祝・追放100回記念 9巻   作:高見南純平

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第424話

 セオリアが立ち尽くしていると、その荒れた水路に飛び込む人魚が一人いた。

 銀光を帯びた甲冑が水飛沫を弾き、暴れる海の中に鮮烈な影を落とす。水色の髪が波間で揺れ、凛々しい顔立ちは潮流すら従わせているかのように毅然としていた。彼の鎧の下半身は特異な造りで、脚が露わになるように開かれ、その素足は瞬く間に変化を始める。硬い皮膚は柔らかく溶け、やがてしなやかな魚のヒレが伸びる。遊泳形態、人魚だけに許された特別な変化だ。

 

 鋭い水切り音が響いた。

 彼は躊躇いなく深みに突っ込み、暴れる波を突き破っていく。白い泡と濁流を蹴散らしながら、もがく神父のもとへと一直線に駆け抜ける姿は矢のようだった。片腕を大きく広げてその身体をしっかりと抱きとめると、力強い尾の動きで一気に方向転換。荒れ狂う波をものともせず、むしろ水流すら味方にしているような自在な遊泳で、広場の岸辺へと軽やかに帰還した。

 

「げほぉ、げほぉ……!」

 石畳に降ろされた神父は両手をつき、肺に残った海水を吐き出す。肩は大きく震え、呼吸を取り戻すたびに胸が上下する。

 

「神父さん! 帰ってくるのだ!」

 彼を支えながら背を叩く人魚の男。その広い背には、3つの矛先を持つ槍、トライデントが掛かっていた。重厚な武器は濡れてなお光を反射し、彼の威厳を一層際立たせる。

 

 神父は荒い呼吸の合間に顔を上げ、彼の姿を目にした瞬間、驚愕に瞳を見開いた。

「レ、レガヴァ王子!? はぁ、はぁ……助かりました……! 海神様をお目にかかれたのは生涯の誇りですが、海神様を受け止められないことを情けなく思います。人であることが、こんなにも苦しい事とは……!」

 

 彼の声には悔恨と無力感が滲んでいた。

 人は人魚や魚人に憧れる。しかし、埋められない力の差を痛感させられることもある。泳ぐ力も、呼吸する力も、努力で届かない領域が確かに存在するのだ。それでも彼は、この国に生きることを選び、祈りを捧げ、民と共に歩んできた。その決意を揺るがすほどの恐怖と絶望が、今まさに胸を締めつけていた。

 

 だが、そんな神父の顔を真っ直ぐに見据え、レガヴァ王子は毅然と告げる。

「何を言いますか。我ら人魚は、人と共生をすることを選んだからこそ、太陽へ近づき、その暑さ、美しさを知ったのです。この素晴らしきアートの都も、我が王城も、人の知恵と工夫があってこそ……! この国は、人と魚類族の平和の結晶……!」

 

 その言葉は波音をもかき消すように力強く響いた。

 レガヴァの先祖である王族は、かつて陸に住まう人と手を取り合い、海と陸をつなぐ国を築いた。その歴史があったからこそ、人魚は海だけに生きる道を超え、地上での生活をも選び取り、文明を広げてきた。王子の声には、その誇りと覚悟が宿っていた。

 

「……王子……! そうでしたな……! それが海神様も望む、争いなき姿でしますな……!」

 弱気に沈みかけていた神父の頬に、再び熱が戻る。か細かった声は力を取り戻し、胸の奥に息を吹き込まれるように海神教徒としての信念が蘇る。

 

 王子自らの言葉は、神の声とは異なる輝きを放っていた。それは人々の心を掴むに足る威厳と、確かな希望の光だった。

 

「……ですよね。姉君……!」

 レガヴァ王子は、もっとも会いたい人に背中を向けたまま語り掛けた。とうに気がついていた。その少し歳上の女性の存在に。

 

 王子と側近たちは、襲撃の伝法を受けて王都へと引き返し、広場へと到着した。足元に広がるのは、荒れ狂う海の影響を受けた光景だった。海神の暴威はなおも止まず、打ち寄せる波が石畳や屋台を容赦なく押し流している。果実や魚が水飛沫に混ざり、空気には潮と塩の匂いが濃く漂っていた。広場全体が、緊迫と混乱に包まれている。

 

 王子は側近の影を横目に、広場の混沌の中に視線を送った。すると、遠くで戦い続ける一つの姿が目に飛び込んできた。クラブス海賊団を相手に、孤高に動き続けるその人物。ピンク色の髪が爆破の衝撃でわずかに焼け、荒波に揺れる中で凛と立つセオリアの姿を。

 

 王子からすれば、その名はまだ知らぬが、背中から漂う気配には、迷いのない強い覚悟が刻まれていた。夢にまで見た、あの王女であり姉であるレーマの成長した姿だった。

 

 そしてその存在は、彼の背中を見てぽつりとつぶやく。海の荒波にかき消されてしまうかのような静かで、しかし確かな存在感を帯びていた声で。

 

「……王子……。帰還、してきたのですね……」

 

 覚悟は固まっていたはずなのに、王子と向き合う現実の前では、言葉が滑るように出てこない。

 

「昔から武術も芸術も秀でたお方でしたが……、族をもろともしないそのお姿に感服いたしました……! ようやく、私の、元に帰ってこられたのですね……!」

 

 レガヴァは感極まり、涙で溢れそうな瞳をセオリアに向けた。瞳に浮かぶ涙をこらえるかのように、王子としての威厳がその顔を硬く覆う。

 

「……レガ、ヴァ、王子……。私は、海にも……」

 

 言葉を詰まらせ、顔を曇らせるセオリア。王女としての覚悟は少しずつ固まっていたはずだったが、海への恐怖と自責がまだ心に重くのしかかっていた。

 

「なんと……! もしや、海難事故の影響ですか……! ですがその存在を確認できただけで、私は満足以上です……! この再開を大いに喜びたい、ところですが……。今は民の命が最優先と考えます。姉君、共にこの国をお守りいたしましょう!」

 

 王子は瞳に溜まった熱い涙をぬぐい、様々な感情を飲み込む。兵士として、王子としての務めを果たす覚悟を、その声に込めた。

 

「……王族の使命……か」

 

 セオリアは静かに頷く。自身がレーマ王女としての責務を抱えていることを、改めて胸に刻み込む。

 

 レガヴァは波の険しい場所へと側近と共に向かい、あえて彼女とは距離を取った。互いの立場と感情を考えれば、それが最善であると判断したのだ。

 

 側近の一人、ティノラが王子に軽く声をかける。

 

「身長、王子と同じぐらいになったんじゃ? とんでもない美人に成長してましたなぁ」

 軽口に聞こえるが、その瞳には深い敬意と驚きが混ざっていた。幼い頃からその姿を知る者として、成長した王女に目を奪われずにはいられなかったのだ。

 

「そんな軽薄な態度とってたら、多方面から干されるんじゃない。そういうのは思っても、口にしない方がいいよ」

 

 タンバリィの声が、ティノラに軽く釘を刺す。王子と同年代であり、王女よりはわずかに年下の二人だが、伝統ある家系の側近としての自覚がうかがえる。

 

「……ララクが言ったように深いご事情を抱えているようだった。だが、王女が、姉君が帰ってこられたのだ! 早くこの戦いを終わらせて、祝杯をあげるぞ!」

 

 レガヴァの瞳は決意に満ち、熱気を帯びる。だが、頭の片隅に父ボセニア王に隠していたトライデントバトリアへの出場がちらつくことは、今は忘れているようだった。

 

 広場の荒波と混乱の中で、王子と王女の会合は、静かに、しかし確かに時を刻み始めていた。

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