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この世の中は案外簡単だ。天宇は常々そう思っている。
そこを歩けば野盗は出てくるし、基本的に死か奴隷かのどちらかだ。
権力者共の腐敗は深刻なまでに浸透しており、利をもたらすもの以外は家畜としか見ていない連中だ。
だが、それでも天宇にとっては全く問題なかった。
野盗が出てきた? ならば力で追い払えばよかろう。
権力者に搾取される? ならば権力者になればよろしい。
実際これら両方を手に入れようとすると、過酷な道のりが待っているので普通の人間にはこなせない。
しかし天宇はクズであっても無能ではなかった。
着実に鍛錬をこなし、手柄をあげ、物資を横流しし、権力の後ろ盾も手に入れた。
ああ、なんという順風満帆な人生なのだろうか。
天宇は我が事ながら、世界でも自分ほど上手く人生を歩めている人間はそういないと自負していた。
だからこそ、こんなところで躓くわけにはいかないのだ。とりあえずこの国境の紛争地帯の警備任務をこなし、天宇自身の部下たちの力を底上げしなくてはならない。
「……」
「おお! 流石天宇様の騎馬隊だ!」
「フハハ! 敵の前列が吹き飛んだぞ!」
「今、第二陣を投入すれば、より抉れますぞ!」
「……」
「? 天宇様、いかがなさいましたか?」
そう思って、初っ端から騎馬をそのまま突撃させた。
相手は黄豪隊だ。噂では守備が強く、頑強な陣を敷いて攻め側の勢いを削る部隊なのだという。
そして、黄豪隊を率いる黄豪という男は、あの六大将軍である摎の軍に所属していたと聞く。
だからこそ、天宇はその防御を突破するために装備を分厚くした騎馬を千騎、初手で突撃させた。補佐として歩兵も二千ほど随伴させている。合計三千。第二陣として歩兵が六千、精鋭を含めた騎馬が二千騎ほど控えている。
予定では第一陣で敵の防衛陣を揺さぶり、”緩い”場所を第二陣で抉り取るといった予定だった。
だが、これはなんだと天宇は怪訝に思う。
なんと第一陣の騎馬隊が突撃の勢いで敵前面を粉砕。そのまま敵陣の中央前部にまで到達しているのだ。そのせいで天宇軍本陣にいる側近たちは喜びの声を上げている。
だが、天宇は何かがおかしいと感じている。
何せ敵はあの六大将軍である摎の配下だ。悔しい事だが、天宇よりも実戦経験は上だろう。いくらこちらの数が倍以上とは言え、一筋縄ではいかないだろうとも思っていた。
しかし、これはなんなのだ。
あろうことか、初手の触りで黄豪隊の中央は半分瓦解し始めている。
「(脆い。不自然なほど脆すぎる……黄豪は守りの将ではあるが、知恵はさほど回らないと聞く。何かを考えているなんて事はないと思うが……この惨状は何かを考えているとしか思えんな。だが、自分の兵士を見殺しにするほどか?)」
天宇はじっと考える。黄隊の中央三千は半分ほど抉り取れている。だが左右はさほど突破はしていない。一瞬左右で何かを仕掛ける気かと天宇は考えた。何せ中央と比べ左右の隊は、隊としての形を保っている。
まあこれは天宇が中央に騎兵を集中させ、左右には歩兵を配置していたからというだけだ。なので左右に何か仕掛けがあるわけではないのだろう。
ならば単純にこちらの突破力が上だったのか? いや、そんなはずはない、と天宇は自分自身の考えを否定する。
天宇の騎馬は今まで鍛え続けてきたおかげで、精鋭と言えるほどにまで育ってはいる。しかし、それは一般的な話だ。国家をかけた戦争で、最強のまさかりとして使うにはまだまだ弱い。
「天宇様? いかがなさいましたか?」
「……解せんな」
「は?」
「いや、なんでもない」
天宇がだんまりであることに、側近たちは疑問符を浮かべていた。なぜなら現在の戦況は圧倒的にこちらが優勢である。相手が半分以下の軍勢とはいえ、一日で戦闘が終わる可能性すらあるのだ。だというのになぜ自分たちの主人は不服そうなのだろうか。それが側近たちにはわからない。
「……いいだろう。第二陣を出せ」
「ハハッ! 第二陣突撃ィ!」
天宇は結局黄豪が何を狙っているのかわからなかった。であるならばだ。現状ではわからぬのであれば、さらに探りを入れてみればいいだけである。ということで天宇はすぐに探りを入れた。自身の持つ主力の総投入という、強烈な探りをだが。
現状は圧倒的に天宇優勢である。側近たちは素直に喜んでいたし、天宇自身も訝しく思いながらも、この戦況にどこかでは慢心していたのだろう。
戦況は圧倒的に自分に有利である。ここで第二陣を投入すれば、間違いなく敵の本陣まで落とせるだろう。そうすれば短期的に戦争を終わらすことができる。浮いた兵糧でさらに浸透できる。
そんな思いが天宇の思考を鈍らせる。よく考えれば気づけたはずである。敵の中央が瓦解し始めているというのに、動じない秦左翼と右翼。これは瓦解するのが予定調和であることの、証明に他ならないということに。
それは突然だった。
「なかなかしぶといですな」
「半分陣形は乱れているが、それ以上は崩れんのが気になるな。……天宇様どうしますか?」
「……(妙だ。なぜ崩れぬ。まさか、嵌められたか?)」
第二陣を投入したというのに、進まぬ戦線。天宇の側近たちは目に見えて苛立ち初め、天宇には嫌な汗がじっとりと滲み出る。
「急報! 敵の騎馬が本陣左から急襲! 幽玄様が対応中とのこと!」
「何!?」
急いで左を見て、天宇はゾッとする。いつの間にか本陣の左を守備していた幽玄隊の半ばまで敵の騎馬が浸透していたからだ。
「……後方の予備兵も呼び出せ」
「ハハッ!」
「他の守備兵もかき集めろ! なんとしてでも、ここを死守するのだ!」
「くそ、一体こいつらどこから来たのだ!」
先ほどまで勝ち戦の雰囲気が蔓延していた本陣は、急な敵襲に思考が鈍る。しかし、天宇はすぐに動揺した心を正すと、命令を出す。それによって側近たちもハッと我に返ると、怒鳴りつけるように周囲に命令を下していく。敵の騎馬はおおよそ三百騎ほど。対してこちらの守備兵は二千の歩兵で構成されている守備隊である。
「(このタイミングでの急襲、こいつらが本命か)……やり手だ。確実に潰せ」
「ハッ!」
「敵はたかが数百だぞ! 数で圧殺しろ!」
そう。数はたかが数百。
潰しきれなかったとしても、すぐに前の戦場からの援軍も来る。負けようがないのだ。そう考える守備兵の指揮官や側近たちの思考は全くもって普通の思考であり、当然の考えだろう。だが、ここでその考えは命取りである。
相手は西の覇権国家である大秦国の武の象徴である六大将軍出身。つまり、国家存亡をかけた戦争に何度も参加させられている部隊である。
もちろん、防衛陣の指揮を取る黄豪が開戦前に急死したせいで、中央は半ばまで抉り取らせなければならぬ事態にまでなってしまった。
「何をしている! 早く止めんか!」
「なんだあの女は! あの女だけでも止めろ! あいつが将だ!」
「というか、あの女何者だ!?」
「いかん、守備隊の列がもう僅かしかない!」
「天宇様、脱出を!」
「……判断を誤ったか」
圧倒的だった。騎馬達を止めようと突撃した守備兵は一瞬で体を槍で貫かれ、地へと倒れ伏す。血と体の部位が吹き飛び、天宇のいる本営にも濃密な血の匂いが襲う。
特に、先頭にいる女の騎馬の動きは異常だった。
その手に持つ剣が振るわれれば、周辺にいる複数人の首が吹き飛び、槍で突き殺そうとすれば槍ごと刻まれ、数で襲いかかれば、神速の剣捌きにより守備兵の首がテンポよく吹き飛ぶ。
全て急所を狙って振るわれる剣は、思わずゾッとするほどに魅惑的だ。とろりとした流血が剣に纏わり付いている様は、まるで天女の羽衣のようだと天宇は思わず感じてしまう。
天宇は、血を滴らせながらこちらへと迫る彼女を眺めながら一体何を間違えたのだろうかと考える。
やはり第二陣を投入するのが早かっただろうか。いや、あのタイミングで第二陣を投入するのは、何も間違いではないはずだ。問題なのは……この敵の力を見誤ったことだろう。
「……これほどとはな」
「天宇様! 早く脱出を!」
「いや、それよりも前方で戦っている部隊に伝令を」
「その前に、死んでもらう」
「!?」
「あっ!」
側近達が声のする方向を見れば、いつの間にか守備隊を突破したのか、全身に血を浴びた女の騎馬が本営の守備兵の首を切り捨てていたところだった。
元からなのか守備隊の血を啜ったのかは定かではないが、赤黒い鎧を着ている彼女は実力とは違って華奢な体をしているように見える。かなり整った顔をしており、とても守備隊を血祭りにあげた将とは思えない。
だが、天宇を見つめる瞳は深い黒色をしており、思わず背筋が凍ってしまう。
「(なるほど、これは化け物だ。女の将、摎軍……まさか!? だが奴は今将軍ではなかったのか!?)」
「て、天宇様! お逃げを!」
「無駄だ。こいつからは逃げれん。であるならば方法は一つ」
「蛮勇と勇敢は、別物」
「分かっておるわッ!」
天宇は腰に装備していた剣を引き抜く。それを見た彼女は少し意外そうに目を開くが、すぐに剣を構えて馬の腹を蹴る。彼女に一歩遅れて天宇も馬を走らせる。
天宇は正しい。このまま本営から脱出したとしても、追ってくるのは守備隊を突破した彼女達だ。逃げれるはずもないし、背を向けての逃走は天宇のプライドが許さなかった。だからこそ、天宇は本営から動かず、彼女がくるのを待ち構えていた。
そしてこの選択は間違ってはいない。天宇が逃走をすればより味方に犠牲が出る一方、もし立ち向かって天宇が討ち取られるようなことがあれば、そこで戦闘が終了する可能性が高い。具体的に言えば、投降ということである。
だが、もちろん天宇は負けるつもりがない。確かに彼女の剣技は神掛かっている。的確に急所を狙いながらそれを神速で繰り出す剣捌きは、数百の将程度で収まる存在ではないだろう。
しかし、そんな彼女でも人間なのだ。ここまで数千もいた守備隊の陣を抜いてきた彼女は、疲弊を当然しているはずである。
そして天宇は本営で疲れることなく、万全の状態である。
で、あるならば。天宇が負ける道理はない。
天宇はクズであるが、自分自身のためであれば努力を怠る男ではない。それは一個人の武力面でもそうである。十数年剣術を学んできた天宇個人の力は、決してそこらの兵士程度ではない。
だからこそ天宇はこの一戦に賭けた。勝機は一合目。初めの接触で、全力を出して急所を切り捨てる。
ああ、天宇は間違っていない。間違っていないのだ。彼女が天宇の予想内にとどまる化け物であればの話だが。
天宇は未だ思い違いをしている。彼女はただの強者ではない。生まれた時から地獄を這いずり回り、そのせいで体の成長よりも前に精神が熟し、敵を殺すために体を意識して成長させてきた、生まれながらにして殺しを前提に進化してきた化け物であることに。
天宇の振るった剣はするりと躱される。そのまま彼女は勢いよく天宇の腕を切り飛ばすと、彼女の剣はそのまま流れるように天宇の額へと這って行き、そのまま彼女はスルリと剣を振り抜く。
「天宇、様……!?」
「天宇様ァァァ!?」
誰がどう見ても、天宇は即死だった。