『世界最大の民主主義は中国に生まれるかーー辛亥革命異史』 作:おたんちん
「私は梁煥奎──湖南鉱務局の書記を拝命し、この度、官費生の引率として参った者だ。」
黄が振り向けば、あの“アスパラガスの様”な痩身の男が側に立ち、彭の木箱に目をとめる。
「あぁ
梁煥彝は梁書記の実の弟で日本の成城学校に一九○一年から留学中であり、理系で技術者志望であるため、彭とは良く気が合った。休みの日には、彭の勤める工場へと煥彝やその友だちが出向くこともある。
「その箱は何だ?鉱石であるまい?」
彭は、梁書記が湖南でアンチモン鉱を扱っていることを承知している。ニヤリと笑い、蓋を開けて二人に中身を示した。中から現れたのは握り飯ほどの黒箱――鉛と硬質ゴムで組んだ蓄電池の試作品だった。
「逓信省払い下げの極板を削り直して組んだ実験セルですわ。このセルは電灯3本を夜通し灯せるほどには電気を貯めておけますな。」
梁書記の眉がわずかに動く。
「格子合金のアンチモン添加率は?」
「格子合金は鉛にアンチモンを6%添加してます。それにしても"格子合金"なんてようご存知で。」
「アンチモンの用途を追えば、蓄電池に行き着くのは道理だ。上海の商館の連中は"一、二秒ほど太いのを食わせても電圧が潰れないなら上々"と見ておるらしいが…。」
梁書記は腕組みし、試作品の側面を指で軽く叩いた。
「もっとも――私が苦労しているのは、問題なく添加できるような純度をどうやって絞り出すか、だがな。」
「湖南の鉱石は、そこまで扱いづらいのですか?」
話に全くついていけない黄は、僅かな嫉妬を内側に秘めながら、口を出す。
ーー彼らは自分の足で既にこの新時代を歩き出しているのだ。翻って自分はどうだ。何もないではないか。軍学に興味がありつつも、中途半端に決められた教師になるルートへ乗ってしまっている。それも清朝が引いたレールの上だ。
日頃、革命に気炎を上げる黄だったが、口では何と言おうと、黄自身が帰る場所を残し、自らの目標に自分の全てを注いでいないという事実に打ちのめされた。
「扱いづらいとも。芷江(しこう)の脈は硫砒鉄鉱に銀気がまとわりつく。揮発炉で三度炊いても九割三分。砒が抜けきらんのだ。」
梁書記の声音は淡々としながら、数字が鋭く飛ぶ。黄は梁書記らの会話を聞きながら敗北感を抱いた。
「九割五分の壁を破らねば、洋行に値で勝てぬ。ドイツが捨て値で放出するせいでな。」
梁書記は頭を掻きむしりながら言う。
「それにな、三井も九割五分に乗らねば買わぬと言っておるのだ。」
「海外産はそんな安いのですか?」
「ロンドンで一トン三十ポンド前後、独逸はそこから数ポンド落として投げ売りだ。我々のはまだ生産効率が良くない上、品質も良いわけじゃない。アジアまで持ってくる運賃を上乗せして純度を高めてようやく戦えるかどうかだ。」
梁書記は苦々しく顔を歪めそう言った。
黄はアンチモンが蓄電池に使われることを考えると、アンチモンは産業化が進んだ国でこそ使われる鉱物であることに気付いた。そうなると、現状としてアジアでは日本での契約が重要となるのだろうと理解した。
梁書記は隣の部屋を開け放ち、椅子を円に並べると、お付きの男を呼び寄せ、男含め4人に着席を促す。
四人が席につくと部屋のドアを閉める梁書記。李ら留学生の雑談の声が遠ざかる。
「仲光…これは王其行。香港出身でな。私の代わりに日本に滞在して、留学生の世話や監督をする。だが、主な役割は技術書や学術書の翻訳や購入、最先端技術や特許やらの調査だ。」
梁書記に紹介された王はその場で頭を下げる。王の落ちくぼんだ丸い眼は、強い意志が宿っているように見えた。
「翻訳やらの仕事を君らに頼むこともあるだろうから。その時は手伝ってやってくれ。給金は支払う。」
「わかりました。」
「彼は元々上海租界で新聞社の運営に関わってたから、学ぶことも多いだろう。彼が君らのやりたい事を手伝えることもある筈だ。」
そう言って王其行の肩に梁書記は手を置いた。眼をギラリと輝かせ、王は「よろしくお願いします。」と言う。
「彼も弘文学院には出入りすることができるから、風紀を乱すようなことはするなよ。」
梁書記はそう言外に意味を含めるように言って笑い、王とともに立ち上がる。
「我が弟、煥彝のことも頼んだぞ。」
「勿論です。」
彭がそう答えた瞬間、梁書記は彭の耳に顔を近づけ、何らかの言葉を伝え、何か紙切れを彭に渡す。彭はそれを観た瞬間、ニヤリと笑う。
自分には言えないことなのか。留学生会館では言えないことなのか。判断がつかないことであったが、口を突っ込みたくなった黄から「私も混ぜてくださいよ。」という言葉がついてでた。
「あまり、君には興味がないことかとは思うが…見学者が増えても問題ないだろう。夜、留学生会館前で。」
梁書記らが帰っていく。その姿を見送りながら、椅子を速やかに片付けていく彭。黄には手伝う間もなかった。
彼らと自分を比べた時の情けなさを考えると、思わず官費留学生という身分を辞めたくなったが、辞めた時に生まれる苦労と障壁を見とめると引き下がざるを得ない黄だった。
黄は自分の体たらくに下唇を噛み、悔しさを飲み込む。
「まずは腹ごしらえや。神田の蕎麦を奢ったる。図面を広げながら食う蕎麦は旨いぞ」
そう言うなり、彭は黄の行李をひょいと肩に担ぎ上げ、階下へ歩き出す。
《登場人物史実解説》
⑴梁煥奎(りょう・かんけい/Liang Huankui, 1868-1931)
史実:湖南の鉱業分野の実業家。湖南留學生監督を勤め、後に湖南大学となる湖南公立工業専門学校を設立。後にアンチモン精錬工場を設立し、アンチモン輸出に主要な役割を果たすまでに成長し、湖南鉱業大王と呼ばれる。
⑵梁煥彝(りょう・かんい/Liang Huanyi, 1871年頃-没年不明)
史実:梁煥奎の実弟で鉱山冶金の専門家。黄興らと共に湖南編訳社を設立。