多方面から波が押し寄せてララクへとぶつかる。四方八方からせり上がった水壁は鋼鉄のような重さを持ち、雷を抱え込みながら渦を巻いて迫った。轟音と共にララクの身体を呑み込み、広場に巨大な水柱を叩きつける。水しぶきは異様なほど高く跳ね上がり、白煙のような飛沫が空を覆った。
奔流には稲妻も混じっていたが、ララクは必死に魔力を操り、その電流を打ち消す。放電の残滓は一瞬で掻き消え、残されたのは純白の水煙だけだった。視界は蒼白の霧に包まれ、音も匂いもすべてを水が支配する。
「さすが海の神ぃぃ! あ──ー! 罪深い行為だけど、永久に続けたい!」
水霧の向こうからワネットの歓声が響いた。その声には勝利の実感よりも、海神を操る行為そのものへの陶酔がにじんでいた。彼女はその支配感に溺れ、抗えぬ存在を従わせている背徳に酔いしれていた。
蒼濤派閥アスビアヘルム所属の人魚ワネット。本来の派閥の理念は自然保護に根ざしていた。人の手による破壊から海を守り、その力で世界に警告を与えることが目的だ。ワネット自身もまた、その志を信じてこの派閥に身を置いたはずだった。
だが今、彼女を突き動かしているのは理念ではない。巨大な海神を意のままに操れるという事実。その圧倒的な力を支配している感覚が、何よりも甘美で抗いがたかった。理想も責務も、すべてその快楽の後ろに霞んでいく。
彼女はまだ暴れ足りないと感じていた。海面に身を翻し、泡を巻き散らしながら王都の方角へと視線を移す。その瞳は破壊ではなく「支配の継続」を求めていた。操る快感をもっと。海神という存在を、さらに深く自分のものにするために。
「!? あ────まだ、お戯れの時間は続くようです!」
水しぶきが炸裂し、霧を切り裂いて現れたのは頑丈な鎧に身を包んだ戦士の姿だった。バッファローアーマー・岩鋼。岩石バッファローの獣皮や鱗、角を基に鍛え上げられ、さらに各地で採掘された鉱石を組み合わせて作られた重装鎧。その防御性能は水分や衝撃に対して特化しており、並の攻撃では傷一つ付かない。
だが今、その鎧は砕け散る寸前まで追い込まれていた。肩や胸の装甲はひび割れ、幾つも欠け落ちている。隙間からはララクの素体服があらわになり、鎧の強靭さと、これまで浴びせられてきた衝撃の凄まじさを物語っていた。
それでも彼は倒れない。むしろ限界まで耐え抜いたその姿が、逆境を切り開く意思を示していた。
ララクは両手を握り込み、低く呟いた。
【フィッシングロッドクリエイト】
効果……釣竿を生成する。
掌に収まったのは一本の釣竿。それはかつての仲間、釣り師アバンジャが愛用していた竿を模したものだった。仲間の記憶と共に紡ぎ出した武器を、彼は固く握り締める。
「……ようやく捕らえた……!」
釣り糸はすでに放たれ、深く沈むように真下へと伸びていた。その先端は揺れる水面を抜け、狙いすましたように人魚ワネットの背中へと到達していた。鋭く絡みついた糸は、彼女の腰へとしなやかに巻きつく。
「!? んじゃなぁ!?」
思わずワネットが声を上げる。次の瞬間、ララクは全身の力を込めて竿を引いた。鋼のように張り詰めた糸が軋み、強烈な反動が生じる。ワネットの身体は海上から弾き出されるように引き寄せられ、海面に大きな波紋を広げながらララクの元へと引き上げられていった。
「あ──────! 海神様を感じるぅうううう!」
水飛沫を浴びながら、ワネットは恍惚とした叫びをあげた。これまで波に乗り続け、支配の感覚を全身で楽しんでいた彼女にとって、海神と直結したようなこの衝撃は至福そのものだった。本来ならば人魚の生活は水中にこそあり、波に戯れるのは日常の一端にすぎない。だが今回は違う。海神の力を媒介にしてその快感が何倍にも増幅されている。
ただ喜ぶだけでは終わらない。ワネットは腰に絡みついた釣り糸に魔力を込めると、再び海流を逆巻かせた。渦が逆流し、釣竿を引く力と正面からぶつかり合う。
彼女の身体は前後から強烈に引っ張られ、肉体が裂けんばかりの衝撃に晒される。周囲の海面も荒れ狂い、白波が立ち上がり続けた。だがワネットは恐怖どころか歓喜を深めていく。
「海流サイコー!」
荒波に飲み込まれながら、彼女は無邪気な子供のように笑い声を上げた。その瞳には緊迫も苦悶もなく、ただ操る快楽への渇望が輝いていた。