「王都のギルドにて、王女の目撃情報があり、はせ参じたのです……! ……また、信憑性のない噂話だと思ったのですが……! まさか、こんな健旺な姿を拝めるとは……!」
大臣の声はかすれ、しかしその中に確かな確信が宿っていた。イカ特有の丸い黒目が潤み、光を受けてきらきらと震えている。涙は大粒になり、今にも頬を伝って落ちそうだった。背後で控える兵士たちも固唾を呑んでいる。彼らの鎧がわずかに擦れる音が、張り詰めた空気の中でよく響いた。
「あ、あんたマジでまことの王女様なん? セオリアは、偽名?」
ゼマが食いつくように身を乗り出した。口元には先ほどまで桃を頬張っていた痕跡が残るが、そんなことを気にする余裕もない。大きな瞳が興奮に揺れていた。
「……ややこしい人生なんだな、これが。……色々と説明を省くとしたら……記憶喪失だったんだ」
セオリアは短く言い切った。声は落ち着いていたが、その奥には疲労とも諦念ともつかぬ色が潜んでいる。
「んな、なんと! あの船旅で嵐に巻き込まれた際に、ですか……!? それで長い間、ここで暮らしていたというのですか?」
大臣の言葉が熱を帯びる。後ろの兵士たちが顔を見合わせ、動揺を隠せない様子だった。過去の存在としてしか語られなくなっていた王女が、いま自分たちの目の前にいるのだから無理もなかった。
「……時間が経てば、いずれその時はやってくると思っていたんだ。記憶はもう、戻っているんだ」
セオリアは息をひとつ吐き、言葉を継いだ。周囲の視線の重さに押し潰されそうになりながらも、顔を伏せず答える。その姿に、大臣の瞳からついに涙が溢れた。
「はぁ、レーマ王女……! あなた様を守れなかったのは側近の、私の責任……! 辞任しようと何度も思いましたが、再びその姿を王の元へ返すまでは……と。はぁ、夢見た日が……目の前に……!」
感極まった大臣は堪えきれず、ぐっと前に踏み出した。長い触腕の先が微かに震え、彼がどれほど心を揺さぶられているかがよく伝わる。その後ろで兵士たちも目頭を押さえる者さえいた。
だが、セオリアの表情は硬い。大臣が伸ばしかけた手を受けるでもなく、わずかに視線を外し、口元に曖昧な笑みを浮かべただけだった。心からの喜びとは違う、どこか距離を置いた反応。
その温度差に気づいたのはララクだった。
(とんでもない状況に立ち会ったな。……でもセオリアさんの様子が……。もしかしてまだ、記憶が完全に戻っていないとか?)
胸の奥にざらついた感情が広がる。場の中心で交わされる熱烈なやりとりに、ララクは完全に置いていかれていた。ただ黙って、目に映る全てを観測するしかなかった。
「……レーマ王女、これまでのお道のり、ぜひ、ぜひ私に、国民に、王家にお聞かせください」
とさらに大臣が近づこうとした時だった。外にいる兵士たちがざわめき始める。甲冑の擦れる音、慌てて走る足音が立て続けに響く。その騒ぎは王女を前にした喜びの声ではなく、切迫した空気を帯びていた。
1人の兵士が駆け込んできた。息を切らし、手に握ったメッセージ石が青白く光を放っている。兵士はそれを胸元で押さえつけながら叫んだ。
「き、緊急事態です……!」
「なんだこんな時に、こっちも緊急どころじゃないだろう!」
大臣は苛立ちを隠さずあしらうが、その次に飛び出した言葉に、顔を兵士へと完全に向け直した。
「お、王都が、王城が襲撃されました!」
「!? し、城が!?」
衝撃に場が凍り付く。王都ミズクアには王家の象徴たる城がある。王と王妃、王子をはじめ、守りや仕える者たちが共に暮らす場所だ。本来なら城を守っているはずの兵士がここにいること自体が、王城を脆弱にしてしまっていた。
兵士は必死に続ける。
「王族に被害はなし! 敵はおそらく蒼濤派閥アスビアヘルム!」
その名を聞いた瞬間、ララクは脳裏に鮮やかな記憶を呼び起こされた。
トライデントバトリアでの潜水競技。旧都市で遭遇したシャークス族の男。主催者マスターの予想では、海神教の過激派・蒼濤派閥アスビアヘルムの信者だと。その目的は、海に存在する人工的な陸を破壊する事だ。
(本当にテロリストだな……。王家を襲撃するなんて……)
自分がとてつまもない思想犯と戦っていたことを再確認して、少しぞっとした。
「……軽症者多数……そして海神の祠が強奪されたとのこと……!」
「う、海神様の祠が……!? っく、あやつらやはり諦めていなかったか」
大臣の声には怒りと悔恨が混じる。
海神の祠。それはただの祭壇ではなく、祈りを捧げることで実際に海神を呼び出すことができると伝えられる神聖なものだ。
(なんかあのカニイカ貴族海賊がいってたな)
ゼマはこの国に来る際に襲撃してきたイカ男爵、タコ箔爵のことを思い出した。彼らのような海賊や過激派の海神教者が、王族の管理する祠を狙っていると口にしていた。そして今日、それが実行された。
まるで大臣が兵士たちを連れてきて、城を手薄にした瞬間を狙っていたかのように。