イザヤにとって遊園地は初めて行く場所である。どういった場所かは知ってはいるものの、それは知識としてであり経験としてではない。朝9時、イザヤは待ち合わせの場所に到着した。まだ眠たい目を擦りながら、噴水前に立つ雫の姿を見た。
「お待たせしました、雫先輩」
「おはよう、イザヤ」
今回も雫がイザヤよりも早く着いていた。その事にイザヤは触れることは無い。心の中で「どんだけ楽しみなんだよ」というツッコミをして、二人は駅に歩いて行く。遊園地に行くためにキャビネットを利用して向かう。駅から約30分程あるので、二人はキャビネットが遊園地に着くまでの間、談笑していた。
「詩奈、とても喜んでた。お姫様抱っこされたって」
「………あの子、皆んなに言いふらしてるのか?」
雫と詩奈は学年が2つ違うのにも関わらず、交流を持っているのは、同じ人に想いを抱いているから。たまにお茶したりする時の大半はイザヤの話題である。
「イザヤは詩奈とか矢車に甘い気がするんだけど…」
「それ泉美ちゃんにも言われましたね。僕自身は別にそんなつもりは無いんですけど」
首を傾げるイザヤ。雫は、もしかしたらイザヤは年下に対して無自覚なお兄ちゃん気質を発動しているのかもしれないと思った。また一つ、イザヤの好きなところを見つけられた雫。
「私もお姫様抱っこされたい」
「そうなんですか、じゃあほのか先輩にお願いしてみましょう」
「…………………」
ほのかなら、もしかしたら雫を持ち上げることは出来るかもしれないが、雫がして欲しい相手はもっと別にいる。というか横にいる。分かってるくせに分からないフリをしてくる。前から思っていたが、イザヤは、同年代や年上に対して、いじわるな一面を見せる。それもまた、イザヤの魅力であると雫は思う。
「とぼけないで」
雫はイザヤの太ももをつねる。
「痛い、痛い、先輩」
「お姫様抱っこ、分かった?」
「…わかりましたよ先輩、機会があったらですけど」
とりあえずはこれで許しやろう。雫はイザヤの太ももをつねるのをやめた。イザヤはつねられた部分を優しく撫でる。
「まったく…………」
雫は自然と頭をイザヤの肩に乗せる。イザヤは前よりも少し変わった気がする。あの仲直りの後、イザヤの雰囲気がどこか変わった気がするのは自分だけだろうか。今も危ない事をするのは変わらないが。
「……………」
イザヤは何も言わない。目的地に着くまで外を眺めていた。だが、雫から伝わる男性とは全く違う香りに、すこし考え事をしていた。
(こればかりは僕でも分かんないなー、女性の香りはなんでこんなにいい匂いなんだろう………)
イザヤは男性と女性の匂いの違いについて頭の中で議論を展開していたのだ。
遊園地に着いた二人がまず初めに乗った乗り物は、ジェットコースターであった。遊園地に来ていきなりだと思うかもしれないが、イザヤが提案した事であった。遊園地に入場してすぐに、人の悲鳴が上から聞こえてきたのだ。イザヤの頭の上では、はるか高くから急降下する乗り物に乗っている人の姿。その顔は十人十色。泣いていたり、笑っていたり、目を瞑っていたり、真顔でいたり、イザヤは目を奪われていた。
「雫先輩、アレに乗りましょう!」
「ん?……ジェットコースター?」
イザヤは、今も凄いスピードで動いている乗り物を指で追いながら雫に言った。
「一番初めはアレに乗りましょう」
「うん、良いよ」
珍しくはしゃぐイザヤに、雫は微笑む。その姿はまるで子供そのもの。だが、ジェットコースターの受付口には、大勢の人が並んでいた。自分の番はまだかまだかと待ち侘びていたのだ。
「結構並んでるね」
「…そうですね………違うところにしましょうか」
この列に並んでしまうと、遊ぶ時間が大幅に削られてしまう。イザヤはそれを危惧して雫に他の場所に行こうと歩き出すが、それを雫がイザヤの手を掴んで止めた。
「イザヤ、これ乗りたいんでしょ?乗ろうよ」
「結構時間がかかると思いますが……」
「ううん、私もこれ乗りたいから」
「……そうですか、じゃあそうしましょう」
イザヤと雫は最後尾に並び、自分たちの番が来るまで雑談していた。雫はずっとイザヤの手を掴んだままであった。これは雫が積極的になったからでは無く、手を離すタイミングを逃したからであった。
(冷たい手……………)
イザヤの手は冷たかった。しかし、雫は先程よりも強く手を握りしめた。イザヤも自分の手が強く握られた事を感じ取った。
「………………」
だがイザヤは握り返さなかった。ただ、雫の手から伝わる温かさを感じ取っていた。
「なかなかのスリルでしたね、雫先輩」
「うん、楽しかった」
イザヤと雫は遊園地内にある飲食店でお昼をとっていた。少し遅い昼食を。
「イザヤ、ずっと叫んでた」
「急降下する時は、叫ぶのがマナーだって聞きましたよ」
「そんなの無いよ」
おかしな事を言うイザヤに雫は口角を上げる。いつもは無表情の雫だが、イザヤと話している時は、たびたび笑った顔を見せる。
「次はどこに行きましょうか?雫先輩が選んでくださいよ」
「私、観覧車がいい………次が最後になるかな」
「え?」
まだジェットコースターに乗っただけなのに、もう最後になってしまうのか。それはいくらなんでも早すぎないか。
「ごめんイザヤ、お父さんが早く帰ってこいって」
「なるほど、そうですか……」
イザヤとデートの前日の夜。雫は北山潮から自室へ呼ばれていたのだ。
「お父さん、こんな時間に何?」
時間は夜22時を回っている。明日のためにも雫は早く寝たかったが、
「少し座って話そう」
なんだか長くなりそうである。潮は真剣な顔つきであり、雫は仕方なく潮と対面に座るために、ソファに腰を下ろす。
「明日、遊びに行くそうだな。イザヤ君と」
腰を下ろすと同時に潮から雫とイザヤとのデートのことについて言及があった。
(またイザヤの話か………)
イザヤの話になると、雫は両親と衝突する事が多々ある。イザヤの事を知ってから両親の態度は変わった。母親の北山紅音は、イザヤの事を最初から好きでは無かったが、潮は明確にイザヤの事を、敵視とまではいかないものの、避けるべき相手だと思っている。
「そうだよ」
「何故、まだ彼に関わるんだ?」
「好きだから」
「……………」
雫のその真っ直ぐな瞳と、その短い言葉に込められた様々な想いが潮に伝わってきた。
「雫、私はお前を仕事のための道具として使うつもりは無い。政略結婚などさせないし、雫が好きな人と結婚して欲しいと思っている」
「お父さんはイザヤを好きになっちゃダメだと言いたいんでしょう?」
「……………………」
雫の言葉に潮はダンマリとしてしまう。雫はその沈黙を肯定と受け取った。
「友人の達也君や深雪ちゃんもお前の事を心配している。ほのかちゃんだってそうだ。雫が休んだ時、ほのかちゃんがお前の為に、うちの玄関のドアを壊してまでお前を心配しに来たんだ」
「……………………」
あの時は友人にも両親にも迷惑をかけた。それは今も反省している。
「雫………彼じゃないとダメなのか?」
「お父さん…………」
潮のその言葉に、雫は少なからずショックを受けた。十分に分かっていた。両親からのイザヤの評価は悪いこと。紅音に至ってはイザヤの名前を聞くと、眉間に皺を寄せるはどだ。
「私は早く結婚してくれとは言わない。雫が素敵な人と出会うまで、時間を掛けることは悪いこととは思わない」
「私には、その素敵な人がイザヤなの」
「……………………」
潮はまた沈黙してしまった。いつまで経っても平行線。潮は深いため息をこぼす。
「…………17時までには帰って来なさい。それが出来なければ、明日遊びには行かせない」
遊園地に遊びに行くのに17時に帰ってこいとは……。
「17時………………わかった」
だがここで承諾しなければ、潮は絶対に行かせはしないだろう。雫は潮のその条件を飲んだ。二人の話はここで終わった。
家に帰る時間を計算したらどれくらい遊べるのか、イザヤは飲食店に設置されていた時計を見る。今の時間は14時を回ろうとしていた。人気の乗り物は並ぶのに時間がかかる。乗れたとしてもあと一つしかない。
「観覧車でいいんですか?」
「うん、それでいい」
雫はまだ遊び足りなそうな顔をしていた。それはイザヤも同じである。せっかくの休みだというのに……。
「じゃあ早く行きましょうか、雫先輩」
「………うん」
ここで油を打ってる余裕はない。二人は席を立ち、観覧車に乗る為に足早と歩いていく。雫はイザヤの隣を歩きながら、イザヤにそっと手を伸ばそうとする。だが、イザヤはポケットに手を入れたままで、雫はそっと手を下ろした。またイザヤと手を繋ぎたい。そう思った雫の考えは容易く崩れ散る。その事に、イザヤは気づく様子はなかった。
観覧車は二人を乗せて回り始める。どんどん上へ昇っていき、下にいる人間が小さく見えてくる。イザヤは次第に人が小さくなっていくのを、頬杖をつきながら上から眺めていた。観覧車に乗ってから、雫とイザヤの間に会話はなかった。イザヤはふと、対面に座っている雫に視線を移した。
「………………」
雫はずっとイザヤを見ていたのだ。雫と目が合った事をイザヤは少しばかり驚いて目を見開いた。
「……どうしました?」
「ねぇ、こっちに来て」
雫は自分が座っている場所の横をトントンと手で叩く。イザヤは雫の言う通りに移動した。
「ねぇ、イザヤのこと聞きたい」
「僕のこと?」
「イザヤが昔、どんな子だったのか、教えて欲しい」
「……………」
とても、優しい目をしている。イザヤは雫を見てそう思った。何故だろうか、何故自分にこんな優しい目を向けてくるのか………。
「……そうですね、小さい頃は少しヤンチャをしてましたね」
「ヤンチャ?」
「例えば、幸せの絶頂にある人間を絶望のどん底に突き落としたり、恋人同士を殺し合わせたり、人間の身体がどこまで曲がるのか試してみたりしましたね。今落ち着きましたけど」
「それは………酷いね、クズの所業」
正直ドン引きである。フォローも何もない、十中八九いや、全てイザヤが悪い。
「僕は頭がおかしいんですよ」
「うん、分かってる。じゃあさ……」
雫はイザヤの手を掴む。冷たい手だ。この手で一体どれだけの人間を悲しませてきたのか。
「イザヤのことが好きな私は、もっとおかしい?」
「………………………」
イザヤはそれに応えることはできなかった。なんて返せばいいのか、イザヤにはわからなかった。
「優しい貴方も………」
雫の手がイザヤの胸に伸びていく。
「悪い貴方も…………」
雫は自分の頭をイザヤの胸に預ける。
「私はどちらの貴方も、愛しています」
愛している、そう告げて来た雫にイザヤは、
「そう…………ですか…………」
この時のイザヤはどんな顔をしていたのだろうか、雫はイザヤの胸に顔を埋めていたのでそれを知ることは無い。ただ今は、誰にも邪魔されず、このままでいたいと強く思っていた。本当は抱きしめて欲しかったが、それを口にしてはダメだ。イザヤが自分から抱きしめてくるまで、待っていよう、いつまでも。