8月、夏に咲く花火と見つめる夜空。   作: 龍也/星河琉

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読んでいただきありがとうございます。4話目となります。よろしくお願いいたします。


#4 こぼれ落ちる

 

 私が病院に着いた時には、雨水で髪や服がずぶ濡れの咲夜(さくや)さんが待合室に居た。

 

 咲夜さんから連絡を受けてすぐ、私も携帯しか持たずに傘を差さないで走ってきたから全身がびっしょりと濡れた。水気を含んだ服が肌にまとわりついて気持ちが悪い。和服を自分でアレンジして着ているから、この生地は和服そのもの。だから雨に濡れて傷んだだろうな、と一瞬思った。でも今そんなことはどうだっていい。和服も大事だけど、何よりもまずなっちゃんのことが知りたかった。

 

 全速力で走り続けて乱れた呼吸をゆっくり整えながら、私は咲夜さんから話を聞いた。

 

 急にひどい発作が出て、呼吸困難を起こして病院の廊下で倒れていたなっちゃんを看護師さんが発見して、集中治療室に運ばれたなっちゃんはお医者さんの懸命な処置でひとまず危険な状態は脱した。けれどまだ油断はできない状況らしく、あと1分処置が遅れていたら本当に危なかった……とのことだった。

 

 それを聞いた瞬間、想像を絶する恐怖と、なっちゃんの命は助かったことの安心がごちゃ混ぜになり、何かがせり上がってくるのを感じた。膝から、力が抜ける。

 

「はっ……はっ……はぁっ……うっ……」

 

花火(はなび)ちゃんっ! 大丈夫、夏輝(なつき)は生きてる! 大丈夫だから! 待ってな、今水買ってくる! あ、看護師さん! あの子にタオル渡してあげてください!」

 

 咲夜さんが私の背中をしばらく摩った後に早足で近くの自販機へ向かい、それと入れ替わるように看護師さんがタオルを手渡してくれた。その善意に、お礼を伝えられない。声が……出せない。全力で走り続けたから心臓が痛む。苦しい。上手く息ができない。髪から滴る水が、いやに冷たく手の甲を濡らす。

 

「花火ちゃん……落ち着いたら、夏輝のところに行こう。病室が変わって、10分くらいしか面会できないけど……会いに行ってやってほしい」

 

 ミネラルウォーターが入ったペットボトルを差し出してしゃがむ咲夜さんの顔は、憂いが滲んでいた。こんな時でも、なっちゃんのお母さんは病院に来ない。咲夜さんが1番なっちゃんを気にかけて、勧んでお世話してくれている。なっちゃんが危ない状態になっても何もしないんだ、とふつふつ煮えくりかえる心を鎮めさせるように何度も深呼吸をした。もらったタオルで頭を軽く拭いてから、咲夜さんと目を合わせる。

 

「咲夜さん、ありがとうございます。もう大丈夫です。……なっちゃんのところに、行きます」

 

 咲夜さんからペットボトルを受け取って床から立ち上がり、私達はなっちゃんが居る病室へ向かった。

 

 なっちゃんは『HCU』という集中治療室と一般病棟の真ん中に位置する、今よりもっとすごい治療ができる病室に移動した、と歩きながら咲夜さんが教えてくれた。

 

 難しいことはよくわからなかったけれど、そのHCUは一般病棟よりも面会に厳しい制約があるみたいで、1度に病室に入れるのは1人ずつ……しかも10分しか部屋に居られないとのことだった。

 

 面会にそんなに厳しい条件があるということは、まだ油断できない状況であることが本当なんだと分かり、めまいがした。『なっちゃんの容態が悪化した』。そう考えるのが嫌で嫌で仕方がないのに、現実は残酷に事実のみを告げてくる。涙が出そうになるのを必死に堪えながら歩くうちに、咲夜さんと私はHCUの前に着いた。

 

 咲夜さんから『先に夏輝に会いに行きな』と言われ、私は咲夜さんの言う通りに病室のドアを静かに開ける。中にはなっちゃん以外に人は居らず、しんと静まりかえっている。その部屋にはこの前までなっちゃんが居た病室に置かれていなかったたくさんの機械があり、そこから伸びている数本のチューブが……私の想い人を逃がさまいと主張するように繋がっていた。

 

「なっ……ちゃん……?」

 

 漫画やドラマでしか見たことがなかった光景が、私の目の前に広がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 なっちゃんがHCUに移ってからちょうど1週間。今日も私は、10分という短い時間をなっちゃんと一緒に過ごしに来た。

 

 口元に酸素マスクを付けられ、点滴を繋がれて仰向けに寝ているなっちゃんに今日の午前中に起きた出来事を話す。他愛もない、私の日常の話だ。

 

 話しかけても、なっちゃんから返答はない。聞こえてくるのは、ヒュウヒュウと苦しそうな呼吸音のみ。微かに意識がある状態と眠っている状態を1日に何度も繰り返しているみたいで、昨日も一昨日も目は細く開いていたけれど焦点が合っていなくて、私がここに居ることをなっちゃんが認識しているかどうかさえわからない。

 

 今のなっちゃんは、息をするだけで……生きているだけで精一杯な様子だった。とても退院できる容態じゃないのは、深く考えなくてもわかった。私があの時抱いていた期待が、音を立てて崩れていく。

 

 なんで。なんで……なっちゃんばかり、こんな目に遭わなきゃいけないの? なんで、何も悪くないなっちゃんが病気で苦しまなくちゃいけないの?

 

 私の頭にあるのは、『なんで』という疑問ばかり。なっちゃんのような優しくてあったかい人が、なんで辛い思いをしなくてはいけないのか。自分が生きていてほしいと切に願う人にさえ、災いや不幸は容赦なく降りかかる。日に日に痩せ細って、なっちゃんの腕や脚には血管が浮き出ていた。昨日よりも苦しそうに息をしているなっちゃんに上手く話ができなくなって、言葉が詰まる。機械から一定間隔で鳴る電子音のみが、病室に響く。

 

 そっと、なっちゃんの右手を握った。私はここだよ。ここに居るよって、なっちゃんに伝えるために。細くて白い、なっちゃんの手。花火を見ようと約束したあの日に握り返してくれたその手は、ぴくりとも動いてはくれなかった。

 

 視界が、ぐにゃりと歪む。熱いものが、目からとめどなく溢れて止まらなくなる。

 

「なっちゃん……なっ……ちゃんっ……」

 

 なっちゃんと過ごした時間が、なっちゃんからもらった言葉が、頭の中に次々と浮かんでくる。

 

『いつもありがとう。……ごめんね。花ちゃん』

 

『花ちゃんは、花ちゃんのままでいいんだよ』

 

『花ちゃんの夢、全力で応援する!』

 

『誰がなんて言っても、ぼくは花ちゃんの味方だよ』

 

 どんなことがあっても忘れない。忘れられない、私の心を何度も救ってくれた言葉。それを上塗りするように、あの日のなっちゃんの問いがまた聞こえてきた。

 

『ぼくは……生きてても、いいのかな……』

 

 親族の人達からどれだけ罵られても、嘲笑われても立ち直り続けてきたなっちゃんが口にした、心の悲鳴。痛みと苦しみが入り混じった、悲しすぎる問い。思い出した瞬間に、頬を伝うそれが更に量を増す。

 

「……生きてていい」

 

 あの日言えなかったその問いへの答えを、今はっきりと言葉にする。

 

「人より身体が弱くていいっ……特別なことができなくていいっ……何もできなくたっていいから……!」

 

 他の人がどれだけなっちゃんを否定しても。もし、世界中の誰もがなっちゃんを嫌ったとしても。

 

「生きてっ! 私、なんでもする……絶対、なっちゃんを独りにさせないっ! どんな時も一緒にいる……! なっちゃんの心は絶対……私が守る! だから……だからっ……」

 

 なっちゃんの右手を、両手でぎゅっと握る。

 

「生きて……私の側にいてよっ! なっちゃんとこれからしたいこと……たくさんあるのっ! 一緒に高校に通いたい……楽しいことをして笑いたい……一緒に夢を追いかけたいっ……! 浴衣を着て花火を見に行くって……約束したでしょ……? まだ、見れてないよっ……? ねぇ、なっちゃん……」

 

 なっちゃんの口も、手も、足も。何ひとつ動かない。

 

「いやっ……やだ……やだよっ……! なっちゃん、なっちゃんっ……なっちゃんっ……!」

 

 ひたすら、最愛の人の名前を呼ぶ。なっちゃんは。なっちゃんだけは。絶対に生きていてほしい。居なくなる未来なんて、想像したくない。脳が、その未来を拒絶する。

 

「なっちゃんがいなくなっちゃったら……私……私っ……」

 

 嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。なっちゃんがいなくなるなんて……嫌だ。なっちゃんの居ない世界で、上手く息できるはずがない。なっちゃんの居ない世界で……生きていたくないよ。

 

「なっちゃん……なっちゃんっ……! 行かないで……私を置いてかないでっ! やだ……やだっ……! 生きて……生きてよぉっ!! なっちゃぁんっ……! あぁ……あぁぁぁぁっ……」

 

 頬に流れる涙で、ベッドが湿っていく。息苦しそうに呼吸をする幼馴染の名前をずっと、ずっとずっと呼び続けた。今にも折れてしまいそうな、彼のほっそりとした手を固く握りながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




願うのはただひとつ。
あなたに生きていてほしい。
たった、それだけなのに。
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