司波達也はシャワーを済ませると、適当に体を拭き、首にタオルを掛けながら、リビングのソファに座った。達也は何気なくテレビをつけると、すぐに後悔することになった。
「はぁーー」
画面いっぱいに映し出されたエドワード・クラークの顔。達也は深いため息の後、テレビに消して天井を見上げていた。
「静かな場所だ………」
達也がいる場所は、四葉本家所有の伊豆別荘。生前、四葉深夜が住んでいたとされるこの家で、達也は一人だった。現在、深雪と水波とは別々に暮らしている。会えないのが寂しい。それに……。
「学校のみんなはどうしているだろうか………」
達也はとうとう学校に行かなくなった。目を瞑ると友人達の顔が思い浮かぶ。達也はセンチになっていた。達也はおもむろに立ち上がり、玄関で靴を履き外へ出た。石畳の上を歩いていた達也は何気なく空を見上げた。そこには、美しい星達が輝いていた。
「………………」
昨日、十文字克人と七草真由美から、会って話がしたいと言う連絡をもらった。話の内容はやはり、ディオーネ計画の事だろう。そのプロジェクトに是非参加してほしいとお願いしてくるに違いない。
(十文字克人は簡単には引き下がらないだろう。間違いなく、戦闘になる)
十文字克人の『ファランクス』は達也にとっても脅威だ。だが、何も手が無いわけではない。自分が作った新しい魔法『バリオン・ランス』、それが戦いの切り札となるだろう。しかし、『誓約(オース)』で力を封じられている今、苦戦を強いられることにはなるだろう。十文字克人と倒したところで、何かが変わるわけでもない。自分のこの状況をどう打破するか。ピースはすでに自分の中にある。だが、
(問題はイザヤの方だ…………)
イザヤが新入生として入ってきた頃は、警戒する人物の中の一人でしかなかったのに、それを軽く超えてきたのだ。達也は自分を最強だとは思っていなかったが、それでも第一高校の中では敵無しと思っていた。だがイザヤは、遙か高みから達也を見下ろしていた。達也は思う。最強という言葉は、イザヤにこそ相応しいと。
(しかし、最強であって無敵ではない筈だ。絶対に奴を倒す策は何処かにある)
そもそもの話、何故達也はイザヤを排除しようとしているのか。それは深雪に害を与えるかもしれないからだ。それにあの最強は、世界を掌握する力も持っている。全てを黙らせる絶対的な力。それは達也も同じだ。達也の分解は、地球そのものを分解し人類を抹殺できる。しかし達也は、深雪との幸せを掴むため、魔法師が道具として利用されるこの世界の現状を、どうにかしたいと思っている。魔法師が兵器とならない為の世界、それを望んでいる。
(イザヤお前はどうなんだ、この世界の歪んだシステムをお前の手で破壊しようと思わないのか………)
達也とイザヤが手を組めば、それを成し遂げるのは達也一人よりも簡単かもしれない。けれど、イザヤはそんな事を望んでいないだろう。イザヤは、自分が楽しめればそれで良いとしか考えていないのだから。この世界の現状を良しとしている所がある。相容れないのはそのせいか。
「そろそろ家に入るか……」
その後、深雪から連絡があったのは、達也が家に戻ってから十分後の話であった。
一方その頃、折紙イザヤは津久葉夕歌の研究について共に語り合っていた。
「ねぇ、魔法師演算領域は人間のどこにあると思う?」
「多くの研究者は、大脳の部分にあるのではないかと言っていますが、実の所はどうなんでしょうね」
「貴方でも分からないの?他人の精神世界に潜る時に、自分が体の何処にいるのか」
「そこのところ、曖昧なんですよねー。精神世界とは、その人間の持つ情報が集まり、一つに構築された巨大なネットワークなんですよ。ですがそのネットワークには、まだ繋がっていない場所があるんです。そしてその場所を塞ぐものがある」
「それが貴方の言う『壁』なのね……」
「ええ、その巨大なネットワークを覆う分厚い『壁』があり、さらにその『壁』を覆う超巨大ネットワークがあるんです。『壁』を破壊する時、閉鎖されていたネットワークが繋がり一つになる。突如として繋がれた事で、体が悲鳴を上げる」
「肉体と精神は繋がっているの?」
「健全な精神は健全な肉体に宿るって聞きません?何らかの相互作用があるのは間違いないでしょう」
「ならサイオンはどうなの?サイオンはどこから溢れてくるの?」
「サイオンは精神世界からではなく、肉体の何処かから溢れてくるものだと考えています。僕達の目には見えない体の何処かに、サイオンを保有する器官があるのかも?」
「………………」
このまま延々と語り合いたいところだが、そうなると日付を跨ぐ事になるだろう。今日はここまでのようだ。
「……話せば話すほどに、貴方が何者なのか知りたくなるわ」
「僕が何者なのかね……ホント、何者なんでしょうね、僕は」
自分でも分からないといった顔をしている。その顔はどこか切ない。その顔に夕歌は何を感じ取ったのか、イザヤに少し踏み込んでみる事にした。
「貴方の血筋は、有力な魔法師の家系だったの?」
夕歌の質問に、イザヤは考えるように顎に手を当てて下を向いた。だがそれは五秒ほどの事であり、すぐに顔を上げて夕歌に視線を合わせた。
「まぁ、言っても構わないから言いますけど、僕はどうやら非魔法師の家系だったようなんです」
「第一世代という事なの!?貴方が!?」
第一世代。それは、非魔法師の家系から突然変異的に誕生した魔法師の事である。夕歌が驚いたのも無理はない。この場にイザヤを知るものが他にいたのなら、もれなく全員が同じ表情をしただろうに。
「貴方の力は、遺伝ではなく突然生まれたもの………信じられないわ。だってそんなの…………」
天然、神秘、奇跡の産物。目の前の男は、この世の理から外れている。魔法師は血筋の世界。魔法師の中で名門とされる家系のほとんどは、過去の出自から見ると、ほとんどが血統交配によるもの。四葉だってそうだ。なのにだ。この男は、自分の力を一代で築いたのだ。築いたという表現は少し違うかもしれない。生まれつき備わったもの。何かの間違い。イレギュラー。
「なんだか、貴方と話していると疲れるわ………」
いつのまにか立ち上がっていた夕歌は、自分の体を預けるかのようにソファにもたれかかった。イザヤはクスクスと笑っていた。
「確かに、僕は自分が分からない。何故この力を持って生まれたのか、神のイタズラか、それとも何か意味があって生まれたのか………」
それはイザヤの人生最大の問題だ。それは死ぬ時になっても分からないかもしれない。教えて欲しいのだ。定義づけて欲しいのだ。自分が何者なのかを。
「………………」
初めて見るイザヤの悲しそうな横顔は、夕歌が自分のベッドで眠るまで頭の中にこびりついていた。
明日、十文字克人と七草真由美が伊豆の別荘に訪れる。達也は、克人と戦う前提で事を進めている。初手はどうする、相手との間合い、『ファランクス』の性質、頭の中で思考を巡らせる。
「達也様」
「深雪」
今日の夕方から、深雪と水波は別荘へ訪れていた。理由はもちろん、明日のことである。不安で堪らなかった深雪が、達也の元に足を運んだのだ。
「……………」
「深雪?」
「………私は、達也様と十文字先輩との戦いに、手は出しません」
「おいおい、十文字先輩は話し合いが目的だぞ」
「話し合いで済まないのは、達也様にも十分お分かりでしょう」
「……そうだな」
戦わないのならそれに越したことはない。だが、戦わなければ、自分達の道が切り開けないのなら………。
「………………………」
深雪は考える。達也が十文字に勝つことに疑いは無い。しかし、十文字家には秘術がある。寿命を縮め、魔法演算領域の過剰活性化を意識的に引き起こし一時的に魔法力を増大させる、『オーバーロック』。それを使われては、いかに達也といえど苦戦は免れない。それに、達也には何者にも縛られない生き方をして欲しい。深雪はもう、耐えられないのだ。自分が達也の枷となっている事実に。自分のせいで、達也の不自由に甘んじているのが。いつか、あの生意気な後輩に言われた事を思い出す。
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「達也先輩の代わりに自分が何かしようと思わなかったのですか?あなたは、達也先輩に守られているだけのお人形ですか?」
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違う。自分はお人形なんかじゃ無い。自分は達也の隣に並ぶ、たった一人の………。これは自分の独断。四葉が何を言ってきたとしても、全て受け止める。これは、自分の選択だ。深雪は覚悟を決めた目で達也を見た。
「どうした?深雪」
「お兄様、貴方の封印を取り除きます」
この日、達也は自由を得た。
翌日、司波達也と十文字克人が話し合いを行っている最中、折紙イザヤは、伊豆の別荘を目指して森林の中を歩いていた。話し合いが行われるとの情報は、一体何処から掴んできたのやら。汚れのない新鮮な空気と、鳥の声、地面に落ちている木々を踏む時の音、自然を一身に感じながら、目的地へと向かっていた。
(無干渉を決めると言ったけど、遠くで見るだけならいいよね)
四葉の最終兵器と十文字家の当主との戦いは、そうそう見れるものではない。このチャンスを見逃すな。
(まあ、もう終わっていたら無駄足だけど………)
そんな事を考えている内に、達也の住む伊豆の別荘が見えてきた。そしてその外には、達也、深雪、水波、克人、真由美、摩利の姿が見えた。どうやら、今戦闘が始まった様子だ。達也がCADを克人に向けて、克人が『ファランクス』を展開する。
(もう少し近くで見てみるか……)
イザヤはさらに足を進め、近づいていく。達也と克人の戦闘は激しさを増す。その時、イザヤはあることに気が付いた。
(なんか達也先輩、強くなってないか………?)
今までの達也の雰囲気とは違った、別の何かを感じ取ったイザヤは、自然と口角が上がり、気配を消して、足が達也たちへと進んでいく。達也達とイザヤとの距離は約50メートルにまで縮んでいた。そこまで近づいた頃には、戦闘は終わっていた。達也が『バリオン・ランス』で克人の『ファランクス』を破り、片腕を吹き飛ばした。
(へぇ、やるじゃん先輩)
今の一撃で勝負はついた。無くなった片腕を押さえ、膝をつく克人、それを立って見下ろす達也。後から七草真由美が加勢しようとして魔法を発動しようとするが、深雪の干渉力で黙らせる。戦いは終わった。たかが一分にも満たない戦いではあったが、イザヤは満足してその場から去ろうとした。だが、
「誰だ、そこにいるのは」
達也はある一つの木を睨みつけてそう言い放つ。その木の後ろには、イザヤが隠れていたのだ。
(あれ?バレたのか)
本気で気配を遮断していた訳ではないが、まさかバレるとは思わなかった。イザヤは観念して姿を現した。
「イザヤ、お前か……」
「イザヤ君……」
「…………」
「折紙イザヤ……」
「貴方、なんでこんな所に」
「誰だ?」
「すみません、お邪魔してしまいましたか」
達也達にニコッと笑いかけるが、達也は鉄仮面を崩さない。
「イザヤ、なんでお前がここにいるんだ?」
皆を代表して達也がイザヤに問う。
「だって達也先輩と十文字克人が戦うんですよ。見たいに決まってるじゃないですか。だから来ました」
この話し合いが行われる場所、日時を知る人間はここにいる者以外いない筈だ。何故それを知っていたのか。そうイザヤに質問する意味は無いだろう。自分たちに理解し得ない方法で特定したに違いない。
「達也先輩、強くなったんじゃないですか?十文字克人を一撃で沈めるとは、恐れ入りましたよ」
「お前に褒められても嬉しくはないな。むしろ嫌味を言われているようでならない」
お前ならすぐに倒せただろう、という目でイザヤを睨みつける。
「やだな先輩、そんな顔しないでくださいよ。僕はただ見学しに来ただけですよ。本当に関わるつもりは毛頭ありません。だからもう帰りますね」
そう言ってイザヤは踵を返して再び森の中に入ろうとするが、
「ダメだイザヤ、ここに残れ」
「え?」
どうやら帰らしてくれないらしい。達也は一旦、イザヤを放っておき、克人と対話し始める。
「司波、俺をどうするつもりだ」
「このまま手ぶらで帰ってもらおう。そして、二度と同じ話を蒸し返さないでもらう」
克人は黙って頷いた。敗者の自分には、異議を唱えることはできなかった。
「だが司波、お前にはもう猶予はないぞ。魔法協会は四葉の不興を買ってでもお前がトーラス・シルバーだと公表するだろう。そうなったら、世論はお前にディオーネ計画の参加を強要する。拒むのであれば、この国にお前の居場所はなくなるぞ」
脅しとも取れる克人の言葉は正しい。だが黙っている達也ではない。
「たとえそうなったとしても、俺はディオーネ計画には参加しない」
「何故なの!?」
真由美は達也の考えを心底理解できないようだ。
「ディオーネ計画は人類の未来に立ち塞がる困難を解決しようとしているものだわ!何故頑なに拒むの!?」
叫ぶ真由美に、イザヤはただ冷たい視線を送っていた。何にも分かっていない。十文字克人も七草真由美も、裏を読むのが苦手なのか、バカなのか。イザヤは達也の言う通りこの場に残り、黙って目を瞑ることにした。
「ディオーネ計画には裏がある」
「なに?」
疑問の声を上げたのは克人であったが、真由美も摩利も同じ気持ちであった。
「真の目的は、地球から自分たちの邪魔になる魔法師を追放する事だ」
達也は克人達に説明する。ディオーネ計画の裏の目的が、他国の魔法師を地球外へ追いやると思う根拠を。達也から語られる言葉に、克人達は徐々に顔を曇らせていく。
「魔法師が道具として利用される構図は、魔法師を兵器として使い潰す現状と、何も変わらない。俺は、そのような事は認めない!」
達也の宣言が、克人、真由美、摩利を圧倒させる。達也がどんな覚悟でディオーネ計画を拒んでいるのか、それを今知ったのだ。三人からは反論の声は上がらなかった。
「先輩、貴方はこの世界をどうしたいんですか?」
話を遮らない様に黙っていたイザヤが口を開いた。
「イザヤ、俺は魔法師とそうでない者達との共存を望んでいる。そして、魔法師が兵器とならない世界を作る。そのために、俺に協力してくれないか?お前と俺が力を合わせれば、出来ない事は無い」
今まで敵視していたのにどの口が言うんだと自分勝手だとは思っている。達也はダメ元でもイザヤに協力を持ちかける。
「興味ないですね」
やはりイザヤは拒否した。
「達也先輩、魔法師と非魔法師が共存する事など出来ませんよ。全くの異なる種族、分かり合える事はありません」
イザヤは言う、この二つは決して混じり合わないと。
「イザヤ、お前は自分が楽しければそれで良いのか?」
「よくご存知で。魔法師が兵器としてではなく、人としての人権を守ろうとする先輩の行動は賞賛しますよ。頑張ってくださいね」
「………………」
イザヤの行動原理は一つ、面白いから面白くないか。だが、達也にはイザヤの言う面白いを提示できない。
「イザヤ、もし仮に雫や泉美、詩奈が兵器として戦場に駆り出されたらお前はどうする?」
「!?」
声に出さずに驚くのは真由美。もし自分の妹が戦場に駆り出されたら、頭の中で想像してしまう。
「もしもの話に興味はありませんよ」
「そうなる可能性が絶対に無いとは限らない。この先、世界がどう変化するのか分からない」
「その時になって考える事にします。先輩がどんな夢を掲げようと勝手ですが、魔法師は兵器ですよ。今までもこれからも」
「………………」
やはりイザヤとは分かり合える事ができない。出会った時からそうだった。達也はイザヤを良く思っていなかった。それは何故か、深雪に危害を与えるかもしれないから?それもあるかもしれない。だが実際はそうでは無い。達也とイザヤは互いに相容れる事のない存在なのだ。誰がそうさせた訳でもない。神によって運命付けられた宿命。
「僕はこれからも自分の為だけに動きます。敗北を知るその日まで」
イザヤの心の奥底にあるのは「敗北を知りたい」であった。自分が負ける事をいつか夢見ている。
「敗北を知った後はどうする?」
「敗者は勝者に従う。当然の事です。僕が負けた時はその人間の命令を聞くとしましょうかー」
「どんな事でもね」とイザヤが言い終わる前に、達也は動いた。目にも止まらぬスピードで、右手に持っていたトライデント(CAD)をイザヤに狙いを定めようと動いた。深雪や水波、克人、真由美、摩利が達也の行動に驚く。そして魔法を発動……………しなかった。
「な!?」
いや、できなかったというのが正しい。何故なら、手に握られていた筈のCADが無くなっていたからだ。
(バカな!?)
そんな筈はない。確かにさっきまで握っていたのだ。だがイザヤと銃口が合わさろうとした瞬間、手には残っていなかった。
「探し物はこれですかー」
イザヤは右手に持っているある物を皆に見せびらかすかの様に掲げた。それは、先程まで達也が持っていたCADであった。
「……いつ、捕られたんだ…………?」
達也が混乱している最中、イザヤは失望目を向けていた。その瞳の奥には、悲しみがのぞいていた。
「やはりつまらない。達也先輩、貴方が力を解放したとしても、僕には遠く及ばない」
達也は今の一瞬で理解させられた。本来の力を取り戻したとしても、イザヤには勝てないと。悔しさのあまり顔が歪む。
「ほら、返しますよ」
イザヤは達也の方へとCADを投げ捨てた。達也のCADは地面に転がり、土を被った。
「達也先輩、僕は入学当初、貴方が僕に敗北を与えてくれる人間だと思っていたんですよ。だけどもう分かった。貴方では無理だ」
そうしてイザヤは達也達から去っていった。誰もイザヤを止める者はいなかった。達也の苦渋を舐める様な顔を、深雪は横で見守ることしかできなかった。
「やはり、アレをやるしかないのか…………」
イザヤは、誰の耳にも届く事のない独り言をつぶやいた。イザヤの内に眠る計画とは…………。