祝・追放100回記念 9巻   作:高見南純平

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第439話 

 それから私たちは共に過ごすことになった。1人増えたけれど、家は元の大きさのままで、寝るときの布団の間隔は少し狭くなったし、食卓も手狭になった。けれど不思議と窮屈には感じなかった。むしろ、生活の音が濃くなって、毎日が少しにぎやかになった気がした。食事も、そのために必要な食料も、洗濯物も1人分増えた。今思えば、子供が1人増えて生活的には大変になったはずだ。だけど当の母は、「人手って、すんごく貴重だね。そろそろ近くの海猫にでも助っ人を頼もうかと思ってたんだ」と、果樹園の手伝いが増えたことに大いに喜んでいた。

 

 果樹園は海風に揺れる葉の音、熟れかけた果実の甘い香り、鳥の声で満ちていた。母は高い枝に登り、手際よく果実をもぎ取っては下に落としていく。私とハピナは籠を抱え、それを受け取ったり拾ったりしながら作業を進めた。小さな体で背伸びをして、2人で顔を見合わせて笑い合うたび、果樹園に賑やかな声が響いた。

 

 けれど、もちろんうまくいかないこともあった。ハピナは夢中になって動くうちに、籠を抱えたまま尻もちをつき、収穫した果実を一気にぶちまけてしまったのだ。

 

「きゃっ……! あっ……!」

「ハピナ! 籠、籠!」

 

 慌てて果実を追いかける私の横で、母は木の上から「大漁だねぇ」と明るく声を響かせた。その言葉につられて、私とハピナも結局笑ってしまう。土で少し汚れた果実を拾い集めながら、ハピナは顔を真っ赤にして「ごめんなさい……」と小さくつぶやいた。

 

「大丈夫。食べられるし、次は気をつければいいよ」

「……うん」

 

 休憩時間には母が木陰に座り、私たちに果実を割って渡してくれる。滴る果汁で手がべとべとになりながらも、冷たくて甘いその味は、汗をかいた体にしみ込むようで、思わず目を細めた。ハピナは口の端に果汁をつけたまま、にっこりと笑っていた。

 

 農家の仕事は確かに体力勝負だった。小さな私たちにできることは限られていたけれど、手を動かすたびに母が喜び、家に実りが増えていくのを感じると、役に立てている実感が心を弾ませた。

 

 夕暮れ、作業を終えて果樹園を歩く3人の影は並んで揺れていた。ひとり増えたその影は確かに形を変えていて、それが胸の奥でじんわりと嬉しかった。

 

 3人で果樹園を歩き回るその時間は、毎日少しずつ違う景色を見せてくれる。枝の影、果実の色、海風の強さ、そして並んで働く私たちの声。そのひとつひとつが重なって、この家の暮らしに新しい彩りを加えていった。

 

 夕暮れ時になると、母は井戸水で手を洗い、台所に立つ。今夜の食卓は、朝に釣った魔鯵を香草と一緒に焼いたものが主役だった。皮はこんがりと焦げ目をつけ、ほろりと身が崩れるたびに、潮の匂いと油の香りが混ざり合って鼻をくすぐった。畑で採れたトマトと胡瓜は粗く切って塩で和え、庭のレモンを搾って酸味を加える。大皿の中央には母がこねて焼いた素朴な丸パン。表面は香ばしく、手で割ると中から湯気がふわりと立ちのぼった。

 

 私は焼きたてのパンをかごに並べ、ハピナは水差しと皿を運ぶ。母が魚を大皿に移すと、台所に漂う匂いが一層濃くなった。油のはねる音、木の食卓に並んでいく料理、椅子を引く音。ひとつひとつの小さな響きが、賑やかに家を満たしていく。

 

「わぁ……幸せな匂い」

 

 ハピナは思わず顔をほころばせ、皿を両手でしっかり抱えたまま、椅子に腰を下ろした。彼女の視線はすぐに焼き魚へ吸い寄せられ、口元に小さな笑みを浮かべている。

 

 母が切り分けた魚を一口頬張ると、皮の香ばしさと身の甘みが広がった。パンをちぎって汁を吸わせると、塩と魚の旨味がじんわりと染み込み、噛むほどに満たされていく。トマトの酸味と胡瓜の歯ざわりが口の中をすっきりと整えてくれて、島の食卓らしい素朴さがあった。

 

 ハピナは魚よりも、母が商店で買ってきてくれるナッツをつまむのが好きで、袋を開けると宝物を扱うみたいに大事そうに抱えていた。私は果物の方が好きだから、母に何かをねだることはあまりなかったけれど、テーブルに果樹園の蜜柑が並んでいると自然に手が伸びた。

 

 食事を終えると、3人で片付けに取りかかる。皿を洗う音と水の冷たさ、拭きあげた食器が棚に収まる軽い音。それらが重なり合って、今日の終わりを告げる合図になっていた。

 

 島での生活は、魚を釣り、野菜を育て、果樹を世話する自給自足が基本だった。調味料や塩、布や石鹸といった生活必需品は、港近くの小さな商店で手に入れる。そこは寡黙な夫婦が営んでいて、私たちの事情に首を突っ込んでくることもなく、必要なものを淡々と揃えてくれる場所だった。母が人を避ける性格なのもあって、その静かな商店は、私たちには必要不可欠な拠り所になっていた。

 

 だから、少女が1人増えても、あちらから声をかけられることはなかった。ただ買い物袋を受け取り、短い挨拶を交わすだけ。けれどハピナはその買い物の中で小袋のナッツを見つけると、いつも目を輝かせて母に見せ、笑顔で抱えて帰った。

 

 そんな日々が、気づけば1週間、2週間と過ぎていった。1人増えた生活は、想像よりも早く当たり前のものになっていて、島の風や果樹園の匂いに溶け込むように、私たちの日常へと馴染んでいった。

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