ヤン・ウェンリートレーナーの短編集   作:灯火011

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暮の中山(結)―『いちばんぼし』のハンバーグ

 暮の祝典が終わった当日、その夜のこと。

 

 トレセン学園のトレーナー寮にある共用キッチンは、レース本番に勝るとも劣らない戦場と化していた。

 

「魔術師ー!ソースが焦げてるよ!ボクが混ぜてあげる!」

「待てテイオー、君が混ぜると遠心力で飛び散る!下がっていなさい!」

「お兄さま、お米が炊けました……!ふっくら、ツヤツヤです!」

「ありがとうライス。君の炊飯スキルは国宝級だな」

「おい魔術師、隠し味にこの『特製マンドラゴラエキス』を入れようぜ」

「やめるんだゴールドシップ!それはそもそも料理じゃない、錬金術か何かの類だ」

 

 エプロン姿のヤン・ウェンリーは、フライパンと格闘しながら、周囲の「怪物たち」の猛攻を捌いていた。

 今日のメニューは、約束の特大ハンバーグ。だが、一人で作るつもりだったのが、なぜかチームメンバー全員が押しかけ、大調理大会になってしまっていた。

 

「まったく……。ルドルフ、君たちはレースで疲れているんじゃないのか?」

「なにを言っているんだ、トレーナー君。疲れなんてもの、美味しい匂いで吹き飛んださ」

 

 そして、一番張り切っているのは、主役のハルウララだ。彼女は鼻歌を歌いながら、不格好だが一生懸命にサラダを盛り付けている。

 

「できたー!トレーナーさん、ハンバーグまだー?」

「ああ、今焼き上がる。……さあ、全員、お皿を持って私の部屋へ向かおうか」

 

 

 ヤンの私室。テーブルに並べられたのは、ヤン・ウェンリー特製のハンバーグステーキ。

 形は少々いびつだが、肉汁が溢れ、デミグラスソースの良い香りが漂っている。

 

「では、シンボリルドルフの勝利と、ハルウララの完走を祝して、頂くとしよう」

「「「いただきまーす!!」」」

 

 号令と共に、ウマ娘たちががっつく。シンボリルドルフでさえ、今日ばかりは優雅さをかなぐり捨ててナイフを動かしている。

 

「ん〜〜っ!おいしーい!!」

 

 ウララが頬を膨らませて叫んだ。その笑顔を見て、ヤンはホッと胸を撫で下ろし、自分用の紅茶、ブランデー多めだが、に口をつけた。

 

「……よかった。正直、味の保証はなかったんだがね」

「ううん!世界一だよ!お店のよりずっと美味しい!」

 

 ウララは、ソースで口の周りをベタベタにしながら、満面の笑みを向けた。

 

 有マ記念の結果は最下位。

 

 世間的に見れば、祝勝会など開く理由はない。だが、この部屋に流れている空気は、どんなG1勝利の夜よりも温かく、幸福に満ちていた。

 

「完走、おめでとうウララ」

 

 ナリタブライアンが、自分の皿から人参を一つ、ウララの皿に移してやった。

 

「えへへ、ありがとブライアンちゃん!」

「カイチョー!次は負けないからね!今度はボクが一番で、ウララが二番!」

 

 トウカイテイオーが笑う。

 

「えー、私も一番がいいー!」

 

 騒がしい食卓だが、ヤンは目を細めてその光景を眺めた。

 歴史には残らない、小さな食卓の平和。だが、彼が守りたかったのは、銀河の覇権などではなく、まさにこの「半径数メートルの幸福」だったのだろう。

 

 

 食後。腹ごなしにベランダに出たヤンの隣に、ウララがやってきた。冬の夜空は澄んでいて、星がよく見える。

 

「……寒くないかい?」

「うん。ハンバーグ食べたからポカポカだよ」

 

 ウララは手すりにもたれかかり、夜空を見上げた。

 

「ねえ、トレーナーさん」

「ん?」

「私ね、やっぱり悔しかったみたい」

 

 ウララは、ぽつりとこぼした。

 

「ゴールした後、みんなが『よくやった』って褒めてくれた。それに、特別賞も貰って、すごく嬉しかった。でもね、ルドルフちゃんたちがね、センターでウイニングライブをしてるのをね、後ろから見た時に………胸がチクッてしたの」

 

 彼女は自分の胸をギュッと掴んだ。

 

「あっちに行きたいなぁって。みんなの隣に並びたいなぁって」

 

 それは、彼女が初めて明確に自覚した「アスリートとしての自我」だった。

 

 『走るのが楽しい』だけじゃない。

 

 『勝ちたい』

 

 『一番になりたい』

 

 その欲求は、時に人を苦しめる毒にもなる。だが、ヤンは優しく言った。

 

「それは、とても良い痛みだよ」

「良い痛み?」

「ああ。その痛みを知っている者だけが、本当の意味で強くなれる。改めて言おう。

 ……君はもう、ただの『走るのが好きな女の子』じゃない。立派な『競走ウマ娘』だ」

 

 ヤンは空の一点を指差した。そこには、控えめだが、確かに輝く小さな星があった。

 

「君は一等賞にはなれなかったかもしれない。だが、10万人の観客を味方につけ、笑顔で帰ってきた。……それは、皇帝にも怪物にもできない、君だけの魔法だ」

 

 ウララは星を見つめ、そしてヤンを見て、ニコッと笑った。

 

「私、もっと、もーっと!強くなるね」

「ああ」

「いっぱい練習して、いっぱいご飯食べて、いつかトレーナーさんに一等賞をプレゼントしてあげる!」

 

 ヤンは苦笑した。それは、物理法則を覆すくらい難しい道のりだろう。だが、この不思議な少女なら、あるいは――。

 

「期待せずに待っているよ。……ただし、練習も良いが、私の昼寝の時間だけは確保してくれよ?」

「えへへ、善処します!」

「……そんな言葉、どこで覚えたんだい?」

 

 

 部屋の中から、ウララを呼ぶ声がする。

 

「ウララー!ゲームやるよー!」

「負けた人が皿洗いだぞー!」

 

「あ!今行くー!」

 

 ウララはベランダのドアを開け、光の中へ駆け出していった。その背中は、以前よりも少しだけ大きく、逞しく見えた。

 

 一人残されたヤンは、冷たい夜風の中で、残った紅茶を飲み干した。

 

「……やれやれ。引退への道は、ますます遠のいたか」

 

 魔術師は、夜空に向かって肩をすくめた。だが、その表情は、満更でもなさそうだった。

 

 歴史家、ヤン・ウェンリー。あるいは、ヤン・ウェンリートレーナー。

 

 彼の「年金生活」と「昼寝」を賭けた戦いは、どうやらまだ当分、終わりそうにない。この騒がしくも愛おしい、星屑たちとの日々が続く限り。




ハルウララ編 完
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