私なりの解釈ではありますが、アヤベさんの熱量が伝われば幸いです。
レッツふわふわTIME!ヤケクソでいくぞー!
双子星の繊維学講義
自由惑星同盟軍の元帥にして、現在はトレセン学園のトレーナーを務めるヤン・ウェンリーにとって、平穏な休日とは「戦略的目標」そのものであった。
イゼルローン要塞の攻略よりも困難で、ハイネセンの政治闘争よりも繊細なバランスの上に成り立つ、奇跡のような時間とも言える。
■
トレセン学園、トレーナー室。別名チーム・ヤンルーム。
六月の午後の日差しが、カーテンの隙間から細く差し込んでいる。卓上には、ヤン好みの紅茶。つまり、医師に知られれば顔をしかめられるであろう分量のブランデーが添加されている。
そんな彼の膝の上には、古いウマ娘の歴史書。ページを開いてはいるが、彼の意識は活字を追うことを放棄し、まどろみの海へと漕ぎ出そうとしていた。
「……実に、平和だ」
ヤンは、誰に聞かせるでもなく独りごちた。窓の外からは、遠くグラウンドを走るウマ娘たちの掛け声が聞こえるが、それは環境音楽(アンビエント)のようなものだ。自分が走らなくていいという事実は、彼にこの上ない優越感を与えてくれる。
アドマイヤベガと過ごしたあの泥沼の皐月賞も、神経をすり減らした日本ダービーも、今はもう過去の戦史。これからは、適度にサボり、適度に給料をもらい、年金受給資格を得るまでのらりくらりと生きる。それが彼の描くグランドデザインだった。
そして各々には自主練を課し、ゴルシはよく分からないが皆ココには居ない。アヤベもここ数日のトレーニングは休ませているから、今頃好きに過ごしていることだろう。
「そういえば、理事長がアヤベ君に何かを贈ったと言っていたな」
理事長曰く、
「精神的に疲弊していた彼女の好きなものを用意したのだ!まあ、今となっては不必要かもしれない品物だが、ダービー勝利の祝いとして受け取るがよい!」
ということらしい。たづなさんは少し顔を顰めていた気もするが。
「ま、理事長ならば間違いはないだろう。アレはアレで、ウマ娘のツボをよく分かっているし。………規模が心配だな」
一抹の不安がよぎるが、とはいえまさに、彼にとっては平和なひとときである。
だが、歴史家志望のこの男、ヤン・ウェンリーに限っては、過去に自らが語った言葉を思い出しておくべきだった。
『平和とは、常に次の戦争への準備期間に過ぎない』
ということを。
■
ドンドンドンドン!
その音は、ノックという生優しいものではなかった。それは、攻城槌(バタリング・ラム)が城門を打ち破るような、重厚かつ断固たる『衝撃音』そのものだった。
「……!?な、なんだ、帝国軍の突撃か!?」
ヤンが飛び起き、歴史書を床に落とすのと同時。鍵のかかっていなかったドアが、厳かに、しかし、明らかに人間には出せないであろう力で押し開かれ、見慣れたはずの人物が現れた。
「……失礼するわ、ヤン」
そこに立っていたのは、どこぞのローゼンリッターと撃ち合えるような帝国軍の装甲擲弾兵ではなく、どことなく小柄なウマ娘。
しかし、ある意味でそれ以上に手強い存在――休養中のアドマイヤベガであった。
私服姿の彼女は、いつものクールな美貌を崩していない。だが、その瞳の奥には、ダービーの最終直線で見せたあの鬼気迫る「執念」が、より純粋で、より厄介な形で燃え上がっていた。
そして何より異様なのは、彼女の装備だ。彼女の両手、そして背中には、登山家も裸足で逃げ出すような巨大なボストンバッグと、圧縮袋に入った謎の物資が山のように積み上げられていたのである。
「……あー、アヤベ君?もしかして、カレンチャンに寮を追い出されたのかい?」
「違うわ。これは、理事長からの差し入れ」
「差し入れ?……随分多いな。これから雪山へビバーク訓練にでも行くのかい?」
「そんなこと、よりも、重要な事が、あるの」
アヤベは、ヤンの軽口などは無視し、ズカズカとトレーナー室に侵入した。彼女は部屋の中央、ソファの前で立ち止まると、持っていた荷物を「ドサッ」と床に下ろした。その重量感のある音に、床板が悲鳴を上げる。
「緊急の戦略会議、および……トレーナールームの環境改善の実行よ」
「……環境改善?いや、別にそれほど汚れてはいないだろう?ライスシャワーも頑張ってくれているし」
「いいえ。綺麗汚いの話ではないの。皮膚への接触環境、の話よ」
アヤベは、まるで戦場を視察する指揮官のように、部屋の中を見回した。そして、ヤンが愛用している、量販店で買った安物のクッションに視線を固定した。その瞬間、彼女の美しい顔が、見るも無残なものを見るように歪んだ。
「……信じられない。ヤン。あなたまだ、こんな『凶器』を使っていたの?」
「きょ、凶器?アヤベ君、いいかい?これはただのクッションだよ。ほら、みてごらん?すごく柔らかいし……」
ヤンが弁明しようとクッションを手に取った瞬間、アヤベの細い手が伸び、彼の手首を掴んだ。強い力ではないはずなのだが、有無を言わせぬ圧力がそこにはあった。
「それを、そんなふうに、雑に、触らないで。あなたの指紋が削れるわ」
「……君ね、いくらなんでもそれは……」
「いい? よく聞いて、ヤン」
アヤベは、ヤンからクッションを奪い取ると、それをまるで、ピンセットで汚染物質をつまむように持ち上げ、繊維の解説を始めた。
「この光沢、そしてこの不自然な張り。……間違いなく、ポリエステル65%、綿35%の混紡素材ね。しかも、織り方は安価なオックスフォード。……分かる?この組み合わせが何を意味するか」
彼女は、ヤンの意見など一切聞かずに、そして一息もつかずに言葉を続ける。
「ポリエステルは石油由来の合成繊維。強度はあるけれど、吸湿性はゼロに等しいわ。対して、ここに混ざっている綿は、繊維長が20ミリ以下のショート・ステープル。……これを強引に撚り合わせた糸は、ミクロン単位で見れば『有刺鉄線』も同然なのよ」
「有刺鉄線……。比喩表現が過激すぎないか?」
「比喩じゃないわ。物理的な事実よ」
アヤベは真顔で言った。
「ヤン。貴方はよくここで昼寝をしているわよね?いい?人間は寝ている間に、コップ一杯分の汗をかくと言われている。……でも、この吸湿性のないポリエステル生地の上で寝れば、汗は行き場を失い、皮膚と生地の間で蒸れる。その結果、摩擦係数が跳ね上がるの。つまり……あなたは昼寝をするたびに、自分の肌をマイクロ単位で『大根おろし』にかけているのと同じなのよ」
「………私は今まで、おろし金の上で安眠していたのか」
ヤンは呆然とした。言われてみれば、夏場に頬がベタつくような気もしたが、それは単に暑いからだと思っていた。まさか、分子レベルでの攻撃を受けていたとは。
(いや、まてまて。そもそもこれは何の話だ?)
彼の頭に浮かんだ疑問などは無視をして、アヤベは言葉を続ける。
「その通り、いい?無知は罪よ。……でも、安心して。あなたの肌を守るために、私が『正解』を持ってきたから」
アヤベは、持ち込んだバッグのジッパーを開いた。シュッ、という音と共に、中から眩いばかりの純白の布地が現れた。
「……さあ、講義の時間よ。心して聞いて」
アヤベは、その白い布地――クッションカバーを、まるで王冠を扱うように恭しく取り出した。部屋の照明を受けて、その布は真珠のような、あるいは内側から発光しているかのような、とろりとした光沢を放っていた。
「……綺麗でしょう?でも、ただの綿じゃないわ」
アヤベの瞳が、らんらんと輝き始めた。それはダービーのスタート直前、集中力が極限まで高まった時の目と同じだった。
「トレーナー。あなたは『超長綿(ちょうちょうめん)』の定義を知っている?」
「……繊維が長い、ということかな?」
「35ミリよ」
即答だった。
「平均繊維長が35ミリを超えるものだけが、超長綿の名を冠することを許される。……でも、これはその中でも別格。『スビン・ゴールド』よ」
「スビン……ゴールド?ゴールドシップの御親戚の名前かい?」
「インドのデカン高原南部、タミル・ナードゥ州のごく限られた農家でのみ栽培される、奇跡の綿花よ。……かつて『幻の綿』と呼ばれたカリブ海の『シーアイランドコットン』と、インドの在来種『スジャータ綿』を交配させた、綿花界の逸品中の逸品よ」
アヤベは布を広げ、ヤンの目の前にかざした。
「見て、このドレープの落ち方。……重力に逆らわず、かといって媚びず、液体のようになめらかに垂れ下がる。これがスビン・ゴールドの最大の特徴……『油脂分』の多さよ」
「油脂分?」
「そう。通常の綿花は、紡績の過程でロウ分を落としてしまう。でも、スビン・ゴールドは、天然の油脂分を極限まで繊維の芯に残しているの。……だから、触れた瞬間に『しっとり』とする。乾燥した冬でも、汗ばむ夏でも、常に人間の肌と同じ水分量を保とうとする恒常性(ホメオスタシス)を持っているの」
彼女はヤンの手を取り、強引にその布の上に置いた。
「……触って。指紋で感じるのではなく、魂で感じて」
「た、魂?」
「いいから」
ヤンは恐る恐る、指先を滑らせた。
そして、なるほど、と彼は驚愕した。布の凹凸を感じない。まるで、水面に指を浸したかのような、抵抗のない滑らかさ。そして、ひんやりとしているのに、どこか人肌のような温かみがある。
「……これは、確かにすごいな。布というより、皮膚に近い」
「でしょう? でも、素材が良いだけじゃダメなの。……ここからが『織り』の話よ」
ヤンは天を仰いだ。この講義はまだ続くというのか。平和な午後は。
「このスビン・ゴールドのポテンシャルを100%引き出すために採用されたのが、『無撚糸(むねんし)サテン織り』という技法よ」
アヤベは、布の表面を指先で愛おしそうになぞった。
「通常、糸というのはねじって(撚って)強度を出すわ。ねじればねじるほど、糸は硬くなり、空気の層が潰れてしまう。……でも、このカバーは違う」
「確かに、普通の織物用の糸はねじってあるが……しかし、ねじらないと糸がバラバラになるだろう?」
「ええ。だから、水溶性のビニロンという特殊な繊維を芯にして、綿を巻きつけるの。そして織り上げた後に、湯洗して芯だけを溶かす。……すると、どうなると思う?」
アヤベは、ヤンの顔を覗き込んだ。その距離、わずか10センチ。目が笑っていない。真剣そのものだ。
「……繊維は、ねじられる前の『綿花』の状態に戻ろうとして、ふわっと膨らむわ。……つまり、このカバーの表面は、糸ではなく、インドの高原で風に揺れていた綿毛そのものなのよ」
彼女の語り口は、もはや詩の朗読のようだった。
「撚りのない繊維の間に、無数の空気のエア・ポケットが整列している。……あなたが頬を乗せた瞬間、その空気がクッションとなり、摩擦をゼロにする。……髪の毛のキューティクルも傷つけない。肌のターンオーバーも阻害しない。……これこそが、完全なる『無抵抗主義』の体現よ」
アヤベは、恍惚とした表情で、その布に自分の頬をうずめた。
「……うん。……分かる。カースト・システムの頂点に立つ綿花の誇りを感じる……」
「……アヤベ君。君が幸せそうなのは何よりだが、その姿を他のトレーナーに見られたら、色々と誤解を招く気がするんだが」
「誤解?何を?」
アヤベは、心底不思議そうに顔を上げた。
「私はただ、物理学的に正しい休息環境を構築しようとしているだけよ。……さあ、トレーナー。古いカバーを廃棄して。5秒以内に」
「廃棄は待ってくれ。せめて予備として……」
「ダメよ。悪貨は良貨を駆逐するわ。悪い素材が部屋にあるだけで、空気中のマイナスイオン濃度が下がる気がするの。チーム・ヤンの危機なのよ」
「いや、そんなおおげs」
「危機、なのよ」
有無を言わせぬ圧力。ヤンは渋々、愛用の、そしてアヤベ曰く有刺鉄線のクッションカバーを外し、アヤベから渡された「スビン・ゴールド無撚糸サテンカバー」を装着した。
「そう、それでこそ、よ」
装着した瞬間、クッションの佇まいが変わった。それはもはや日用品ではなく、美術館に飾られるべきオブジェのような気品を放っていた。
「……座ってみて」
アヤベに促され、ヤンはソファに座り、新しいクッションを背中に当てた。背中が、とろけるような感覚に包まれた。シャツ越しでも分かる。摩擦がない。背中が勝手に滑り落ちていくような、重力から解放される感覚。
「……なんてことだ。これは、人をダメにする」
「いいえ、人を再生させるのよ」
アヤベは満足げに頷いた。だが、彼女はすぐに真顔に戻り、次の袋に手をかけた。
「……さて。表層の改善は完了したわ。……ここからが本番よ」
「……え?まだあるのかい?」
「当たり前でしょう?今のはあくまで『皮膚』の話。……次は『肉』と『骨』の話……つまり、中材(フィリング)の反発係数と粘弾性特性について講義するわ」
アヤベは、巨大な白いウレタンの塊を袋から引きずり出した。
「覚悟して」
「覚悟?」
「ええ。……ここからの話は、NASAの宇宙開発史と、北欧の睡眠工学が絡み合う、長大な叙事詩になるから」
ヤン・ウェンリーは、こめかみを押さえた。彼の平穏な午後は、まだ始まったばかり――いや、終わりなき「ふわふわの迷宮」の入り口に立ったばかりだったのである。
※一応トレーナー室はルドルフなどほかのウマ娘や、トレーナー達が訪れる公共の場で、人に聞かれる可能性があるので、アヤベさんは「ヤン」と呼んでます。
妹さんは遠くから「お姉ちゃんのへたれー!」って叫んでます。知らんけど。