ゼマは住宅街の狭い路地へと飛び込んだ。高い塀を蹴って身を翻し、水飛沫を散らしながら着地する。足首を超えて海水が満ち、冷たい水流がひざ下を叩いた。流れ込んでくる水には砕けたガラス片が混じり、足に小さな傷を刻んでいく。それでもゼマは表情を変えず、濡れたローブを翻して前へ進む。
「真正面から叩きのめす……! 鮫退治だ」
彼女は手にしたロッドを短く縮め、狭い路地でも自在に振るえるように調整した。湿った石壁が迫り、両側から圧迫するような空間。その先に影が広がる。
「 【シャークバイター】 魚連! 嚙み殺せ!」
シャークスの声が轟くと同時に、水面を割って魔鮫が現れた。黒い鱗と赤い眼光。牙の列が水泡の間でぎらりと輝き、狭い通路を一列で並び突進してくる。水飛沫が壁を叩き、圧力が前方から押し寄せる。
「おら、ほらぁ、せやぁ!」
ゼマは恐れず飛び込み、ロッドを振るった。結晶の棒が鮫の顎を叩き割り、骨のような魔力構造が砕け、泡となって四散する。続けざまに歯列を叩き壊し、頭蓋を粉砕する。次々に襲いかかる鮫も、狭さゆえに動きを縛られ、ゼマの連撃に抗えなかった。鮫の群れは次々と破壊され、力強い推進も、牙の光も、すぐに水流へと溶けていった。
そのすべてを蹴散らしたとき、路地の奥から水面をかき分ける大きな影が迫る。シャークスの男だった。背筋は鎧のように隆起し、腕の筋肉は鎖のように張り詰め、走るたびに海水を爆ぜさせて進んでくる。
「骨を断ち、肉を喰らう!」
飛沫を巻き上げ突進してくる姿に、ゼマは挑発的に笑った。
「っふん、対人戦をもっと学ぶんだなぁ! 単調すぎるんだよ、動きがぁ!」
ロッドを横に掲げ、両端を【伸縮自在】で伸ばす。瞬く間に両端が塀へと突き刺さり、細い路地に物干し竿のような一本線を作り上げた。ゼマはそのまま跳躍し、シャークスの突進を避けながら頭上を越えて後方へ着地する。
「っが!? ぐぅうう! 停止がぁ……!」
標的を見失ったシャークスが急停止を試みる。しかし膝下を覆う海水が足を奪い、うまく止まれない。その巨体はそのまま前方へと滑り込み、張られたロッドへと直進した。
硬質な衝撃音。シャークスの肩と胸がロッドにぶつかり、海水が炸裂する。だがすぐに異変が起こった。
「!? 伸縮っが、とまらん!?」
ロッドは【伸縮自在】の効果が残されたまま。衝突の勢いで中心部が引っ張られ、ぐんぐんと伸びていく。両端は塀に突き刺さったまま抜けず、張力は限界まで高まり、巨大なパチンコの弦のように緊張していった。
シャークスは必死に踵を水に食い込ませ、停止を試みる。だが濁流に押され、筋肉を硬直させても完全に制御はできない。全身が引き絞られるように拘束されていく。
その時、ゼマの声が響いた。
「 【伸縮自在】 解除! 反動だぁ!」
瞬間、溜め込まれた張力が解き放たれる。クリスタルロッドは爆速で元の長さに戻り、その反動をまともに受けたシャークスの体は弾丸のように宙を舞った。
「っがぁあああ! 戦う気がないのかぁ、女ぁ!」
怒声が響くも、もはや軌道は変えられない。巨体は後方へと大きく弾かれ、海水を撒き散らしながら空を切る。筋肉の塊は屋根よりも高く持ち上げられ、住宅街の上空へと吹き飛ばされていった。
水煙と飛沫が路地を覆い、ゼマの髪を濡らした。彼女は跳ねる水の中でロッドを回し、短く息を吐いた。
ゼマはロッドをぐっと引き絞った。濡れた両腕の筋肉が緊張し、しなやかな力が結晶の棒に伝わっていく。視線の先には、空中に投げ出されたシャークスの男。
彼の身体は海の覇者に相応しい逞しさを誇っていた。肩は鎧のように張り、胸筋は分厚い壁のごとき隆起を描き、脚の筋肉も槍のように硬直している。水の中であれば、この筋肉すべてが推進力に変わる。地上でも獣じみた破壊力を発揮できるだろう。
だが今は空。海水も大地もない虚空で、彼の肉体は力を発揮できず、ただ重力に従って落ちていくだけだった。四肢を振り回して必死に泳ぐような動きをしているが、宙を掻く手足には何の意味もない。
ゼマの口元に笑みが浮かんだ。
「なんで私が過激なの好きか教えてあげようか? こっちも問答無用で痛めつけられるからだよぉ! 【刺突】!!」
ロッドの先端が光を放ち、突き出される。付与された【伸縮自在】が同時に発動し、槍のように一直線に伸びていった。空気を裂く鋭い音。伸びゆく結晶の穂先は、雲の下で宙づりとなるシャークスの男を正確に捉える。
「アスビアヘルムの遂行がぁ! っが、俺はぁ、何度でも泳ぎ帰るぞぉお!」
絶叫と共に、その顔面に突き刺さった。衝撃で水煙のような飛沫が散り、巨体が軌道を乱され、さらに遠くへ吹き飛ばされていく。分厚い胸筋も、岩のような背も、空の中では何の助けにもならない。
彼の姿はやがて昼の空へと小さな点となり、青い背景に溶けて消えた。真昼に輝く一瞬の星。
ゼマはロッドを引き戻し、水滴を散らすように軽く振った。その耳に、風に紛れてまだかすかに残るシャークスの声が届いていた。
「その頃には、ぜーんぶ終わってるよ。はい、祠探し祠探し」
吐き捨てるように笑いながら、ゼマは踵を返す。狭い路地を抜ける足取りは軽く、もう後ろを振り返ることもなかった。