ヤン・ウェンリートレーナーの短編集   作:灯火011

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閑話休題:チーム・ヤンのひととき

 ヤン・ウェンリーが、いつものように理事長室へ、どうせ却下される引退願を出しに行った、ある日の午後。 彼のトレーナー室には、主(あるじ)不在にもかかわらず、奇跡的とも言える光景が広がっていた。

 

 ソファでは、芦毛のウマ娘――ゴールドシップが、ヤンの歴史書を枕にして、豪快に昼寝していた。もちろん、いつも通りの不法占拠である。

 

 そこへ、まずライスシャワーが、おずおずと入ってくる。ヤンが不在なのは承知の上だ。

 

「お兄さま、また理事長室かな……。紅茶の準備、しておかないと……」

 

 次に、ナリタブライアンが、音もなく現れる。彼女もヤンがいないのは知っている。机の上に、次の『設計図』が置かれていないか確認しに来ただけだ。

 

 最後に、シンボリルドルフがふらりと、その姿を見せた。

 

「やれやれ、また彼は職務放棄かな」

 

 とはいえ彼女も、ヤンが、理事長室で引退交渉という名の職務を熟している事については、十二分に理解してはいるが。

 

 

「おー、珍しく揃ったなー」

 

 枕代わりの歴史書から顔を上げたゴールドシップが、ニヤニヤしながら言った。

 

「会長に怪物に刺客ときて……なんだなんだ? 魔法使い抜きで『チーム・ヤン』の決起集会かなんかをおっぱじめようってか!?」

 

 ブライアンは、目的であったであろう机の上のファイルを手に取ると、無言で壁に寄りかかった。

 

「……フン。私はこれを回収しに来ただけだ」

 

 ライスは、ヤンのティーカップを手に取り、布でキュッキュと磨き始める。

 

「ら、ライスは、トレーナーの紅茶の、準備を……!」

 

 ルドルフは、その光景を面白そうに眺めている。

 

「ふふ、皆トレーナー君がいないと、かえって集まりが良いな。まるで、彼がいないことを確認しに来ているようだ」

 

 それらを確認したゴルシは、ソファから足を投げ出して尋ねる。

 

「で、どーなの?お前らって実際、あの魔法使いのこと、どう思ってんのよ」

 

「『魔法使い』か」

 

 ルドルフは、ヤンの本棚を眺めながら答えた。

 

 「私は『最高の戦略家』だと思っているよ。私の『覇道』を、最も面倒くさがりながら、最も的確に実現してくれる。……まあ、もう少し、皇帝の側に仕える自覚というか、覇気が欲しいところだがね」

 

「……『合理的』だ」

 

 ブライアンが、壁に寄りかかったまま、短く呟く。

 

「あの人の『設計図』は、私の脚を壊さず、速くしてくれる。それ以外に言葉はいらん」

 

「つまんねーなぁ。真面目すぎだっつーの、皇帝様と怪物様は」

 

 ゴルシは、次のターゲットをライスシャワーに決めた。

 

「ライスちゃんは? ライスちゃんはどーなのよ?」

 

「えっ!? ら、ライスは……その……」

 

 ライスは、カップを磨く手を止め、顔を赤らめる。

 

「お、お兄さまは……」

 

「『お兄さま』!かーっ!出た!」

 

 ゴールドシップが、待ってましたとばかりにソファから跳ね起きた。

 

「マジでそう呼んでんのかよ!アタシの前でも呼んでみろよ、『お・に・い・さ・ま』って!」

 

「ひゃっ!? ち、違っ……!そ、その、二人きりの時、だけ、というか……!」

 

 ライスの言葉に、ブライアンが思わずジト目で二人を見つめ、ルドルフは興味深そうに口元を隠していた。

 

「あ、あの!」

 

 ライスは慌てて話題を軌道修正する。

 

「お兄さまは、ライスの走りを、誰も分かってくれなかったのに、初めて『それが君の武器だ』って……!だ、だから、恩人……です!」

 

「へーライスちゃんにとっては、魔法使いは『恩人』なんかー」

 

 ゴルシは感心しながらソファーに腰かける。それを見たルドルフは、間髪入れずにゴルシに質問を投げる。

 

「君はどうなんだい?ゴールドシップ」

 

「アタシにとっちゃ、退屈しないための最高の『オモチャ』だなー」

 

 ゴルシは再びソファに寝転がった。

 

「アタシが何やってもこれが全然怒らねー。逆に『ふむ。実に興味深いね』とか言ってデータ取ってニヤニヤしてんだぜ?そう考えっと、アイツも大概ヤベーよな?」

 

「確かに」

 

 とルドルフが頷く。

 

「彼は『常識』には興味がないのかもしれない。彼は『歴史』と『理論』にしか興味がない。だからこそ、私や、ブライアンや、ライス君、そして君のような『規格外のウマ娘』が、彼の研究対象としては最適なのかもしれないよ?」

 

「……フン。私たちで実験でもしているつもりか。あの人は」

 

「お互い様さ」

 

 とルドルフは笑う。

 

「私たちも、彼の『魔術』を利用してこの立場まで上り詰めたのだからね」

 

「ま、どーでもいーけど!」

 

 ゴルシは歴史書を再び枕にする。

 

「アイツがアタシを退屈させないうちは、アタシもアイツを楽しませてやるって、そー決めてんだ」

 

 ゴルシのらしからぬ言葉に、ルドルフが思わず頬を緩めて言った。

 

「君も大概真面目だね」

 

「うっせ」

 

 と、ゴルシが再びソファーで眠りに着こうとしたその時だった。

 

 コン、コン。

 

 ライスよりも遠慮がちで、どこか緊張した面持ちの、切実なノックの音が響いた。

 

「は、はい、どうぞ……!」

 

 不在であるヤンの代わりにライスが返事をすると、ドアがゆっくりと開いた。

 

 そこに立っていたのは、ウマ娘ではなかった。 青いジャージを着た、若手の男性トレーナー。その手には、ヤンの戦術が分析されたであろうレース雑誌が握りしめられ、その顔は、藁にもすがる思いで切迫していた。

 

 彼は、室内にいる「皇帝」「怪物」「混沌」「刺客」という、学園内のある意味で頂点メンバーたちを見て、一度ドアを閉めかけた。

 

「し、失礼しましたっ!会議中でしたか!」

 

「いや、構わんよ」

 

 とルドルフが呼び止める。

 

「とはいえトレーナー君なら、今、理事長室だが」

 

 若手トレーナーは、意を決したように、震える声で言った。

 

「は、はい!あ、あの……っ! ど、どうしても、ヤン・ウェンリー先生に、お聞きしたいことがありまして……!ご不在なのであれば、ぜひ、チーム・ヤンの皆様にもお聞きしたく……!」

 

 彼は、握りしめた雑誌を胸に当て、叫んだ。

 

「ど、どうすれば……! どうすれば、先生のように、『常識』や『根性論』に一切頼らず、データと理論だけで……! あんな、皇帝や怪物や……こ、ここにいらっしゃる方々のような、規格外の才能を、同時に、事故なく、指導できるんですか―――っ!!」

 

 この瞬間、4人の意識は見事なまでの一致を見せていた。

 

 それは、また『トレーナー好みの面倒事』が来た。という事に他ならない。

 

 

 若手トレーナーの切実な叫びは、静かなトレーナー室に響き渡った。 「皇帝」「怪物」「混沌」「刺客」の4人は、一斉にその若者に視線を向ける。

 

「ど、どうすれば……実際に、その、『規格外の才能』を『事故なく』指導できるのか……」

 

 若手トレーナーが呟いた言葉に、最初に反応したのは、やはりというか、この中では一番の変わり者であるゴールドシップだった。

 

「んー?『事故なく』だぁ?」

 

 ソファから再び跳ね起きたゴルシは、若手トレーナーの周りをキョロキョロと見回す。

 

「アタシなんかに付き合ってるトレーナーは、毎日が事故みたいなもんだぜ?つーか何、お前、魔法使いの弟子になりたいワケ?やめとけって、あいつに捕まったら、毎日焼きそばパン買いに行かされちまうぞー?」

 

「えっ!? や、焼きそばパン……?指導の対価に、パシリを……!? やはり常軌を逸している……!」

 

 若手トレーナーが混乱する。

 

「……フン」

 

 壁に寄りかかったままのナリタブライアンが、冷たく言い放った。

 

「勘違いするな。あの人は、指導などしていない。ただ『設計図』を渡すだけだ。走るのは私だ」

 

「せ、設計図……?やはり、何か秘伝のフォーマットが……!」

 

「あ、あの……」

 

 混乱を深める若手トレーナーを見て、ライスシャワーがおずおずとフォローに入る。

 

「お兄さまは、その……『本質』を見てくれる、というか……。ライスの、この走りを、初めて『武器』だって、言ってくれました……。だから、その……ちゃんと、見てくれる、人、です……!」

 

「本質……武器……! やはり、個々の才能を見抜く『魔眼』のようなものが……先生には備わっているのですか……!」

 

 若手トレーナーの瞳が、希望と混乱でグルグルし始めたのを見て、シンボリルドルフが、やれやれと肩をすくめた。

 

「彼の指導法、か。それは、君が学ぼうとしている『理論』とは、少し違うかもしれないよ。彼はトレーナーというよりは――」

 

 

 

 

「――ただの紅茶愛好家で、何より、もうすぐ引退する予定の、しがない歴史愛好家に過ぎないよ」

 

 

 

 

 全員の背後から、気の抜けた、しかしこの部屋で最も権威のある声が響いた。ヤン・ウェンリーが理事長室での、今週三度目となる不毛な交渉を終え戻ってきたのだ。

 

 それを見たゴルシはソファで寝たフリを始め、ブライアンは気まずそうに窓の外を見、ライスは少し微笑むと紅茶セットを磨く速度を上げる。

 

 そしてルドルフだけが、

 

「おかえり、トレーナー君」

 

 と優雅に微笑んだ。

 

「や、ヤ、ヤン・ウェンリー先生!」

 

 若手トレーナーは、救世主、あるいはラスボスの登場に、直立不動になる。

 

「ふむ」

 

 ヤンは、まず、自室に違法占拠している担当ウマ娘たちを一瞥し、次に、明らかにキャパオーバーしている若手トレーナーを見た。

 

 そして、この日一番の、深いため息をついた。

 

「……やれやれ。私の部屋は、いつからカフェテリアになったんだい?順を追って説明してくれないか、ルドルフ」

「もちろん。どこから説明すればいい?トレーナー君」

「そうだな。まず、この、熱意だけはありそうな青年は誰だ?」

 

「君の『魔術』を学びたいという、熱心な後輩トレーナーだ。指導してあげたらどうだ?」

「お断りする」

 

 ヤンは即答した。 彼は若手トレーナーに向き直り、いつもの気だるげな調子で言った。

 

「悪いが、私はトレーナーを指導するライセンスは持っていない。それに、私は『魔術師』などではなく、いいとこただの歴史オタクだ。君が期待するような『必勝法』や『指導マニュアル』は、生憎だが持ち合わせていない」

 

「そ、そんな……!で、ですが、現に、これだけのウマ娘たちを……!」

 

 若手トレーナーが食い下がると、ヤンは、ふっと、その瞳の奥に一瞬だけ、魔術師の冷徹な光を宿した。

 

「君はひとつ、致命的な勘違いをしている」

 

「え……?」

 

「君が欲しいのは、『私の指導法』か? それとも『君自身の指導法』かね?」

 

 ヤンは、若手トレーナーが握りしめているレース雑誌を指差した。

 

「そこに書いてあるのは、全て『結果』だ。つまり『過去』だ。私がやっているのは、その『過去』の膨大なデータを分析し、そこから『蓋然性(パターン)』を見つけ出し、彼女たちウマ娘の『本質』に当てはめているだけだ。魔術じゃない、ただの統計学だよ」

 

「統計学……」

 

「そうだ。君が指導すべきウマ娘のデータは、その過去は、君が一番持っているはずだ。一つ聞くが、君が担当しているウマ娘の、模擬レースを含めたレース映像は何度か見直したのかい?」

 

「え、あ、はい。数回は……」

 

「足りないな。君はまず、私に教えを乞うよりも、君自身の担当ウマ娘のレース映像を、あと100回は見直すことから始めたまえ」

 

 ヤンは、そう言い放つと、自分のデスクに座った。

 

「そしてこのトレセン学園が所蔵する、歴史書をすべて読みたまえ。レースの結果だけに限らず、過去に行われたトレーニングの内容やその成否、食事のメニュー、気候情報、果ては出入りした人物の流れや修繕や増築といったものまで全てを、だ。少しでもマシなトレーナーになりたいというのであれば、あるものは全て知識として蓄える事をおすすめする。君が求めるレースの答えは全て、過去の中に書いてある」

 

 言い切って、ヤンは溜息を一つ付く。すると、いつもの覇気のない眼に戻っていた。

 

「……さて。講義は終わりだ。今日のところはお引き取り願おう。悪いが、私はこれから昼寝をしなければならないからね」

 

 若手トレーナーは、ヤンの言葉に、何かを掴みかけたような、あるいは、さらに深い迷宮に突き落とされたような、複雑な表情を浮かべた。

 

「……か、過去……。統計学……。あ、ありがとうございました!」

 

 彼は、深々と頭を下げると、竜巻のようにトレーナー室から去っていった。そして、嵐が去った部屋で、ヤンは再び大きなため息をつく。

 

「……さて」

 

 彼は、部屋に居座り続ける4人の「規格外のウマ娘達」を見回した。

 

「まず、ルドルフはこんなところで油を売っている場合じゃないだろう?急ぎの生徒会の仕事があるはずだ。次にブライアン、君の『設計図』はまだできていない。明後日までには作っておくから、そのファイルは机に戻しておくように。そしてゴルシ、焼きそばパンは何時もの戸棚に2つ置いてある。それを食ったらソファからとっとと退きなさい。そこは私の昼寝用スペースだ。ライス、紅茶を頼む。ああ、それと、蜂蜜を添えておいてくれ」

 

 魔術師の淀みない指示で、彼女らは渋々、あるいはキビキビと動き始めた。

 

 面倒で、退屈で、そして恐らくは、彼が望む「平穏な引退」からは最も遠い一日が、続いていくのである。

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