善意で助けてるけど、場違いな気がする。   作:しん

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魂の残滓

 

――血の飛沫が、頬をかすめた。濃密な鉄の匂いが、鼻腔を満たす。でも、怖くなかった。

 

足元に崩れた闇派閥の身体から、温もりがじわじわと漏れていく。一瞬前まで、生きていた。害意を向けていた。それを、自分が止めた。ただ、それだけ。

 

でも、それだけなのに。

 

心の奥が、なぜか“軽く”なった。

 

(これが、私の力)

 

手のひらがじんじんと熱い。それは痛みじゃなかった。むしろ、ぬくもりに近かった。

 

骨が割れる音も、肉が潰れる音も――耳に残っているのに、不快じゃない。

 

(私は、やれる……)

 

誰かに教えられたわけじゃない。あの人に命令されたわけでもない。

 

ただ、自分の内側からあふれ出した本能に、手足が、声が、従っていただけ。でも、その感覚はあまりに心地よくて。

 

(全部、やれる……!)

 

家族を奪われた。家を壊された。大人たちは逃げて、誰も自分を守ってくれなかった。

 

――じゃあ、私が全部やる。

 

逃げた人たちの代わりに。泣いてる子の代わりに。そして、自分自身のために。この理不尽を壊すのだ。そう考えると、心の底で何かが共鳴した。

 

血に濡れた路地で立つリネの目に、迷いはなかった。ただ、まっすぐに前を見ていた。

 

あの人に助けられた者たちが、その背後に並び立つ。喋れない。考えない。命令もない。けれど少女は、確かに“仲間”だと感じていた。

 

(だって、私と同じ――“痛み”を知ってる)

 

彼らもまた、奪われて、壊されて……そしてあの人に作り直してもらった存在。違う形だけど、同じように生き直している。

 

彼らは誰も喋らない。

 

(でも、私は今、ちゃんと立ってる。間違ってない)

 

だから、進む。ここに蔓延している悪を倒すために。この力は、誰にも止められない。

 

だって――

 

「“優しさ”なんだ」

 

これが優しさなんだ。悪を止めるために力を振るう。そう静かに、リネは笑った。その瞳に映る世界は、かつての灰色ではなく、敵と味方の、ただ二色しか存在しない――鮮烈な世界だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

空は赤かった。

 

燃え上がる家屋。絶叫。逃げ惑う人々。そのすべてを、男は静かに見下ろしていた。高所に立ち、足元の崩れた瓦礫さえも、ただの背景として眺めている。

 

「よく動いてるね」

 

視線の先には、リネという少女。理不尽に揉まれていた彼女が、今では血と炎の中を“優しさ”の名のもとに駆けていた。

 

躊躇はない。痛みもない。彼女は、完璧に“変わった”。

 

「魂に最適化された肉体って、やっぱり気持ちいいよね」

 

男は、誰に言うでもなく呟いた。それは感想というより、観察者の記録に近い。

 

変わってしまった人間を見て、微かに喜びを覚え、微笑む。

 

そこに、そうあるべき姿として変化した少女がいるという事実があるだけだった。

 

「君はもう“壊される側”じゃない。良かったね」

 

少女の背後には、彼女と同じように改造された数十体の人間たちが並んでいた。彼らは彼女に従い、命令もなく、ただ敵を排除し続けている。

 

男はその光景を“美しい”とそう思った。

 

そして、男はふと深呼吸をするかのように胸を膨らませる。

 

焦げた匂いが、空気を甘くしていた。

 

石畳はひび割れ、木骨は黒い指を天へ伸ばし、瓦礫は無機物に冷たく。泣き声は途切れ、怒号は遠のき、残っているのは息の荒い人影と、火の粉の音だけ。——誰かが助けて、誰かが倒れた。誰かが生き延び、誰かが壊れた。

 

その痕跡のすべてを、男は見上げるように眺めて、少しだけ目を細めた。

 

「……美しいなぁ」

 

称賛でも、皮肉でもない。人という存在が極限で見せる、剥き出しの形。恐怖と希望がねじれて、悲鳴と祈りが同じ色になる瞬間。それを“美しい”と感じるのは、彼が彼だからだった。

 

さきほどまで、ここには“正義”の名を掲げる彼女たちと、重い拳を振るう【重傑(エルガルム)】——街の誰もが知る冒険者たちがいた。

 

殺帝(アラクニア)】と呼ばれる闇派閥の幹部が罪なき者を切り捨て、冒険者さえ無造作にモノとも言わず姿へ変えていく地獄に、陽動まで、彼らは踏み込んで収束させたのだ。

 

男は、踏みしだかれた石畳に膝をついた。割れた梁の下で、潰れた鎧がひとつ、鈍く沈んでいる。

 

瓦礫の隙間からのぞくのは、冒険者の姿だった。顔は見えない。胸も潰れている。もう鼓動も、息もない。けれど、男はじっと見つめて、嬉しそうに囁いた。

 

「すごいなぁ、まだ残ってる」

 

息ではない。温度でもない。“魂の残滓”がそこにあった。

 

神の恩恵を受けた器は、常人より遥かに強靭で、昇華のたびに神へ近づくと人々は言う。その器の中には、熱が消えた後でも、かすかな火が残る。灯心に残る最後の赤みのように。

 

その赤みに触れる。指先が、空気の手触りを変えた。皮膚から皮膚へではない、魂から魂へ、だ。

 

——荒い砂のような感情が、どっと流れ込んできた。恐怖。恥辱。悔恨。そして、激しい憎悪。

 

殺帝(アラクニア)】。闇派閥(イヴィルス)。あれを許さない。

 

仲間が、民が、刈り取られていくのをただ見ているしかなかった己の無力への怒り。「俺は——」と叫びかけた言葉は、血で途切れている。

 

男は、魂をあやすみたいな声で言った。

 

「君はまだ、終われないんだね」

 

風が、瓦礫の灰をさらう。遠くで、冒険者の影が動いたが、こちらには気づかない。

 

男は、潰れた鎧に軽く手を添え、首をかしげる。

 

「これは“蘇り”じゃない。君は君のままじゃないし、戻らない。でも――“無念を晴らす”って気持ちだけは、果たせてあげるよ」

 

答えは、ない。答えるための舌は、もうない。けれど、残滓は震え、赤みはふっと明るくなる。

 

男は微笑む。

 

「うん、じゃあ……もう一度だけ()()()()()()()()

 

彼の掌から、歪みが滲む。空間がうすく皺を寄せ、音が少し遅れて聞こえるようになる。触れているのは瓦礫の下のそれ、けれど掴み上げているのは、その奥に沈んだ“核”。

 

骨肉は壊れている。器は裂けている。だから彼は、周囲に散った“素材”を寄せ集める。血、皮膚、破片、空気。それらを繋ぐものは、まるで残った感情の光が放っているように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無為転変

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

囁きが落ちた瞬間、潰れていた胸が、内側からかすかに膨らんだ。ひくり、と折れた肋骨が、外へ押し出されるのではなく、内に引き込まれて新しい形に溶けていく。

 

裂け目は縫い合わさるが、元の通りにはならない。指は太く、関節は僅かに長く、筋束は過剰に編まれ、武器のように硬く再配置される。

 

“人の形”を保ちながら、“人の合理”を逸脱した、戦闘特化の構造体。——冒険者だったものが、“冒険者らしき何か”へ。魂そのものではなく、残滓だったかゆえに。

 

ゆっくりと、瓦礫が持ち上がる。立ち上がったそれは、呼吸をしない、胸郭は動かず、目の瞬きもない。

 

だが、首は巡り、匂いを嗅ぐように静かに世界をなぞった。

 

「聞こえる?」

 

男が問いかける。

 

答えは、ない。だが残滓の震えは、はっきりと“方向”を示した。怒りの向き。怨嗟の矢印。【殺帝(アラクニア)】。あるいは、その闇派閥(イヴィルス)

 

あるいは、同じ匂いを持つ“悪”。

 

「うん、好きに行っておいで」

 

それは一歩を踏み出した。重い音が、石畳に低く響く。二歩。三歩。歩くたびに、まとわりついた灰がぱらぱらと落ち、人の輪郭がより“兵器”に近づいていく。

 

それは生き物の歩行というより、設計図通りに可動域を確認していく機械の動きだった。

 

 

 

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