善意で助けてるけど、場違いな気がする。   作:しん

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おぞましい名

 

――焦げた匂いが、鼻を刺す。

 

街の一部が燃え落ちたというのに、まだ煙がくすぶっていた。

 

明かりもところどころ壊れ、闇がじわじわと街を侵食していく。

 

そんな中で、この通り沿いの一角だけは、かろうじて明るかった。

 

小さな食堂。扉にはヒビが入り、窓は半壊しているが、ランタンの灯りが店内を照らしていた。

 

「ったく……客なんて来ねぇと思ってたが……物好きもいたもんだ」

 

カウンターの奥で、無精髭の男が、湯気の立つスープを鍋からよそう。店主の腕には包帯が巻かれ、血が滲んでいる。それでも、彼は店を開けた。

 

それが、唯一の“生きてる証”だったからだ。

 

「最近、きな臭すぎるぜ。神様が逃げ出してるって話も、マジかもな……」

 

返事は、なかった。向かいのカウンター席に座る黒髪の男は、静かにスプーンを手に取り、スープを口に運んでいた。

 

整った顔立ち。中性的で、感情が読み取れない目。

 

「……なあ、兄さんよ」

 

店主がぼそりと話しかける。

 

「こんな時期に、こんな場所に来るってのは、何か訳アリか?」

 

男はスプーンを置いた。そして、ほんの少しだけ、口角を上げる。

 

「訳……うーん。ないことも、あるのかな」

「どっちだよ」

 

店主が苦笑する。だがその笑みもすぐに消えた。

 

男の声は柔らかいのに、どこか“濁って”いた。まるで誰かの真似をして喋っているような、そんな奇妙さがあった。

 

「……まあ、いいさ。客には違いねぇし。食っていけ。毒なんて入ってねぇからな」

「ありがとう。人の心って、案外温かいね。表面は……だけど」

 

男のつぶやきに、店主は小さく眉をひそめた。言葉にトゲはない。だが、底が見えない。

 

「……変なことを言う奴だな。医者か何かか?」

 

店主が、湯飲みを男の前に置きながら、冗談めかして尋ねる。

 

男は首を横に振った。その仕草すら、どこか“人間くささ”がなかった。

 

「医者じゃないよ。ただ……人を見るのが、好きなんだ」

「へぇ。変わった趣味だな」

「そうかな。面白いよ、人間って。外からじゃ分からないのに、みんな内側のことばっかり気にしてる」

 

妙な言い回し。それはあたかも人の視点からではないような違和感。

 

「……あんた、どこから来たんだ?」

「どこ、だったかな。気づいたら、こっちにいたんだ。ずいぶん前に……何かが終わったんだ」

 

その目が、ふと“深淵”のように濁る。

一瞬だけ、何かを思い出しかけたような表情だった。

 

「終わって……?」

「うん。呪われた世界から抜け出して、こっちに来た。たぶん、そういう感じ」

 

その言葉を聞いて、店主は軽く眉をしかめる。

 

冗談にも聞こえない。だが、本気で言っているとも思えない。

 

何より――その口調が、ずっと“真似”をしているようだった。

どこかで聞いた誰かの言葉を、記憶の底から引きずり上げているような。

 

「……そりゃまた、妙な話だ」

「うん。でも、この街も十分壊れてるよ。今にも形が崩れそうだ」

「そりゃ、まあ……な」

 

店主は鍋の火を落としながら、肩をすくめた。

 

「毎日どっかで殺し合いだ。神様は逃げだすわ、人は死ぬわ、街は燃えるし……世の終わりといったら正しくこれのことじゃねえかってやつさ。いつからだったか……」

「昨日、だね」

 

男は即答した。店主は、わずかに目を見開く。

 

「……そうだったか。よく知ってるな」

「そりゃ観察してるからね。……君の背骨も、ちょっと歪んでるの気づいてたし」

「……は?」

 

いきなり、自分の背骨が歪んでいる、といわれて呆気を取られる。

 

「立ち仕事だから仕方ないけど、その角度だとそのうち歩けなくなるかも。ついでに言えば、心臓もちょっと疲れてるよ。音のリズムが不安定だった」

「…………」

 

店主は完全に固まった。

 

冗談にしては、妙に細かい。本当に医者か? それともただの気味の悪い変人か?

 

「……あんた、何者だ?」

 

静かに尋ねたそのとき――

 

バンッ!!

 

扉が勢いよく開かれた。外から、血まみれの男が逃げ込んできた。

 

「い、闇派閥だッ!!!」

「チッ、またか……!」

 

店主が慌ててカウンターを乗り越え、扉へと駆け寄る。外の通りでは、人々の悲鳴が響いていた。どこかで火の手が上がっているのが、赤く壁に反射して見えた。

 

「おい! 兄さん! 裏口から逃げ――」

 

振り返ったとき、そこにはもう、誰の姿もなかった。

 

男は、跡形もなく消えていた――まるで最初から、いなかったかのように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

崩れた石畳。炭になった家屋。そして――あたりに響く、ひとりの少年の泣き声。

 

「おとうさん……おかあさん……! どこ……どこなの……!」

 

その声は、しゃくりあげるたびに割れて、喉の奥から絞り出されていた。

 

灰と血に染まった小さな身体が、崩れた瓦礫の隙間に膝をついている。煤まみれの頬には、涙の筋が何本も何本も流れていた。

 

震える手が、焼けた板切れを必死にかき分ける。もう誰もいないと知っていても、探さずにはいられなかった。

 

「っぐ……あ、ああ……!」

 

嗚咽。声にならない悲鳴。叫び続けるしか、方法がなかった。

 

小さな胸が、呼吸のたびに上下し、手足は煤と血で真っ黒になっていた。

 

寒さでも恐怖でもない。絶望の中に放り込まれた、生まれて初めての孤独が、心をじわじわと壊していく。

 

――誰か、助けて。

 

そんな声にならない祈りが、魂から溢れ出すように。

 

「……大切な人が、死んじゃったんだね」

 

ふと、背後から声がした。驚いて振り返る。だがそこには、殺気も威圧もない、穏やかな気配があった。

 

ひとりの男が、焼け焦げた路地に佇んでいた。黒髪。やや長めの前髪が風に揺れている。顔立ちは整っていたが、笑っているのに“目が笑っていない”。

 

「だ……だれ?」

「通りすがり。気になったから、来てみただけ」

 

男はしゃがみこむと、少年と目の高さを揃えた。

 

「君は、ひとり?」

 

少年はこくりとうなずいた。唇が震えて、うまく言葉にならなかった。

 

「……殺されちゃったの。知らない人に……。家も、全部燃えて……ボク、ひとりぼっちで……」

 

ようやく言えたその言葉のあと、少年はまた声を詰まらせた。

 

「そっか。それは、寂しいよね」

 

男は、優しく微笑んだ。そして、そっと少年の頭に手を置いた。

 

小さな肩が、ピクリと揺れる。だが、拒まなかった。その手は冷たくなかったから。

 

「大丈夫。もう、ひとりじゃないよ」

 

少年の魂が、泣いていた。身体の涙よりも、もっと深く、澄んでいて、でも苦しみに満ちていた。

 

男は目を閉じる。そこに触れる。そこに――“想い出”があった。

 

夕食を囲む笑顔。膝枕のぬくもり。大きな手で頭を撫でてくれた日。

 

父と、母。その全部が、今でも鮮やかに焼き付いていた。

 

「うん。ちゃんと君の中にあるね。なら、再現できるよ」

 

男は、静かに息を吐いた。

 

「オラリオに、破滅をぉぉオオオ!!!」

 

その瞬間、男を冒険者とそう捉えた闇派閥の一人が、突進する。それを見据えて――

 

「お、丁度いいや」

「ッ!!?」

 

ガシッ、と突進してきた闇派閥の顔を掴み上げ、物理法則に逆らうかのように身体が宙に吊り上がった。

 

そして、男は後世にておぞましいモノとして受け継がれていく名を口にする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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