「あった」
図書室の本棚から、ようやく目当てのタイトルを見つけた。
『百年戦争』
背表紙を指でなぞり、引き抜く。適当なページを開けば、見慣れない地名と人名が並んでいた。
百年戦争。フランスとイングランドの間で繰り広げられた、長きにわたる戦争。そして――かつて聖女と謳われた英雄、ジャンヌ・ダルクが活躍した戦争でもある。
特異点。
人類史の舵取りを狂わせた、七つの癌。
自分達カルデアは、そのうちの一つである聖杯を無事回収。オルレアン、ひいてはフランスの歴史を、本来の流れに戻すことができた。
特異点を修復できた場合、その時代の出来事は全てなかったことになるらしい。
つまり――“竜の魔女”ジャンヌ・オルタも。
そして、カルデアの自分達も。
人類史を左右した『邪竜百年戦争』は、どこにも記録されることなく消滅する。
『とはいえ、僕達としてはそうもいかない。なにせ、人理を保障するための機関だからね。
藤丸くん。今回の戦いを、君なりにレポートにまとめてみてくれるかな。
僕達もモニタリングしてたけど、やっぱり現場の人間から直に感想を聞かないとね!』
――そんなわけで現在、レポート作成真っ最中である。
まずは資料集めということで、今日は朝から図書室に籠っていた。
「マスターさん、何してるんですか?」
「?」
声のした方へ振り返る。
そこには、一冊の本を胸元に抱えたトネリコが立っていた。
「トネリコ……どうしてここに?」
「それはもちろん、私が雨の魔女だからですね。
優しい雨だれの中、静かに本を読む。これほど至福の時はありません。特にここの図書館はヤバいですね。無限に時間が流れていってしまいます」
そう言って、トネリコは穏やかに笑った。
どうやら本当に、心から本が好きなようだ。
自ずと視線が手元に向く。
彼女が読んでいた本は……
「『アーサー王伝説』……?」
「はい?
……ああ、これですね。かの高名なアーサー王の歴史です。ちょっと、個人的に気になりまして。
マスターさんの本は……『百年戦争』、ですか。
確か、ジャンヌ・ダルクさんの話ですよね」
「うん、そう」
フランスを揺るがした戦争の記録。
そして――かつて騎士だった男の物語でもある。
『貴女は赦すだろう。しかし、私は赦さない!
神とて、王とて、国家とて……!!
滅ぼしてみせる。殺してみせる。
それが聖杯に託した我が願望……!
我が道を阻むな、ジャンヌ・ダルクゥゥゥッ!!』
――ジル・ド・レェ。
彼の言葉には、憎悪が込められていた。
愛する者を失った絶望。信じていたものに裏切られた怒り。行き場を失った感情は、やがて国そのものを滅ぼそうとするほどに膨れ上がった。
理屈は分かる。
そうなるまでの道筋なら、想像できる。けれど、その感情がどれほどのものなのか、俺には分からなかった。
カルデアに帰還した後、マシュが口にした言葉を思い出す。
『剥き出しの感情って、凄いものなんですね。それこそ、世界を滅ぼすほどに――』
「――“人間だから”。
つい、マシュにはそう言ったけど……本当は、俺だって分かってない。
全てを滅ぼさなければ止まれない。それほど強い想いを、俺は知らない」
「……いいんじゃないですか?
レポートなんですから、難しく考える必要はありませんよ。マスターさんが見たまま、思ったままを書けばいいんです。
それに、見るのはドクターさんとダ・ヴィンチちゃんでしょう?
大丈夫。あの二人なら、多少粗があっても大目に見てくれます」
「…………」
「それに……私個人としては、知らない方がいいかなって思うんです」
「? それは、どうして?」
「マスターさんは、あのジルって人の気持ちを理解したいんですよね? でもそれって、大切な人を失うってことじゃないですか。
サーヴァントとしては見過ごせません。そんな結末を避けるために、私がいるんですから」
「それは……そうかもしれないけど」
トネリコの言う通りではあるだろう。
でも、そういうことじゃない。
俺達はジル・ド・レェを倒した。
人理のためとはいえ、一人の男の願いを否定したのだ。
ならば――彼について、理解を深めなければ。
それが勝者としての責任だ。
「……やれやれ、ですね。いえ、それでこそマスターさん、というべきでしょうか。
では、僭越ながら私もお手伝いします。
マスターさんの感じたこと。ジャンヌさんの覚悟。そして、ジルさんの憎悪……。
そういった部分も含めて、完璧なレポートに仕上げましょう!」
「ありがとう、助かるよ」
トネリコはここ最近、カルデアの図書室に入り浸っている。
そんな彼女が手伝ってくれるなら百人力だ。
「あ。そういえば、トネリコは――」
「はい」
「――いや。なんでもない。忘れてくれ」
口を押えて視線を逸らす。
……今のは、危ない。好奇心からつい、余計なことを聞いてしまうところだった。
「…………。
“トネリコには、そういう経験はないのか?”……ですね?」
「っ……」
言葉が詰まる。
彼女は時折、心を見透かしたかのように鋭い。
「だから、なんでもないって」
「いいのですか? 経歴不明のサーヴァントを知る、またとない機会ですよ?」
「……ドクターたちから怪しまれてる自覚はあるんだな」
「ええ、それはまあ。自分で言うのもなんですが、私は普通の英霊ではないので」
「……はぁ」
悪戯っぽく微笑むトネリコに、思わず溜息が出た。
「……でも、答えは変わらないよ。
なんでもない。口が滑った。今のは忘れてくれ」
「む……マスターさんは私に興味ゼロですか」
「そうじゃない。こっちから野暮なことは聞きたくないだけ。
……結論から言うと、あるんだろう? 大切な人を失った経験が。
でも、無理矢理聞き出すようなことはしたくない。聞いてほしい、というのなら喜んで聞く。でも、そうじゃないなら聞かないし、触らない。
俺達はマスターとサーヴァントだけど……できる限り、対等な関係でいたい」
世界樹の名を冠する、魔術師の英霊。
彼女について分かっているのはそれくらいだ。英霊の象徴とされる宝具だって、今回のオルレアンで初めて知った。
でも、それがなんだというのか。
トネリコは藤丸立香のサーヴァント。それさえ確かならば、何も問題はない。
だからこそ、相手の気持ちは尊重したいのだ。
トネリコは目を丸くしたまま、数秒ほど黙り込んだ。
「……おおー」
ぱちぱちぱち。
どこか芝居がかった拍手だった。
「……なんで、拍手?」
「感銘を受けました。なるほど、これがカルデアのマスターさんなんですね。
では、そのようにさせていただきます。
今はまだ、語るべき時ではない――というやつですね!」
トネリコは得意気に、どこかで聞いたような台詞を言い放った。
……なるほど。そういう本も読むんだな。
「本音を言うと、ちょっと困ってました。今の私は、あくまで記録を知ってるだけ。記憶の方は一切ありませんから」
「どういう意味?」
「ほら。サーヴァントって本来、全盛期の姿で召喚されるものでしょう?
でも今の私は、全盛期からは程遠い状態なんです」
「全盛期から……遠い? それって、大丈夫なの?」
「ああいえ、体調が悪い、とかではないんですよ? 力がセーブされたまま無理矢理召喚された、といいますか。
英霊トネリコの、夢見る少女時代。それがこの、雨の魔女トネリコなんです。
今の私には、記録として残っているだけ。実際に経験したのは、“次”の私です」
「次……?」
「はい。なんでもその私は、救世主なんて呼ばれていたそうですよ?
詳しく知りたかったら、マスターさんの力で私を強くしてください。その私なら、実体験を元にいくらでも語れますので!」
「強くって……具体的にはどうすれば――」
「種火です」
「――は? 種火?」
「そうです。沢山稼いで、モリモリ食べさせてください。そうすれば、霊基もすくすく成長しますから」
「あ、はい。精進します」
誰かが言った。継続は力なり、と。
日々の積み重ね、日々の稼ぎがトネリコを強くするらしい。
……一人前のマスターになるまで、まだまだ先は長そうだ。