アビドスのロレンス   作:チチメカ

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そろそろ本当に次の章に進める。
誤字脱字報告、お待ちしています。(?)


第二〇話:選択肢

 穏やかな日々が続いた。

 あのアコースティックギターとハーモニカのセッションから、数週間が経過した。   

 アリウスの生徒たちとの間には、奇妙な穏やかさが漂い始めていた。警戒心は完全に消えたわけではないが、彼女たちの目から「何をされるかもわからないといった絶望」のような暗い光は消えつつあった。学校の正式な成立は、エデン条約の後からであるという決まり上、やはり条約が成立しなくては、何か動こうにもそれらは結局、暇つぶしにしかならない。

 ロレンスは、その間に授業を行い、正式な学校設立までの時間をつぶしていた。授業の場所は、砂漠のテント群の中でもひときわ大きい、シャハーダの皆が会議テント、教室テントと呼ぶ場所であった。その中には、捕虜であったアリウスの生徒もいた。

 

「……さて、この地域の遊牧民たちは、オアシスに辿り着くと決まって音楽を奏で、火を囲んで踊った。これは生存競争の観点から見れば、体力を消耗するだけの『無駄な行為』だ」

 

 黒板代わりのホワイトボードを背に、ロレンスはマーカーを置き、生徒たちを見渡した。シャハーダの生徒たちが熱心にノートを取る横で、スバルたちアリウスの生徒は、どこか戸惑ったような顔で彼を見つめている。

 

「……質問いいですか」

 

 スバルが恐る恐る手を挙げた。

 

「その『無駄な行為』の知識は、戦闘において、どういった戦術的優位をもたらすのですか?」  

 

 ロレンスはふっと微笑んだ。

 

「全くもたらさない。弾除けにもならないし、空腹も満たせない。だが、人間を知るということは、この社会を生きるうえで必要なことだ。社会は人間によって作られ、そうした社会には文化が生まれる。文化を知るということは、社会を知り、社会を知るということは人を知ることになる……よし、今日の授業はここまで。皆、よく休むように」

 

 号令と共に、教室テントの空気が一気に弛緩する。授業が終われば、昼食の時間だ。ウマルが大きな寸胴鍋をかき混ぜ、外にはスパイシーな香りが漂っていた。

 

「さあさあ、並んだ並んだ! 今日の肉込みシチューは自信作スよ!」

 

 配給されたのは、具沢山の温かいシチューと、ふかふかに焼かれたパン。アリウスの生徒たちは、配られたトレイを両手で持ち、信じられないものを見るような目をしていた。

 

「……毒見は、しなくていいのか?」

 

 アリウスの生徒の一人が呟くと、隣のテーブルに座っていたアティクが笑い飛ばした。

 

「バカ言うな、ウマルの飯に毒なんざ入ってたら、私が真っ先に死んでるわ! ほら、冷める前に食え!」

 

 アティクに促されるまま、スバルは恐る恐るシチューを口に運んだ。 じんわりと胃の腑に落ちる温かさと、複雑なスパイスの旨味。アリウスの地下で齧っていた、ただ命を繋ぐだけのものとは違う。「カロリー摂取」ではなく「食事」という概念を、彼女たちの体が少しずつ思い出し始めていた。気がつけば、スバルの表情からは微かに険が取れていた。

 

 午後は、学校ならではの「部活動」の体験入部だ。設備など何もない砂漠のキャンプだが、シャハーダの生徒たちは工夫して「日常」を作り出していた。

 

「ここは『園芸部』。といっても、岩陰の土を集めて、サボテンや小さな花を育ててるだけだけどね」

 

「こっちは『ボードゲーム部』だ! 先生が作ったお手製の盤面で遊ぶんだよ!」

 

 シャハーダの生徒たちに手を引かれ、アリウスの生徒たちは各々の「部活」を体験して回った。スバルが連れられたのは、テントの裏手にある小さな日陰だった。数人の生徒が、古いラジオを直したり、持ち寄った楽器を磨いたりしている。

 

「.....こんなことをして、何になるっていうんですか.....」

 

 そう口走りながらも、スバルは自分のポケットに入っている傷だらけのハーモニカをそっと撫でた。夕暮れ時、ロレンスがフラリとやってきてギターを爪弾き始めると、スバルも自然とそれに合わせてハーモニカを吹き、周囲の生徒たちが楽しげに手拍子を打った。  それは、アリウスの地下壕では絶対に許されなかった「無駄」で「無意味」で――どうしようもなく、心地のいい時間だった。

 

 しかし。そんなかりそめの、温かな日常の幻影は、音もなく忍び寄る悪意によって唐突に破られることになる。

 

 深夜。砂漠の冷たい夜風がテントを揺らしていた。見張りの目を掻き潜り、何者かの黒い影がアリウス生徒たちの寝泊まりするテントに近づく。そして、キャンバス地の隙間から、一通の封筒を滑り込ませた。

 

 やがて、日も明けない早朝。まだ薄暗いテントの中で、ふと目を覚ましたスバルは、自分の足元に落ちている見慣れない封筒に気づいた。 寝ぼけ眼でそれを拾い上げ、中から抜き出した一枚の書類。窓から差し込む僅かな暁光を頼りに、その文字を追った瞬間――。

 

 スバルの全身から、さあっと血の気が引いた。

 

『バアス旅団は、捕らえたアリウス生徒12名を、トリニティ総合学園・正義実現委員会へ引き渡す。これをもって、トリニティ側はシャハーダ学院の設立を黙認し、資金援助を行うものとする』

 

 震える手で握りしめられた紙。そこには、昨日の温かな授業も、昼食のシチューも、部活の音楽も、すべてが自分たちを高く売り飛ばすための「家畜の管理」に過ぎなかったのだと告げる、残酷な文字列。そしてその末尾には、見間違えるはずのない――ロレンス・シャハーダの直筆サインが、はっきりと刻み込まれていた。

 

「……あ、ぁ……っ」

 

 喉の奥から、乾いた声が漏れる。

 

 

vanitas_vanitatum_et_omnia_vanitas

 

 

スバルの瞳から数週間かけてようやく消え去っていたアリウスとしての暗い光が、絶望と憎悪と共に、再び泥のように蘇り始めていた。

 

 

 

 

---------------------------

 

 午前5時、そろそろ夜も明けるその時、それは突然であった。

 

「先生!大変です、収容テントで暴動が……!」

 

 テントに飛び込んできたアーファの悲痛な声に、私は目線を書類から上げた。急ぎ収容テントに向かうと、そこには異様な光景が広がっていた。見張りの生徒数名が壁際に追いやられ、その中心で、スバルがテントの支柱から外した鋭利な金属片を握りしめ、荒い息を吐いていた。他のアリウス生徒たちも、いつでも飛びかかれるよう身構えている。  数日前までの、あの穏やかな空気は微塵もなかった。彼女たちの瞳には、再び「裏切られた絶望」と「大人への深い憎悪」が宿っていた。

 

「……何事だね、スバル君」

 

 私が静かに声をかけると、スバルは血走った目で私を睨みつけ、足元に一枚の紙切れを叩きつけた。

 

「とぼけないでください……!この汚い大人め.......!」

 

 私はゆっくりと歩み寄り、その紙切れを拾い上げた。  それは、どこからかテント内に投げ込まれたであろう一枚の通信用紙だった。印字されている内容に目を通し、私は小さく溜息をついた。

 

『バアス旅団は、捕らえたアリウス生徒12名を、トリニティ総合学園・正義実現委員会へ引き渡す。これをもって、トリニティ側はシャハーダ学院の設立を黙認し、資金援助を行うものとする』

 

 そして、その書類の末尾には、紛れもない『私の直筆サイン』が記されていた。

 

(なるほど。あの日、私から背広ごと奪い取った白紙の決裁書類……こう使うか)

 

 奪い取った背広にあった私の名前の書かれた物品。マダムの狙いはそれだけだと考えていたが、なるほど、これほどまでに考えられていたとは。

 マダム――ベアトリーチェの狙いは明白だった。エデン条約の調印式が迫る中、不確定要素である我がバアス旅団を内部から瓦解させること。そして何より、アリウスの生徒たちに『やはり外の世界は裏切る、この世は虚無である』という絶望を再教育するための、悪辣な心理操作であろう。

 

「私たちが……私たちがトリニティに引き渡されたらどうなるか、知らないわけじゃないでしょう!」

 

 スバルの手が震えている。金属片の切っ先が、私に向けられた。

 

「優しくして、油断させて……全部、高く売り飛ばすための『家畜の管理』だったんですね! あの音楽も、ご飯も、全部……っ! やっぱり、大人は……!」

 

 今にも泣き出しそうな、しかし必死に殺意を保とうとする少女の叫び。アーファや駆けつけたアティクが武器を構えようとするのを、私は手で制した。弁明は簡単だ。これは偽造だと、論理的に説明すればいい。だが、アリウスの地下で「大人の嘘」を骨の髄まで刷り込まれてきた彼女たちに、言葉だけの弁明など意味をなさない。

 

 私は拾い上げた偽造書類を、スバルの目の前で無造作に破り捨てた。

 

「せ、センセ……?」

 

 アティクが息を呑む中、私はスバルの正面、金属片が届く間合いにまで足を踏み入れた。

 

「アティク。保管庫から、彼女たちの銃を持ってきなさい」

 

「はァっ!? 何すんだよセンセ!」

 

「いいから、持ってきなさい」

 

 私の静かな、しかし有無を言わさぬ命令に、アティクは渋々といった様子で数丁のアサルトライフルを運び込んだ。私はその中から、スバルの愛銃を手に取り、弾倉が装填されていることを確認してから――それを、スバルに向けて放り投げた。

 

 ガチャン、と重い音を立てて、スバルの足元に銃が転がる。  スバルは信じられないものを見る目で、私と銃を交互に見つめた。

 

「アリウスのマダムとやは、君たちに『服従』と『疑心』を教えたのだろう。ならば私は、先生として、君たちに最も恐ろしいものを教えよう」

 

 私は両手を軽く広げ、無防備な胸を晒した。

 

「『自由』だ」

 

 テントの中が、水を打ったように静まり返る。

 

「私のサインは本物だ。以前、君達に盗まれた書類が悪用されたのだろう。だが、そんな言い訳を君に信じろとは言わない。判断するのは君だ、スバル君」

 

「判断、って……」

 

「もし君が、あの紙切れの情報を信じ、私を『自分たちを売り飛ばす大人』だと思うなら、その銃を拾って私の眉間を撃ち抜きなさい。私はキヴォトスの外の人間だ。気絶などせず、一瞬で死ぬだろう。だが、安心したまえ、私の生徒たちには手出しはさせない。そのまま全員でここから逃げるといい」

 

 スバルの息が止まるのがわかった。

 

「だが」

 

 私は言葉を続ける。

 

「もし君が、数日前に響き合ったあのハーモニカの音色の方に。私の奏でた音色の方に、ほんの少しでも『真実』を感じたのなら――その銃は、自分たちの明日を切り拓くために使いなさい」

 

 私は一切の表情を崩さず、ただ静かに彼女の瞳を見つめ返した。マダムの洗脳は深い。体にしみ込んだ恐怖は決して簡単には消えることがない。撃たれる可能性はゼロではない。だが、ここで彼女たちを武力で制圧し、あるいは言葉で丸め込もうとすれば、私は「アリウスの大人たち」と同じになってしまう。

 

 

 

 教育とは、選択肢を与え、自ら考えさせることだ。

 

 

 

 教師を志した息子にいつかかけた言葉だった。

 スバルの震える手が、ゆっくりと足元のライフルへと伸びる。銃口が持ち上がり、私の胸元に向けられた。

 

 

ここで放てば私は死ぬ。確実に。

 

 

 張り詰めた沈黙。アティクが歯を食いしばり、スバルの後輩たちが息を呑む。  スバルの指が、引き金にかかる。彼女の脳裏で、アリウスの教えと、この数日間の記憶が激しく衝突しているのがわかった。

 

 ――ガチャン。

 

 やがてテントに響いたのは、銃声ではなく、安全装置(セーフティ)をかける音だった。

 

 スバルはゆっくりと銃口を下ろした。その目から、ポロポロと大粒の涙が溢れ落ちる。

 

「……ずるい、です」

 

 スバルは銃を抱きしめるようにして、その場にへたり込んだ。

 

「あんな風に接しておいて……あんな風に、普通の人間みたいに扱っておいて……撃てるわけ、ないじゃないですか……っ!」

 

 嗚咽を漏らすスバルに、後輩の生徒たちが駆け寄り、背中を撫でる。彼女たちもまた、ぽろぽろと泣いていた。  私は静かに息を吐き出し、スバルの前に屈み込んだ。そして、その頭にポンと無骨な手を乗せる。

 

「よく、自分の頭で考え、選んだな。合格だ」

 

 スバルは私の手の下で、しゃくりあげながら何度も頷いた。

 

 アリウスの支配者、ベアトリーチェの目論見は外れた。彼女は恐怖と疑心暗鬼で人を操れると信じている。だが、それは「文化」の力を、そして「教育」の力を舐めすぎている。

 

「アーファ、アティク。武装は彼女たちに返還したままでいい。これより彼女たちは捕虜ではない。シャハーダ学院の『臨時学生』だ」

 

 私は立ち上がり、テントの出口へと向かった。  背中で、スバルが鼻水をすすりながら叫ぶ声が聞こえた。

 

「……ロレンス先生! 私たちを、どうするつもりですか!」

 

 私は振り返らず、口元だけで少し笑った。

 

「決まっている。君たちに『世界は虚無ではない』と証明するために――元凶たるあの魔女を、叩き潰す」

 

 エデン条約調印式まで、あと僅か。

 私から奪った背広と生徒のツケは、高く払ってもらうとしよう。

 

 

 




まだ六章以前で、スバルの外の絶望を経験する以前なので、こういうことになったということにしてます。介錯違いはあしからず。
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