ヤン・ウェンリートレーナーの短編集   作:灯火011

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予定にはなかったんですが。年越しゴルシ。午年だけに。


不敗の魔術師と、黄金の運び屋

 十二月三十一日、午後十一時過ぎ。トレセン学園のトレーナー寮、その一室に、奇妙な静寂が満ちていた。

 

 主であるヤン・ウェンリーは、愛用の安楽椅子に深く身を沈め、湯気の立つマグカップ――紅茶に少量のブランデーを垂らしたもの――を片手に、窓の外の闇を眺めていた。

 

「平和だ……」

 

 ヤンは心からの感慨を込めて呟いた。これほど静かな夜は、ここ数ヶ月記憶にない。

 

 有マ記念を盛り上げたハルウララはその実績を引っ提げて、故郷に戻っている。皇帝シンボリルドルフは、シンボリ家の厳粛なる行事へ。トウカイテイオーは「会長と一緒に行くー!」と駄々をこねた末、実家へ連行された。ナリタブライアンは姉とともに故郷へ。メジロマックイーンもまた、名門メジロ家の年越しのために帰省している。ナイスネイチャは「ヤンさん、良いお年を!」と庶民らしく実家へ戻り、ライスシャワーも「お兄さま。また来年」と故郷へ帰っていった。アグネスタキオンに至っては「実家の地下室にあるとある物質の半減期を観測しなければならない」という意味不明な供述を残して姿を消した。

 

 ―――つまり現在、ヤン・ウェンリーの周囲には、騒々しくも愛すべきウマ娘たちは存在しない。約一名、顔を見ていない気もするが、それはヤンにとって些細な事だ。

 

 完全なる孤立。補給線の断絶。だが、ヤンにとってそれは「至福の孤独」と同義だった。

 

「これで、誰に邪魔されることもなく年を越せる。歴史書を読み、酒を飲み、眠くなれば眠る。これこそが民主主義国家における市民の当然の権利・・・・・・」

 

 だが、その権利主張は、部屋のドアが物理的に粉砕されそうな衝撃音によって遮られた。

 

「敵襲か……?」

 

 いや、この学園のセキュリティを突破できる存在など限られている。ヤンが身構えるより早く、ドアが乱暴に開け放たれた。

 

「よーう大将!生きてるか!?」

 

 寒風と共に侵入してきたのは、芦毛の長髪をなびかせた、場違いなほどに元気なウマ娘――ゴールドシップだった。その手には、湯気を立てる岡持ちが握られている。

 

「………ゴールドシップか。ドアはノックするものだと、以前教えなかったかな」

「細かいこたぁいいんだよ!ほら、どうせ一人でカップ麺すすってんだろ?特別デリバリーだ。感謝して食えよな!」

 

 彼女はズカズカと部屋に入り込むと、ローテーブルの上に岡持ちを置き、手際よく丼を二つ取り出した。

 

 中身は、意外なほど本格的な蕎麦だった。海老の天ぷらまで乗っている。

 

「これは?」

「年越し蕎麦だよ。アタシのお手製だ」

「君が作ったのか?」

「おうよ。蕎麦は実から拳で挽いたんだぜ?感謝しろよ!」

「………製法の野蛮さはともかく、香りは悪くないな」

 

 ヤンは苦笑しながら、差し出された箸を受け取った。ゴールドシップ。トリックスター。あるいは歩くカオス。普段は予測不能な行動で周囲を混乱させる彼女だが、どういう風の吹き回しか、今夜は「気遣い」という名の奇襲を仕掛けてきたらしい。

 

「いただきまーす!ほら、魔法使いも食えって。冷めねーうちに」

「ああ、いただこう」

 

 ズルズルと麺をすする音が、部屋に響く。味は驚くほどまともだった。いや、むしろ美味い。出汁の加減も、麺のコシも完璧だ。このウマ娘は、ふざけていない時は万能なのだと再認識させられる。

 

「・・・・・・で、どういうつもりだね?」

 

 ヤンは海老天を齧りながら尋ねた。

 

「ゴルシ。君は、実家に帰らなくてよかったのか?」

「んー?まぁな。アタシは自由な風来坊だからよ」

 

 ゴールドシップは丼から顔を上げ、ニカっと笑った。だが、その赤い瞳は、どこか真剣にヤンを観察しているようだった。

 

「それにさ。大将、アンタほっとくと死にそうな顔してっから」

「失敬な。私はただ、静寂を楽しんでいただけだよ」

「それを『寂しい』って言うんだよ、人間社会じゃ」

 

 ゴールドシップは箸を置き、海老を齧るヤンを指差した。

 

「皇帝様も怪物も、マックイーンもテイオーも、みーんな家族のとこ行ったんだろ?アンタだけ一人で年越しなんて、見てて寒々しいんだよ。だから、アタシが付き合ってやってんの」

「……やれやれ」

 

 ヤンは肩をすくめたが、口元はわずかに緩んでいた。彼女の言葉は乱暴だが、その本質は「優しさ」だ。家族のいない自分。帰る家すらもない自分。それを案じて、わざわざ手製の蕎麦を持って押しかけてくる。その労力と気遣いは、並大抵のものではない。

 

 そう、根は真面目なのだ。この破天荒なウマ娘は、誰よりも他者の孤独に敏感なのかもしれない。

 

「ありがとう、と言っておくべきかな。………美味いよ、この蕎麦は」

 

 ヤンが素直にそう告げると、ゴールドシップは一瞬、きょとんとした顔をした。それから、急激に顔を赤くし、視線を泳がせ始めた。

 

「あ、あぁ!?別に礼なんていらねーよ!余ったから持ってきただけだし!勘違いすんなよな!」

「照れ隠しの声量が大きいな」

「うるせぇ!食ったならアタシはもう行くぞ!」

「行く?どこへ?」

 

「決まってんだろ!除夜の鐘だよ!」

 

 ゴールドシップは空になった丼を岡持ちに放り込むと、立ち上がって窓を開け放った。氷点下の冷気が吹き込み、ヤンは身を震わせる。

 

「これから近くの寺に行って、除夜の鐘とバトルしてくる!」

「……バトル?鐘をつくのではなく?」

「おうよ!煩悩を払うには、鐘そのものをバックドロップで沈めるのが一番手っ取り早いからな!」

「待ちなさい。それは文化財保護法に抵触する可能性があるし、そもそも鐘は敵ではない」

「そのあとは初日の出だ!太平洋から昇ってくる太陽に、ドロップキックかまして『今年も夜露死苦』って焼き印を押してやんよ!」

「天文学的な規模の話になってきたな・・・・・・」

 

 もはや会話は成立していなかった。ゴールドシップは、照れくささと衝動をごちゃ混ぜにしたような笑みを浮かべ、窓枠に足をかけた。

 

「じゃあな大将!良いお年を!来年もアタシの背中、しっかり見てろよな!」

「ああ、君の背中だけは、見失わないように努力するよ」

 

 ヤンの言葉を聞いたのか聞かなかったのか、黄金の船は夜の闇へとダイブしていった。ドスン、という着地音と共に、遠ざかっていく足音。

 

 再び訪れた静寂。

 

 だが、部屋の中には先ほどまでの「冷たい孤独」はなかった。蕎麦の出汁の香りと、嵐が過ぎ去った後のような、微かな熱気が残っている。

 

「・・・・・・まったく」

 

 ヤンは空になった丼を見つめ、ブランデーの残りを喉に流し込んだ。

 

 遠くで、除夜の鐘が鳴り始める。

 

 その音が、どこか金属的な悲鳴―――ギャーンという音に聞こえたのは、きっと気のせいだろうとヤンは自分に言い聞かせ、目を閉じた。

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