ヤン・ウェンリートレーナーの短編集   作:灯火011

41 / 86
外伝:魔術師の辞表と、静かなる戦慄

 ある日の放課後。ヤン・ウェンリーは、決死の覚悟で「魔窟」の扉の前に立っていた。すなわち、理事長室である。

 

 懐には、昨晩一睡もせずに推敲に推敲を重ねた、完璧な論理武装で固められた『退職願』が入っている。今日こそは。今日こそは、あの嵐のような理事長を説得し、自由の身となるのだ。

 

 ヤンは深呼吸をし、ノックをした。

 

「……どうぞッ!入室を許可するッ!」

 

 中から響く、鼓膜を震わせるような元気な声。ヤンは、イゼルローン要塞の司令官席に座る時よりも重い足取りで、ドアを開けた。

 

「失礼します、理事長」

「うむ!待っていたぞ、ヤン・ウェンリー君!」

 

 部屋の中央、執務机の向こうで、秋川やよい理事長が扇子を広げて待ち構えていた。その扇子には、達筆な文字で『終身雇用』と書かれている。

 

「……帰ってもよろしいでしょうか」

「ならんッ!茶を用意してある!座りたまえ!」

 

 ヤンは逃亡を諦め、ソファに腰を下ろした。テーブルには、高級そうな茶器と、山盛りの人参クッキー。そして、なぜか巻物のような図面が広げられている。

 

「さて、本日の用件は何かな?……と言いたいところだが、君の顔を見れば分かるぞ!」

 

 理事長はニカっと笑い、バシッ!と扇子を閉じた。

 

「また『引退したい』などという、寝言を言いに来たのであろう!」

「寝言ではありません。切実な願いです」

 

 ヤンは懐から封筒を取り出し、テーブルに置いた。

 

「これまでの私の功績は、契約解除に十分なものだと自負しております。皇帝、怪物、帝王、そして今回のハルウララ……。これ以上、私ごときが関与するのは、教育の公平性を欠くかと」

「ハルウララについては見事ッ!ウマ娘を、勝利以外の別アプローチからスターにする君の魔術は筆舌に尽くしがたい!―――だが!引退については却下ッ!断固却下であるッ!」

 

 理事長は封筒を手に取ることもなく、扇子で彼方に吹き飛ばした。物理的な却下である。

 

「君の功績は認める!認めるとも!だからこそ、君を失うわけにはいかんのだ!」

「ですから、私は……」

「見たまえ、これおぉぉッ!」

 

 理事長は、テーブルの上の図面を広げた。そこには、トレセン学園の敷地内の一角に建設予定の、巨大な建造物のラフスケッチが描かれていた。

 

「なんですかこれは。新しい屋内練習場か何かでしょうか?」

「否ッ!これは……『ヤン・ウェンリー記念歴史博物館』の完成予想図であるッ!」

 

 ヤンは、持っていたティーカップを取り落としそうになった。

 

「……はい?」

「君がこの学園にもたらした数々の『魔術』!そして君が愛する『歴史』!それらを融合させ、後世に伝えるための殿堂だ!中央には、紅茶を飲む君の高さ5メートルのブロンズ像を設置する予定である!」

 

 ヤンの顔から、サァーっと血の気が引いていった。

 

 悪夢だ。これは悪夢に違いない。

 

 自分の銅像?しかも5メートル?死んでも御免被りたい。英雄として祭り上げられるのは、どっかのラインハルトだけで十分だ。

 

「り、理事長。正気ですか」

「大真面目である!すでに『ローエングラム財団』からも出資の確約を取り付けてある!」

「(あいつめ……!)」

 

 ヤンは心の中で、金髪の友人に呪詛を吐いた。あの男、面白がって金を出したに違いない。

 

「……謹んで辞退します。もしそんなものが建ったら、私は恥ずかしくて憤死してしまう」

「むぅ。照れ屋だな君は!」

 

 理事長は残念そうに図面を巻いたが、すぐに気を取り直して次の扇子を取り出した。今度は『福利厚生』と書かれている。

 

「ならば、こうしよう!博物館は保留とする!その代わり、君の待遇をさらに改善する用意がある!」

「給料なら十分いただいていますが……」

「金銭ではない!君が最も欲しているもの……そう、『昼寝の時間』だ!」

 

 ヤンの耳がピクリと動いた。

 

「……ほう?」

「君のチーム・ヤンの活動実績に鑑み、特別措置として『午後1時から3時までのシエスタ(昼寝休憩)』を、就業規則に明記することを許可するッ!どうだッ!」

 

 悪魔的取引だった。公然と昼寝ができる権利。それは、ヤンにとって「元帥の称号」よりも遥かに価値のあるものだ。

 

「……条件は?」

「うむ!その代わり、来月から始まる『新人トレーナー研修会』の特別講師を務めてもらいたい!週に一度、90分だけだ!」

 

 ヤンは頭の中で天秤にかけた。週一回の講義という労働と、毎日の合法的な昼寝。……計算するまでもない。

 

「……その条件、飲みましょう」

「交渉成立ッ!である!」

 

 理事長は満足げに頷き、お茶を勧めた。ヤンは、すっかり「退職」の話がどこかへ行ってしまったことに気づきつつも、目の前の人参クッキーに手を伸ばした。

 

(まあいい。昼寝の権利を勝ち取ったのだから、今日は戦術的勝利ということにしておこう)

 

 そう自分に言い聞かせるヤンを見て、理事長は扇子の陰で、ニヤリと笑った。

 

(ふふふ。甘いな、魔術師君。研修会で君の話を聞けば、感化された新人トレーナたちやウマ娘たちが君の元へ教えを乞いに殺到する……。そうすれば、面倒見の良い君はますますこの学園から抜け出せなくなるという寸法よ!)

 

 策士、策に溺れる。いや、この場合は「策士、猛獣使いに飼い慣らされる」と言うべきか。

 

「それにしても理事長。この人参クッキー、少々固すぎやしませんか?」

「歯ごたえこそが正義ッ!咀嚼(そしゃく)は脳を活性化させるのだ!」

 

 豪快に笑う小さな理事長と、やれやれと紅茶をすする気だるげな魔術師。

 ヤンは、吹き飛ばれてクシャクシャになっていた、自分の『退職願』を回収し、疲れ果てた足取りで理事長室を後にした。

 

 背後からは、

 

「期待しているぞ、魔術師、ヤン・ウェンリー君!」

 

 という、底抜けに明るい声が響いていた。

 

 

 トレーナー室に戻ったヤンは、どっと疲れが出て、ソファに深々と沈み込んだ。部屋には誰もいない。ウララたちはトレーニング中だ。この静寂だけが、今の彼へのご褒美だった。

 

「……やれやれ」

 

 彼は、懐からクシャクシャになった『退職願』を取り出し、天井にかざした。結局、渡せずじまいだった。

 

「全く。あの小さな体の、どこにあんなエネルギーがあるのやら」

 

 ヤンは苦笑し、封筒を弄(もてあそ)んだ。ふと、先ほどの光景が脳裏に蘇る。

 

 扇子を振るう、理事長の動作。『却下ッ!』と叫んだ時の、机を叩く音。やたらと固いクッキー。

 

 ―――そして、興奮して歩き回っていた時の、床を踏みしめる足音。

 

(……足音?)

 

 ヤンの手元で、封筒を弄ぶ指が止まった。違和感。その正体が、霧の中から浮かび上がってくる。

 

(そうだ。あの小さな体躯にしては、足音が重すぎた)

 

 単に体重が重いわけではない。一歩一歩が、床を捉えるグリップ力が異常に強いのだ。まるで、地面を蹴って加速する、競走馬のような、ウマ娘のような重厚な響き。

 

 そして、扇子を振るう速度。ヤンの動体視力でも、軌道がブレて見えた。ただの人間が、あそこまで鋭く腕を振れるものだろうか?

 

「……そういえば」

 

 ヤンは、少し前の出来事を思い出した。理事長秘書室での、駿川たづなのことだ。彼女は、音もなく背後に回り込み、風のような速さでコーヒーを注いだ。

 

 ――たづな君は『音のない、風のような速さ』。

 

 ――理事長は『地響きのような、圧倒的な質量』。

 

 ベクトルは違う。だが、どちらも共通している点がある。それは、()()()()()()()()()を、()()()()()()()()()()ということだ。

 

「……なるほどな」

 

 ヤンは起き上がり、冷めた紅茶を一口すすった。

 

 彼は歴史家だ。歴史家とは、断片的な事実(ファクト)を繋ぎ合わせ、一つの仮説(ストーリー)を導き出す生き物だ。

 

「この学園には、引退したウマ娘がスタッフとして働いているケースは珍しくない」

 

 だが、あの二人が纏(まと)っている気配は、ただの「元ウマ娘」というレベルではない。ルドルフやブライアンが霞むほどの、もっと巨大で、伝説めいた何かの片鱗とも言える。

 

「そういえば、だ」

 

 そして、彼の脳内には、この学園の歴史の殆どが収められている。

 

 いつ、どの建物が建てられたのか。

 いつ、この学園が興されたのか。

 いつ、この学園のウマ娘が初めての重賞を勝利したのか。

 いつ、誰が入学し、引退したのか。

 

 いつ、誰が、この学園に勤め始めたのか。

 

「たづな君と理事長が勤め始める少し前に、現役を引退した名ウマ娘がいたはずだ。確か名前は……」

 

 ヤンは独りごちた。もし自分の仮説が正しければ、自分はとんでもない化け物たちの掌(てのひら)の上で、踊らされていることになる。

 

「……気づかなかったことにしよう。それが長生きの秘訣だ」

 

 彼は『退職願』を丁寧に折りたたみ、机の引き出しの、一番奥にしまった。それを再び取り出す日は、おそらく、暫くは来ないだろう。

 なぜならば、この学園の「管理者たち」が、彼を逃がすつもりなど毛頭ないことを、本能レベルで悟ってしまったからだ。

 

「お兄さま?ただいま戻りましたー!」

 

 その時、ドアが開いて、泥だらけのライスシャワーとハルウララが帰ってきた。

 

「トレーナーさん!今日ね、ライスちゃんと一緒に走ったら、風とお友達になれた気がするの!」

「お、お兄さま……。その、ウララさん、すごくタフで……ライスのほうがバテちゃいました……」

 

 元気な声と、申し訳なさそうな声。ヤンは、彼女たちの屈託のない顔を見て、ふっと力を抜いた。

 

「おかえり。今、紅茶を淹れよう」

 

 ヤンは立ち上がり、彼女たちのために新しい茶葉を用意し始めた。

 

(………やれやれ。この部屋こそが化け物の巣窟だと思っていたが。学園内では一番、平和な場所なのかもしれないね)

 

 伝説の怪物たちが支配するこの学園で、彼が守るべき「小さな星屑たち」の笑顔。それがある限り、魔術師のトレーナー稼業は、まだ当分続くことになりそうだ。




ハルウララ編 結 
ライスについて行けるようになったハルウララ。
彼女なら、この先できっと勝利を掴めることでしょう。

これにて、2025年度は活動終了です。

今年も多くの作品をご覧いただきまして、誠にありがとうございました。
新作アニメ、新作小説、今年も様々なコンテンツが世に出てきて非常に楽しい一年でございました。AI(GPTやGeminiなどなど)についても、いろんな批判がありながらもどんどん進化していっておりまして、まぁ素人にゃあついて行けねぇよ。と思う日々でございます。創作のサポートとしては非常に強い相棒なので、使い方さえ間違わなければね、とは思いますががががが。

ともかくとしまして、ウマ娘万歳!銀英伝万歳!この世の全てのコンテンツに、万歳!

2026年度も引き続き執筆活動は続けて参りますので、よろしければご覧いただき、よろしければご感想、評価を頂ければ、幸いに存じます。

あとは、来年度に向けたアンケートを置いておきます。よろしければ、ご投票願えれば幸いです。

では、ここらで失礼致します。皆々様に置かれましては、来年も壮健でありますよう、全力で!お祈りいたしております!

よいお年を。

この先の展開につきまして。どの方向性を見たいですか?

  • 前日譚的な物語をもっと見たい
  • 新たなウマ娘とヤンの邂逅を見たい
  • チーム・ヤンのウマ娘の掘り下げを見たい
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。