壇上の長話は終わった。ひとしきりの拍手の後、むしろ、会場は騒がしくなった。
私はもはやこの会合を、「学級委員長に成績上位者を就かせて、その後連絡会議の名目で幹部を募集する」ためのものとしかみなせなくなっていた。
選良主義と批判されることを厭わないのだとすれば、なかなかいい取り組み、いい機会だとは思う。その才能に見合った席が用意されるというのだから、立身出世を求める人にとっては得難い状況だろう。ただ、少なくとも私はこの千載一遇のチャンスすら人見知りでふいにしてしまうようなメンタルだから、おそらく幹部にはなれないし、なったとしてその期待に添えるかは知れたものではない。
少しの落胆とともにそっと席をもとに戻し、私達はホールの外にでた。室内だというのに蛍光灯が眩しい。手をかざして隙間から前を見たら、行く手を遮るように、十人前後の集団がいる。
「浦和ハナコさん、少々お時間頂けますか」
浦和ハナコさんの出待ちファンクラブで廊下が塞がれていた。よくよく考えたら、可憐なお嬢様にファンクラブがないのはおかしいし、そうあるべき、かも? ……何か違う気がする。出待ち集団の服装は先ほど壇上にいたティーパーティーの服装で統一されているし。私は出待ち集団で一際目立っている女学生の言葉を待つ。彼女は私たちの足が止まったのを見てか、朗々と声を上げた。
「私はパテル派の新歓担当ですわ。本日もお忙しいでしょうし、差し支えなければ、パテル派だけでなく、ティーパーティー3派の合同として手短に勧誘させていただきたいですわ」
出待ちではないとすれば、そっか、勧誘か。勧誘があるなら、ハナコさんには懇親会すら必要ないよね。しかも、私たちのように、入り口近くに座る人ともなれば、すぐに出ていくんだなということが容易に想像できるし、出口で接触を試みようとするのも理解できるかもしれない。
もしそうだとするなら、私は何のコネもないのに出てきたお馬鹿な人ということになる。確かに、何か仲間をつくるなら「損」かもしれない。しかし、個人的にはホール内で上級生に囲まれる方が「損」だ。
ハナコさんと目が合う。小さく私は頷く。
「すみません。今日は生憎ですが立て込んでおりまして、不都合でなければまた別の日に」
どうも意図が正しく読み取られなかったのか、あるいは捻じ曲げられたのか、私の想像する回答ではなかった。邪魔しないし待つよという意味なんだけど。
「んむ、それは仕方ありませんわね。首席様の言うことですし、ビラ、いいえ。招待状を配布したらここから捌けますわよ。道を塞ぐのはよくありませんもの」
ああ、ティーパーティー所属の方がした発言で、さっきの視線の理由がようやく全てわかった。育ちの良い聡明かつ美麗なお嬢様に、不躾にも話しかける愚鈍かつ無学な無粋者の構図か。それは関心も寄せられようものだ。少女漫画ならばそこから恋が、少年漫画ならばそこから冒険が生まれる。そうでさえなければ、あとに残るのはいじめのみ。
ティーパーティーの新歓担当の瞳が滑り、焼け付くような視線が私に降りかかる。
「まあハナコさん。隣の方はご学友ですか?」
「ええと」
まごついて横を見たら、ハナコさんとまた目が合う。気まずい。少なくともご学友ではない。しかしそれは、「あはは……。友達ではないですよ」と言えることを指さない。少なくとも私はハナコさんに幾ばくかの恩があるし、それを返したいからそうするわけにはいかないわけで。
「ここに来るまでにハナコさんに助けていただきまして」
「はい、トリニティは入り組んでいますから」
私の言葉に付け加えるようにして、ハナコさんは状況を掘り下げていく。個人的には、ハナコさんは状況をもう少しぼかすと思った。彼女にとっての落ち着ける道には、たとえ一言たりとも触れないと思っていたのに。
「まあ、外部生なの? 才気溢れる方なのですね」
「ありがとうございます」
そして、予想と反して、飛んできた言葉は称賛だった。この建物に来るまでに得た経験から、私はやや穿った見方をしていたかもしれない。善意に対して動揺したところを悟られていなければ良いけど。
しかし彼女は私の感情を気にしていないのか、話を続ける。
「ええ、あなたもハナコさんと関係のある学級委員長ではあるのですわよね」
「はい」
「それでしたら、あなたもこちらをどうぞ」
私と会話しているパテル派の新歓担当とは別に、紙束を持ったティーパーティーの方が私にチラシを差し出してきた。
『ティーパーティーはあなたの力を必要としています』
下に、各派閥ごとの連絡先と、『オファーを受けたあなただけの特別なメールアドレス。今こそ私達は団結しましょう』とやらの文言が記載されている。……字面が詐欺すぎる。ティーパーティーとは投資詐欺集団ですか?
その心を汲んでか否か、ハナコさんが口を開いた。
「まあ、このような文面ですと、一年生に怪しい集団と勘違いされてしまいますよ? もう少し上の方のお時間を頂いて、修正案を通したほうが良いかもしれません。私は気にしませんから、今連絡を取ってみては?」
ハナコさんの言葉で、ティーパーティーの担当はスマホをカバンから取り出す。すぐに彼女の瞳孔が開き、口が微かに動いた。私は読唇術も読心術も持たないために、その意味を悟りかねた。
「ん~~、もうこんな時間でしたか。浦和ハナコさんの言うように、より良い招待状を用いたほうが良いように思えますわね」
彼女は周囲に目配せし、周囲はそれに応えたように見える。
「浦和ハナコさん、やはりあなたは素晴らしい心の持ち主だと改めて感じ入りました」
「いえ、私は――」
「そう謙遜なさらないでください。浦和ハナコさん。外部生を助けるその振る舞いはまさにトリニティに必要な心持ちを体現しているのですわ。ノブレス・オブリージュと慈愛の心こそがトリニティを形作っていると、今実感しておりますわ」
「そうですか。ありがとうございます」
「浦和ハナコさん。ティーパーティーの扉は、いつも開いておりますから。ああ、もちろん横のあなたにも。それではごきげんよう」
言いたいことを言い終わったのか、ティーパーティーの集団はホール内に捌けていった。……多分、良い人なんだろうな。疎外感は感じたけれど、外部生に強く当たることもなかったし、無理に勧誘を引き延ばすこともなかった。それでも、ハナコさんの顔をちらと見て思う。彼女にとってこの問答は不快になるものであったと、そう彼女の表情が物語っている。
残されたのは2人。私と、少し不愉快になったらしいハナコさん。
「ハナコさんって首席なのですか」
「はい。言ってませんでしたね」
「すごいですね」
「ええ。お勉強は教え放題ですよ。……さあ、行きましょうか。入学初日に出会った人が首席であるなど、珍しくはあれど、おかしくはないでしょう? 誰だって校内を歩いているのですから」
正門前からTラインを内回りで5駅、そこにハナコさんのおすすめの喫茶店があるらしい。『ハイランダーの貯金箱』とも揶揄されるトリニティ環状線は、他の路線よりもやや高い。運賃のせいではないはずだが、人は疎らだった。制服、修道服、ティーパーティーの服、一万人もいる総合学園だけあって、服装にもいくつかのバリエーションがあるのかもしれない。これまでの価値観では、服を統一しない学校なんて考えられなかったけど、キヴォトスでは違う服を着ても校則違反にならないらしい。
アナウンスが目的の駅を流暢に告げる。
「駅から少し遠いですけど、その分穴場ですから」
ハナコさんの言う通り、下車する人は数人程度だった。私たちは駅から出て、そのまま交差点を右、左――「すこし寄り道をしてもいいですか? ここの雑貨店は素敵な品がありますよ」――直進して左、右――「すみません、そこのお手洗いに」――
うん、地図アプリを見れば分かるとしても、ここはどこだろう。そろそろ人通りも減ってきたし、足に乳酸も溜まってきた気がする。
「次を左ですね」
耳目を集める方の言う穴場となると、それ相応の複雑な道を通らなくてはいけないのかも。私だけでは絶対にたどり着けないお店に案内してくれるなら――
「羽島エナさん」
唐突に、ハナコさんに呼び止められる。先ほどまで左にいたハナコさんの方を向いたが、そこにハナコさんはいなかった。だとすると、後ろにいるはず。交差点を間違えたのかな?
「どうしましたか?」
もう少し首を回して彼女の方に顔を向けようとした。
「ごめんなさい」
それはできなかった。一瞬だった。ハナコさんに袖を掴まれ、路地裏に引き込まれた。頭が真っ白になって、何も声が出ない。私は抑えられていない頭を斜め後ろに向けて、ハナコさんの意図を量ろうとした。
とても、怖い顔をしていた。眉をキュッと真ん中に寄せて、口をいかめしく結んでいる。
「誰かにつけられてます」
耳元で囁かれる実際の声量とは裏腹に、内容は脳にけたたましい警告を発する。心臓の鼓動がうるさい。つけられている? 訳がわからない。
「どういう……ことですか」
「大ホールからずっと、同じ人が見えたり隠れたりしています」
「え」
「静かに」
反射的に、二人で路地裏に佇むゴミ箱の裏に身を隠した。差し込む光が一瞬途切れたその時、ティーパーティーの制服と、尾行した人の顔が見えた。光が再び差し込んでから、ハナコさんはまた話し始める。
私は恐ろしくなった。この学園が。どちらがつけられているか、そんなことはどうでも良い。学校内の有名人と話しただけ、あるいは話しかけられただけで尾行される。これが有名税の範疇だというの?
「羽島さん。まだあなたは引き返せますよ」
先ほどまで名前呼びだったのに、名字で呼ばれた。浦和ハナコは、私を遠ざけようとした。これがこの人なりの優しさなのだろうか。
それならば、やることは決まっている。
「困ってるんですよね」
「……いえ」
「やりましょう」
誰かがやらないといけないなら、その誰かになろう。私がそいつを撃つ。おあつらえ向きに人目はないはずだ。
背負っていた愛銃『窺知の火弾.338』に手をかけ、スコープを覗く。トリニティは治安が良いと聞いていたから使わないとばかり思っていたが、そうではないようだ。幸いなことに、ホコリ1つ付いていない。
スコープから目を外せば、ハナコさんは憂いのある顔をしていた。彼女の言いたいことは、全てとは言えないけれどわかる。生徒会役員を撃って良いのか。今後の立場はどうなるのか。もしかしたら、私との付き合い方に困っているのかもしれない。
だから、あの時わざと使用禁止の道を通ったであろう、そのハナコさんをじっと見つめて、あえてこう返す。
「二人なら勝てます」
数秒の沈黙が場を支配する。
「多分、エナさんは分かって言ったのですね。……望まれないものになる、それもまた。分かりました。そうしましょう」
他人に聞こえないようにするには当たり前かもしれないけれど、押し殺した声でハナコさんは答えた。
一つ深呼吸。何をするか決まった今、むしろ体は落ち着きを取り戻せているような気がする。脳がざわつくほど心臓は静かになり、どこからか高揚感がわき上がってくる。
どこからか4時の鐘も鳴り、まさに後押しされたようにも感じる。
手鏡で、もと来た方に誰も居ないことを確認した。大丈夫。さあ、やろう。
……とまでできたら良かったんだけど。
「いない……」
半身を乗り出して追っ手が向かったはずの方向に目を凝らしても、誰もいなかった。ハナコさんの袖が私の背中を掠めた。そのまま彼女は人の気配すらない道の真ん中へと足音すら立てずに歩んだ。ハナコさんが見返るときの髪の輝きに目と心を奪われる。今はそれどころではない危機なのに、それすらも刹那忘れてしまうような美しさ。それは、まるでヴィーナスそのものだった。
「多分、尾行されていると気付いたことに気付かれたみたいです。こうなれば、代わりの人が見張りに来るまでにさっさとお店に入っちゃいましょう」
ああ、いけない。
我に返って道に出てからあたりを見回せば、確かに誰も居ないように見える。私たちは辺りを窺いつつ、目的のカフェに入った。
そこは静かなカフェだった。小さな犬の店長に、2人掛けの席に通された。ハナコさんにソファの席を勧めようとしたら、すでに分厚い木の椅子に座っていた。私は諦めてソファに腰掛けた。疲れからか体がずっと沈んでいくように感じる。他の客はいない。なんなら店長でさえ呼び鈴を置いて見えなくなってしまった。
……すりガラスのドア越しにぼやけて見える「OPEN」の文字が、そのまま彼女の心模様を表しているのではないかな、なんて、そう邪推してしまう。外から見たら、「CLOSED」。このカフェはそもそも営業中ですらない。
「びっくりしちゃいました。エナちゃんって、結構強引な人ですね」
眠い。ハナコさんが私に話しかけている。
「それ、本人に言うのですか?」
「エナちゃんが正直にした分だけ、私もお返しをしようと思いまして。敬語も使わなくて良いですよ? ここには誰もいませんから」
「あの、外では敬語を使わないといけないような人だった、……んですか?」
「いいえ? 私はただ、トリニティの首席にすぎないですよ? ふふ、私は敬語のほうが得意かもしれません」
眠さを堪えながら、雑談を続ける。ハナコさんは私とモモトークを交換してくれた。私は、紅茶とケーキをこぼさないようになんとか繕って、滅多に味わえないような甘さを口の中で転がす。
「帰れますか」
帰れない。少なくとも、公共交通機関では。
「タクシーを、呼んで、帰ります」
「無理させちゃいましたね。また今度、埋め合わせしますから」
ハナコさん。それは私がするべきことだったんですよ。
――
その後、どうにか私はタクシーを呼んで家に帰っていたらしい。
これが昨日の顛末であると。嘘だよね? 私はハナコさんにお礼をしたいからあの会場から出たんだぞ、後半とかお礼も何もなかったじゃん! なんならカフェ代を支払ったかすら覚束ない。ハナコさんにモモトークで謝ってみたけど、まだ既読がつかない。送って十分も経ってないからおかしくはないんだけど。
顔も赤いし、良く寝たしで、思考が冴えている気すらする。思考力はあの時に必要だったはずだ。絶対に今ではない。
そう思っていた。廊下でとある人とすれ違うまでは。
見間違い、勘違いなどではない。そこには、昨日ティーパーティーの服を着て尾行してきたそいつが、シスターフッドの礼服を着て歩いていたのだから。