吸血鬼の世界で   作:白石譲

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 吸血鬼――男はそう言った。にわかには信じがたい。だが、二人から漂う血の匂いが、有無をいわさぬ説得力をもって涼介の鼻を刺激していた。

「いつから……俺に気付いていたんですか?」

 廊下の壁に背中が触れた。もう退くことはできない。汗が一筋、涼介の頬を流れた。

「おまえがこの家に入ってからだ」

 男は、手に持った銃を構えた。その銃口は涼介の眉間を正確に捉えていた。騒音は最小限に止めていたつもりだったが、どうやら聞こえていたようだ。

 銃口を向けながら男はドスのきいた声を出した。

「このへんのガキじゃねえな。顔つきも白人とは違う」

「ここにホームステイしてるチャイニーズじゃないの」

 女は壁を指で小突きながら笑った。

「俺たちのことを知ったからには、生きて返すわけにはいかねぇよな」

「そうね。血はさっき吸って満足したし、ぶち殺すのが一番じゃない」

 女がそう呟くと、涼介は総毛立った。心臓がぎゅっと縮まり、喉の奥からは、か細いうめき声が漏れた。こいつら俺を殺す気だ!

 壁を突き飛ばして涼介は駆け出した。玄関の扉までわずか数メートル。その距離は涼介にとって学校のグラウンドを十周するよりも長く感じた。扉がぐんぐん近づいてくる。

 涼介は腕を伸ばした。もう少しで外に――。

 が、その腕は扉にとどくことはなかった。それよりも早く、放たれた無数の銃弾が炸裂音とともに涼介の体を貫いた。

 背に空いた風穴からおびただしい血液をまき散らし、涼介はうつ伏せに倒れこんだ。床はみるみるうちに血の海となり、扉には血がべっとり飛び散っていた。空薬莢が血の海に浮かんでいた。

 男は銃口を下ろし、床に落ちた空薬莢を足で払いながら弾を交換しはじめた。

「哀れなボウヤ。この家に足を踏み入れたのが運のつきだったわね」

「殺すヤツがひとり増えただけさ」

 弾の交換が終わると、二人は抱擁し、口づけを交わした。

「これで四家族目だ」

「あと九つね、ハガー……」淫靡な声で女が囁いた。

「あと九つ。あと九つ殺しゃあ、あいつらに俺たちをもっともっと強くしてもらえる。そうすりゃずっと永遠に生きられる。ジェシカ! 永久に俺たち生きられるんだぜ……」

 窓の外から注ぐ月の光に照らされながら、二人はしばらくは互いの体の熱を分け合っていた。

 ひとしきり抱擁すると、二人は密着した体を離した。

「フフ……今ごろ警察は必死になってるわよ」

「ひはははは、違いねーや! ははっ、ひゃははははっ!」

 ハガーは下劣な笑い声をあげた。

「俺たちゃもう無敵のバンパイア様なんだぜ。警察なんぞに止められるもんかよ!」

 ハガーの笑い声が、血まみれの家屋に響き亘った。ジェシカも笑っていた。二人の吸血鬼の合唱は続いた。死体が動き出すまでは。

 

 

 その音に気付いたのはジェシカだった。床をひっかくような音に、ふと玄関に目をやると、殺したはずの涼介の指が動き、爪を木材敷きの床に突き立てていた。

「ねぇ、ハガー……あれ……」

 ジェシカの指差した方を振り返り、ハガーは驚愕した。

「な……に……」

 殺したはずの死体が、ゆっくりとした動作で起き上がった。全身から血液がしたたり落ちている。

「バカな! その傷で生きてるわけが……」

 人間ならばとっくに死んでいる。ではこいつは――。

 ハガーは動き出した死体にむけてマシンガンを乱射した。弾雨に撃たれて、死体は再び倒れ伏した。念入りに、先ほどよりも多くの弾丸を浴びせた。弾切れになるまで。

 ところが、死体はすぐに立ち上がった。動きが僅かに早くなっている。背を向けて立った死体が、ブリキ人形のような動きでこちらに首を回した。

 真っ赤な二つの双眸がハガーとジェシカを睨んでいた。

 二人は、吸血鬼になって初めて悲鳴をあげた。恐慌状態の二人にむかって死体――いや化け物は歩きだした。

 ハガーは弾の切れた銃を投げつけ、リビングへと急いだ。途中、血で滑りかけながらなんとか体勢を立て直すと、ウサギのように走った。到着してみると、ジェシカはすでに窓を破って逃げだそうとしていた。

「ジェシカ、待ってく――」

 その先は言えなかった。後ろから伸びてきた手に顔面を掴まれ、首を絞められた。

「ぐ……げ……」

 万力のような力で、ぎちぎちと握られた顔は、しだいに変形し縦長になってきた。このままでは潰される――。そう確信したハガーは、渾身の力で顔を掴んでいる腕を引きはがそうとした。しかし、吸血鬼の怪力をもってしても、どうにもならなかった。

 やがてハガーの体から力が抜け、だらりと腕が空をきったと同時に、頭部はぐしゃっと潰れたトマトになった。胴体は主を失い、カーペットに沈んだ。

 手についた血液と脳汁を化け物は舐めとった。そして残ったハガーの体にかぶりつき、血を吸い始めた。

 

 ハガーを捨て、命からがら逃げだしたジェシカは、ルート17号を南下していた。恐ろしい化け物から少しでも遠くへ逃れようと必死に走った。

 逃走中のジェシカの視界に人影が写った。赤いコートを身に纏い、黒い帽子とサングラスをかけた、背の高い紳士が、こちらに向かって歩いてくる。どうやら夜道を散歩しているらしい。

 姿を見られるのはまずいとジェシカは思った。警察に通報されれば、やっかいなことになる。

(とりあえず、さっさとあいつを殺して、バーミンガムに隠れよう。ぐずぐずしてるとあの化け物が……)

 そこまで考えていると、突然、紳士が足を止めた。コートの内側に手を突っ込んで、何かを取り出そうとしている。

(なにしてんだあいつは……)

 紳士は懐から、白い筒状の物体を取り出し、それを左腕に乗せ、ジェシカに照準を合わせた。それは見たこともない巨大な拳銃だった。そして引き金を引いた。

 腹に響くズドンという発砲音をまとわせ、対化物用に作られた13mm爆裂鉄鋼弾はジェシカに殺到した。

 撃たれた瞬間、ジェシカは弾の当たった箇所から体が崩れる感覚を覚えた。目の前が真っ暗になり、全身が弛緩するのが分かった。

 やがて、心臓を貫かれる痛みを感じた。それが、ジェシカの最後だった。

 

 

「マスター。もう終わっちゃったんですか?」

 金髪と豊満な胸に特徴のある女性が、赤いコートを着た紳士のもとへ駆け寄る。

「まぬけな奴だ。自ら死地へ出向いてくるとは」

 紳士は巨大な拳銃をコートにしまった。

「婦警。おまえは殺された死体の処理をしろ。早くしないとグールに変わるぞ」

「ヤッ、ヤーッ!」

 婦警と呼ばれた女性は急いで元来た道を戻っていった。そして、赤いコートの紳士は北の方角に歩き出した。

 数分後、紳士は今回の事件で最後に犠牲となった家族が住んでいた家に到着した。

「さて、どうやらもう一体化け物がいたようだな」

 紳士の前には、殺害された住民の中に混じって、傷一つなく横たわる涼介の姿があった。




ブラム・ストーカー著「吸血鬼ドラキュラ」を購入した。まだほんの序盤だが、これから読み進めていこうと思う。
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