一人称視点にそぐわない描写を脚注に記載しました
読まなくても進行に問題はありません
ハナコさんとの待ち合わせ場所は、学園内の外れだった。校内巡回バスを2つ乗り継いだ先に、私には想像もつかないような大きなガーデンが広がっている。
それにしても、綺麗な生垣だ。どこから整備費が湧いて出てくるのだろう、というのは野暮かもしれない。人の姿は見えず、当然、何一つ話し声も聞こえない。もし居たとしても、葉擦れと鳥のさえずりがすべてを覆い隠してしまうはずだ。
モモトークの通りなら、『ガーデン正門から直進して、2つ目の十字路を右に曲がった先にある隘路に入ると存在する、視界を遮っている生垣の裏にあるベンチで待ち合わせ』らしい。
集合場所がハナコさんらしいな、なんて背伸びして思ってみたりはするけれど、まだ私は彼女のことをよく知らない。
生垣の裏を覗き込めば、予想通りハナコさんがいた。ぱちりと視線が合い、ハナコさんは分厚い革表紙の本をぱたりと閉じた。
私は一つの直感を持って先に口を開く。
「待たせちゃった?」
「いえ、全く。まだ待ち合わせ時間より前ですよ?」
30分間隔のバスしか運行してない。だから、歩きでもない限りは随分と待っていたはずなのに、ハナコさんはそれをおくびにも出さない。
「それに、ここは素敵な場所ですから」
――ですから、気にしないでくださいね?
若草色の瞳から言外の意図を感じとり、私の喉がつっかえたような気がした。
ハナコさんは少しほほ笑んで、立ち上がってこう言った。
「さあ、行きましょうか。セイアちゃんが待ってます」
セイアさん、初めて聞く名前だ。ハナコさんが知っているのだから、内部生なのだろうか?
「それって、何組の人なの?」
「そうですね……。何組とかではなくて、先輩ですよ」
「え?」
……同級生じゃなくて?
「友人には変わりありませんから。向こうの森の中にあるガゼボで待っています。パビリオン、あるいは東屋と言った方が聞き馴染みがあるかもしれませんね」
「待ってよ」
入学式の日のように、ハナコさんは人気のないガーデンを抜けていく。木漏れ日の暖かさと、人の気配がしない寂寞感が対流を作って、どこか海を彷徨っているような感覚がした。私が目を回しているうちに、どうやら目的の場所にたどり着いたようだった。私は迷子になる才能があるのかも。
東屋というから、壁のない屋根付きの休憩所のようなものを想像していたけど、実際のところ、そこにあったのは小屋のようなものだった。伝統の一言では覆すことができなかったのか、配電盤とプロパンガスのタンクが壁に取り付けられている。
ハナコさんが呼び鈴を鳴らすと、ドアの向こうから大きな狐耳がひょこっと飛び出してきた。
「こちらがティーパーティー三大派閥のうちの一つ、サンクトゥス派のセイアちゃんです」
ハナコさんは私に振り向いて、私に家主を紹介した。その耳に似合わない小さな体躯に、慌てて目線を下げる。
「やあ、待っていたよ。君が羽島エナだね」
「えっと、はじめまして」
視線で躓き、名前を先に言われ、私の挨拶は形無しとなってしまった。セイアさんは気にすることなく、私達2人を小屋に招き入れた。
部屋の奥に目線をやれば、白く塗られ、素雅な丸い机と、同じような椅子が3脚あった。入学前に見た、パンフレットそっくりなアフタヌーンティーのセットだった。
わずかに、ラベンダーの香りが鼻腔をくすぐった。ドライフラワー入りのこぢんまりとした瓶が、真っ白な机の上でただ1つ、シックな紫色を見せている。
この学園に来てからというもの、他者との交流にパラダイムシフトじみた変化を感じている。自己紹介の前に、名前を知られていたのはすでに2回目だ。もしかしたらハナコさんから伝えられていたのかもしれないけど、よく考えなくてもおかしいよね?
ハナコさんは私とセイアさんとの間に立って、どちらに語りかけるでもなく呟いた。
「セイアちゃんは良い人ですから。エナちゃんもきっと仲良くなれますよ」
私は答え方がわからなかった。セイアさんは理解しているのか、私が考えを巡らせる間に口を開く。
「そうかなハナコ。生け花が好きなハナコと、そうでない私とでは嗜好が異なるだろう? 莫連女と、その君が友誼を結ぶ善人とが君の媒で仲良くなりうると?」*1
セイアさんの印象は、少し怖い先輩、というものだった。善人と言ってくれたけど、私とセイアさんは初対面だし、私には彼女が何をもってそう語るのか分からない。本当に、彼女は良い人なのだろうか。
「ええ」*2
「ふむ。私が花を手折ってポプリをたくさん作る女だとしても?」*3
「はい。セイアちゃんも良い人ですから」*4
「おっと、待たせてすまない羽島エナ、君は私の賓客だ。この場のホストとして、非礼を詫びさせてくれ」
「あ、はい。大丈夫です」
おかしな会話に脳がこんがらがったけど、私はこの方を見たことがある。大きな狐耳の小さな先輩が一昨日、壇上で難しい話をしていたっけ。間違いなくこの方だ。
セイアさんは机の上のドライフラワー入りの瓶を手に持ち、いそいそと目の前から消えた。話の流れからおそらくポプリと名のつくインテリアなのだと思う。多分いいものだっただろうから、少し香りを味わってみたかった気もする。
「あはは、ちょっとびっくりしちゃいました? 彼女は貴方を拒んでいる訳ではなくて……。良い人なんですよ」
「その、ハナコさんのことを信じるよ?」
私達2人が椅子についた直後に、ハナコさんに囁かれた。耳を揺らすハナコさんの声に、同じように返答をした。何せ、私はこの場の正しい振る舞い方すら知らないのだから。
すぐに、ポプリの代わりに真っ白な箱を持ってセイアさんが現れた。中には袋に詰められたクッキーが入っていた。
「本来ならばウェルカムドリンクやティーフーズを用いて賓客をもてなし、ひとしきりの安寧を分かつのがホストの役目だが、生憎とこの庵には私しかいなくてね、簡朴な応対しかできず、申し訳ない」
「とんでもないです! むしろ、そっちのほうが助かります。……えっと、これも失礼ですかね」
セイアさんは茶会の簡素さに謝りたいらしいけど、私にとっては人生で一番上等な茶会なので、むしろこれ以上のものになると困るというか、固まってしまう。
「君の厚徳に預かるよ。それで、ハナコは?」
「まさか、セイアちゃんは私が怒ると思っているのですか?」
「はは、君から赫怒されては、流石に私も君の時計を褒めちぎる他ないさ。何せ、ここを指定したのは君だろう?」
「そうでしたね」
……あれ、セイアさんじゃなくて、ハナコさんからこの茶会を開こうと声をかけたの? モモトークだと、茶会をしたいのは相手のほうって書いてあったような。
「とはいえども、私も息抜きが必要だからね」
口に出してすらいない私の疑問に答えてくれる人は当然おらず、代わりにセイアさんはコンロから、ケトルをもって熱湯をティーポットに注いだ。
「こうして自分で紅茶を淹れるのもまた一興、と言いたいところだが、こうでもしないと周りが止めるのだよ」
「ナギサさんの陰に隠れがちではありますが、セイアちゃんの腕も良いですからね」
「けだし、君も期待したまえよ」
「……ありがとうございます」
正直なところ、何もリラックスできていなかった。セイアさんは少し怖いし、何か地面のような動いてはいけないものが動いているような錯覚に見舞われていた。
その悪寒の中で、私の前に紅茶が差し出された。私は2人に促されて一口飲む。途端に、体の芯が熱くなった。視界がそれこそほんのり紅茶色に染まったような、そんな気がした。
……紅茶って、すごいんだな。
「美味しい……」
「そうだろう?」
セイアさんは、私から漏れ出たつぶやきをその耳でつぶさに拾い、静かに微笑んだ。
「この茶葉の良さを語るには、時間と余白が足りないからね」
私はセイアさんの純朴な微笑みが眩しく感じた。これが人を惹きつける微笑なのかと、見とれてしまった。
「それは、セイアちゃんの舌は足りているということですか?」
「そう慌てなくとも、君の諷刺や皮肉を味わう分も残しているさ。それで、出来はどうだい?」
「おいしいですよ」
「それは良かった。この茶葉はストレートが一番だからね」
「ええ。ですから、セイアちゃんがこの紅茶を苦手としていないか、私はずっと気になっていたんです」
「君、今日はやけに直球で来るな」
翻って、セイアさんとハナコさんの会話は悪友のそれに思えた。この会話に混ざれる気はしないけど、少しだけうらやましい。それでも、紅茶のおかげか、嫌な気にもならずにいた。
とはいえ、口寂しさに紅茶を一口含むと、ちょうどセイアさんの視線を感じた。
「そうだ、君の質問に答えよう。君が訪れることは分かっていたんだ。それ故に君の名前も知っていた」
……私の質問? 私は何も、口を開いていないはず。