【書籍化決定】因習村出身でも現代ダンジョンでなろう系をやれますか?~俺の後ろの上位存在があまりにもラスボスすぎる~ 作:不破ふわる
無遠慮に開け放たれた887号室の扉が、軋む音を立てる。
何の変哲もないマンションの一室に今まさに乗り込むように侵入した二人の黒服を、住人たちは訝し気に観察していた。
今はまだ何かをする仕草を見せないが、号令があれば今すぐにでもその侵入者を処理するであろう眼光が、黒服の背中へと送られる。
「失礼します」
形式上の言葉を吐き出して、黒服の男は靴を脱がぬままに廊下へと踏み入っていく。
それに文句を言おうと口を開いた八子だったが、もう一人の寡黙な男が靴を脱ぎ、自分へと頭を下げたのを見て仕方なく留飲を下げる。
黒服の男の行動の一つ一つがこちらへの挑発であり、歯向かえばその時点で今度は明確に敵と認定されかねない。
「お前は礼儀がなってていいな。死にそうになったらこのマンションの住人にしてやってもいい」
「恐縮です」
それだけ言うと八子と男は先に奥へと向かった黒服の男を追う。
一番奥にあるリビングが、八子の示した疑似媒介体の待機している部屋だった。
一歩踏み出すたびにまるで巨大な怪物に踏み潰されるような威圧感が体を支配していく。
それ自体が、疑似媒介体の存在を証明していた。
「さて、実物を見るのは初めてだな」
茶化す様な言葉と共に黒服の男はリビングの扉を開ける。
瞬間彼の頬を撫でたのは、穏やかな夏の風であった。
開け放たれた窓から流れ入る風が白いレースカーテンを揺らし、床に踊るような影を残す。
遠方から風に乗って届けられた潮の匂いだけは、変わらずにこの街の本来の姿であった。
部屋を満たす夏の中心に、彼女はいた。
「――貴方達が、御空様の言っていた新たな来訪者ですか」
木製の椅子に腰かけ、窓の外の青空を眺めたままその日差しを一身に受ける黒髪の少女――疑似媒介体である折津エイだ。
「お前が疑似媒介体か」
黒服の男の男が威圧的に部屋へと入る。
エイは変わらずそちらを見ようともせず、彼の問いにだけ答えた。
「そうですが、仰々しい名前で呼ばれるのはあまり好きではありませんね。……セナノさん一応は、彼らは武器を持っていないようです」
「そう」
声がして初めて黒服の男は扉の横にいたセナノの存在に気が付いた。
肩に乗った焔の小鳥は彼女が使役するNARROWである。
小さくとも人間一人を焼き殺すなど造作もないだろう。
「下手に動けば、我々を殺すと?」
「まさか。その気があるなら、とっくに皆さんを空に堕としています」
「……っ」
嘘ではないと、彼女の見る空の青さが告げていた。
八階まで高らかに響く蝉の声は、黒服の男を糾弾するように次第に強さを増していく。
この部屋に長居は無用だ。
さもなくば、自身の全てがこの空の元に晒されるだろう。
「我々が到着するのがわかっていたようですが、ならばこうして来た理由もお分かりですね?」
「潮哭ノ巫女との接触を防ぐ為でしょうか。ですが、アレはそもそも潮哭ノ巫女ではありませんよ?」
「……いいや、あれは潮哭ノ巫女です。縁理庁はそう判断しました。空澱大人の疑似媒介体が近づくことは許可されていません。事態が収拾するまでの間、貴女には我々の監視の下で待機してもらいます」
「私の監視が不足だとでも言うのかしら」
セナノの言葉に黒服の男は首肯する。
「現時点で、各観測所から異常値が検出されたという報告が多数寄せられています。彼女の影響を疑うのは当然の事でしょう? これは縁理庁の見解です。まさかS階位ともあろう方が縁理庁に楯突くと?」
「……彼女の事は丁重に扱いなさい。空は常に貴方達を見ているわ」
「忠告どうも。では、行きましょうか疑似媒介体。貴女の為の特別な部屋を用意しています」
人ではなく化け物を見るような目がエイへと向けられる。
しかしその視線を諫める者は誰もいなかった。
■
黒服達が到着する10分前、この部屋にはセナノとエイだけがいた。
「この部屋は窓があるんですね。すっごく気持ちが良いです」
窓を開け放ち、エイは顔を出して朗らかに笑う。
これから何が来るのかを一番理解している彼女は、しかし誰よりも明るく振る舞っていた。
「師匠やシオさん達は大丈夫でしょうか……? 何か手がかりを掴めると良いのですが」
「師匠は優秀だから大丈夫よ。それに潮哭ノ巫女だっているわ。本当、なんでいるのよ」
縁理庁より部隊が派遣されるという知らせを受けた一行は既に動き出していた。
潮哭ノ巫女がこの事件の原因でない事は理解している。だからこそ、真相を探るために彼女達は各自捜査を始めていたのだ。
「問題は縁理庁側がこの件を都合の良い様に改竄する前にあの異縁存在を処理する事が可能か、ね。まずは処理できない絡繰りから調べないと」
「別にもうセナノさんも調べに行っても良いんですよ? 八子さん達もいますし、私はここで部隊の到着を待ちますから」
「……本当にそいつらは貴女を拘束するの?」
「はい。御空様がそう仰っていましたから」
エイの声は相変わらず明るい。
これから自分を拘束する人間が来ると理解してなお、彼女は笑みを絶やしていなかった。
「だから私だけは動くことが出来ません。余計に警戒させてしまうでしょうし。本当は皆さんの力になりたかったんですけれどね」
「……もう十分に力になっているわよ」
「そうですか――っとと」
振り返ったエイは笑う。
同時にその体がゆっくりと傾き始めていた。
受け身を取ることが間に合わないと判断したエイはぎゅっと目を瞑るが、床の固い感触よりも先に手を引かれ抱き寄せられる感覚があった。
「大丈夫?」
「えへへ……すみません、少し御空様の言葉を聞きすぎたようで、眩暈が」
セナノに体を支えられて、エイはゆっくりと椅子に座る。
その口調と笑みで気が付くのが遅れたが、彼女の呼吸は浅く額には汗が浮かんでいた。
「エイ」
「大丈夫ですよ、セナノさん」
名を呼んだセナノの頬に手を添え、エイは告げる。
「御空様がいる限り、私が死ぬことはありません。少しの間、我慢すれば良いのです。それに、ますますこの場で待たなければいけなくなりましたね。この体では皆さんに迷惑を掛けてしまうでしょうから」
「……無理だけはしないで」
「私は私に出来る事をしているだけですよ。でもそうですね……少しだけ我儘を言っても良いでしょうか」
エイは頬に添えていた手をゆっくり下におろし、セナノの指先から自身の手を絡めていく。
自分の存在を伝えるような、あるいはセナノがここにいると自分に言い聞かせているような慎重な仕草だった。
「ここに部隊が到着するまで、私の手を握っていてくれませんか?」
あまりにも純粋で素朴な願い。
それだけがエイが求めたものだった。
■
時は戻り、エイとセナノは黒服の男に連れられマンション前の仮設テントまで移動していた。
既に前線観測所の展開は完了しており、隊員の誰もが特殊な封縁加工のなされた小銃を持ってエイとセナノを出迎える。
そんなものが青空の下では意味をなさないと知っているが、だからこそ目に見えた武器を手にしていなければ正気を保つことが出来ないようだ。
「お勤めご苦労様です」
穏やかな笑みのエイを見て警戒心を解く者などここにはいない。
その少女がこの世界にとってどれほどの脅威であるかを理解しているからだ。
「ふん、返事も碌にできないなんて大層な教育をされたようね」
セナノは不愉快そうに鼻を鳴らしながら、そう告げる。
黒服の男は「皆、緊張しているだけですよ」と適当な言葉を吐き、一番大きな仮設テントの前に二人を誘った。
「ここで少しの間、貴女には待機していてもらいます」
「わかりました」
開かれたテントの中には、小さな白熱電球の明かりだけが灯っていた。
遮光性の高い素材で作られたテントは、各面に数千を超える遮断構文が施されており、エイと空澱大人との繋がりを出来るだけ希薄なものにしようとしているようだ。
その他にも、セナノが目視で確認しただけでも十種類以上の構文が縫い込まれている。
(この子一人の為にどれだけの構文を使うのよ。まるで化け物みたいに扱って……!)
エイは従順にその中へと入っていく。
すると、中で待機していた二人の隊員が前に出て、それぞれが手に持っていた藍色のアタッシュケースを開けた。
直感的に良くないものだと感じたセナノは、その光景を眺める黒服の男へと問いかける。
「アレは何? まだ何かするの?」
「え? いや、アレは……うーん」
黒服の男は一瞬、知らないかのような素振りを見せたが、思い出す様に一度空を見上げた後に今までと同じ調子で語り始めた。
「アレは縁理庁が開発に成功した疑似媒介体拘束具の試作品です。良い機会なので試させて貰おうかと」
「は? 何を勝手な事を――」
「縁理庁上層部の承認は得ています。ただの監視役がそれを邪魔する権利を持ち合わせていると?」
このやり取りの間にも、準備は着々と進められた。
エイは中央のパイプ椅子の前に立たされると、その腕が後ろに回され藍色の手錠に掛けられる。
その上で、彼女の太ももや足首を束ねるようにベルトが縛り上げ、華奢な腰や胸元にも藍色のベルトが巻かれていった。
「っ、エイ!」
「……大丈夫ですよ、セナノさん」
エイは笑顔を作る。
が、その顔は次の瞬間に藍色の布で目を覆われ、口には金属製のマスクがあてがわれた。
完全に拘束された状態で彼女は椅子へと座らされ、更にその上から椅子に縛り付けられる。
セナノはもう我慢が出来なかった。
「っ、ふざけるなよお前らっ!」
「おっと、まさか監視役を降りると?」
「……っ、貴様ァ」
「ご安心ください。体に害がない事は既に実験で証明済みです。少しだけ窮屈な思いをするでしょうが、例の異縁存在が処理できれば問題なく解放されますよ。貴女も快く協力してくれたとして監視役の評価も上がるでしょう」
心にもない戯言を吐く黒服の男を無視して、セナノはエイを食い入る様に見つめる。
先ほどまでただ潮風を心地よさそうに浴びていた少女が、今は暗闇の中で拘束され、くだらない事情で押し込められている。
(縁理庁は……本当に人類の味方なの……!?)
疑問と共に黒い感情が湧き上がる。
今までの縁理庁の行いは、セナノの中にとある考えを生むには十分だった。
(縁理学園はまともだった。ならもう、あっちさえ残っていれば――)
しかしそのどす黒い感情はテントが閉められると同時に強制的に切り替えられる。
黒服の男に肩を叩かれたのだ。
「これで拘束は完了です。後は我々と共にこの事件を解決しましょう。そうすれば、疑似媒介体も早く解放できる」
自分の行動も監視するつもりであるという事はすぐに理解できた。
だからこそ、ネネを先に送り出し、シオとミナコの存在はそもそも認知させなかったのである。
「東園縁者にも同行してもらいたかったのですが、彼女はここにはいないようですね。連絡は可能ですか?」
「あの人、連絡に出たためしがないわ。単独行動が好きだから」
「……面倒ですね、彼女を捜索する部隊も派遣しましょうか。ではセナノさんはもう部隊と共に調査に出てしまいましょうか」
自分達に都合の悪い証拠を見つけさせない為、そして都合の良い終わり方を迎える為。
黒服の男は丁寧にセナノを理屈で縛り上げていく。
そこに既に別の意志が介在しているとも知らずに
「では彼女の監視は任せましたよ――鏑矢」
「はい。では三鎌縁者、行きましょうか」
鏑矢と呼ばれた瘦せぎすの男はセナノに出発を促す。
彼の目を僅かに見たセナノは、黙ってそれに追従した。
「くれぐれも、変な気は起こさないように」
去り際に黒服の男にそう告げられる。
が、セナノは聞こえないふりをした。
『ほっそい体のラインが出てて良いですよぉ! エイ、こっち見てー!』
『視界が制限されてるからどっち見ればいいかわかんないっす』