原作1年前です
「改めて、ご入学おめでとうございます」
伝統的な黒板を模したデジタルホワイトボード。その画面内から無骨なデザインのロボット職員が話しかけてくるいびつさに、私を含めた外部生だけが顔を引きつらせているように見える。
内部進学のトリニティのお嬢様には、この違和感はわからないのかもしれない。
試験については受かる自信があった。過去問も解いたし、合格点と予想獲得点の比較もした。そして実際に受かったのだから、その見立ては正しかったはずだ。
手元にあるのは72位の証書。望外の結果だった。一学年4000人強、その全員が受けた試験でこの結果だったのだから。
「――そこで、学級委員長をどなたかにしていただく必要がありますが」
話に集中できていなかったけど、どうやら学級委員長を決めるらしい。スパッと決まると気持ちのいいものだけど、そうならなければなかなか帰ることができない。
……ロボット職員はさらっとクラスを見渡してから、明らかにこちらを見つめてくる。まさか。
「通例では、クラス内の首席に担っていただくことになっています。羽島エナさん、どうでしょうか」
嘘? 私がクラス内首席? 1クラス40人と考えたら、まあ、おかしくはないのかもしれないけど。いやそうじゃない。
他に誰もしようとしないのであれば、私がやるしかないんだけど。
「……他に誰も、この役職に就きたい方がいないのでしたら」
様にならない敬語を使い、それとなく譲っても良いよ、といった雰囲気を出して答える。誰も手を上げない。あ、あれ、この手の役職を担いたがる人は必ず数十人に一人は居るはずなんだけど。
「立候補者は居ないようですので、改めてお願いしますね。以上をもってクラスルームを終了します。学級委員長は13時より委員長連絡会があります。大ホールに集合してください」
ブゥンだなんて今時ベタな効果音とともにロボット職員は消えた。なんだか、オープンスクールで見学したトリニティと違う気がする。もっとこう、伝統的な授業風景で、凛々しくて知的な生徒が積極的に挙手をするような、そんな高校生活を思い描いていた。
クラスルームは終わり、内部生らしきグループが談笑しながら部屋を出て行く。外部進学らしき生徒に声をかけようとしたら、彼女は何か会釈をして足早に去ってしまった。多分学級委員長お疲れ様です! お忙しいでしょうし去りますね! とかだろうけど、……正直凹む。
そして、まさか学級委員長に任命されたことで、私は困っていた。
「大ホール」がどこにあるのか分からない。机1台に収まらない校内地図を探しても、そもそもそのようなホールがない。ただ、見立てはついている。この「中央講堂第1ホール」なんだとは思う。おそらく、トリニティ内では「大ホール」と呼ばれているのだろう。
教室がある建物を出て、それとなくそっちに向かっているのは良いものの、外していたら大変なことになってしまう。今すぐ誰かに道を聞かないといけない。道の端で話に花を咲かせているグループ、内部生か分からないグループ。グループに自分から話しかけるのはちょっと……。
あ。
幸運なことに、一目でトリニティ内部生と分かる気品に溢れたお嬢様が一人で歩いている。ここで彼女に尋ねないことで被るデメリットは、冷たくあしらわれて悲しくなるデメリットより大きいはず。な、なんとかなれ!
「あの、すみません」
「はい? どうされましたか」
柔らかな声だった。所作の節々に気品を感じるようなそんな人だった。……それと同時に、空気が冷えた。彼女からじゃない。先ほどまでまるで私を気にせず、グループで談笑していた周りの人が、私を見ている。どうして?
「あの、大ホールって、どこに……」
その場のあまりの異質さに、声がしぼんだ。幸いだったのは、私が声をかけたその人が、あまりにも私が探していた人そのものだったことだ。
「大ホール、ええ。この後私も行きますから、その際に一緒に行きませんか?」
「あ、ありがとうございます」
「その様子ですと、外部からトリニティに進学された方ですよね? 困っている方、更に言えば、新たにトリニティの一員となった方に手を差し伸べるのは、私としても当然のことですよ」
凍てつきそうな周囲からの視線が和らいだ。目だけを動かして路肩を見たら、あたかもはなから私を気にしていないかのように談笑が続いていた。
その人は、浦和ハナコと名乗った。ハナコさんは快く私の道案内をしてくれるらしい。
互いに軽く自己紹介をした後、私はそのハナコさんに連れられて、大ホールに向かう。そのさなか、ちくり、ちくりと行き交う人の視線が一瞬こちらに向き、その後は何事もなかったかのようにすれ違っていく。どこかむず痒い。
「次の分岐を右ですね」
何故かハナコさんは大通りをさけて先を進んでいく。これは内部生しか知らない秘密の抜け道なのか? それにしては、内部生すらほとんど見当たらないけど。なんて考えていたら、人が二人並んで歩けそうな小道に出た。突き当たりには門が見える。少しだけ早足になって、ハナコさんの隣に並んだ。
「エナさん」
ふと、ハナコさんに呼びかけられる。少しだけ顔を上げて、じっと彼女を見つめる。
「トリニティはどうですか?」
言っていいのか。トリニティ内部生の、おそらく才媛に。彼女も大ホールに呼ばれたのなら、同級生のお嬢様、そういうことだろう。
「とても、綺麗な場所だと思います」
「そうですよね。私もそう思います」
そう言ったハナコさんの顔は、先ほどトリニティ生の義務を語った方の顔とは思えなくて。
「ふふ、私はエナさんが思うようなトリニティの権力者でもありません。ただ、……周りの視線を気にしていらっしゃったので」
そんな私は、どんな顔をしていたのだろう。
「そう、ですね。視線を感じます。どうしてでしょう、オープンスクールの時はそんなことなかったのに」
「多分それ、私のせいです。ですから、エナさんが決して他の人と比較してみすぼらしいとか、よそ者がうんぬんと、そう思われているわけではないですよ? ですが、目的の中央講堂第1ホールはすぐ先ですし、もし私から離れたいのであれば、一人で行くのも一つの手ではあります」
少しだけ間が空いて、視線の原因を伝えられる。それでも、私にはそれが多分嘘、というか気休めに思えた。ハナコさんが一人だったときは、彼女に視線はそこまで集まっていなかったのに、私が話しかけたその瞬間に注目を一身に集めることになったのだから。
「それでも、外部生は建物の中でも迷ってしまいます」
「左様でしたら、最後まで一緒に行きましょうか」
先ほどから門の向こうには、バロック建築の権威だ、と言わんばかりのおよそ2階建てとは思えない高さの建物がそびえ立っている。言うに及ばず横にも広い。あれが中央講堂らしい。門を抜け、大通りに出ようとしたところで、ハナコさんに呼び止められた。
「大通りに飛び出すのは少し待っていてくださいね。今出たら、大変なことに。中央講堂の入り口が見えますか? 人だかりがありますよね。あれに巻き込まれたら、エナさんも私もビラの山にのまれてしまいます。ですが、私たちのような新入生にとっては部活を知る良い機会になるかもしれません。……エナさんがそれを望むのなら私もそうしますよ。どうしますか?」
ハナコさんはまた私に選択権を渡してきた。多分、選択できることを第一に置く方なのかもしれない。……多分、このような小道を使うハナコさんは、人の輪に入る等の行為が好きじゃないのだと思う。私も、そうかもしれない。
「選ぶ時に自ら貰うならまだしも、山のようにビラを渡されるのは少し嫌かもしれません」
あの集まりに入らなくても、後で部活を調べる方法なんて山ほどあると思う。たぶん。これで孤立することになっても泣かないように、祈るね。
「それなら、こうしましょうか。秘密の抜け道があるんです」
ハナコさんは大通りに繋がる門をくぐらず、かわりに右のさらなる小道にそれていった。私はそれについていく。たまに生垣の葉が顔に当たりそうになるのを手で払いながら進むと、地下へと繋がっている古くさい謎の階段が現れた。ええ……、トリニティはダンジョンだったの?
「この地下道を通れば、中央講堂の地下に着きますよ」
内部生ってすごい。
トンネルを抜けると、そこは中央講堂の地下だった。ハナコさんは地下道の真ん中に置かれたポールを端に寄せて、中央講堂の廊下を歩いていく。振り返ってポールにじっと目を凝らすと、そのポールには老朽化のため使用禁止及び関係者以外立ち入り禁止、と張り紙が貼られていた。
「あら」
道すがら、ハナコさんが突然声を上げた。
「あと2分で13時になってしまいます」
時計を見た。12時58分。ち、遅刻!? 思い返せばわかる。私のせいだなこれ。
「ごめんなさい」
「いえ? 間に合いはしますよ」
えっ?
「すみません、わずらわしいことを口走ってしまって。ただ、好きな席を選べる時間がないかもしれないということです。入り口近くの席にしましょうか」
私は冷や汗をかきながらも、あと1分のところで大ホールにたどり着いた。半円状に並ぶ座席の前の方は埋まっている。800人は入りそうなホールの入り口近くに、私たちは腰掛けることになった。
後ろから大きなホールを見渡すのも、悪くない眺めだった。そこで、私は少しの違和感に気づく。
「ハナコさん。これは学級委員長の連絡会ですよね?」
「そうですね」
「それでしたら、このホールのこれだけの席は埋まらないはずです」
一学年4000人余りで、一クラス40人前後なら、せいぜいこのホールの8分の1くらいしか埋まらないはず。それなのに、4分の1くらいはいるように思える。
「ああ、それは。公認部活や公認派閥が幹部候補を募集するためですよ」
――ビーッ
その時だった。ホールのスピーカーから大きなブザーが鳴り、前方に座っている人たちが一斉に拍手を送り始めたのが見えた。私も、一応拍手をすることにした。ハナコさんは、壇上をじっと見ているだけだった。
その後の話は、よくわからなかった。連帯、団結、トリニティの由来と未来。フィリウス、サンクトゥス、パテルからなるティーパーティーという生徒会の集団が、美辞で飾られた長い前置きを話しているうちに、私は本題が読み解けなくなってしまっていた。メモを取るために机に出した筆記用具が、何の役も果たせずに、机にただ転がっている。あえて言うとすれば、これらの話の内容は、学級委員長へ伝える連絡事項ではないように思えた。特にサンクトゥスの補佐の方は本当に何を言っているかわからなかった。入試の言語学91点の私がだよ?
――とんとん
話が分からず目を回していると、肩を優しくたたかれた。ハナコさんの方を向くと、小さなメモ用紙がスッと差し出された。
『この後は学級委員長限定の、自由参加の懇親会です。そこで何かの部と縁ができれば、幹部候補になれるでしょう。私は先に抜けますね』
なるほど、なるほど。先輩たちに囲まれて懇親会か。ハナコさんは先に帰るということは、一人で……。一人で!? いや、いやいやいや。私が取るべき選択肢はさすがにこれだ。ペンを拾って、こう書き綴る。
『人が多いところは怖いので、私も退出したいです。それに、個人的にお礼がしたいので』
誰かに助けてもらったなら、できるだけ早くお礼をしないといけない。私はそうありたいと思っているし、今そうするべきだと思う。なぜか。トリニティは全校生徒数が1万人を超えているのだから、今この機会を逃したら、次の機会が得られるとは限らないわけで。
紙をそっと返したら、さらにハナコさんは一筆書き加えて、音も立てずに裏返し、またこちらにその紙を滑らせてきた。
私はその紙にそっと手を伸ばす。呼応するかのように、ハナコさんはぐっと身を寄せて、私の耳にそっと囁いた。
「なら、二人で先に抜け出しちゃいましょうか」
「ヒェ」
声が漏れる。手が滑り、紙が落ちて裏返る。
そして文字が目に映る。
『そんなことしたら、きっと損しますよ』
……もしかしたら、恐ろしい女の子に声をかけてしまったのかもしれない。