吸血鬼の世界で   作:白石譲

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 夢を見ていた。自由に空を舞う鳥になった夢だ。満月のぼる夜の世界を、翼を広げて飛んでいた。

 心地よい夜風が体を包む。こんなに気持ち良い夢は初めてだ。

 自分の体に目をやると、黒々とした毛が生えていた。どうやらカラスらしい。なぜ自分がカラスになって空を飛んでいるのか分からなかった。が、これが夢である以上どうでもいい。今は夢を楽しもうと思った。

 左旋回。次に右旋回。ぐるりと宙返り。航空ショーのアクロバット飛行機を自分が操縦している気分だった。

 ひとしきり曲芸を楽しむと、周りの景色を観察した。

 眼下には森とそれに隣接する広い農場があった。農場の端には大きな建物もある。郊外に住む大地主の館のようだ。すぐ脇には用水路が流れている。

 飛び疲れた涼介は、どこか木の上で休憩しようと降下体勢に入った。

 すると、屋根の上に人が立っているのが見えた。その人は、長い筒のようなものをがちゃがちゃと操作していた。

(あれはなにしてるんだ……?)

 首をかしげた。と、屋根上の人は、その筒のようなものを持ち、涼介に向けて構えた。鉄砲だ!

 正体に気付いた涼介は無理やり体を引き上げ、その場から離脱しようとした。しかし、それより早く銃声が夜の静寂を引き裂いた。

 銃弾はまっすぐ心臓を狙って放たれた。涼介が上体を起こしたため僅かに下へずれたが、鳥となった涼介の胴体を貫通した。

 腹部に衝撃と激痛と熱を感じ、意識が遠のく。力の抜けた体は錐もみしながら落下していった。

(ああ、落ちる――)

 地面に接触する寸前、涼介の意識は沈んだ。

 

 

 

 

 遠くで銃声が聞こえた。

 嫌でも耳に残るその音で涼介は目を覚ました。

 視界には覆いかぶさる木々の枝葉と小さな満月があった。青臭い芝生と土のにおいが鼻についた。

(ここは……どこだ……)

 体が鉛のように重かった。なんとか起き上がり、立とうとするも、足に力が入らず傍の木の幹に寄りかかった。

(なんでこんなところで寝てたんだろう……)

 しばらくは木に体を預けて休んでいた。その間、頭のなかでは今の状況に対する疑問が渦巻いた。

(たしか俺は、長塚の家から帰る途中で――)

 死ぬ瞬間の映像がフラッシュバックした。叩きつけられた痛みが蘇ってきた。

 思い出したとたん、激しい恐怖に襲われた。確かにあの時自分は死んだはずだ。それがなぜ生きている――。

(ひょっとしてこれも夢?)

 さっきまで涼介は鳥になって空を飛ぶ夢を見ていた。これも夢の続きなのだろうか? それにしては現実感がありすぎる。右手で触れている木肌も、足で踏みしめている雑草も、しっかりここにある。きりきりとした空腹感と激しい喉の渇きが、夢でないことの何よりの証拠ではないか。

(夢でないとしたら……何?)

 せわしなく頭を動かし考えても答えは出なかった。とにかく一刻もはやく人のいる場所へ行こうと思った。自分が経験しているこの不可思議な現象を誰かに話したかった。

 月明かりのおかげで、街灯がなくとも見通しがきいた。いや、昼間よりもよく見える気がする。

(暗さに目がなれたのか)

 そう思うことで納得した。

 歩いていると、車の走る音が耳に届いた。公道が近くを通っているらしい。

 五分もしないうちに森を抜け、舗装された道路にでた。森ではなく道路脇の小規模な林だったようだ。

 向かいには民家があった。日本ではあまり見かけない煉瓦造りの家だった。煙突もある。

(助かった。とりあえず水を飲ませてもらおう)

 水を飲むためだけに他人の家の戸を叩くのは気がひけるが、とにかく喉が渇いて仕方なかった。

 一抹の不安を胸に涼介は足を進めた。

 民家には思っていたよりも広い庭が付属しており、色とりどりの花が客人を迎えるために美しく咲き誇っている。門の立札にはWELCOMEの文字が刻まれていた。

 ところが、近づくごとに、様子がおかしいことに気付いた。電気が消えて真っ暗なのに物音がする。なにかを引きちぎるような音。液体の滴る音。それに混じって、低いうめき声と笑い声が聞こえてくる。しかも生臭い。

(この臭いは……)

 涼介はこの臭いを知っている。動物が生命を宿している証――血だ。それも、人間が大量に血を流したときの臭いだ。

(まさか強盗殺人の現場に遭遇したんじゃ……)

 家の裏手に回り、窓からおそるおそる中を覗いた。

 

 

 部屋はよくあるリビングルームだった。向かって左側にはテレビがあり、本棚がある。部屋の中心にはカーペットがひかれ、低いテーブルが置かれている。本棚は壊され、中の本が散らばっていた。

 まず目に入ったのは、首のない子供の死体だった。その横には、女性のものと思われる下半身と腕が無造作に転がっている。ソファの上には、左半身がちぎれた男性がうつ伏せに倒れていた。

 そこかしこに血だまりがあり、赤い花を咲かせている。むごい有様だ。

 呆気にとられて部屋を見つめていた涼介は、奥の扉に点々と続く血の足跡を発見した。おそらくは犯人のものに違いない。

 凄惨な光景だが、あまりにも現実離れした光景は涼介から恐怖という感情を奪い去ってしまった。普通の人なら、叫ぶなり腰を抜かすなりしてこの場から逃げようとするだろう。だが、涼介は一度「死」を経験したせいか、焦りも恐怖も感じなかった。むしろ、犯人の正体を突き止めてやろうという好奇心を覚えた。それがどれだけ危険な行動か承知していたが、湧き上がってくる好奇心を抑えることはできなかった。

 再び正面へと戻ってきた涼介は、足音を立てぬようそろりと玄関の扉に手をかけた。そして息をひとつ吐くと、意を決してゆっくり押し開いた。

 

 

 扉を開くと、まっすぐな廊下になっている。右手に扉がふたつ、左手にひとつ、奥の突き当りにひとつあった。奥の扉にはW.Cと書かれたボードが掛かっている。廊下の中央には二階へ続く階段がある。

 さっき覗き見していた窓は裏の右側にあった。ということは、殺人現場は左手の部屋だ。

 静かに扉を閉め、靴を脱ごうとして下駄箱がないことに気付いた。外見だけでなく、内装も欧米式らしい。

 床には木材が張られており、一歩踏み出すたびに軋んで音が鳴った。できるだけ音を立てないよう忍び足で進み、ドアノブに手を伸ばした。

 ドアがゆっくりと引かれていく。まだドアノブを握っていないのに。

 ――え。

 ドアが完全に開かれた。にたり顔をした男と、うすら笑いを浮かべた女がそこにいた。

 

 

「やあ坊ちゃん。スプラッター鑑賞は楽しめたかい?」

 男は黒いニット帽を被っていた。髪は白い。手にはマシンガンらしきものが握られている。

「かわいそうなボク。私たちの仕事を盗み見たばっかりに、この家族と同じ運命をたどるなんてね」

 女も、やはり黒いキャップを、ツバを後ろに被っていた。外見は町中をうろつくアウトローなカップルだが、服についた返り血と手に持った銃が、彼らがただのカップルでないことを物語っていた。

「あなた達が……殺したんですか?」

「そうさ」

 やはりこの二人が犯人らしい。

「なぜこんなことを?」後ずさりながら涼介は質問した。

「それは俺たちが吸血鬼だからさ」

 口元を歪ませながら男が答えた。男の口から白い牙が覗いた。血に飢えたケダモノの牙だった。




二千字を書くのに半日もかかった。自分の遅筆を思い知らされた。
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