「さぁ、話をしよう。お嬢さん」
スバルの前には、椅子に座った一人の大人がいた。
マダムからもらった事前情報が書かれた一枚の書類。
その左端に添付されていた写真の男。書類の写真は、顔がターバンによって隠され、見た目などほとんど分からなかった。しかし、スバルはきっと目の前のこの大人こそ、自分たちが狙っていた目標の所有者であり、このバアス旅団の統領である、「もう一人の先生」なのだと直感した。
口ひげを生やした大人の男性。ここギヴォトスでは、あまり見ることのない姿。いや、そもそもスバル自身、アリウスの外のことなど知ることがないために、これが、この男が、自分の見る二人目の大人の姿であった。
「話すことなど、ありません」
強い眼光だった。未だ傷だらけの姿ではあるが、しかしその生き方のせいであろうか。暮らし方のせいであろうか、まだ生きているからであろうか、スバルは力強くそう答えた。
二人の間に少し静かな時間が過ぎる。数日前まではパンパンに詰められていた子の看護テントも、ギヴォトス人の身体能力のおかげか、すでにこの部屋にはスバル以外、誰も床に伏せていなかった。それに気が付き、最初に沈黙を破ったのは誰でもなく、スバル自身であった。
「他の.....他の子たちは.....」
小さな声で、先ほどの力強さが見えなくなるほど、小さな声でつぶやいた。テントに
昼間の風が少し吹いてくる。テントの入り口を通って、二人の髪を少しなでる。スバルの見る大人は、その声にこたえることなく、スバルのベットの横にある小さな机の上にあったタバコの箱から一本を抜き出す。ブラックマーケットに流通する、粗悪品のタバコだ。
口にくわえ、タバコの横にあるマッチで火をつけて、そして吸う。スバルには初めて見るものだった。タバコの存在は知っていたが、吸う人間は見たことがなかった。日に照らされ、黒くなり、かさかさとなった唇から、紫煙の煙が吹かれる。男は、何でもない風に答えた。
「ここにはいない」
「ここにいないなら....どこに?」
「ここから少し離れた仮設のテントにいる」
「いる」らしい。ということは、生きてはいる。スバルは少し、胸をなでおろした。男は、少し目をつぶって、タバコを吸っている。スバルは、質問攻めされるか、拷問されるモノかと思っていたので、この何もない静かな時間が実に恐ろしかった。予測がつかないという物は、どうしても怖い。
「他に何か聞きたいことはあるかね」
男は目をつぶったまま、そう言った。気味が悪い。何を考えているかが分からない。しかし、この時間は好機でもあった。相手がどんな人間かは知らないが、もしシャーレの先生と同じであれば、この男は弾丸一発でも死に至るほどに虚弱で、そして貧弱だ。隙を見て、逃げ出すことも、強襲して命を奪うことだってできる。であるならば、スバルは考える。きっと、先決すべきはこの大人から情報を抜き出すことであろう。
「ないのであれば、一つ聞こうか」
男は、灰を小さな灰皿へ落とした。
「君たちは、何故私のところへ来た?」
「……答える必要はありません」
「そうかね」
あっさりと返された。
スバルは少し拍子抜けした。
もっと問い詰められるものだと思っていた。なのに、この男はまるで質問そのものに大した意味がないとでも言うように、再び煙草を口元へ運んだ。
「では、質問を変えよう。君は、あの書類に何と書かれていた?」
「……」
「私の写真があったのだろう?」
「……知っているんですか」
「知っているとも」
男は平然と答える。いや、少しほほに笑みを浮かべている。
「君たちの仲間の一人が、昨日教えてくれた」
「……っ」
スバルの顔が強張った。
「誰が……」
「誰か、までは言わないでおこう」
「……」
やはり、尋問を受けているのだろうか。後輩たちが、別のテントとやらで何かひどい尋問や拷問を受けているかもしれない。であるなら、すぐにでもこの男を地に落とし、助けに行くべきだ。先輩としての務めだ。しかし、理性がそれをすぐに止める。情報を聞き出さなくては、この男の狙いを、目的を、そして私達の立ち位置を。しかし、男の口から出たそれは、思っていた最悪の状況より、ずいぶんと軽いものであった。
「別に責めることでもない。私が少し世話を焼いただけだよ。食事を持って行って、傷の具合を聞いて、君たちはここで何をしているのかと尋ねた。それだけだ」
淡々とした口調だった。
「そうしたら、その子は勝手に話し始めた。アリウスにいた頃のこと。今回の任務のこと。君たちが何を求めていたのか。……そして、少しだけマダムのこともね」
「…………」
スバルは俯いた。
馬鹿だ。
そう思った。
この男は、自分たちが考えている以上に恐ろしい。
銃も持たず、怒鳴りもせず、何一つ脅しもしない。
それなのに、自分たちから情報を吐かせている。
これが「先生」なのか。
自分が知っているもう一人の大人とは、あまりにも違う。
「……何を、どこまで聞いたんですか」
「まず、今回の目的は私だ。これは間違いない」
「……」
「私の身辺にあるいくつかの書類。そして、私の服」
「……そこまで」
「それと、君たちは私の正体を知りたがっている」
スバルは顔を上げた。
「…………正体?」
スバルは、その言葉を繰り返した。自分でも、間の抜けた返事だと思った。だが、それほどまでに予想していなかった言葉だった。男は相変わらず椅子に腰掛けている。片手には火の消えかけた煙草。もう片方の手は膝の上に置かれている。先ほどまで細く立ち昇っていた煙は、今ではほとんどなくなっていた。
「そうだ。君たちは私について、何か知っているのだろう?」
「……」
「少なくとも、私の写真を持っていた。ならば、何も知らずに襲ってきたわけではあるまい」
男の声は静かだった。責めるような響きはない。だからこそ、スバルには余計に不気味に感じられた。
怒鳴られる方がまだ分かりやすい。銃を突きつけられた方が、まだ対処のしようがある。いつも通り、アリウス流のやり方で済ませればよいだけだ。
しかし、この男は何もしてこない。ただ、こちらの答えを待っている。
それが、怖かった。
「……少し、だけです」
「ほう」
「あなたについて書かれていたことは、少しだけ」
「なるほど」
男は、そこで追及をしなかった。スバルは目を細める。話してしまった。しかし、この程度なら許容範囲内だろう。必要最低限の情報だ。コラテラルダメージだ。そう、自分に言い聞かせた。
「では、君たちが知っている私について、教えてくれないかね」
「……嫌です」
「そうか」
また、あっさりと引いた。いったい何なんだろう、この男は。スバルは思わず男を見る。
男は少しだけ首を傾げた。
「な、なんですか」
「いや。随分と素直に拒絶するものだと思ってね」
「……」
「感心しているのだよ」
「感心……?」
「自分が話すべきことと、話してはいけないことを区別できている。それは大事なことだ」
男はそう言って、煙草を灰皿に押し付ける。
じゅ、と小さな音がした。
「少なくとも、私は好きだよ。そういう生徒は」
「……生徒じゃありません」
「そうかね」
「私は……あなたたちの敵です」
「知っている」
男は即答した。そして、ほんの少しだけ笑った。
「だから、君に何でも話せとは言わない」
「……」
「こちらも、君が何を話すべきでないかくらいは分かっているつもりだ」
スバルは、その言葉を聞いて僅かに眉を動かした。
妙な男だった。自分たちのことを調べている。仲間から情報も抜き取っている。それなのに、自分には話したくなければ話さなくていいと言う。
一体、何を考えている。
そう思った。そして同時に、もう一つ気がつく。この男は、自分たちを「敵」としてだけ見ているわけではない。ならば、少なくとも、自分が今すぐ殺される可能性は低い。だが、もし殺されるなら、もし無事で帰れないのなら、もう少しだけでも情報を引き出すべきだろう。アリウスに帰るために。後輩たちを無事に返すために。少なくとも、そうすればマダムも彼女たちを無下にはしないはずだと。
スバルは、そう判断した。
「……では」
「うむ」
「あなたについて、私が知っていることを聞いてどうするんですか」
「確認する」
「何を?」
「私がどのように見られているのかを」
「……」
男は答えながら、テントの外へ目を向けた。
入口から差し込んでくる日差しが、その横顔を照らしている。
日に焼けた肌。伸びた髭。くたびれた背広。ここ数か月、この砂漠で過ごしてきた男の姿は、大学教授という言葉からは随分と遠い。それでも、どこか姿勢だけは崩れていなかった。
「私は研究者なのでね」
男はそう続けた。
「人が私をどう認識しているか、というのは少々興味深い」
「……研究者」
「そうだ」
「何を研究しているんですか」
「人間だよ」
「……人間?」
「人間が何を考え、何を信じ、どうしてそのような行動をするのか。それを調べる」
スバルは少しだけ黙った。
「……それなら」
スバルは、男の顔を見る。
「私のことも調べるつもりなんですか?」
「もちろん」
男は迷いなく答えた。
「だから、こうして話をしている」
「……正直ですね」
「嘘をつく必要がないからね」
男はそう言って、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
「さて」
「……?」
「外へ出ようか」
「どうして」
「君は先ほどから、ずっと仲間のことを気にしているだろう?」
「……」
「見てみればいい」
スバルの胸が、どくん、と鳴った。
「……何をしたんですか」
「何もしていない」
「……」
「だから見れば分かる」
その言葉を聞いても、スバルはすぐには動かなかった。罠かもしれない。
自分を外へ連れ出して、何か別の場所へ移すつもりなのかもしれない。
あるいは、自分の仲間たちを人質にしていることを見せつけ、抵抗を諦めさせようとしているのかもしれない。
だが。それなら、ここまで静かに話す必要があるだろうか。スバルは考え、そしてゆっくりとベッドから身体を起こした。
「……分かりました」
「うむ」
男はそれ以上、何も言わなかった。二人はテントの外へ出た。
その瞬間、強烈な日差しがスバルの視界を白く染めた。
「……っ」
思わず目を細める。
数日間、薄暗い看護用テントの中で過ごしていたせいだろう。外の光は思った以上に眩しかった。乾いた風が吹く。砂が地面を這うように移動し、靴の周りに小さな山を作っていく。男は特に何も言わず、そのまま歩き始めた。テントの外は襲撃したあの夜よりも鮮明に見えた。小高い砂岩の岩山の周りに、大小色とりどりのテントがひしめき合っている。学校というよりも、小さな町に見えた。男は、テントが両脇に並ぶ少し広い道を歩いて、どこかへ向かう。
今ならやれる。そう思った。
手には何も持っていない。銃もないし、恰好は病院の患者のような簡素なものだ。しかし、別に問題はない。相手も丸腰であり、なおかつ外の人間とギヴォトスの人間であるということを考えれば、鎮圧なんてすぐにでもできる。しかし、スバルは何も言わずにその後をついていった。
5分ほど歩いたところで、遠くから何かの声が聞こえてきた。
「もうちょっと早く!」
「待って、そんなに急に走らせたら危ないって!」
「大丈夫だよ!」
「大丈夫じゃないよ!」
女の子の声。
二人が同時にそちらを見る。
「…………」
スバルは立ち止まった。
目の前にあったのは、数十頭の馬だった。
砂漠の一角を簡素に囲っただけの場所。そこを、何人もの少女たちが馬に跨がって行き交っている。そして。
「……え?」
その中に、知っている顔があった。自分と共にここへ来た後輩。先ほどまで自分が心配していた少女だ達だ。傷はまだ残ってはいるが、アリウスの訓練の時と比べれば、かすり傷程度の物。そんな彼女たちが、あの夜撃ち合っていたバアス旅団の少女たちと同じ馬にまたがっている。
「スバル先輩!」
一人のアリウス生徒がこちらに気づいた。
「起きたんですか!」
「…………」
スバルは答えられなかった。少女はそんなことも気にせず、笑った。
「見てください! これ、楽しいですよ!」
「……何をしてるんです」
「馬に乗ってるんです!」
「それは見れば分かりますが……」
思わずそう答える。少女は笑いながら馬にまたがっている。なんなら、ずいぶんとテンションが上がっているのか、操縦をしているバアスの少女が、必死に後輩と馬をなだめている。みんないる。あの日、逃がしたあの三人以外は。その周囲には、他の旅団の生徒たちもいた。
誰も銃を持っていない。誰も怯えていない。アリウスの生徒たちとシャハーダの生徒たちが、同じ場所で笑っている。
その光景が、スバルには理解できなかった。
「……どうして」
「ん?」
隣でロレンスが答える。
「どうして、って何がだね」
「……あの子たちは」
スバルは馬場から目を離せないまま言った。
「捕まっているんじゃないんですか」
「そうだよ」
「だったら……」
「だから遊んでいる」
「……意味が分かりません」
スバルは男を見る。
「私たちは、あなたたちを襲ったんですよ」
「ああ」
「仲間を傷つけた」
「ああ」
「殺そうとした」
「ああ」
「なのに……」
言葉が続かなかった。男は、そんなスバルの横顔を見る。
「君は」
「……」
「敵になったら、遊ぶことも許されなくなると思っているのかね」
「……」
「少なくとも私は、そうは思わない」
ロレンスは、馬場を見た。
「戦ったことは、戦ったことだ」
風が吹いた。男の髭が揺れる。
「だが、戦っていない時まで戦場である必要はない」
「だったら、どうしてあの子たちを自由にしているんですか」
「自由?」
男が馬場を見る。
「そう見えるかね?」
すこし、ニヤついた顔だ。つかみどころのなく、神経を逆なでするようなその喋りは、まったく似ていないが、その姿にあの腹の立つスクワッドのリーダーを垣間見る。眉間にしわが寄るのを感じながら、もう一度場場を見る。
よく見れば、確かに完全な自由ではない。武器は取り上げられている。馬場の外には監視がいる。布で覆っているが、形状的にもAKであろう。逃げようとすれば止められる。少なくても、武器を持っていない現状では太刀打ちできない。
もしかすれば、先ほどのテントの中でも、歩いている途中も、どこかで見られていたのかもしれない。
「……監視している」
「当然だ」
「信用してない」
「していない」
即答だった。
「じゃあ……」
「それでも遊ばせている」
男はそう言った。
「私は敵を信用していない。だが、信用していないからといって、人間として扱わない理由にはならない」
「……」
それは、アリウスで育ったスバルにとっては、ずいぶんと生ぬるい発言だった。ひどく、傲慢だ。持っているものが、恵まれているものが唱えることのできる詭弁だ。
「君たちが次に私たちを襲うなら、私は止める」
淡々とした声だった。
「必要なら、今度は容赦なくね」
スバルは息を呑む。男は笑っていない。
「だが、今はそうではない」
馬場の方へ目を戻す。
「だから、今は遊ばせている」
スバルは黙った。この男は優しいのではない。線を引いているのだ。敵と味方。戦闘と非戦闘。必要と不要。アリウス流のそれとは大きく異なるが、きっとこれだけは似ている。線を越えた者にはきっと容赦しない。そういう人間なのだ。底抜けの善人か聞かれれば、きっと違う。でも、スバルにとってこの男はマダムと同じ、「大人」なのだろうとそう思った。
「……あなた」
スバルは小さく呟いた。
「本当に、怖い人ですね」
「そうかね」
「はい」
「なら、それでいい」
「……」
「恐怖は、判断を慎重にする。人間、持っておかなくてはならない感情だ」
男は、それだけ言った。スバルは再び馬場へ目を向ける。後輩たちは笑っている。少なくとも、今はそうだ。それを見て、胸の奥にあった緊張が、ほんの少しだけ緩んだ。
だが。それでも。
情報を話すつもりはない。仲間が無事だと分かった。食事も与えられている。傷も治されている。それでも、この男は自分たちの敵だ。私達は、アリウスで、ここは敵の拠点だ。味方ではないのだと。もう一度、自分に言い聞かせる。
「……質問してもいいですか」
「もちろん」
「あなたは、何故学校を作るんですか」
男は少しだけ目を見開いた。
「それを聞くのかね」
「……気になっただけです」
「そうか」
男は馬場の少女たちを見る。遠くでは歓声が上がっている。馬が砂を蹴る音。アリウス生徒とシャハーダ学院の生徒たちの笑い声が、何もないこの不毛な砂漠の空にこだましている。
男はその光景をしばらく眺めたあと、男は静かに言った。
「それなら、話そうか」
スバルは頷かなかった。ただ、男の言葉を聞く。聞くだけだ。今は、それだけでいい。
自分から情報を渡すつもりはない。そう心の中で繰り返しながら。
作品を書いたことも忘れた頃に、感想が来ました。
何度も読み返していると。少し、瞼の奥が熱くなって、また書くことにしました。
もしかすれば、いろいろ修正するかもです。