「まったく無銭飲食してるな。うちは果物狩りはやっていないんだ」
セオリアの声には、曇天の空気よりも重たい怒気が混じっていた。湿気を含んだ温い風が頬を撫でるが、それすらも彼女の表情を和らげることはない。果樹園の土の匂いと熟しかけた果実の甘い香りの中に、異物のように混じる獣臭。彼女はその全てを敵と見なしていた。
この果樹園は、彼女がほぼ1人で守ってきた場所だ。苗を植えた日、最初の花が咲いた日、そして収穫の喜び。それらは全て積み重ねた努力の証であり、簡単に踏みにじられるものではない。
「……ここまで接近されていると、対処方法は限られますね」
ララクは木々の間をすばしこく動く赤い影を目で追いながら、呼吸を浅く整えた。(不意打ちに【テレポート】で遠くまで飛ばすことはできるけど、一時しのぎにしかならないし)
枝の間から一瞬見えたランブータンの大きな瞳が、こちらを値踏みするように覗いていた。追い払うだけなら簡単だ。だが、奴らはまた戻ってくる。ここで捕縛か討伐しなければ、被害は繰り返されるだけだ。
「まずは私が妨害するから、あとはどうにかしくれ。夢にまで出てくるんだ」
セオリアの声には疲れと決意が混じっていた。彼女は一歩前に出ると、指先に濃い魔力を集め始める。空気がかすかに振動し、枝葉の揺れとは違う緊張感が辺りに満ちていく。曇り空からの淡い光が、その指先に集まった力をかすかに照らした。
「2人とも、耳を閉じていることを推奨するよ」
「? ……準じます」
「ド派手なのはなしじゃないの?」
ゼマは少し不満げな声を漏らすが、言葉とは裏腹にしっかり耳を塞ぐ。ララクも同じ動作をしながら、さらに【聴覚保護】のスキルを発動した。膜のような感覚が耳の奥を包み、外界の音がわずかに遠ざかる。
そして、セオリアが静かに口を開いた。
「【音爆弾・レ】」
空中に、黄色の音符がふわりと現れる。音符の丸い部分は柔らかく脈打ち、尾の部分は揺らめく光の糸で編まれていた。魔力で形作られたそれは生きているかのように小さく震え、次の瞬間、弾かれるように前方へ飛ぶ。
直後、爆ぜた。
破壊音ではない。空気が裂け、耳の奥に直接叩きつけられるような甲高い音が果樹園全体を満たす。目には見えない衝撃波が枝葉を激しく揺らし、果実が細かく震え、甘い香りが風に散った。ララクとゼマは保護されているにもかかわらず、胸骨に響く重低音のような振動を感じる。
「っギャ!」
ランブータンたちが高い悲鳴を上げ、枝の上で飛び退く。大きな瞳が恐怖に見開かれ、耳を押さえながら身を縮める。鼓膜を突き刺すような音は、彼らの動きを確実に封じ込めていた。果樹園の空気が、一瞬で戦場のそれへと変わった。
「……んなっ(なんだこのスキルは、【サウンドバースト】じゃない?)」
耳を揺らす余韻が残る中、ララクは顔をしかめた。効果の仕組みは似ている。だが、自分の知るそれは単純に音を爆ぜさせるだけで、あんな形を持った音符など生み出せない。オレンジ色の輝きが、まだ瞼の裏に残像を焼きつけていた。
「予習復習完璧の奴がいるね。……だったら」
セオリアの目が鋭く細まり、木々の間を探る。その視線の先では、【音爆弾・レ】を真正面から受けてもなお、必死に耳を押さえ込み、歯を食いしばって枝にしがみつくランブータンたちが数匹いた。毛並みは逆立ち、鼻から荒い息を吐き、長い尾で枝を支えて揺れを殺している。瞳は血走り、果実への執着だけで耐えているのが見て取れた。
木の葉が風で擦れる音の奥、彼らの小さな呻き声が混ざっていた。降ろすのは容易い。しかし、ここで確実に視界も奪ってやらなければ、再び果樹園に舞い戻るだろう。
セオリアはためらうことなく、次の魔力を指先へと集束させた。空気が緊張で張りつめ、蝉の声すら遠のいていく。肌に纏わりつく湿気が一層濃くなり、額にじっとりと汗が滲んだ。
「今度は視界に注意せよ」
「? 今度は目ですか。【視覚保護】」
声を拾えたのは、かろうじてだった。ララクはすぐさまスキルを起動し、眼球の奥に薄い透明の膜が広がる感覚を覚える。光を鈍らせる守りだ。隣のゼマも片手で額を覆い、瞼を半分閉じたまま構えた。
「【音爆弾・レラ】」
空中に現れたのは、オレンジ色に黄色が溶け合った音符。輪郭は揺らぎ、内部では金の粒子が弾けるように瞬き続けている。それは【音爆弾・レ】と【音爆弾・ラ】、二つのスキルを絡め合わせた複合魔術だった。
音符は緩やかに前進し、狙いを定めた瞬間、空気を裂くように破裂。轟く音が骨まで響き、果樹園全体が揺れる。その直後、瞼を閉じていても刺し込んでくるほどの閃光が視界を貫いた。色彩が一瞬で奪われ、全てが白く塗り潰される。
【ラ】の性質ゆえ、肉体への直接的な損傷はない。だが、音と光の二重の衝撃が、耳を塞いで耐えていたランブータンたちの平衡感覚を粉砕した。
「ギャ!」
悲鳴とともに数匹が枝から転がり落ち、葉の隙間を抜けて地面に叩きつけられる。残った者も尾で必死に体を支えながら、ぐらつく視界と吐き気に翻弄されていた。
お膳立ては、これ以上ないほど整っている。