【書籍化決定】因習村出身でも現代ダンジョンでなろう系をやれますか?~俺の後ろの上位存在があまりにもラスボスすぎる~ 作:不破ふわる
今までの喧騒が嘘のような穏やかな日々が続いている。
少なくともエイとセナノにとっては間違いなく平穏だった。
好物を食べ、気になっていた映画を見て、明日の予定を話す。
そんなどこにでもある日常が、ようやく彼女達の元に舞い降りたのだ。
「うぅ、病院は嫌です。また入院とかになったらどうしましょう……」
「ただの定期診察でしょ。余程の事が無いとそんな入院なんてないわよ」
車椅子をセナノが押して進むのは、アルコール消毒液の香りが漂う薄暗い廊下だった。
廻縁都市にある唯一の病院の特殊病棟は、一般の患者が立ち入る事が許されておらず、人も少ない。
時折、張り詰めた顔の看護師が急ぎ足で通り過ぎるだけだ。
「余程の事があったらどうしましょう……!」
「まあ、ピザを一人で五枚平らげたのは余程の事ね。今度はダイエットで入院してみる?」
「せ、セナノさぁん!」
「冗談よ。ほら、いつものあげるから」
セナノはポケットからキャラメルを取り出すと、エイの前に差し出す。
するとエイは受け取らずに口を開けた。
「はぁ、食いしん坊なお姫様ね」
セナノは仕方ないとため息をついて、その口にキャラメルを放り込む。
それから再び車椅子を押し始めた。
「おいひぃれふ!」
「そう、それは良かったわ」
「これなら定期健診も乗り越えられそうですね。早く、一人で好きに走れるようになりたいんですけど」
エイは今、素足に包帯を巻かれた状態だった。
血が滲むことはなくなったが、それでも下手に動けば傷口が開いてしまう事に変わりはない。
「私としてはこれくらい大人しくても良いのよ? 貴女、目を離すとすぐにどこかに行くから」
「えへへ、すみません。美味しそうな匂いがするとつい……」
エイは照れくさそうに笑う。
そして話題を自分の食欲から逸らすように、わざとらしい声を上げた。
「そ、そう言えばこの後セナノさんは縁理学園に行く予定でしたよね?」
「ええそうね。ハカネに訓練に付き合って欲しいって言われたの。頼られたらエリートとしては断れないわ! でも二時間後にはここに戻ってくるから、大人しく待ってなさい。……本当にお願いね」
「はい!」
エイは良い笑顔と共に頷いた。
言葉を理解したかどうかはわからない。
「それにしても流石ですね。私も早く特訓に混ざりたいです。出来れば、空纏いを完璧にものにしたいんですよ」
「ああ、あれか……確かに自在に使いこなせるなら強力でしょうけど」
異縁存在の力を自由に使役するその特殊な権能は、多用するべきものではないだろう。
少なくとも、セナノにはそう思えて仕方がなかった。
何か、大きな代償をいずれ支払う事になる気がしてならないのだ。
「なので、いつか三人で特訓したいですね! 」
「それ、ハカネだけボロボロになりそうね」
災主級疑似媒介体とS階位に挟まれ特訓を受けるハカネの姿を想像して、セナノは内心で同情する。
エイはやりたいと言ったら本当にやってしまうので、恐らくいずれハカネはボロボロになるのだろう。
「でも特訓ってボロボロになって己の限界を超えるものだと師匠は言っていましたよ?」
「あの人は特殊よ。本当に……と、見えたわ。あそこが診察室ね」
「地図無かったら絶対に迷ってましたねぇ」
入り組んだ廊下の先には、診察室がひっそりと存在していた。
セナノは少しだけ車椅子を押す力を強めるが、それに気が付いたエイはハッとして顔を上げる。
「待ってください。まだキャラメルを食べ終わっていません。ゆっくり、ゆっくりでお願いします!」
「まったく……しょうがないわね」
極端に遅くして、セナノはエイの事を眺める。
この時間が続くなら、意外とこうしてわざと遅くするのも悪くはないかもしれない。
「貴女、本当にキャラメルが好きね」
「はい。これが初めてセナノさんに貰った甘味なので」
「……そ、そうよく覚えているのね」
照れくさい言葉を平然と吐き出せるエイの事が、セナノはたまにむずがゆくなる。
今も、そんな事を言われてしまっては照れていることを隠せそうにない。
少なくとも今は、振り向かない事を願うばかりだ。
■
廻縁都市に流れる空気はどこか張り詰めており、行き交う人々は皆息をひそめているかのようだ。
理由はただ一つ、迫る夜神楽である。
縁理庁より全ての縁者に告げられたのは、二週間で夜神楽が発生するという無慈悲な事実だった。
それも、廻縁都市を目指しているという。
過去に前例はなかった、縁者の本拠地への襲撃予告にこの都市に住む全ての者が動き始めていた。
少しでも経験を積もうとする者、生存確率を上げるために仕事道具を新たに買い揃える者、実力の無さを理解し他の縁者に従う者など様々だ。
しかし全員何かしらの行動を起こしていることに違いはない。
そしてそれは縁理学園の生徒も同じだった。
「ぜえっ、ぜえっ……」
構文の使用が認められた特殊多目的室は今、とあるS階位に貸し出されていた。
50メートル四方の部屋は構文を使用した特殊な灯に照らされて、その場にいる者の影を複数映し出す。
真っ白な壁に唯一取り付けられた黒板には「頑張ろう!」とだけ荒々しい字で記されていた。
「――もう一度、お願いします!」
くすんだ青い髪をポニーテールにした少女は、憧れの先輩と色違いのスポーツウェアを汗でぐっしょりと濡らし、ふらふらと立ち上がる。
対してセナノは汗一つ流していない様子で、涼しい顔で手の中で練習用の封縁杭を弄んでいた。
「次は、10秒は耐えますから!」
「耐えるんじゃなくて勝たなくちゃ意味ないわよハカネ」
「セナノ先輩に勝つのは流石に……」
鼻と顎先から流れ落ちる汗をぬぐいながらハカネはセナノに苦笑する。
その姿を見てセナノはため息をつくと、ハカネに背を向けた。
「10分休憩よ。ほら、さっさと休む」
「えぇっ、まだやれますよ! せっかく私の特訓に付き合ってくれているのに……!」
「そんな足をぶるぶる震わせながら言われても説得力がないわよ」
振り返ることなく、セナノは懐から取り出したスポンジ製の杭を投げる。
中等部に上がりたての学生が使うような安全に配慮された杭は、しかし手首のスナップだけで真っ直ぐにハカネの額へ直撃した。
「あいたっ!?」
「はい、これで私の50勝」
「不意打ちはノーカンですよぉ……」
「異縁存在なんて不意打ちのオンパレードじゃないの。体調管理も縁者には重要な要素よ。常にベストコンディションを保つ事を意識しなくちゃ、いざって時に動けないでしょ」
「うぅ、はい……」
床に大の字で寝転んだハカネは、呼吸を整えながら天井を見上げる。
そして、頭の片隅でずっと考えていたことを口にした。
「セナノ先輩って、夜神楽の選抜部隊に選ばれたんですか?」
「手の空いているS階位は強制参加よ。選ばれるとかそういうことじゃないの」
「おぉ、流石エリート……」
さらりと答えたセナノにハカネは感心する。
やはり彼女こそが自分が目指す姿に思えた。
「……今回の夜神楽で、私がお手伝い出来る事ってありますか?」
「気持ちだけ受け取っておくわ。貴女がするべきは、次の夜神楽に備えて鍛える事だから。だから、今日の特訓も無駄じゃないわ」
迫る夜神楽を前に搔き立てられた焦燥感こそが、この特訓を始めた理由だった。
が、そんな事はセナノには最初から見抜かれていたようである。
「やっぱり一流ですね、セナノ先輩は」
「当たり前じゃない。エリートだもの!」
セナノは既に休憩を終え、準備体操を始めている。
51度目の模擬戦を始めるつもりなのだろう。
「この模擬戦が終わったら、エイを迎えに行くから」
「はい、ありがとうございました」
ハカネもまた、ある程度は休憩が出来たので先程よりはマシに立てるようになった。
が、それ以上に気持ちを新たに出来た。
「では、お願いします!」
一礼し、ハカネはセナノに向かって行く。
いつか彼女に並んで戦う日を夢に見て、ハカネはこの特訓を全力で取り組むことに決めた。
そんな日は、来ないというのに。
■
二時間後、セナノは特殊病棟にたどり着いていた。
汗は一粒たりとも流していないが、それでも念のため着替えた上で待ち合わせよりも10分早く到着している。
しかしそこには既にエイの姿があった。
セナノは慌てて声を掛けようとして止まる。
彼女の視線は床に落ち、どこか悲し気に見えたのだ。
その視線と表情の正体を探ろうと、セナノが目を凝らした次の瞬間にはエイ
がセナノに気が付いた。
「あ、セナノさん!」
その顔にはいつもの笑顔が浮かんでいた。
「エイ……大丈夫?」
「何がですか?」
「その……定期健診の記念すべき一回目」
先程の表情について問いかける事はしない。
きっとまたお腹を空かせたからろうとセナノは一人で結論付けた。
「…………ああ、大丈夫でしたよ。まだ満足には歩けなさそうですが、でも元気モリモリです! お医者様も、順調に回復していると仰ってくれました!」
「そう、ならいいわ。食べ過ぎで胃が荒れていると言われたらどうしようかと思った」
「私の事をすっごく食いしん坊だと思ってないですか?」
「思っているけど」
「もうっ!」
「……でも、この後一緒にご飯食べるでしょ?」
「食べます! わーい!」
はしゃいで両手を上げるエイの後ろに回り込み、セナノは車椅子を押し始める。
きっと明日も明後日もこうして穏やかな日が続く。
そんな気がして、帰りは少しだけ足取りが軽やかになっていたことに彼女は気が付いていない。
『あの……医者に、内臓ナイナイでびっくりされたんですけど……即入院レベルだったんですけど……』
『大丈夫です。あの医者は既に御空医科の専属医になりました。貴女の体の不調は黙っていてくれますよ^^』
『いつ死んでもおかしくないって言われたんですけど!?』
『はははは、ナイスジョーク』
『ジョーク言ってないっすよ御空様』