一条将輝は学校から本家に帰ってすぐに、母親から呼び出された。
「どうしたんだよ、お袋」
「ねぇ将輝、茜から何か連絡が入っているかしら?」
「茜?まだ帰って来ていないのか?」
将輝は部屋に取り付けられている時計を確認した。時刻は午後四時を過ぎた所だ。この時間なら家に帰っている頃だろう。だが心配のし過ぎなのかもしれない。妹はもう中学生だ。学校で友人と長話をしているだけかも知れない。
「電話してみるか?」
「……そうね、お願い」
将輝は自分の端末から妹に電話を繋げようとする。
「……………」
なかなか電話が繋がらない。最近、妹達は自分にキツく当たってくる。いわゆる反抗期というやつだ。いや、反抗期とは少し違う。両親には当たらないので、兄を嫌う時期なのだろう。なんて思っていると、やっと電話が繋がる。
『なに、お兄ちゃん』
少し不機嫌そうな、いつも聞く妹の声がした。
「お前、帰りが遅いようだがどうしたんだよ」
『それ?お兄ちゃんに関係あるの?』
「おふくろが心配しているぞ。遅くなるんだったら連絡の一つぐらいしろ」
『…………分かったよ』
母親が心配している、そう言えば妹も納得せざるを得ない。
「ところで、今何してるんだ?」
『今?ちょっと寄り道しているの』
茜から不機嫌な声が聞こえてくる。先程の命令口調に少しイラっとしたのだろうか。
「寄り道?どこにいるんだ?」
『お兄ちゃん、イザヤさんって知ってるよね?その人と今、のどぐろ食べているんだけど……』
「………………………は?」
今、何て言ったんだコイツ?
「茜、イザヤというのは、折紙イザヤのことか?」
『そうだよ、折紙イザヤさん』
将輝は一瞬、自分の端末を落としそうになった。何故、自分の妹と一緒にイザヤがいるのか。何を企んでいるのか。
『……お兄ちゃん?』
返事が返ってこない将輝に茜が呼びかける。将輝は一度、深呼吸して茜に伝える。
「茜、よく聞くんだ。今すぐに折紙イザヤから離れるんだ。奴は危険だ。お前の身が危ない」
『何言ってるのお兄ちゃん?』
「俺の言うことを聞け、今すぐにそこから離れるんだ!」
『無理だよ、今食べている最中なんだから…………え?ああ、ちょっと待ってお兄ちゃん、今スピーカーにするから』
呑気に食べている場合じゃないのに。そもそも、何で一緒に食べることになっているんだ。
『久しぶりですね、クリムゾン・プリンスお元気でしたか?』
「折紙イザヤ………」
『勘違いしないで下さいね。僕が連れて来たわけではないですよ。貴方の妹さんが勝手に僕について来たんですから』
「………何だって?本当なのか茜」
『……そうだけど』
「何考えているんだ茜。知らない奴に着いて行くなど小学生か!」
『う、うるさいよ。だって少し気になったんだもん………」
気になった?何に気になったんだ妹は。
『確かに変な人だけど、奢って貰っちゃったし』
「変な人じゃなく、危ない奴と言っているんだ」
『そんなに心配しないでよ、クリプリ先輩、ちゃんと返しますから』
「おい、何だその呼び方は!略すなよ!」
『もうお兄ちゃんうるさい』
プツンッと通話が切れてしまった。
(アイツ、切りやがった!)
将輝は端末をポケットにしまって勢いよく走り出した。
「将輝!?どうしたの!?」
「おふくろ、茜を向かいに行ってくる!後この事をオヤジにも言ってくれ!」
将輝は家を飛び出して茜とイザヤがいる場所へと駆けて行った。妹に嫌な顔されようが、一条将輝はお兄ちゃんなのである。
「あれ?切っちゃったの?」
「お兄ちゃんがうるさいので、ゆっくり食べれないじゃないですか」
「クリプリ先輩も言っていたけど、会ったばかりの人間について行くのは良くないと僕も思うけどね………」
「まぁ、それは、そうですけど………」
茜は目を逸らし、少しばかり反省したかのように見えた。
「好奇心旺盛なのは良いと思うけど、君はついてくる人間を間違えた」
「え?」
イザヤは不気味な笑みを浮かべた。それが、茜の背筋に冷たいものが走った。
「僕のことが気になったのは仕方ないけど、君は恐れを知らないようだ」
「イザヤさん……?」
先程まで楽しく会話していたイザヤの雰囲気がガラッと変わった。茜に緊張が走る。
「外へ出ようか」
イザヤは会計を済ませると、茜を連れて外へ出た。イザヤは何も言わずに歩き始めた。茜も後ろからついていく。
「危機感の欠如」
「えっ?」
何も前触れもなくイザヤは話し始めた。
「魔法師に限らず、人に必要なことの一つは危機感だ。君は僕という理解が及ばない「未知」に触れて、「興味」が生まれた。それは仕方がない。自分で言うのもなんだけど、僕の存在は人を惹きつける。誰もが僕という「未知」に少なからず「興味」が湧くのも仕方ない」
「………………」
茜は淡々と話すイザヤの言葉を聞いて、自分が今、よくない状況である事を薄々だが理解し始める。
「だけどさ、こんなことわざを聞いた事はないかい?
"好奇心は猫をも殺す"ってさ」
自分の前を歩いていたイザヤが振り返り、茜は立ち止まる。二人のいる周りの空気が重苦しなる。茜はその場から後ずさる。
「一条茜、君と出会った事は偶然だったけど、雀の涙程ぐらいは楽しめた」
イザヤは茜に手を伸ばす。茜はその手がとても大きく見えた。足が動かない。茜は目の前の男に恐怖した。この時、兄の言う事を素直に聞けばよかったと後悔した。
「そして、魔法師の素質は一条将輝と同じく十分だ。お礼に、君には新しい世界を見せてあげよう」
「何を!?…………ガッ!?」
イザヤは茜の頭を掴むと、茜の内側、精神世界に容易く侵入した。前に、精神世界に入り込むには互いの信頼があってこそであると説明したが、方法はそれだけではない。他人の心が弱くなっている隙を狙い、侵入することも可能なのだ。だがイザヤがその気になれば、その二つの方法を取らなくても力技で侵入する事も容易い。
「な!?何これ……私の中から何かが!?」
茜は自分の身に変化が起こっているのを自覚する。それと同時に、自分の体が急に重たくなるのを感じた。
「な……に……これ………」
茜はその場で倒れ込み、汗が吹き出す。今まで感じたことのない程に、自分の体が悲鳴を上げている。痛みはない。それよりも、急激に脱力が押し寄せる。
「今、君の身に起こっているのは、通常の何倍ものサイオンが放出されているんだ。サイオンが自分の身体から空になった時が、君の命が消える時」
イザヤは無理矢理、茜の『壁』を破壊した。
「ハァ………ハァ………」
茜は地面に手をついて酷く息が上がっている。額から汗が地面に落ちて、小さな水たまりができる。
「鍋に蓋をするイメージを持つんだ。そうすればサイオンが抑えられる。まぁせいぜい頑張ってよ。泉美ちゃんとの約束を守れるかどうかは君に懸かっている」
そうしてイザヤは、茜を置き去りにして立ち去って行った。
走る将輝は、目の前から歩いて来るイザヤを視界に捉えた瞬間、怒りを覚えた。
「折紙イザヤ!!」
「おや?お早い到着でしたね」
茜がどこにもいないことに、将輝は最悪を想定したのだ。
「茜はどうした!!」
「貴方の妹さんなら、向こうでのたれ死んでるかもしれませんよ?」
イザヤは、自分が歩いてきた道を指差して答えた。
「お前!!」
将輝はイザヤの胸ぐらを掴もうと手を伸ばすが、ヒラリと躱されてしまう。
「僕に構ってて大丈夫ですか?」
ニヤニヤと笑顔を作るイザヤに、将輝はさらに腹を立てるが、グッと拳を握りしめて堪える。そして、イザヤの指差した方向へ走り出した。その後ろ姿を、イザヤはずっと眺めていた。
「お兄ちゃんというのは、あんな感じなのか………」
将輝は茜がコンクリートの地面に倒れ込んでいるのを発見すると、茜のそばまで全速力で駆け込んだ。
「茜!大丈夫か!?」
ひどい汗だ。顔色も悪い。将輝はゆっくりと茜の上半身を優しく起こした。
「茜!茜返事しろ!」
「…………ふた……ふたの……イメージ……」
茜が何かを言っているように見えたが、将輝には聞こえていなかった。将輝はすぐに救急車を呼んだ。その間、苦しむ茜の姿を見て、何も出来ない自分に腹が立っていた。
(折紙イザヤ、一体茜に何をしたんだ!)
イザヤが東京に戻ると、空はすっかりと暗くなっていた。街灯が街を照らす。イザヤは明日はどうしようかと考えながら家を目指していた。学校に行くという選択肢はない。もう一週間以上は無断で休んでいるイザヤ。このままだと卒業できなくなる可能性があるが、イザヤにはどうでも良い事だ。
「ん?あれって………」
イザヤはマンション前にたどり着くと、小さな段差の上で座っている詩奈を発見した。イザヤはポケットから端末を取り出して時間を確認する。時刻は七時半を過ぎていた。
(こんな遅い時間まで待っていたのか?しかも、侍郎君の姿が見当たらない。まさか一人なのか………?)
イザヤはちょこんと座っている詩奈の側まで近づくと、詩奈の顔は明るくなる。
「イザヤさん、こんにちは。いや、もうこんばんはの時間ですね」
詩奈は挨拶を間違えた。その様子だと、長い時間ここで待っていたのだろう。
「詩奈ちゃん、何でここにいるの?侍郎君はどうしたの?」
「侍郎君もここにいたんですけど、帰ってもらいました」
正式な護衛に任命されていないが、詩奈を置いて帰るなんて、そんな子に鍛えた覚えはない。
「あ、侍郎君も残ると言っていたんですけど、私一人でイザヤさんに会いたかったので、帰らないと護衛の任をつけなくするぞと脅したんです」
可愛い顔して恐ろしい事を言う詩奈に、イザヤはフッと笑った。やはり、生徒会に所属している女性達は恐ろしい。
「ここで話すのもなんだし、中で話そう」
「はい」
詩奈は立ち上がり、イザヤと二人並んでマンションの中に入って行った。
同刻、水波が入院している病院の外の芝生で、司波達也と九島光宣が戦っていた。
「達也さん、僕はパラサイトになって健康な身体を取り戻す事が、水波さんにとってベストな選択だと思います」
「俺は、そうは思わない」
九島光宣はパラサイトになった。光宣は水波の身体を治す方法として、パラサイトと同化することを挙げた。だが達也は、それを認めなかった。水波が「人ではない何か」になってしまう事を見過ごすことはできなかった。達也は水波の魔法演算領域を閉じて、普通の女の子として生きて欲しかった。それに光宣は激怒した。魔法を取り上げる、それは桜井水波の、魔法師としての一切を否定することに他ならない。
「達也さん、僕たちの意見は平行線だ」
二人の意見は、決して交わることはない。
「今日の所は退散します。僕の考えを水波さんに伝える事ができましたから」
「水波をパラサイトにさせないぞ、光宣」
「…………………」
イザヤは詩奈をソファに座らせ、自分はキッチンの方へ向かった。
「紅茶でいい?」
「はい、ありがとうございます」
「……それで?何しに来たの?」
イザヤは紅茶を淹れながら、詩奈が自分を訪ねてきた理由を聞いた。
「…………………」
だが詩奈は何も言わずに黙ったままだ。不思議に思ったイザヤは、詩奈の前に紅茶を置いて、向かい合うようにして座った。
「理由がなければダメですか?」
詩奈はポツリとつぶやいた。だがイザヤの耳にはしっかりと聞こえていた。
「どう言う事?」
イザヤが聞き返すと、詩奈はイザヤの瞳を真っ直ぐに見つめた。
「会いたいから来た、それではダメですか?」
「……………………」
今度はイザヤが黙る番だ。会いたいから来た、詩奈のその言葉になんで返せばいいのか悩んでいた。静寂が部屋を包み込む。詩奈はイザヤが淹れてくれた紅茶を口に付ける。悩んだ末にイザヤが返した言葉は、
「そう」
なんとも短い言葉であった。だが詩奈は、そんなイザヤの言葉にもニコッと笑い返した。
「学校へは来られないのですか?」
「なんで来ないか、言わなくても分かるでしょ?」
イザヤは自分用に淹れた紅茶を口に付けようとするが、詩奈の次の言葉でその行動は遮られた。
「いいえ、分かりません」
詩奈は分からないと否定した。その言葉で、イザヤの眉がピクっと動いた。
「………何?」
「言葉で言ってもらわないと、分かりませんよ」
イザヤは軽く詩奈を睨むが、怯んだ様子はない。
「へえ、言うようになったじゃん。詩奈ちゃん」
入学当初から、段々とタフになった詩奈を見せ、イザヤは口角を上げる。
「なんで来ないか………気分じゃないからかな」
「………ごめんなさい」
詩奈は突然、イザヤに対して謝り出した。頭を深々と下げる詩奈にイザヤもポカンとなる。
「え?なんで謝るの?」
「この前、イザヤさんを怒らせてしまった事について謝罪したかったんです」
「あれは深雪先輩と泉美ちゃんにだ。君に怒っていたわけじゃないよ。それに、学校に行く気にならなかった理由は他にもあるけど」
「それは、あの演習場での出来事ですか?……あんなイザヤさん、初めて見ました」
「まあ、僕も人前であんな風になったのは初めてかな」
「あの時はとても怖かったけど、私、後から考えると嬉しかったと思いました」
嬉しかった?どこにその様な要素があったのだろうか、イザヤは詩奈の言うことが理解出来なかった。
「イザヤさんいつも笑ってますから、その顔しか出来ないんだと思っていました。だけど、誰かに怒ったりする事も出来るんだと思って、少し安心しました」
詩奈はしれっとイザヤをディスっていたが、今度は安心ときた。何がなんだか分からない。
「皆さん、イザヤさんを恐れているんです。父様だって…………でも、イザヤさんは人間です。化け物なんかじゃありません」
「……………………」
「これからも、貴方を好きでいて良いですか?」
「……………それは、僕が決める事じゃないよ。君の勝手にしてくれ」
「はい、勝手にします」
詩奈は笑顔でそう言った。イザヤは詩奈の笑顔を直視することが出来ず、顔を背けた。詩奈の笑顔がとても眩しく見えたから。
(胸がざわつく、何だこれは…………?)
イザヤは言葉に表すことのできない胸のざわつきに困惑していた。その正体に気づく時が、果たして来るのだろうか……………。