ヤン・ウェンリートレーナーの短編集   作:灯火011

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皇帝の目覚めと、魔法の種明かし

 小鳥のさえずりと、カーテンの隙間から差し込む朝日で、シンボリルドルフは目を覚ました。

 

「……ん」

 

 重い瞼を持ち上げる。視界がぼやけている。だが、昨夜感じていた鉛のような頭の重さは、嘘のように消えていた。深い睡眠をとった後の、泥のような、しかし心地よい倦怠感。身体を起こすと、肩からヤンの上着が滑り落ちた。

 

「……私は、寝て……」

 

 数秒の空白の後、記憶が急速に巻き戻る。深夜の執務。限界を超えた疲労。倒れ込んだ自分を支えるヤンの腕。そして――

 

「――いけない!」

 

 ルドルフは跳ね起きた。

 

 時計を見る。午前7時。完全に朝だ。絶望的な時刻だ。あれだけの書類の山を放置して寝てしまった。今日の会議資料、予算承認、外部団体への返答。すべてが間に合わない。学園の機能が麻痺する。自分の責任だ。

 

「……くっ、なんてことを……!」

 

 顔面蒼白になりながら、彼女は執務机へと振り返った。そして、凍りついた。

 

「……え?」

 

 そこには、何もなかった。エベレストのように聳え立っていた書類の塔は消滅し、ただ整然と片付けられたデスクの表面が、朝日を反射して輝いているだけだった。

 

 夢か?

 

 いや、パソコンのモニターはついている。ルドルフはふらつく足取りでデスクに近づき、画面を覗き込んだ。

 

『全案件・承認完了』

『サーバー転送済み』

『予算執行・即時可決』

 

 画面に並ぶ文字列は、無機質な事実を告げていた。ログを確認する。深夜24時からわずか数時間。その間に、人間業とは思えない速度で――それこそ、数百人の事務官が一斉に作業したような密度で――すべての業務が処理されていた。

 

「……バカな」

 

 ルドルフは絶句した。その処理内容は、完璧という言葉すら生温かい。長年懸案だった規則の抜け穴は塞がれ、非効率なフローは短縮され、外部団体への交渉文言に至っては、相手がぐうの音も出ないほど論理的に、かつ高圧的にねじ伏せられている。

 

 そして、承認印の欄。そこには自分の名前ではなく、見たこともない「黄金の獅子の紋章」が電子刻印されていた。

 

 その横に、付箋で手書きのメモが残されている。見慣れた、やる気のない下手くそな字で。

 

『たまには、他人の力を借りるのも悪くないだろう?』

「……ふ、ふふっ」

 

 ルドルフの口から、乾いた笑いが漏れた。

 

(魔法だ。これは、あの魔術師がかけた、一夜限りの魔法だ)

 

 

「……起きたかい、ルドルフ」

 

 背後から、布が掠れた声がした。振り返ると、来客用ソファの隅で、ヤン・ウェンリーが死んだように丸くなっていた。目の下にはクマができ、指先を痛そうにさすりながら、のっそりと起き上がってくる。

 

「……ヤン」

「おはよう。……気分はどうだ?熱は下がったみたいだな」

「ああ、おかげさまで。……だが、君の方は随分と、酷い顔をしている」

「久しぶりに徹夜で論文を書かされた気分だよ。ルドルフ、次に倒れる時は、せめて昼間にしてほしいね。深夜の労働は、老体には堪える」

 

 ヤンはあくびを噛み殺しながら、ふらふらと立ち上がり、ポットに残っていた冷めた紅茶を注いだ。

 

「……君がやったのか?」

 

 ルドルフは、綺麗になったデスクを指差した。ヤンは肩をすくめた。

 

「まさか。私にそんな能力はないよ。……ただ、少しばかり友人に手伝ってもらっただけさ」

「友人?」

「ああ。1人はどこぞのマッドサイエンティスト、1人はなんだかんだいいつつ面倒見のいい一等星、それと……性格は最悪で、態度は尊大で、人使いの荒い……だが、仕事だけは完璧な男さ」

 

 ヤンは窓の外、青く澄み渡る空を見上げた。

 

「特に、『彼』は『非効率』が何より嫌いでね。君が苦しんでいるのを見て、我慢ならなかったらしい」

 

 ルドルフは、画面の中の電子印鑑である「獅子の紋章」を見つめた。どことなくかのパトロンが使う承認印にも似ているが、見たことないものだ。ルドルフは少しばかり考え込む。

 

 ―――ヤンが言う『彼』とやらは、この電子印鑑をみるに、十中八九、パトロンの関係者なのだろう、と。

 

 だが、それをヤンは明言しない。隠しておきたいのか、それとも、また別の意図があるのか……。だが、その仕事ぶりからは、烈火のような覇気と、揺るぎない信念が伝わってくる。

 

 どちらにせよ、世界には、まだ自分の知らない怪物がいるらしい。

 

「……そうか」

 

 不意にルドルフは、胸の奥が熱くなるのを感じた。自分一人で背負わなければならないと思っていた。けれど、自分が眠っている間に、誰かがその荷物を降ろしてくれた。その事実が、何よりも救いだった。

 

「……ありがとう、ヤン」

 

 ルドルフは、深く頭を下げた。皇帝としての礼ではなく、一人の友人として。

 

「君の『友人』にも、よろしく伝えてくれ。……いつか、礼をしたいと」

「伝えておくよ。まあ、彼は『礼など不要だ、さっさと前へ進め』と言うだろうがね」

 

 ヤンは苦笑し、カップを掲げた。

 

「さて、仕事は片付いた。今日は快晴だ。……どうする?まだ始業まで時間はあるが」

「……そうだな」

 

 ルドルフは、伸びをした。背中の重りはもうない。あるのは、心地よい空腹感と、走り出したいという純粋な欲求だけだ。

 

「朝食に行こう。……カフェテリアの開店と同時に飛び込んで、一番高いモーニングセットを君に奢らせてくれ。それと、タキオンとアヤベ君にも礼をしないと」

「それは光栄だ。だが、私の胃は今、トーストすら受け付けないほど疲弊しているんだがね」

「却下だ。皇帝命令だ。付き合いたまえ。ヤン」

 

 ルドルフは悪戯っぽく返した。二人は顔を見合わせ、声を上げて笑った。その時だ、廊下からドタドタと慌ただしい足音が聞こえ、ドアがノックされた。

 

「失礼します!」

 

 入ってきたのは、作業服を着た業者の一団だった。

 

「朝一番でサーバーを全交換しろとの至急オーダーがありまして!こちらに機材を搬入します!」

「……は?あ、いや、聞いていないのだが……?」

 

 目を丸くするルドルフの横で、ヤンは苦笑しながら、やれやれと頭を掻いた。

 

「相変わらず仕事が早すぎる。………せっかく平和な場所に来たというのに。手加減というモノを、あっちの皇帝様は覚えることをしなかったらしい」

 

 呆れる魔術師と、状況が飲み込めない皇帝。そして、朝の光に満ちた生徒会室。皇帝の休日は終わり、また騒がしくも愛おしい日常が始まる。

 

「まあ、ルドルフ。細かい事は彼らに任せて、さっさとカフェテリアに向かおう。この時間なら、あの2人もいるはずだ」

「あ、ああ。わかったよ、トレーナー君」

 

 だが、その足取りは、昨日よりはずっと軽やかだった。




シンボリルドルフ編 外伝 皇帝の休息日
(完)


1月26日 1900

アグネスタキオン 後編 発送予定

一度はヤンの作戦により、落ち着きを見せたタキオン。
しかし、その内に秘める炎は、燻っていたようで………。
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