がる。
「喜んでいただけましたか?」
夕歌は恥ずかしくなり、再びシートに座る。そして一度咳払いをした。
「…………私に教えて本当に良かったの?」
「何故です?」
イザヤは夕歌の質問の意味が分からなかった。
「私は四葉の人間よ。貴方からもらった情報を基に、悪いことに使うんじゃ無いかって考えないの?」
夕歌は暗に「私を信用するな」と言いたいのだろう。
「別に悪用しようが構いませんよ。貴方の好きにすると良いですよ」
イザヤはあっけらかんと答えた。
「それ、逆に怖いんだけど………」
情報をくれた事には感謝しているが、イザヤが何を企んでいるのか夕歌には分からない。
「ただの気まぐれですよ、気にしないで下さい。それより、僕眠たいのでもう寝ますね」
イザヤはそう言うと、ポケットからアイマスクを取り出して寝る体勢に入った。
「…………」
夕歌はまだ聞きたい事があったが、自分も眠気が来たのでイザヤ同様、目的地に着くまで仮眠を取る事にしたのだった。
まだ辺りは暗くなっている。新幹線から降りた二人は出口に向かうと、黒いスーツの男性が待っている事に気がついた。身長は180cmと高く、見た目は30代後半に見える。その男性の後ろを二人はついて行き、駅から少し離れた駐車場に向かう。その先に黒い車を見つけた。四葉の人間は黒い車が好きなのだろうか。
「また黒か」
「私達だけじゃなくて、他の十師族はみんな黒い車だと思うわ」
イザヤの独り言に夕歌が反応した。黒スーツの男は車の後部座席のドアを開ける。
「どうぞ、お乗り下さい」
動作が洗練されていて美しい。流石だ。男が開けてくれたドアからイザヤ、夕歌の順に乗っていく。男はゆっくりとドアを閉め、機敏に動き、運転席に乗る。
「それでは発進します」
男はハンドルを握りエンジンを掛けた。車は駐車場から出て、四葉本家に向かう。その途中、夕歌はイザヤに質問を何度も投げかける。
「あの……少し良いかしら?」
「はい?」
夕歌はイザヤを見てから運転している男に目を向ける。イザヤは夕歌の言いたい事がわかった。
「すみませんが声を遮断する魔法を使います。よろしいですか?」
先程与えた情報について質問があるらしい。イザヤは男に訊ねた。
「構いませんよ」
男がそう答えると、イザヤは左手の指をパチンと鳴らした。その瞬間、イザヤと夕歌を取り囲む膜のようなものが現れた。
「これで彼には声が届きませんよ」
「貴方ってなんでも出来るのね」
夕歌は驚きのあまり呆れている様だ。
「それで何を聞きたいですか?」
夕歌は一息入れて話し始めた。
「未だに信じられないけど、魔法師の魔法力が、本来の力の半分くらいしか使われていないし、使えない事は分かったわ。そして、その本来の力を引き出せる事も分かった。だけど、それは貴方しか出来ないの?」
夕歌の質問にイザヤは答える。
「今のところ僕しか出来ないですね。本来の力を引き出すには、自身が相手の精神に潜り込む必要があります。ただし、深く潜り込んで帰ってこれない可能性もある。力を引き出す方も、力を引き出させる方も互いに大きなリスクを持たなければなりません」
大きな力を手にする為には、大きなリスクが伴う。それと、もう一つ大事な事がある。
「加えて、他人の精神に入り込むのは互いの信頼があってこそです。相手が拒絶すれば、入り込む事は不可能です。また、他人の精神の中に入り込んでいる時に、相手側がなんらかの拒否反応を見せれば、異物を排除しようと自分の精神が崩壊する事になりかねない」
イザヤは先程、互いにリスクを負わなければならないと言っていたが、夕歌には、力を引き出させる方にリスクが大きいと思った。いくらサイオンの過剰放出で命を落とす可能性があったとしても、それを防ぐ為のサイオンを抑える方法があるのだ。やはり、リスクが大きいのは、他人の精神世界に入り込む人間の方である。
「貴方の話を聞いていると、他人の精神世界に入る人間の方にリスクが大きい様に思えるわ」
「そうですね、だいたい互いのリスクの比率として7:3ぐらいですね」
まだ他人の精神世界に入る人間の方にリスクが少ないと、夕歌はイザヤが言った数値に物申したい所だったが、それは個人の感覚という事にした。夕歌は8:2くらいだと思っている。
「ねぇ、私も出来ないかしら?」
「……言っておきますけど、貴方の考えている百倍は難しいですよ」
「知識として知っていても、出来なければ意味がないわ。それに、自分で言うのもなんだけど、私の精神干渉魔法は他人の精神そのものに干渉する術式に優れているわ」
「自分なら出来ると?」
イザヤは問う。夕歌の瞳に火が宿る。
「やってみせるわ。だから、貴方の力を貸して欲しいの」
夕歌は体をイザヤの方に向けて、深く頭を下げる。運転席にいる黒スーツの男は、ルームミラーから見える夕歌の行動に何事かと驚いた表情を浮かべたが、魔法で声を遮断されているので何も分からない。
「困ったな。自分で蒔いたタネだから、放って置けないよね」
津久葉夕歌と出会ったのは、何かの縁かもしれない。これは投資だ。夕歌の研究が進むことで、自分を楽しませてくれる人間が増えるかもしれないと、イザヤは胸に淡い期待を抱いた。すると夕歌は、ポケットからスマホを取り出した。
「連絡先を交換しましょう」
「良いんですか?プライベートナンバーを頂いても?」
「貴方とは長い付き合いになりそうだから」
イザヤはスマホを取り出して互いの連絡先を交換した。夕歌は自分の研究の為に、イザヤをとことん利用しようとする腹づもりだ。イザヤも承知の上で夕歌に連絡先を渡す。この投資が、イザヤにどんな結果をもたらすのか、それはまだ分からない。
ようやく空が少し明るくなって来た頃、車は長いトンネルを抜けると、目の前に大きな屋敷が見えてきた。あれが魔女の館。魔法師の中でも恐れられるアンタッチャブルな者たち。そして今からイザヤは、その首領に会いに行くのだ。
「着いたわ、降りましょう」
「ええ」
夕歌を先頭に四葉本家に入って行く。長い廊下ですれ違う執事やメイドが立ち止まり、こちらに頭を下げてくる。頭を下げている対象はきっと夕歌であろう。イザヤは屋敷の中をキョロキョロとしていた。そんな姿を見て、夕歌はクスリと笑う。
「どうしたの?流石の貴方も、これから当主に会うのに緊張しているのかしら?」
「まさか、こんな大きな屋敷は初めてなので、少しワクワクしているんですよ」
「……貴方って、少し子供よね」
年齢的にはイザヤは子供の部類に入るのだが、それでも子供っぽさが時折垣間見える。あれがイザヤの素なのだろうか。夕歌はそんなことを考えていた。
「夕歌様、そして折紙イザヤ様、ようこそいらっしゃいました」
二人の目の前に、四葉本家の執事である葉山忠教が現れた。とても綺麗なお辞儀である。今の動きだけで、この老人が長年執事務めていた事が分かる。
「葉山さん、折紙イザヤを連れて来ました。私の役目はこれでおしまいですか」
「はい、ありがとうございます。夕歌様」
葉山はお辞儀をしたまま、夕歌に感謝を伝える。夕歌はそれを見て、イザヤに体を向ける。
「私とはここでお別れね。短い時間だったけど、とても有意義な時間だったわ」
夕歌はイザヤに右手を差し出した。握手を求めるその姿に、葉山は目を見開く。ここに来るまでの間、二人に何かあった事は明白だ。
「ええ、いつでも連絡して下さい」
イザヤは差し出された手を握る。交わされた握手は5秒ほどで、夕歌が先に離す。そして夕歌は来た道を戻って行く。それをしばらく見つめた後、イザヤは葉山に話し掛ける。
「それで、四葉の当主はどこにいるのですか?」
「奥様はこの先の部屋に待っておられます。私が案内致します」
葉山は体を180度回転させて歩いて行く。イザヤは黙って葉山について行く。ついに四葉真夜とご対面である。自分に何の用があるのか分からないが、自然とイザヤの口角が上がっていく。
「この部屋でございます」
葉山はその部屋の前で立ち止まり、ノックする。
「奥様、折紙イザヤ様がお見えになりました」
「通してちょうだい」
中から女性の声が聞こえてくる。葉山は扉を開ける。
「どうぞ、お入りください」
それに従い、イザヤは部屋の中に入室する。そして、目の前には黒いドレスを着た女性が椅子に座っていた。女性はこちらを見てニコリと微笑み、椅子から立ち上がる。
「初めまして、折紙イザヤさん。私は四葉家現当主の四葉真夜です」
「初めまして、四葉真夜さん。僕は折紙イザヤです」
互いの視線が重なり合う。魔女と怪物の対面である。