ヤン・ウェンリートレーナーの短編集   作:灯火011

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黄金の獅子、生徒会室に降臨す

 深夜24時30分

 豪雨が叩きつける窓の外から、不釣り合いな重低音が響いてきた。

 それは、この国でも数台しか存在しないであろう、最高級リムジンのエンジンの唸りだった。

 

 

 生徒会室にいたアグネスタキオンとアドマイヤベガが顔を見合わせるより早く、廊下から革靴の足音が近づいてくる。

 カツ、カツ、カツ。

 規則正しく、迷いがなく、そして恐ろしいほどに威厳に満ちた足音。

 

 バン!!

 

 ノックすらなく、ドアが開け放たれた。

 

「――呼び立てるとはいい度胸だ、ヤン・ウェンリー」

 

 そこに立っていたのは、夜の闇を纏ったような、どこにでもいる日本人だった。

 ―――しかし、その身に纏うオーラは、一介の学園関係者のものではない。

 全宇宙を統べる覇者だけが持つ、絶対的な支配者の空気が、狭い生徒会室を一瞬で真空に変えた。

 

「ひっ……!?」

 

 アグネスタキオンが、本能的な恐怖でソファの裏に隠れた。

 アドマイヤベガでさえ、息を呑んで直立不動になる。生物としての格が違う。

 

「閣下。……まさかご自身でいらっしゃるとは」

 

 ヤンだけが、いつもの調子で片手を挙げた。

 

「電話で指示を仰ぐつもりだったんですがね」

「卿の口ぶりからして、どうせろくな環境ではあるまいと踏んだのだ。……やはりな」

 

 別の世界でラインハルトと呼ばれたその青年は、部屋を見渡し、鼻を鳴らした。

 そして、ソファで泥のように眠るシンボリルドルフを一瞥すると、侮蔑と憐憫が入り混じった溜息をついた。

 

「これが、この地の『皇帝』の末路か。……あまりに無様、あまりに非効率だ」

「彼女は責任感が強すぎるんですよ。()()()()()()()()()()()()()ようですが、誰かさんと違って、優秀な、多くの参謀は近くにいない」

「……」

 

 ヤンの言葉に、ラインハルトの蒼氷の瞳が一瞬だけ揺らいだ。だが、すぐに鉄の仮面を被り直す。

 

「……退け」

 

 ラインハルトは、ヤンが座っていた執務用チェアを指差した。

 

「私がやる」

「……は?」

 

 ソファの裏から恐る恐る顔を出したタキオンが、素っ頓狂な声を上げた。同時に、ヤンも信じられないものを見た顔で、口を開いていた。

 

「閣下自らが……事務処理を……?」

 

 流石のヤンも、これには片眉を上げた。彼が期待したのは『威光による圧力』であって、『皇帝によるデータ入力』ではなかったからだ。

 

「卿らでは明日の昼まではかかるだろう。……私がやれば数時間で終わる。時間の無駄は罪悪だ」

 

 黄金の獅子は、優雅な動作で椅子に座り、耳に装着した通信機(イヤーピース)をタップした。

 

「――ああ、私だ。聞こえるか?よろしい。では、打ち合わせ通りに」

 

 そして、山積みの書類を冷徹な視線で見下ろし、白皙の手がキーボードに触れた瞬間――

 

 轟音が鳴り響いた(ような気がした)。

 

 それは、事務処理ではなかった。いわば、仕事の「虐殺」だった。

 未決裁書類の山が、物理法則を無視した速度で消滅していく。彼の指先が猛烈な速度で入力を続けるのと同時に、口からは的確な命令が矢継ぎ早に放たれる。

 

「――通信が遅いな。この学園のサーバーはどうなっている。先ほどから読み込みに時間が掛かり過ぎている」

 

 ラインハルトは舌打ちをし、通信機の向こうにいる部下へ冷たく告げた。

 

「……チッ、今はこのまま進めるが、不愉快だ。―――私だ、聞こえるか?明日の朝一番で業者を手配し、トレセン学園のサーバールームから端末に至るまで、システム全体を最新鋭のものへ換装させろ。費用は財団から出しておけ」

 

 返す刀で、次の書類を掴み、即座に別の回線へ指示を飛ばす。

 

「既得権益団体との調整?……ああ、建設協会か。―――財務担当へ繋げ。私だ。私の名でこの団体のメインバンクに連絡を入れろ。融資を凍結すると伝えれば3秒で黙る」

「この申請書はフォーマットが旧石器時代だな。……却下だ、いや、私が書き直す。理事長へはローエングラム財団の名前で通しておけ」

 

 完璧な論理と、超法規的措置(ロイヤル・パワー)の嵐。もちろん、その場にいるタキオンたちへの指示も、容赦がない。

 

「おい、そこの白衣!」

「は、はいっ!?」

「コーヒーだ。ブラックでな。……それと、この計算式を検算しろ。すぐに」

「イエス・ユア・マジェスティ!!」

 

 タキオンが弾かれたように動き出す。彼女は普段、人の話を聞かないマッドサイエンティストなのだが、ただの従順な秘書官に成り下がっていた。

 

「そこの陰気な女!」

「……私?」

「ファイリングだ。承認済みデータをサーバーへ転送しろ。遅れるなよ、私の速度についてこい」

「……人使いが荒い男ね……!」

 

 アヤベもまた、毒づきながらもその圧倒的な「正解」の連打に、従わざるを得なかった。彼の行動は、悔しいが、完璧なのだ。

 

 ヤン・ウェンリーは、その光景を眺めながら、こっそりと紅茶のカップに手を伸ばした。

 

 やはり、名君が座る専制君主制は効率的だ。自分は高みの見物と洒落込もう――

 

「――ヤン・ウェンリー」

 

 氷のような声が、ヤンの手を止めた。ラインハルトは画面から目を離さず、冷徹に告げた。

 

「何をしている」

「いや、見ての通り、ティータイムを……」

「遊ばせておく手はないな。……この過去10年分の議事録を要約しろ。A4用紙1枚にまとめろ」

「……は?」

 

「聞こえなかったか?『今すぐに』だ。……卿が招いた事態だぞ。傍観者でいられると思うなよ」

 

 ギロリ、と蒼い瞳がヤンを射抜く。それは「働かざる者食うべからず」という、絶対的な王の命令だった。

 

「……やれやれ」

 

 ヤンは涙ながらにカップを置き、空いているテーブルの前に座った。

 

 結局、こうなるのだ。有能な独裁者の下では、部下は死ぬほど働かされる。

 

「……ブラック企業もいいところだな、銀河帝国は」

 

「何か、言ったか?ヤン・ウェンリー」

「いえ、特に何も」

 

「そうか。それほどまでに勤勉とやらを望むというのであれば、この稟議書の山も卿が……」

「……直ちに議事録の要約に取り掛からせていだたきます、閣下!」

 

 

 午前3時。

 予定の数時間すら大幅に短縮し、エベレストのようだった書類の山は「ゼロ」になっていた。

 

「……ふん」

 

 ラインハルトはキーボードから手を離し、優雅に立ち上がった。一滴の汗もかいていない。ただ、退屈そうに肩を鳴らすのみ。

 

「他愛もない。……ヤン・ウェンリー、卿はこの程度の雑事に手こずっていたのか?」

「面目ない」

 

 ヤンは椅子にぐったりと沈み込んでいた。指先が熱い。この数時間で、論文数本分の文字数を打たされた気分だ。

 

 隣ではタキオンが白目を剥き、アヤベが机に突っ伏して動かなくなっている。

 

「フン……軟弱な」

 

 ラインハルトは、眠り続けるルドルフの元へ歩み寄った。そして、その寝顔をじっと見下ろした。何かを言おうとして、やめ、そして背を向けた。

 

「……では、私は行くぞ。ヤン・ウェンリー」

「お帰りですか」

「用は済んだからな。……それに、あまり長居をすると、また卿にくだらぬ説教をされそうだ」

 

 ラインハルトはマントのようなロングコートを翻し、出口へと向かった。だが、ドアノブに手をかけたところで、一度だけ立ち止まった。

 

「……ヤン・ウェンリー。その『皇帝』に伝えておけ」

 

 背中を向けたまま、黄金の覇者は告げた。

 

「『玉座とは、孤独に耐える場所ではない。自らの手で、未来を掴み取るための場所だ』……とな」

「ああ。確かに伝えるよ。………ありがとう、助かった。ラインハルト」

 

 軽く手を挙げたラインハルトは、そのまま一歩を踏み出した。ドアが閉まる。

 

 カツ、カツ、カツ……。足音が遠ざかり、やがてエンジンの音が響いて消えた。

 

 

 黄金の暴風が去った後には、静寂と、綺麗に片付いた机。そして、完全に燃え尽きた三人の残骸が残された。

 

「……帰った……のかい?」

 

 タキオンが震える声で言った。

 

「なんだいあれは……。生命エネルギーの塊だよ……。私の新薬よりよほど劇薬じゃないか……」

「……あんなの、二度と御免よ」

 

 アヤベは顔も上げずに呟いた。

 

「……でも、悔しいけど、仕事は完璧ね」

「ああ、これなら、ルドルフもしばらくは休めることだろう」

 

 ヤンは、ようやく冷え切った紅茶を一口すすった。

 そして、パソコンの画面に表示された『承認完了』の文字――その横に置かれた黒いカード――を見つめ、小さく笑った。

 

(……やれやれ。専制君主に借りができるとは、民主共和主義者としては、末代までの恥だな)

 

 それは、違う時空、違う歴史で敵対した友への、精一杯の敬意だった。ヤンは誰に聞かせるでもなく、空になったカップを画面に向けて、静かに掲げた。

 

「さて、我々も撤収しようか。……朝になって彼女が起きた時、誰がこの『魔法』を使ったのか。……それは、永遠の謎にしておいた方が面白そうだ」

 

 ヤンは、いたずらっ子のような顔で、ウインクしてみせた。

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