心臓が跳ね上がる。だって、おかしいでしょ。私とハナコさんはティーパーティーにつけられていたんだよね? それが、なんで。どうしてそいつが別の部活の服を着ているの。
手元にある服飾部勧誘パンフレットに再度目を落としても、やはり、あれはシスターフッドの制服で間違いない。……なんのために?
修道女?は廊下の突き当たりを右に曲がっていく。私はそいつの正体、せめて顔くらいは確認しないといけない。私の足が勝手に動き出す。
駄目。冷静に。向こうにあるのは下り階段だけ。別の階段から降りても見落とすことはないはず。下の階でそのまますれ違うか、改めてついていけば良い。……心を落ち着かせよう。一つ手前の階段を降りて、あたかも廊下を歩いている人のように振る舞えば良い。校舎で騒ぐと人目を引くから、互いに変なことはできないはずだ。
階段を反射する靴音がうるさい。心臓が拍動するたびに首あたりから鳴る脈がうるさい。行き交う人の顔をふと見てしまうズレ、これも直さないと。
普通の顔を貼り付け直して、階段から廊下へ抜ける。目だけを動かして、そいつがくるであろう方向を見れば、やはりそこに姿があった。こちらに向かってくることもなく、ガラス張りの渡り廊下を介して隣の校舎へ、私の視界の左側へと抜けていこうとしている。
隣の校舎は私の校舎と構造がほとんど合致している。それでも、ここは素直に追跡したほうが良い気がする。そいつの動線がおかしくはないように、私の動線もまだおかしくはない。後ろに付けて歩いていても、怪しまれることはないはずだ。
大理石が輝く渡り廊下を、私はそいつと距離を取りつつ静かに歩む。歩く速さに差がある程度なら問題ない、と覚悟を決めて。
突然、そいつが立ち止まる。予想外とは起こるものだけど、私は顔に出さないように努めた。さらにそいつは振り返り、こちらに歩み始める。
「……いけない。忘れ物」
すれ違ったその瞬間、そいつは一言、ため息とともに小さく漏らす。
嘘つき。ぐっと睨みつけたくなるのをこらえて、昨日のことを思い出す。確かに、私がのほほんとハナコさんについていったとき、ハナコさんは冗長なまわり道をしていた。そいつはそれと同じことをしているだけだ。……むしろ、探偵の手法?を理解しているハナコさんの過去に思いを馳せざるを得ない。
そして、私は決断を迫られた。ここで引き返す、それだけはない。それ以外で、どうやってあいつを再度捕捉できるか。正直、一人では限界がある。ハナコさんが使うような裏口があればお手上げだし、校舎なのだから出入口が多々ある。
屋上から眺めたとしても、追いつけなければ意味がない。そして、この不審者に厳しいトリニティなら、ガラス張りの渡り廊下を3回も渡るのはリスクが高い。だから、そいつは引き返した先にある校舎の出入口のいずれかから出てくる。……ここまでがミスディレクションかもしれないけど、神様じゃないんだから予知なんて無理なものは無理。
つまり、一つの賭けに出る必要がある。私は隣の校舎から出て、不自然に思われない程度に急ぎ、私の校舎に回り込んだ。このまま校舎を一周すれば、いずれかで鉢合わせると信じて。……可能性としては、これが最も高いはず。
そして、それは正しかった。今しがた出たところ、という具合にそいつは正面門にいた。私の推理が良かったとかではなく、ただただ幸運だった。その後は、拍子抜けするほど順調に、着かず離れず、そいつの追跡に成功した。やがて、一つの大きな建物が近づいてくる。大聖堂だ。誰もいない物陰に隠れたら、彼女がそこに入っていくのが見えた。
ここに至って私は確信した。ティーパーティーに扮したシスターフッドの生徒が、示威行為込みで首席を尾行した。そして、ハナコさんの聡明さと面倒事に深入りしない質を逆手に取って、わざと尾行に気付かせ、かつティーパーティーの仕業と勘違いさせる。
我ながらなかなかの陰謀論思考かも。この先大丈夫かな。このままでは、いつか公権力に対するとんでもないデモとかクーデターにハマってしまいそうな気がする。
「ねえ、シスターフッドに何かご用かしら?」
そんな私の冗談じみた未来予想図は、私の後ろから鳴った足音と、高く柔らかな声にかき消された。そして、わざとらしいリボルバーのリロード音があとに続いた。
……ようやく気付いた。もしかしたら、ここまでが全て、誰かの手のひらの上だったのではないかと。
ああ、とあるマンガを思い出す。黒ずくめの組織の怪しい取引を目撃した……まるで今の私だな! 小学校からやり直せってことですか?
「羽島エナさん。……振り向きたいならば振り向いても良いのよ? 私だって自己紹介がしたいもの」
名前まで知られていた。蛇に睨まれた蛙のように動けない。でも、確信が確実に変わった。シスターフッドはそういう組織であり、尾行も、尾行に対するカウンターも備えている。
「うーん。いくらシスターフッドが怪しいからといって、それは別に尾行しても良いことを指さないわよね?」
それは、その通りだと私も思う。ただ、いくらハナコさんの影響力があるといっても、それは尾行しても良いことを指さない……よね?
自己の正当性をなんとか作り上げ、震える体でゆっくりと振り返り、そこにいる人から逃れるように壁に背を預ける。
修道服を着た、小さな、小さな少女が一人、そこに立っていた。……正直、予想外。もっと怖い人が――
「あっ! でもね? シスターフッドに興味を持ってくれたのは嬉しいわ。少し、裏で『お話』、してみない?」
どうやら、怖い人で間違いなかったらしい。屈託のない笑みや体格に反して、会話内容は恐ろしいものだ。『お話』、それがお話そのものでないことくらいは分かる。
「……ついて行かなかったら、何をされるんですか?」
「あら、そう言われるなんて、私は想像もつかなかったわ? それで、どうかしら」
怖い人は冗談めかして顔を傾けた。吸い込まれるような深い紫色の虹彩が、前髪の狭間より見え隠れする。聖職者を形容するにはいささか冒涜的かもしれないけど、狐のように鋭い眼光が、瞳以外からかもし出される緩い雰囲気を全て台無しにしているように見える。
「……すみません、宗教勧誘でしたら断らせてください」
「勇気あるわね! ますます気に入っちゃうじゃない。宗教勧誘じゃないわ、シスターフッドは例え無神論者であっても入部できるの。どうかしら、まだ部活を決めていない貴方となら、お互いに有益な話になると思うわ」
暫しの重苦しい沈黙が流れる。正直なところ、これを断る術は、いくら模索してもないように思えた。私のスナイパーライフルでは取り回しが利かないし、かといって煙に巻いて逃げるには地の利がなさすぎる。彼女もそれを分かっているのか、それ以上は私に圧をかけることはしてこなかった。
結局、私は彼女についていくことにした。私がどのような選択をするにしても、彼女は『他に公言しない限りは』今日のことを忘れてくれると言ったためだ。録音は断られた。
「もし私がこれを反故にすれば、貴方は浦和ハナコに言いつけたら良い、たちまち彼女はシスターフッドをめちゃくちゃにするでしょうね」
との一文を添えて。
大聖堂のどこからか、くぐもってなお美しい讃美歌が流れてくる。彼女は修道女であるにもかかわらず、それを意にも介さずに廊下を進んでいく。意外なことに、廊下では誰ともすれ違わなかった。シスターフッドは2学年で500人以上はいると目されているだけに、作為的なものを感じざるを得ない。
やがて、私はとある一室に通された。分厚い木のテーブルと、くすんだ赤色のソファが2脚、対面するように鎮座していた。壁の音が気になってそちらに目をやれば、振り子時計と大聖堂内の地図が目に入る。
「どうぞ、すぐにお出しできるものはないけれど、その構内地図が気になるのなら縮小版を1つ持って帰ってもいいわよ」
「いいえ、その、お気遣いありがとうございます」
「私はティーパーティー生徒じゃないのだから、そう畏まらなくてもいいのに」
お出しできるものはない、と非礼を詫びる彼女の言動とは裏腹に、彼女は小さな冷蔵庫からショートケーキを取り出し、私の手前に静かに置いた。次いで、コーヒーのように黒い麦茶を注いで、ケーキの皿の隣にコトンと置いた。
……ふと、ケーキとお茶に混ぜられていた睡眠剤によって昏睡し、いつの間にか生贄にされてしまう自分が脳裏に浮かんでくる。
――シースシスシス! お前の体を神に捧げるでフッドねぇ! 神は儀礼による生贄を求めているでフッド! エイメーン?――
……冗談じゃない!
「変なことを考えてない? 冗談じゃないわよ、新入生に睡眠剤を混ぜ込むほどシスターフッドは悪い組織じゃありません」
「……ごめんなさい」
先輩はわざとらしく怒った様を出しつつ、私のガラスコップを取り上げた。彼女は綺麗な所作のままぐっとそれを飲み干して、もともと彼女の手元にあった麦茶を私に手渡してきた。恐る恐る口をつける。苦さのせいか緊張のせいか、あまり喉を通らなかった。
「主に仕えるものとして誠実に語りましょう。私は津秋ノエル。2年生よ」
「……既にご存知かもしれませんが、私は羽島エナです。外部進学の1年生です」
「疲れたでしょうし、軽くお話ししましょう?」
少しの時間、静かな部屋でその先輩と談笑した。新入生のころの苦労や、寮生活のこと、おすすめの喫茶店等、話してみると存外、普通の人と勘違いしてしまうような、そんな他愛のない会話だった。そして、ケーキを一口頬張ったところで、本題を先輩から切り出された。
「単刀直入に言うわ、シスターフッド……更に言えば、そのうちの私の学派に入ってみない?」
勧誘か恐喝をされることは分かっていただけに、私の体は自然に身構えた。第一声は内心ですでに決めていた。
「私は、……不法行為には手を染められません」
「そうね。一応伝えておくとすれば、学派入りしても、『この件』に関わらないことは可能よ。そうだとしてもスカウトしたいの」
「信じられません」
みんなやってることなのよ、と誘い文句が来ると予想していたが、そうではなかった。驚きのあまり、口からパッと否定の言葉が飛んだ。
先輩はゆるくふるふると首を振った。先輩の、短いながらも綺麗に流れるベージュの髪に私は目を引かれてしまう。
「理由は十分にあるわ。第一に、貴方は今年度入学者において4300人中の72位なのよ。入試の時の史学論述でも、合格者平均49点の試験で8割は取れていたでしょ?」
「それは――」
「一般論として、学力とリーダーシップが全くの別物だとしても、一人の神学者候補として、私たちが貴方をスカウトしない理由はないわ」
「……そうなのですね」
「第二に、シスターフッドに所属している人のうち、『この件』に関わったことがない人が大半であり、既に前例は多々あることね。『この件』は向いている人と向いていない人がいるの。『この件』について携わっている人は私の学派ですら十分の一。それ以上は重すぎるわ」
なぜ私の試験結果を知っているのか、この組織はその段階をとうに過ぎていた。それ以外に不審なところもなく、ただ私は頷いた。
「最後に、昨日の件を通して、貴方の誠実さに触れたこと。シスターフッドは貴方のような人を求めるし、貴方にもシスターフッドは合うと思うわ」
ストーカーが誠実さを語る? 温くなった麦茶が冷たく感じるくらい体温が上がった。カッとなった頭はその役を果たせず、どうにもうまい返事は思いつかなかった。
「誠実さって。それなら。どうして、あそこまで……」
「あのままだと遅かれ早かれ政争の種になっちゃうもの。ティーパーティーは、ハナコさんと別れた後の貴方を無理矢理にでも勧誘して、羽島さんはティーパーティーに入りましたよー、とでも言ってハナコさんにアプローチをかけるでしょうね」
「それは――」
「そもそも、私達がつけなくてもティーパーティー三派が合同で貴方達のあとをつけようとしていたわ。私達は抜け駆けをした裏切り派閥がいるように演出して、ティーパーティー各派の仲違いを試みただけよ」
冷水を被ったかのような衝撃が走る。
私は、シスターフッドがハナコさん個人に興味があると思っていた。実際は違った。シスターフッドは私達という駒を通して、ティーパーティーとグレートゲームをしていただけらしい。
「無茶苦茶です」
先輩は頷いた。しかし、考えは変わることはない。そう顔に書いてあるような気がした。
「私達はシスターフッドの情報機関として、公開情報の確認、人間を介した情報収集、サイバー戦を中心として、生徒やシスターフッドに対する敵対的活動の抑止を目標とするの。ええ。間違いなく良い顔はされないでしょう。それでも、学校間紛争も、内部抗争も抑え込んで、多くの人の平穏を守れるのなら、誰かがやらなくてはならないことだと、そう私は信じているわ」
ようやく体の熱が落ち着いてきた。同意したわけでも冷静になったわけじゃない。怒りの対象が分からなくなったからだ。
私はどうしても、聞かなければならないことがあった。昨日の委員長会議しかり、視線しかり、尾行しかり、ただ一つの疑問を孕んだ心残りが、ずっと胸の奥でつかえていた。
「一つだけ聞いていいですか」
「ええ」
「私にここまでするのは、私がハナコさんと昨日話したからですか」
私はハナコさんのことは好意的に見ているし、ハナコさんが私を引き立て役にしてのし上がろうなど考えていないと信じている。また、私があの時ハナコさんに声をかけたことも一切後悔していないし、むしろ助けてくれたお礼の機会を待っていると言って良い。
「いいえ? 私は、あのミス・トリニティではなく貴方を見つけたのよ?」
「貴方はティーパーティーからも引く手あまたでしょう。貴方の順位は彼女らにとって魅力的よ。家格のあるホストが務める部活に、貴方のような順位の人が入りたがっている事実そのものがティーパーティーの正当性を担保しているのだから」
「……少なくとも私にとって、私のスカウトは違うわ。貴方はあの時、決意を持って一人の知人を守ろうとしたのでしょう? そのあり方こそが私達の活動理念に合致しているの」
「そして、『覚悟』があるのなら、私とともにシスターフッドの枢機として活動してほしい。それはとても喜ばしいことだと思うわ」
そう当事者の一方から語られても、怪しいのは間違いなかった。その上で、私のシスターフッドへの見方は少しだけ変わったのかもしれない。
私は初めて、ハナコさんの隣にいた人でなく、個人として認知されたと、そう感じたのだから。
「明後日に部活説明会があるの。ぜひ来てちょうだい」
先輩はこれから用があるらしく、ここでお開きとなった。帰り際に入部書にサインさせられることも、引き留められることもなく、手元に残ったのはありふれたビラ1枚。
部屋から出たところで、とうに讃美歌が流れていないことに気がついた。廊下では幾人もの修道女が、さもこの部活には何の後ろ暗さがないかのように、楽しげに微笑んでいる。あるいは、本当に知らないのかもしれない。
私はスマホを取り出した。そこでモモトークに通知があったことに気がついた。ハナコさんからだった。
『私の友人と会ってみませんか? お茶会をしたいそうです』
なんと、新学期最初の友達作りのフェーズから、もう友達の友達紹介フェーズに入っているらしい。ハナコさんの友達なら多分良い人だろう。それでも、知らない人と直で会うのは少し恥ずかしい。何分か迷った末に、私は『行きます』とだけ返信した。
シスターフッドの公式キャラに暗部を担わせるのは気が引けるので、オリジナルでトリカス先輩を配置しています