吸血鬼の世界で   作:白石譲

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 長い下り坂が続いている。

 宮崎涼介は自転車に跨っていた。サドルからは腰を浮かしている。上体はやや後ろに傾いていた。そのほうがスピードが出過ぎないからである。最大傾斜二十度にもなるこの急坂では、ショッピングモールで、七千八百円で購入した安物のシティ・サイクルが、競輪選手の全力疾走よりも速く下っていく。カーブを曲がりきれなければ、ガードレールに衝突するか、道の下のみかん畑に転落する。ブレーキをかけ遅れると、県道に飛び出して車に轢かれる。まだ女性とキスした経験もないままあの世へいくのは御免こうむる話だ。

 普段ならこの道は通らない。前述したように傾斜がきつく、道幅は車が一台通るのがやっとである。しかも、ところどころアスファルトが剥げ、陥没している。すき好んでシティ・サイクルで行く人は少ないだろう。

 この日涼介は文化祭で発表する劇の個人練習をするため、同じクラスの長塚の家に寄った。文化祭があと十日後に迫っていたが、涼介はまだセリフを覚えていなかった。

 家に着くなり、長塚による熱血指導が開始された。

 長塚は映画と漫画の鑑賞が趣味で、それに影響されることが多い。今回の劇も長塚の趣向が反映されている。

 タイトルは「桃太郎and金太郎~ドラキュラ城の決闘~」というもので、脚本はもちろん長塚だ。

 テーマはアクション。誰もが知る有名な昔話を融合させ、オリジナル要素をこれでもかと突っ込んだ大作――になるらしい。正直なところ、クラスメイトからの反応は芳しくなかった。それでもほかに良い案がなかったのでそれに決まった。

 涼介は中盤から登場する吸血鬼ドラキュラの役を任された。理由を訊くと、

「おまえ身長高いだろ。それに鷲鼻だし、肌も白い。帽子とサングラス、手袋つけて赤いコート着れば、旦那っぽいじゃん」

 という答えが返ってきた。確かに幼いころから外人に似ていると言われる機会が多かった。

 しかし旦那とはなんだ? 質問すると、長塚の持っている漫画HELLSINGに登場する主人公の愛称だそうだ。長塚のお気に入りのキャラクターで、今回の劇にどうしても登場させたかったらしい。

 その熱の入れようはすさまじく、練習では、やれもっと格好よくキレのある動きをしろだの、「豚のような悲鳴をあげろ」はもっと低く迫力ある声で言えだのと、高校生には厳しい演技指導を繰り返された。人前に出ることが苦手な涼介にとって、劇で重要な役を演じることは女装より恥ずかしい。それでも、任されたからにはやりきろうと必死に練習した。ひと通り練習が終わるころには、時計の針は午後六時を回っていた。

 やっと口うるさい演出家から解放されると安心していると、帰り際にHELLSING全十巻が入ったビニル袋を渡された。演出家からのありがたくない宿題だった。

 

 

 あたりは夕闇が迫っていた。体に吹き付ける風は冬を思わせる寒さだ。交通手段の乏しい田舎ではないが、三方を山に囲まれ、県庁所在地から二十キロ離れたこの町は、季節の移り変わりが早い。近所の洋菓子店は、昨日からクリスマスケーキの予約を始めている。

 涼介は自転車を飛ばした。カゴの中で漫画の入ったビニル袋が風に煽られてがさがさと鳴っている。陥没に気をつけながら道を急いだ。

 U字カーブを回り、県道まで直線の下りに入った。あとはブレーキと穴に気をつければいい。

 涼介はふと空を見上げた。夕焼けが薄くなり、星は輝きを取り戻しつつある。南の空からは上弦の月が顔を覗かせていた。

 ――その時、左から黒い影が飛び出してきた。空に目をやっていた涼介は一瞬反応が遅れた。

 ライトに照らし出された黒い影――それは黒猫だった。慌ててハンドルを右に切ると、黒猫は驚き、元来た道を引き返していった。しかし、涼介を乗せた自転車はガードレールへ向かっていた。

 指を潰す勢いでブレーキを握った。しかし、道幅の狭さは、車輪の回転が停止するのを許さなかった。

 涼介の自転車はガードレールに鋭角に激突した。衝撃で涼介と自転車は空中に投げ出され、そのまま下のみかん畑に落下していった。

 落下途中、みかん畑をぼんやり眺めながら、涼介の脳裏には、十七年の人生が早送りの映画のごとく流れていた。

父と一緒に自転車に乗る練習をしたこと。初めて遊園地に連れて行ってもらったこと。幼稚園の遊戯会で緊張して泣いてしまったこと。跳び箱の着地に失敗して骨折したこと。草野球でホームランを打ったこと。友達と一緒に女子更衣室をのぞき見したこと。大好きだった祖母が亡くなったこと――。

 楽しかった、悲しかった思い出がよみがえっては消えていった。それは、まぎれもなく走馬灯だった。

(俺は死ぬのかなぁ……)

 涼介は初めて自分が死に近づいていることを理解した。死に直面しても、不思議と恐怖は感じなかった。ただ、人生の幕切れがこんなにも突然やってきたことに驚いた。交通事故で亡くなる人は、みんなこういう気持ちなのだろうか……。

 視界の端には自転車も見えた。あいつは落ちてもフレームが傷つくだけで壊れはしないだろう――。

 そうして最後には、自分をここまで育ててくれた両親の顔が浮かんだ。

(父さん、母さん。ごめんなさい)

 心のなかで詫びた。

 次の瞬間、涼介は真っ逆さまになってみかん畑に飛び込んだ。木と木の間に滑り込むように。そして頭から地面に叩きつけられた。

 重いものがぶつかる鈍い音が、夕闇のみかん畑に響き渡った。

 

 

 宮崎涼介の遺体が発見されたのは、翌朝のことである。農園を経営する老夫婦が収穫に訪れると、破損した自転車と、その隣に横たわる涼介を見つけた。

 遺体は、頭がい骨が割れ、首と脊椎は曲がり、右腕からは折れた骨が突出していた。さらに顔は損傷が激しく、歯は折れ、鼻はつぶれ、眼球は外に飛び出していた。

 発見した老夫婦はすぐに警察に通報し、それが前日行方不明の届が出ていた生徒であると判明したのは正午すぎのことである。変わり果てた息子の姿を見た両親は、人目を憚らず泣き崩れた。

 現場に残されていた遺留品は、本人のものと思われるバッグと自転車、遺体のそばに散乱していた漫画本だけだった。

 血で赤黒く変色した漫画の表紙には、銃を持った男がこちらを見てにやりと笑っていた。

 

 




初投稿。処女作。プロットなし。原作キャラ登場せず。――これでいいのか?
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