あれから数日が経過した。
アリウス生徒たちの緊張は最初の頃より解れたのか、少しづつ話してくれることが多くなってきた。アリウスという名の学校。私はもとよりキヴォトスのことはほとんど無知に近く、何も知らなかったが、アティク達も知らないとなると、ずいぶんと秘匿された学校なのだろうと思う。
アリウス分校。あのトリニティ総合学園の失われた分校。現在は、マダムと呼ばれる女性が支配する地獄のような場所なのだという。貧困にあえぎながらも、トリニティとゲヘナに憎悪をたぎらせ、怒りの矛先を向けながら、いつか来るこの二校への復讐のため、訓練と称される過酷な技術を学ぶ。
「やはり、ずいぶんと酷な世界だな。このギヴォトスという場所は」
いつもの執務室。テントの中で、私は山積みになった書類に溺れながら、学校設立のための次の一手を考えていた。バアス旅団が解体になったという事実。それに対して、現在ギヴォトスの傭兵界隈には激震が走っていた。
何かの陰謀だとする説や、連邦生徒会が裏で動いたのだという説、はたまた実はまだ旅団は解体されておらず、大きな事件を起こすために闇に潜んだという説。どれも唯の噂程度ではあるが、もしかすればそれらの根も葉もない噂で、不用意な厄介ごとに巻き込まれるかもしれない。いや、すでに巻き込まれた後なのではあるが。
アリウス。トリニティ。いくら聞いてもこれらが、キリスト教に由来する用語であることは、事実であることを確信する。あのゲマトリアを名乗る研究者集団のゴルゴンダが言うには、これらの記号はすでに私がこの世界に迷い込む以前から、この世界に存在したものだという。トリニティから迫害されたアリウス。アリウスといえば、第1ニカイア公会議にて、異端認定を受けたキリスト教アリウス派が思い浮かぶ。
彼女らがゲルマン人であるようには見えないが、しかしながら異端とされ、迫害せれ、そして武力を以ってトリニティに報復しようとするその姿は一定の類似性を感じさせる。
深い思考の中で、突然テントの幕が翻る音がした。布切れを上げて、こちらにやって来たのは、シャハーダ学院の生徒会会計太秦アーファであった。
「せ、先生...収容テントの件について、新しい報告が...」
「うむ」
アーファは、アリウス生徒を収容しているテントの管理、運営を任せられていた。捕虜人数12名の、この収容所は現状において最も管理の厳しい学院施設になっている。といっても、警備が常時就き、脱走を見張る生徒がいるといったものだ。
「話は聞けているかね」
「はい。先生の読み通り、ここ数日は口を開いてくれる子たちも増えてきています」
管理をする生徒に徹底づけたいくつかの義務の中に、最も厳重にしているものがある。それが、『相手を人らしく、そして客人のようにもてなしなさい』という物だ。これは、ただ単に彼女らの境遇を憐れんでとかそういったのものでは決してない。より、計算に基づいての物であった。
彼女らの受けた訓練は、極めて徹底した軍事訓練であった。その中においては、捕虜になった時の対処法もあったであろう。口を割らない方法。それは、拷問・尋問を受けることを念頭に入れ、それらの苦痛やストレスに対抗してのものである。故に、その逆についての教育は受けていないと踏んだのである。
慰められ、癒され、施され、心を懐柔されそうになった時の対応。これは、実際に事例が存在する。それが、二次大戦期の日本兵に対するアメリカ軍の対応である。すべてがすべてそうであったとは言わないが、捕虜になった日本兵は、拷問と尋問を覚悟したにもかかわらず、それらがなく、人間扱いされた事実、施されたという事実に対して、何か返礼をしなくてはならないという心理が発生したのか、自分の持つ情報をアメリカ軍に渡した。
心理学的なロジックも確かあったが、それらはどうでもよい。事実は、彼女らに対するこれらの行為が有効に働いたということだけだ。
手元にあるタバコに火をつけ、アーファの言葉に耳をかたむける。スバル君が私に下した評価である『怖い人』。うむ。実に全うな評価だと確信する。私は善人などでは決してない。すでに私の中では、彼女らの存在すら、この学院設立と運営のための一齣として、咀嚼している。
「まったく、もってその通りだ。スバル君。私は実に....」
紫煙は風に吹かれ、テントの外にへと流れていった。
------------
アーファからの報告を最後まで聞き終えると、私は灰皿にタバコを押し当て、ゆっくりと立ち上がった。
「ご苦労だった、アーファ。引き続き、彼女たちには『客人』としての待遇を維持しなさい。ただし、決して隙は見せないように」
「は、はい、先生。お任せください」
一礼してテントを出ていく彼女を見送りながら、私は机の引き出しを開けた。そこには、先日アリウスの生徒たちを武装解除した際、彼女らの私物として押収したものの一部が保管されている。
私はその中から、鈍い銀色に光る小さな長方形の金属――ハーモニカを手に取った。
傷だらけで、所々凹みのあるそれは、持ち主が過酷な環境の中でどれほど肌身離さず持ち歩いていたかを雄弁に物語っていた。
収容テントに向かうと、そこには少しばかり予想外の光景が広がっていた。
ピリピリとした殺気こそ鳴りを潜めたものの、まだどこか怯えの色を残すアリウスの生徒たち。その中心に陣取り、何やら身振り手振りを交えて熱弁を振るっているのは、我が学院の切り込み隊長にしてムードメーカー、アティク。そしてその傍らには、静かに頷きながらも興味津々な様子のアリーがいた。
「だからさ! その時センセがドカンと一発……おっと、噂をすればなんとやらだ」
私の姿を認めたアティクが、パッと明るい声を上げる。それと同時に、アリウスの生徒たちの間に微かな緊張が走るのがわかった。特に、彼女らのリーダー格であるスバルは、警戒の色を隠そうともせずに私を睨みつけている。
私は歩み寄り、スバルの目の前で足を止めた。そして、無言のままポケットからハーモニカを取り出し、彼女に向けて差し出した。
「……何のつもりですか?」
スバルは鋭い視線をハーモニカと私の顔に交互に向けながら、低く唸るような声で言った。
「ただの返却さ。これは武器ではないだろう? 保管庫の肥やしにしておくには、少々もったいないと思ってね」
「…………」
スバルは疑心暗鬼の塊のような顔をしていたが、やがて恐る恐るといった手つきでハーモニカを受け取った。その指先が、愛着のある金属の感触を確かめるように微かに震えているのを、私は見逃さなかった。
「あ、それ、スバル先輩の……」
アリウスの生徒の一人が、ポツリと漏らす。
「なんだ、お前、そんなの持ってたのか!」
「いいじゃん、なんか吹いてみてよ」
アティクが無邪気に囃し立て、アリーも静かに、しかし好奇心に目を輝かせて言った。
「バ、バカなことを言わないでください! こんな状況で……」
「状況も何も、今は休憩時間だ。私たちも聞いてみたい。……だろ?」
アティクがアリウスの生徒たちにウインクを向けると、後輩たちも遠慮がちに、しかし明らかな期待の眼差しをスバルに向けた。
「先輩の演奏……久しぶりに、聞きたいです」
「私も! 先輩の演奏、大好きですから!!」
「貴方たちまで……! 意地悪じゃないですか……!」
外堀を完全に埋められたスバルは、助けを求めるように私を見たが、私はただ肩をすくめるだけだ。彼女はしばらく葛藤していたが、やがて観念したように大きなため息をつき、ハーモニカを両手で包み込むように口元に当てた。
静かなテントの中に、素朴で、どこか哀愁を帯びた音色が響き渡った。
決して技巧に富んだ演奏ではない。しかし、その無骨なメロディの中には、彼女たちが地下の冷たい廃墟で、あるいは終わりの見えない行軍の中で、互いを慰め合うために奏でてきたであろう時間が詰まっていた。アティクもアリーも、後輩たちも、静かにその音色に聞き入っている。
やがて曲が終わり、スバルはハーモニカを口から離した。テントの中に、小さな拍手がパラパラと起こる。
スバルは居心地が悪そうに視線を逸らし、照れながら目をつぶっていた。
「すごい、上手いじゃん」
「アンコール!アンコール!」
「……お断りします。実は、これしか吹けないんです」
スバルがぽつりとこぼすと、後輩たちが寂しそうに付け足した。
「あっ……楽譜って、アリウスじゃ手に入りませんもんね……」
「というか、アリウスじゃ表立って演奏するの、マダムが禁止してたしね。無駄な娯楽はいらないからだって……」
私はその言葉を聞き、静かに顎を撫でた。
すべては虚しい。それが彼女たちを縛る呪いの言葉なのだとしたら。
「そうか」
短くそれだけを言うと、私はきびすを返し、テントの外へと歩き出した。
「え、あの、どこへ……?」
背後から戸惑うようなスバルの声がしたが、私はそれに答えず、自分のテントへと急いだ。
数分後。私が収容テントに戻ってきた時、その場にいた全員が目を丸くした。
私の右手には、数枚の紙束。そして左手には、どこか年季の入ったアコースティックギターが握られていたからだ。これはD.U.に滞在した時に買ってしまった衝動買いの成果の一つであり、暇を見つけては密かに爪弾いていたものだ。
「せ、センセ……それ……」
呆然とするアティクを横目に、私はスバルの隣にどっかと腰を下ろした。そして、右手に持っていた紙束――手書きの五線譜を、彼女の膝の上に置く。
「なんですか、これは」
「楽譜だ。君がさっき吹いていた曲のね。耳コピというやつだが、大体合っているはずだ」
スバルは信じられないものを見るような目で、私と楽譜を交互に見つめた。
「私はこれしか吹けません。なんでこんなものを……」
「君がそれしか吹けないなら、私が合わせればいいだけのことだ」
私はギターを構え、ペグを回して軽くチューニングを合わせた。ジャーン、と豊潤な和音がテントの空気を震わせる。
「音楽というのは、一人で吹く孤独な気休めよりも、誰かと合わせる方が少しだけマシな暇つぶしになる。……さあ、構えたまえ。君がリードだ。私は伴奏に回ろう」
「…………変な人ですね。あなた」
「大真面目だとも。私はこれでも、文化人類学者でね。音楽ができるやつとの異文化交流には、セッションが一番だと相場が決まっているんだ」
スバルは深い溜息をつき、「仕方ないですね」と小さく呟いた。だが、その手はしっかりとハーモニカを握り直し、ゆっくりと口元へと運ばれた。
スバルの芯のある音色が再びテントに響き始める。
私はそのメロディの背中を押すように、ゆっくりとギターの弦を弾いた。彼女のブレスの長さに合わせ、時には遅れ気味になるテンポを包み込むようにコードを鳴らす。
最初は警戒し、探り探りだったスバルの音色が、ギターの伴奏に乗ることで少しずつ自信を取り戻し、伸びやかになっていくのがわかった。
計算。懐柔。心理学的なロジック。
確かに、私は彼女たちをシャハーダ学院という盤上に乗せるため、大人の狡猾さをもって接している。自分は決して善人ではないと、そう嘯いたばかりだ。
だが、この不器用な少女の音色にギターを合わせている今、私の胸の内にあったのは、もっと単純で、ありふれた感情だった。
——ただ、この子供たちに、戦いや虚無以外の「世界」があることを教えてやりたい。
キヴォトスの夜風がテントを揺らす。
アリウスの少女たちと、学院の生徒たち。本来なら殺し合うはずだった彼女たちが、一つの音楽の下で、今はただ静かに肩を並べている。
私は紫煙の代わりに、古びたギターの乾いた音色を、夜空に向けて優しく弾き鳴らした。
感想くれると咽び泣きます