達也の滞在する伊豆の別荘の他に、四葉家の所有物件がもう一つある。以前、別荘に住んでいた四葉深夜を煩わせない範囲で見守るための小さな一軒家だ。
「お嬢様、家具、器具備品とも、問題なく整っております」
「ご苦労様」
部下にそう告げたのは津久葉夕歌である。
「荷物を置いたらすぐに取り掛かりましょうか」
夕歌が真夜に命じられた仕事は、達也の滞在する別荘からマスコミを遠ざける「人払いの結界」の構築。イザヤの家から直で向かい、結界が完成した頃には、時計の針は23時を回っていた。疲れた顔を見せる夕歌の後ろから、部下が声を掛けてきた。
「お嬢様、あちらに不審者がいます」
「えっ?どこ?」
部下が指差す方には、上下が黒の服装で双眼鏡を首にぶら下げた中年の男性がいた。どうやら達也の別荘を覗きに来たようだが、結界を張ったおかげで認識できていない様子。
「捕えなさい、殺してはダメよ」
「了解しました」
部下の一人が闇に潜んで男の確保に向かう。
「まったく、面倒ごとは全部押し付けるつもりのようね。達也さんは」
今の不審者にも達也は気が付いているだろう。何もしないのは、自分が出るほどの事ではないからだ。夕歌はため息をついて小屋に入る。今から真夜に報告しなければならない。
「御当主様、結界の構築が完了しました」
『ご苦労様』
夕歌は真夜に報告のために電話を掛けていた。
「それから、達也さんを見張っていた曲者がいたので捕えて尋問しました」
『素性は分かったんですか?』
「富田家の術者でした」
『たしか百家の富田は魔法協会と繋がりがある家ね』
「いかがいたしましょうか?」
富田家の術者に対して記憶処理を施すのか、それとも………。
『解放しなさい。記憶処理も必要ないわ』
「……よろしいんですか?」
随分と甘い処置であるため、何か真意があるのかと夕歌は探るような目を向ける。
『私たち四葉家は決して身内を見捨てない。そのことを、魔法協会が思い出してくれればいいんだけど』
真夜の言葉に、夕歌は白々しいと心の中で呟いた。今までの達也の不当な扱いからよくそんな事が言えるなと思うが、決して口には出さない。
「以上です」
『任務とは関係ない事なのだけれど、いいかしら?』
「はい、何でしょうか?」
聞かれることは大体予想がついている。
『折紙イザヤとは上手くいってる?」
「はい、今日も私の研究に力を貸してもらいました」
『ウフフ、ほぼ毎日通っているのでしょう?夕歌さん、もしかして彼に気があるのかしら?』
夕歌は真夜が冗談で言っているんだと思っているが、真夜の顔は半分冗談で半分本気だ。
「まさか、そんな事は微塵もありません」
そうだ、自分が折紙イザヤを好きになるなんてあり得ない。それに、イザヤの周りには既に雫、泉美、詩奈がいる。入る余地などない。
『そう、上手くいけば、折紙イザヤを四葉に取り込めると思っていたんだけど………』
「仕方がないわね」と言わんばかりの顔で頬に手を当てる。夕歌とイザヤがくっついてくれる事を100分の1でも期待していたのだろうか。
『彼の強さは規格外。力を解放した達也さんであっても軽くあしらわれる始末。もはや、戦いになったらまず負けるでしょうね』
戦う前から白旗を上げる真夜。それもそのはず。イザヤの『本気』を間近で感じた故の言葉である。
「……御当主は、私に何を期待しているのですか?」
『達也さんはいずれ必ず、折紙イザヤと敵対すると言っていましたが、そうならないのが一番理想です。………彼の心に付け入る事は出来ないかしら?』
以前、本家で集まった時に亜夜子が言っていた事を実行させようとしているのか、今度の真夜の顔は、半分以上が本気である。
「いや、それは………」
無理だ。というか嫌だ。六歳も歳の離れた、まだ成人に達していない高校生にハニートラップ紛いの事をするだなんて。
『分かっているわ。貴方は今まで通り、研究に協力して欲してもらう形で接触すればいい。別に期待はしてないわ。そう簡単に心を許すことはないだろうしね』
それを最後に真夜との電話は切れた。夕歌は暗くなったモニターに反射する自分の顔を見つめていた。
「ハァ……」
そしてため息を吐いてソファに体を預けた。
「御当主も無理難題を押し付ける、人の気も知らず」
誰もいない時だけは、真夜に対しての愚痴の一つや二つは許して欲しい。
(折紙イザヤ、全く我ながら面倒くさい男と関わってしまったようね)
誰も彼もが折紙イザヤを恐れている。だか夕歌にしてみれば、イザヤは生意気な年下、そして心はとても繊細でできていると知っている。津久葉夕歌という女性は、イザヤに一体どんな影響をもたらすのか……。
トーラス・シルバーの記者会見は生中継で行われた。壇上に立つのは司波達也と牛山欣治の二人。マスコミからのあくどい質問をスラリとかわし、トーラス・シルバーの解散を宣言した。これには会場内にもどよめきが起こる。さらに司波達也は、マスコミの前で新たな新事業を発表した。それは魔法恒星炉、重力制御魔法による核融合炉を実用化し、家庭用、産業用に広くエネルギーを供給する新事業。これこそ、魔法師が兵器から解放しようとする第一歩の革命である。達也が新事業についての説明を一通り話し終えたところで、イザヤはテレビを消した。
「………………」
達也の発表した新事業は、魔法師を新たな可能性へと先導するだろう。いつしか、魔法師が兵器として利用されなくなる世界が実現できるかもしれないと、イザヤはそう思ってしまった。だがしかし、
「ねえ先輩、貴方の言う「魔法師」の中に僕は果たして入っているんでしょうか?」
あの時、自分は達也の手を拒んだ。だって魔法師は兵器だから。戦わない魔法師なんて魔法師ではない。そうしないと、自分の夢が果たせない。
「………………」
ずっと前から分かっていた。自分が生まれた時から、人とは魔法師とは違っていることに。他人とは違う視点で世界を見ていた。そう思っているうちに、そう生きているうちに、自分はたった一人、頂上に立っていた。それが嫌で、他人と同じ視点で物事を見ていた。そうする事で一人ではなくなるから。だが他人と同じレベルまで下がってみると、退屈が押し寄せてくる。だから、ある程度上のレベルで居座る事で居心地の良さを手に入れた。退屈が薄れてくる、そう自分に思い込ませていたのかもしれない。だが時々こう思う。何でもっと上に来ないんだ。何で自分と同じ目線で立ってくれないんだ。そう八つ当たりする自分がいる。悲しいんだ、腹立たしいんだ、自分と同じ目線に立ってくれる存在が、どこにもいないというこの世界に……。
「何だか、イライラしてきたな………」
何だか全てがどうでも良くなってきた。今までの人間関係、全てぶっ壊して一度リセットしてしまおうか。
「あーあ、先輩の計画全てぶっ壊して、グチャグチャにして、更地にして、そしてこの世界をー」
突然、携帯の鳴り響く音がリビング全体に広がった。テーブルに置いてある携帯の画面をイザヤは覗き込む。真っ黒な画面に映し出されたのは「泉美」というニ文字の名前。
「…………」
イザヤは携帯の応答ボタンを押した。
『あっ、やっと繋がりました。イザヤ君、今どこにいるのか?』
携帯から泉美の声が聞こえてきた。
「今は家にいるけど………」
『もう午前授業は始まってますよ。最近はサボらずに学校に来ると思ったらすぐこれですか、遅く来るのだったら、せめてお昼のテーブルを確保しといてくださいよ』
電話は一方的に切られてしまった。泉美は言いたいことだけ言った感じだ。こっちの言い分も何も聞かずに。まあ、ただのザボリなのだが。
「学校…‥行くか………」
イザヤは立ち上がり、学校へ行く準備をし始めた。今のイザヤには、そうする他なかった。