祝・追放100回記念 9巻   作:高見南純平

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第423話

 カニ甲爵が驚いているのもつかの間、セオリアはすでに音符を紡ぎ出していた。水飛沫に揺れる光の中で、空気を震わせる音符が鮮烈に輝く。4色に散る中で、特に目を引くのは桃色の光。それが赤や緑、青と混じり合い、渦のように回転しながら、不安定なほど強烈な存在感を放っていた。

 

「 【ドドドドミミファソ】……!」

 

 音符は弾丸のように撃ち出され、豪速でカニ甲爵に迫る。空気を切り裂く轟音と共に、一直線に迫る閃光に、カニ甲爵の瞳孔が一気に収縮した。

 

「こ、これはまずい香りが……!」

 

 本能に突き動かされるように横へ跳び、刹那、音爆弾はその脇を抜けていく。

「ぼほほ。不意打ちとはなりませんでしたな」

 余裕を見せて嗤おうとしたその口元に、セオリアが冷たく響く声を返す。

 

「私が得意な事、その身で感じるといいよ。……それは、初見殺し、だ……!」

 

 突き抜けたはずの音爆弾が、不自然なほど鋭角に旋回する。水を裂き、風を巻き込み、凶器のように戻ってくるその光弾。カニ甲爵の顔が凍りついた瞬間、頬を直撃した。

 

「ぼふぁぁあ!? 操作、弾か!?」

 

 カニ甲爵の叫びが響く。今回の音爆弾に組み込まれた新たな桃色を担当するファの音色。それがセオリアの秘蔵スキルだった。

 

【音爆弾・ファ】

 効果……爆破のタイミングと軌道を操作できる音爆弾を生成して射出する。

 

 頬に突き刺さるようにめり込んだ音符は、爆発せず圧力だけを加え、彼の巨体をぐいっと浮かせて押し上げる。触覚がしなり、甲羅の表面に細かいヒビが走り、カニ甲爵は目を見開いたまま制御を失って宙に舞い上がった。セオリアは立てた2本の指を自らの方へくいっと倒す。

 

「……!」

 

 音符が呼応するように発光し、次の瞬間、爆炎が夜空を裂く花火のように弾けた。

 

「ぼふぁがぁああ!」

 

 轟音と共に眩い光の柱が立ち上がり、カニ甲爵の巨体は花火玉のように打ち上げられ、空高く舞い上がる。爆風に煽られ、広場を覆っていた水飛沫が虹色に煌めきながら散り、蒸気の霧が立ち込めて視界を奪った。

 

 空中で何度も回転したカニ甲爵は、甲羅を焦がされ、触覚をぐらつかせながら落下し、石畳を砕きながら大きな噴水の縁へ叩きつけられた。

 

 甲爵は大の字に倒れ込み、甲羅の隙間から苦しげに泡を吐き出していた。白目を剥きかけてはいるが、辛うじて意識は保っている。高らかな威勢は完全に消え失せ、打ち上げられた花火の残骸のように、ただ広場に横たわっていた。

 

 セオリアは震える腕を下ろし、焼けただれた肌を押さえながら、深く息を吐いた。

 

「民を守ってこその、高貴なる存在じゃないのかな。……私は……そうであって欲しいよ」

 

 彼女の顔には晴れやかな笑みはなく、静かな陰りだけが宿っていた。勝利の実感ではなく、ただ障害を取り除いただけという重みが胸を覆っている。

 

「グォオオオオオ」

 

 セオリアの視線の先、少し離れた場所で海の神がなおも暴れていた。教会前の広場を越え、王都ミズクア全体へ荒波が押し寄せる。白波を立てた大波が石畳を叩き、露店を飲み込んでいく。積まれた果実が水面を転がり、桶に入った魚たちが水ごと流されて、路地の奥へと消えていった。

 

「か、海神様ぁ……! お、お戯れが過ぎますぞぉお!」

 

 必死の声を張り上げたのは、教会に仕える神父だった。中年の人間の男で、黒い法衣を濡らしながら波に飲まれていく。大きな水路へと引きずり込まれ、必死に手足を動かしていた。

 

 泳ぎはおそらく得意なはずだ。この国で泳ぎが苦手な人間など珍しい。義務教育で誰もが泳ぎを叩き込まれるからだ。しかし、その過程で人間のような種族は、必ず直面する。人魚や魚人族の、あまりにも卓越した遊泳能力。その差に挫折し、己の限界を知る。神父も例外ではなかった。

 

 もがいて水面に顔を出そうとするが、息継ぎのタイミングが掴めない。波に揉まれ、肺に空気を取り込む間もなく水が流れ込む。

「かぁ、ごぼ……!」

 喉を鳴らし、泡を吐きながら神父は必死に藻掻いた。

 

 その姿を目にしたセオリアは、反射的に水路へと駆け出そうとした。助けることに迷いなどなかった。しかし……脚が、急に止まった。

 

「……っはぁ……!」

 

 自分でも驚くほどに、体が動かない。肺の奥が焼けるように痛み、全身が重く鉛に沈む感覚。思わず足を止めて、荒い息を吐き出す。

 

「ここまで重症なんだ私……」

 

 震える唇で呟き、彼女は自分の脚を両手で叩いた。叩いても、力が戻ってこない。

 

「さっき口にしたじゃないか……。王女なら、絶対に民を助ける……のに……! 得意だろ、泳ぐのは……!」

 

 膝が折れそうになるのを堪え、セオリアは自分を責めるように脚を叩き続けた。それでも海へ飛び込む勇気は湧かず、荒波の音が彼女の胸を締め付けるように響いていた。

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