お昼を食べて腹を満たした学生達には、午後の授業は眠たい事だろうが、魔法科高校の生徒達は、熱心に先生の説明に耳を傾けている。
「ーであるから、この数式を当てはめて」
泉美は、先生の話を聞いていながらも、少しばかり心が上の空であった。その原因は、もはや言うまでもないだろう。
(………………………)
横の空席を見つめながら、泉美は悩んでいた。次第にイザヤとの物理的な距離、心の距離が離れてしまっている気がしていた。別に恋が覚めてしまったわけでは無い。泉美自身に非があるのは理解していた。
イザヤを一方的に責めてしまって怒らせてしまったこと。あんなに怒ったイザヤは初めて見たのだ。しかし、イザヤの水波に対しての言い方は許せないと思っていた。それで敬愛する深雪に肩入れするのは仕方がない。
(私は、一体どうすれば良いのでしょうか……)
最初は、イザヤに愛を教えてあげたいと必死に動いていた。愛を知らず、心が子供のまま大人になってしまった。入学当初からこれまで、イザヤの心が少しずつ変化しているのは分かっていた。
だがそれでも、愛だけでは足りないと今は思っている。仮に愛を知ったとしても、イザヤの本質は変わらない。人を道具として見ること。
それは、イザヤが退屈だから。イザヤはこの世界に飽きている。面白いと思うのは、ほんの一瞬のこと。イザヤの渇きを潤すことが出来る方法は一つしかない、それは敗北させる事。だが………
(司波先輩も勝てないのに、私が勝てる訳もない)
折紙イザヤに勝てる人間はこの世に存在するのか。イザヤが負けた時、そのとき初めて、何かが変わるかも知れない。しかし、それが出来る人間など一体何処に…………。
最後の授業が終わり、生徒達は各々席を立つ。クラブ活動に行く者、帰宅する者、生徒会室に行く者様々である。
(今日も師匠はいないのか……………)
侍郎は、修行をつけてくれる人間がいない為、家に帰って特訓するしかないのだが、詩奈の生徒会の仕事が終わるまでは、図書館や部活動を見学しながら暇を潰していたのだ。
(今日は何のクラブを見に行こうか…………)
そんな事を考えながら席を立った侍郎だが、廊下が何やら騒がしいのに気が付いた。侍郎が廊下に出ると、一科生のクラスに人が集まっていた。何故集まっているのか不思議に思い様子を見ると、そこには幼馴染の詩奈と、尊敬する師がいたのだ。
「イザヤさん、学校へ来てくれたんですね」
「詩奈ちゃん、君があまりにも騒ぐから人が集まって来たよ」
今の会話だけで、侍郎は人だかりが出来た理由がわかった。詩奈は、誰が見ても可愛らしい容姿で人気もある。そんな詩奈を気になる男子生徒も少なくない。だが詩奈の目には、イザヤしか映っていないのだ。周りを気にせず、飛び付いて行ったのだろう。
「泉美さんや北山先輩も喜びます」
「………そうかもね。だけど、僕が今日来たのは彼女達に用があるんじゃないんだ」
イザヤは詩奈から視線を外し、ある一点を見つめていた。
「!?」
イザヤと目があった侍郎は、驚きつつも、スタスタと二人の方へと歩いて行く。
「久しいね、我が弟子」
「一週間振りですかね、師匠」
詩奈は、イザヤと侍郎を交互に見ていた。
「侍郎君に用があったんですか?」
「しばらく修行をつけてあげれてなかったからね」
「俺の為に……」
わざわざ自分の為に学校へ来てくれたことに、侍郎はつい嬉しくなっていた。
「僕がいない間に、どれだけ成長したか見せてよ」
「はい、分かりました」
「詩奈ちゃん、演習場を借りるから、先生に許可をとって来てよ」
イザヤの言葉に、詩奈は頬を膨らませる。男同士の間に入ることが出来ず、いいように使われる始末。
「いいよね侍郎君は、イザヤさんに構ってくれて」
「詩奈、まさか嫉妬しているのか……?」
疑問を浮かべる侍郎に、詩奈は「フンッ」とそっぽ向く。その様子に、イザヤはフッと笑い、詩奈の頭に手を乗せる。
「また今度ね」
「はい………」
イザヤに頭を撫でられて、詩奈は顔を赤らめてしまう。
「風紀委員です。これは何の集まりなの?」
何処かで騒ぎを聞きつけた風紀委員が、一年生の階にやって来たのだ。しかしその声を聞いて、イザヤは誰が来たのか直ぐに分かった。人だかりを抜けてやって来たのは、
「うぇ!?イザヤ君、何でいるの!?」
「香澄ちゃん、僕が学校に来ちゃ行けないの?」
一人驚く香澄に、イザヤは疑問をぶつける。
「い、いや、そんなことないよ。うん。早く泉美に知らせなくちゃ」
香澄は慌てて弁明をして、風紀委員の仕事を捨てて、そのまま来た道を走り去って行った。
「さて、僕は向こうで待ってるから」
「はい、直ぐに行きます」
香澄を背中を見送り、イザヤは演習場を目指して歩いて行った。
香澄は生徒会室を目指して走っていると、曲がり角から雫とほのかが現れた。香澄は衝突を防ぐ為に急ブレーキをかけた。
「香澄、廊下は走らないで」
「す、すいません!あっ、北山先輩、大変です!」
香澄の慌たっぷりに、何かあったのか心配になる雫とほのか。
「イザヤ君が来てるんですよ!学校に!」
「え?イザヤ君が?」
「………………」
香澄の言葉に聞き返すほのかと無言になる雫。
「あの私、泉美に伝えなくちゃ行けないんで、それじゃあ!」
再び生徒会室へと走り出す香澄。遠のいていく香澄から視線を外し、ほのかは雫に声を掛ける。
「雫、イザヤ君、来てるって」
「……ほのか、イザヤは一高の生徒なんだから、来るのは普通だよ」
雫は、至極当然の事を言うが、そんな言葉をほのかは聞きたい訳ではなかった。
「………雫、会いに行かなくていいの?」
「会いたい。会いたいけど……………」
ほのかの言うことは最もである。今すぐにでも駆け出して、イザヤの元へ向かいたい気持ちが心の中で渦巻いている。だが、会って何を話せば良いのだろうか。
元気にしてた?、休んでいる時は何してた?どれも違う。本当に雫が聞きたいのは、貴方は何に悩んでいるの?である。
しかし、イザヤが精神的に不安定な今の状況で、自分と会うことが、かえって邪魔にならないか。なんて事を頭の中で考えていると、
「雫」
ほのかが優しく、落ち着いた声で名を呼ぶ。
「ほのか」
「雫、会いに行くべきだよ。たとえ拒絶されても、何もしないよりはずっと良いよ。それに、イザヤ君が明日も学校に来るとは限らないんだし」
ほのかの言う通りである。明日もイザヤが来る保証は何処にもない。最悪の場合、二度と来ないかも知れない。ならば、いま自分に出来ることは、
「ほのか、ありがとう」
雫の中で決心がついたようだ。
「私、イザヤに会いに行くよ」
深雪と泉美は、ノックをせずに開いた扉に驚き、モニターから視線を外した。
「香澄ちゃん、ノックもしないで「泉美!イザヤ君が来てるよ!」…‥イザヤ君が?」
咎めようとした泉美だったが、香澄が言葉を被せて来た。加えて、その内容に泉美はピタッと動きを止めた。
「そうだよ泉美、イザヤ君が来てるんだよ!」
「イザヤ君が、来てるんですか…………」
香澄の言葉を噛み締めるように泉美は言った。
「香澄ちゃん、イザヤ君は今何処に……?」
「え、いや、何処なんだろう…………侍郎と一緒にいたから、もしかすると演習場にいるのかも」
言い淀む香澄だが、泉美の視線が刺さって推己の測を並べる。
「そうですか…………」
それだけ言って、泉美は再びモニターを見て作業を始めた。香澄は声に出さずとも「え?」と言うような表情を作った。
「い、泉美、会いに行かないの……?」
「今は仕事がありますから…………」
「そ、そうなんだ……」
香澄はてっきり、すぐさまイザヤの元へ向かうと思っていたが、変に落ち着いているので、逆に不安になった。
「それと香澄ちゃん、ノックもせずに部屋に入るのはマナー違反ですよ」
「え?……ああ、ごめん」
泉美の落ち着きように、深雪も不思議そうに見つめていた。その後、香澄は生徒会室から去り、詩奈とほのかが来るまでの間は、再び深雪と泉美だけの空間となった。
「…………泉美ちゃん」
「はい、何でしょうか、深雪先輩」
泉美は深雪を見向きもせず、モニターを見ながら返事した。
「行って来ても良いのよ?」
「………いえ、仕事が優先ですから」
「そう………」
深雪は、泉美を気に掛けながらも、自分の仕事に集中したのだった。
イザヤは目を瞑り、壁にもたれて演習場の前で侍郎を待っている時、コツコツと誰かが歩いて来る足音が聞こえて来た。イザヤは片目を開けて音が聞こえる方をチラリと見た。
イザヤへ向かって歩いて来たのは、雫であった。雫は、イザヤから約三メートル程の場所で立ち止まり、ジッーと見つめていた。
「…………」
「…………」
互いに無言が空間を支配する。だが痺れを切らしたイザヤが声を掛ける。
「何ですか?」
「……………」
イザヤは問いかけるが、雫は一向に喋る様子はない。何も話さず、ただイザヤを見つめていた。イザヤ怪訝な顔をし、雫の側へ近寄る。
「雫先輩?」
「…………寂しかった」
ようやく口を開いたかと思えば、第一声が「寂しい」であった。だがイザヤは、疑問を浮かべる。
「寂しかった?常にほのか先輩が側にいるでしょ?」
意味が伝わっていないことにムッとした雫は、コツンと優しく、イザヤの足を蹴った。
「イザヤに会えなくて、寂しかったって言ってるの」
口に出したことが恥ずかしかったのか、頬を赤く染める雫。
「イザヤは寂しくなかった?」
「会おうと思えば会えますし、別にって感じですよ」
「……………なんかムカつく」
雫は別に期待はしていなかったが、もう少し考えて欲しいと思った。先程まで、ウジウジ悩んでいた自分が馬鹿らしく思えてきたのだ。それに、イザヤの言葉にも腹が立ってきた。
だがそれと同時に、雫は安心していた。いつものイザヤに戻っていたからだ。会った時、拒絶されないか心配していた。
「ねぇ、侍郎の修行が終わったら、少しいい?」
「まぁ、少しだけなら」
イザヤの言葉に、雫は満足そうにコクリと頷くと、踵を返して歩いて行った。
目を覚ました一条茜は、もう一度身体を検査をしてもらい、何の異常も見られなかったので、翌日に剛と美登里そして将輝の四人で帰ることになった。
「茜、身体は本当に平気なの?」
「お母さん、もう大丈夫だって。お医者さんも問題ないって言っていたし」
「そうだけど……」
車の中で、助手席に乗っている美登里が、後部座席にいる茜を心配して後ろを向く。
「私自身変だと思っているんだけど、なんだか身体が軽くなったような気がするんだよね」
「身体が軽い?」
腕をグルグルと回す妹に、横に座る将輝が疑問を浮かべる。
「最初は死んじゃうかもって思ったけど、今は身体の底から力がみなぎっている感じ」
「………………」
運転している剛は、ルームミラーで茜をチラチラと見ていた。医者ではない剛の目にも、茜がもう大丈夫だと判断できる分には元気だった。
「茜、折紙イザヤがお前に何をしたか分かるか?」
「えーと、イザヤさんが言ってたのは、私のサイオンを放出させたって」
「サイオンを放出?」
疑問を浮かべる将輝。美登里も剛も茜の話を黙って聞いていた。
「あの時は、私のサイオンが一気に放出して、酷い脱力感が身体を襲ったの。それに耐えられなくて倒れちゃったんだけど」
茜の自分の身に起こったことを、淡々と話し始めた。
「他に折紙イザヤはなんて言ってた?」
「鍋に蓋をするイメージを持ったら、サイオンを抑えられるって。だから私、意識が朦朧としながらも、ずっとそのイメージをし続けていたの」
人間の身体は、呼吸と同じで無意識のうちにサイオンを放出している。サイオンの放出が抑えられなかったとき、どうなっていたのだろう。それは想像に難くない。
「あと、『君には新しい世界を見せてあげよう』とか言ってたよ」
茜の言葉に、将輝の頭の上に「?」が浮かぶ。
「新しい世界?すまん、言っている意味がわからん」
「本当にそう言ってたんだって。私にも分からないよ」
「……………」
腕を組んで茜を黙って見つめる将輝。イザヤが茜に何かしたのは間違いない。だがその「何か」が分からないのだ。
「茜、帰ったら魔法が正常に発動できるか見てみよう。津久葉さんに治療してもらったが、万が一の事はある」
「分かりました………」
その後、家に帰った一同が目にしたのは、茜のとてつもなく成長した魔法力であった。しばらく皆の開いた口が塞がらず、茜の『爆裂』は、将輝の『爆裂』が霞んで見えてしまう程であった。