決戦前夜
夜の野営地。
明日には、竜の魔女『ジャンヌ・オルタ』が率いる軍勢との全面対決が始まる。
そのための準備は、もうほとんど終わっていた。
「あっ、そうだ。景気づけに一曲披露してもいいわよ?
明日には決戦なわけだし。士気を高めるのもアイドルの役目よね」
「結構です。戦う前から戦闘不能にするつもりですか」
焚火の前では、二人のサーヴァントがじゃれ合っている。
少し離れた場所では、親し気に言葉を交わす者。
力の消耗を抑えるため、霊体化している者。
敵襲に備えて、周囲を警戒している者。
明日の戦いに備え、それぞれが思い思いの時間を過ごしていた。
……俺も休まなければならない。
そう、分かってはいるのだけど。
「……はぁ」
どうしても、胸の奥に溜まったものが吐息になって漏れてしまった。
「どうかしましたか、マスターさん。何やら重い溜息ですが」
隣から声を掛けられる。
振り向けば、トネリコがこちらを見ていた。
いつもの穏やかな表情。
明日が決戦だというのに、少なくとも表面上は普段と何も変わらない。
「いや……なんというか、さ。
トネリコはさ、いつも最前線で戦ってくれるだろ。マシュだってそうだ。
それに比べて俺は、マスターとしてしっかりできてるのかなって」
「ははぁ、なるほど。
……マスターさんはマスターさんで、面倒な性格してますねー」
「む。そんなことはない。力不足で悩むのは普通のことだ」
「いえいえ、否定してるわけではありませんよ。むしろ、好ましいと思います」
トネリコはそう言って、少しだけ笑った。
からかわれているような気もする。
けれど、その表情には悪意がない。
「ただ……そうですね。元救世主としてアドバイスするなら……」
そこで、彼女は一度言葉を切った。
「そもそもの話、しっかりする必要があるんでしょうか?」
「どういうこと?」
「立香さんは、マスターになってまだ数週間。それまでは魔術のまの字も知らない一般人だったわけじゃないですか。
そんな人間がいきなり戦場に出て戦うなんて、土台無理な話です。もしできてしまうようなら、将来は英霊になれる素質があります」
「でも、マシュは戦えてる」
「マシュさんは別でしょう」
トネリコは即答した。
「彼女は生まれた時からカルデアに所属している。そして、デミ・サーヴァントとして戦う力も持っている。
前提が違い過ぎるんですから、比べること自体ナンセンス、ですよ」
「なら……俺は、どうすればいいのかな。
戦いになれば、マシュは傷つく。君だってそうだ。見ていることしかできないのは……苦しい」
この特異点に着いてから、ずっとそうだった。
俺が戦えないから、マシュが前に出る。
俺が何もできないから、トネリコが戦う。
もちろん、それがサーヴァントとマスターの関係なのだということくらい分かっている。
それでも。
仲間が傷ついているのを、ただ後ろから見ているだけというのは、思っていた以上に苦しかった。
「その答えは、私からは何とも。貴方自身の力で見つけてください。それでこそ意味がありますから」
「……手厳しいな」
「貴方を見込んでのことです」
トネリコの声は、先ほどまでより少しだけ柔らかかった。
「大丈夫、焦る必要はありません。
苦しい――そう思う心を忘れないで。貴方は既に、マスターとして必要なものを持っている。それで充分です」
その言葉を聞いても、胸の奥にある不安が消えたわけじゃない。
だけど……少しだけ、呼吸がしやすくなった気がした。
「それに、マスターの未熟を補ってこそのサーヴァントですから。
雨の魔女の実力、存分に頼ってください」
「頼りにしてるよ」
自然と、そう答えていた。
実際、頼りにしている。
オルレアンに来てから、何度彼女に助けられたか分からない。
……だからこそ、ふと気になった。
「そういえば、元救世主ってどういう意味?」
「……あっ」
トネリコの表情が固まった。
さっきまでの余裕が、ほんの少しだけ崩れる。
「いえ、それはその……ほら、私はトネリコですので。世界樹の名前ですから、救世主だったんですよ」
「……何か誤魔化してる?」
「……あっ、そろそろ休憩も終わりですねー」
露骨だった。
「皆さん向こうで集まってます。さあ、作戦会議と参りましょうか!
打倒竜の魔女、打倒ジャンヌ・オルタ、ですよ!」
「待った。今の説明、全然説明になってないんだけど」
立ち上がったトネリコは、そのまま俺の言葉を聞かなかったことにして歩き出す。
「あっ、ちょっと……!」
慌てて後を追う。
結局、聞きそびれてしまった。
――元救世主。
その言葉だけが、妙に頭に残っていた。