副キャプテン 辰馬 作:匿名希望のぽっちゃり
大会初日の夜、俺たち南葛中サッカー部の宿舎には、静かな疲労感が漂っていた。
初戦・東一中戦は2-1の辛勝。殊勲は翼だったが、エースキラー早田の執拗なマークで足を痛め、翼はいま別室で治療中。
大部屋には、重たい沈黙が広がっていた。
そんな空気を破ったのは、中山だった。眼鏡を光らせ、興奮を隠しきれない様子で飛び込んできた。
「みんな! 東邦学園の試合……すごいことになってたんだ!」
「おいおい、日向が出たのか?」
「いや、日向は出なかったんだ。でも……」
「まさか負けたってのか?」
「違う! 勝ったんだよ。しかも10-0で!」
ざわめきが走る。全国の舞台で二桁得点――そんな話は聞いたことがない。
「しかもだ。沢田タケシがトップ下で試合を完全に支配してた。パスもシュートも正確無比。あいつがボールを持つと、味方が全部動き出すんだ」
俺たちは顔を見合わせる。去年までの沢田は、日向の影に隠れがちな存在だった。しかし今大会は違う。日向不在の初戦で、沢田が攻撃の中心となり、友坂が中盤からそのリズムを後押ししたのだ。
「反町がハットトリック、沢田は2ゴール3アシスト。友坂も1得点に絡んでた。守備は若島津が前半で退いたのにゼロに抑えたんだ」
思わず誰かが唸った。
「……それって、もうほとんど完成形じゃねぇか」
⸻
翌朝の新聞
試合戦評(記者コラム)
「東邦学園が全国に見せたのは“王者のサッカー”だった。日向を温存しながらも10-0。
中盤を支配したのは友坂辰馬、そして攻撃の司令塔となったのはトップ下・沢田タケシ。
沢田は正確無比のパスで前線を操り、自らも2得点。友坂は、まるでフィールドの指揮者のように試合をコントロールした。
フラッシュパス――複数人がダイレクトでつなぐ高速攻撃は、相手に一瞬の思考の余裕すら与えなかった。
東邦の“準優勝”は過去の話。今年は南葛にとって、かつてない脅威となるだろう」
⸻
特集記事:友坂辰馬の力
全国中学サッカー選手権 特集
「東邦学園の新たな支配者」
• ボール支配の天才:友坂辰馬は前半から後半まで、1ゴール5アシストという数字以上にゲームを支配した。
• フラッシュパスの使い手:パス精度とタイミングは、東邦学園の攻撃の起点。試合中の瞬間判断力は他チームを圧倒。
• 戦術眼の冴え:試合を俯瞰して全体のリズムを操る力は。まさに軍師そのもの。
• 日向とのシナジー:ベンチで虎の復活を見守った日向と、次戦でピッチ上で合わされば、相手にとっては破壊力抜群。
識者コメント
• 元代表FW・大川修三氏
「沢田タケシがトップ下に座ったことで、東邦の攻撃は完全に変わった。彼はドリブル突破型ではないが、空間認知力と配球精度が抜群。日向が加われば、あの位置から放たれる一本のスルーパスで試合が決まる可能性がある」
• サッカー記者・森口俊郎
「日向小次郎の“壁弾痕”は象徴的だが、本当に怖いのは友坂の頭脳だ。沢田がゲームを組み立て、友坂がそのテンポを維持し試合を支配、そして反町らが決める。これほど役割が明確な布陣は全国でも東邦だけだろう」
⸻
宿舎の沈黙と決意
南葛の大部屋には、再び沈黙が落ちていた。
井沢が口を開く。
「沢田のトップ下……一年であれだけ動けるなんてな。全少の時もやるなとは思ってはいたが…」
滝が腕を組み、唸る。
「それよりも友坂だろ?日向と友坂が同時に出てきたら……得点力が爆発するぞ」
来生が冗談めかして「こりゃ点取り合戦だな」と笑うが、その笑みは硬かった。
二年連続で決勝で東邦を下した俺たち南葛。だが今年の東邦は、去年の東邦とは違う。
破壊力の日向。司令塔の沢田。軍師・友坂。そして守護神・若島津。
“準優勝の王者”が、ついに本物の王座を狙いに来ているのだ。
沈黙を破ったのは石崎だった。
「いいじゃねぇか! どうせ最後に勝つのは俺たち南葛だ! 次の試合から一個ずつ勝って、また決勝で東邦を叩きゃいい!」
その言葉に、仲間たちがようやく笑顔を取り戻した。
しかし胸の奥には、巨大な影が確かに残っていた。
南葛中の宿舎で試合結果を聞いた大空翼は、胸中で複雑な思いを巡らせる。
「東邦学園…日向くんがいなくても友坂くんがいる。あのパスワーク、統率力、完全にチームを、試合を支配していた…」
「このままじゃ、優勝は簡単にはできない。俺たち南葛もさらに強くならなきゃ…必ず大会中に完成させる…ドライブシュートを…」
翼は静かに拳を握り、東邦との戦いを心に刻む。
大会2日目 東邦学園・専用グラウンド
東邦学園の広大な専用グラウンドは、朝から選手たちの掛け声とボールの弾む音に満ちていた。
だが、その場にいつもいるはずの大黒柱の姿がなかった。
「……あれ、日向キャプテンは?」
「グラウンドにもいないぞ?」
選手たちのざわめきが広がる。昨日の大勝の余韻がまだ漂うなか、不安の影がチームを覆い始めた。
一年生の沢田タケシは、意を決して北詰監督に近づいた。
「監督、日向さんはどうされたんですか?」
北詰監督は眉一つ動かさず、淡々と答える。
「日向はこん! 三年生は今大会が最後だ。本大会に出ない日向は練習する必要はない。だから来なくて良いと伝えた。」
「そんなっ!」
驚きの声がグラウンドに走った。
「監督、それはいくら何でも……」
「優勝には日向さんの力が必要です!」
「そうです、監督!」
部員たちは口々に訴えた。
だが北詰監督は鋭い目を光らせ、怒声を響かせた。
「だまれ! お前たちまでわしにたてつく気か!? 友坂! 今のキャプテンはお前なんだ! お前が皆をまとめて練習しておけ!」
(何度も聞かれてこっちも大変だ……面倒は全部友坂に押しつけておこう)
監督の心の内は、そんな割り切ったものだった。
やれやれと肩をすくめながら、友坂辰馬が前に出る。
「……分かりました」
「一年! ボールを持ってこい! そして……レギュラーはコートに入ってこい!」
「はい!」
「辰馬さん……」
センターサークルに立つ友坂。その目は鋭く、しかし心には冷静な炎が燃えていた。
「それぞれポジションにつけ。俺が相手になる」
「なっ!?」
「僕たち東邦レギュラーを、一人で相手にっていうんですか!」
「そんな無茶な!」
動揺する部員たち。
友坂は薄く笑う。
「無茶なものか。……日向さん日向さんと小次郎に縋っているお前らなんか、俺一人で十分だ」
「そんな言い方……!」
「辰馬さん、あんた日向さんの親友だろ!」
「一人で相手だなんて、俺たちを馬鹿にしすぎだ!」
「一人で足りないなら、必要なら味方を増やすさ」
友坂は静かに言い放つ。
挑発された部員たちは逆に奮起した。
「馬鹿にしやがって! みんな行くぞ!」
「おう!」
(少しはやる気になったな。サッカーに集中していれば余計なことは考えまい……監督も人が悪い)
辰馬は心で呟き、深く息を吐いた。
「こい!」
「「「「うおおおお!」」」」
試合形式の練習が始まった。
⸻
消えるヒール
友坂は最初の数分で全員を圧倒した。
ある時は日向小次郎を思わせる強引なドリブルで相手を吹き飛ばし、ある時はシザースやルーレットで翻弄して抜き去る。
そして最後の砦――GK若島津健。
(辰馬さんはまだ得意の“ヒールリフト”を出していない。……ココで来るはずだ。蹴り上げた瞬間に飛ぶ!)
若島津は研ぎ澄まされた集中力で構える。
友坂は一瞬減速し、右足のかかとでボールをすくい上げる動作をした。
「ここだーーっ!」
若島津が宙を舞う。
だが――。
「……来ない?」
ボールは蹴り上げられたはずなのに、どこにも見えない。
そして次の瞬間、ゴールネットが激しく揺れた。
「な、なんだと……!」
若島津は茫然と後ろを振り返る。
「ボールが……消えた……消えるヒールだ……」
静まり返るグラウンド。仲間たちは信じられない表情で友坂を見つめた。
「おい! これで終わりか?」
友坂の怒声が響く。
「小次郎がいなければ俺一人も止められないのか!」
「くそ……!」
「まだだ! 次こそ止めてやる!」
「お願いします! もう一度!」
仲間たちの目に再び闘志の炎が宿った。
「いいぞ。何度でも相手になってやる!」
辰馬は笑みを浮かべ、再びドリブルを開始した。
鬼気迫る練習はその後も続いた。
(……日向、今ごろ実家かな。久しぶりに家族と会えて楽しいだろう。俺も……あの娘に会いたいよ。大会に集中したいからって手紙もやめてる。振られてもおかしくないよな。でも……試合、観に来てくれてたんだよな。何もできなかったけど、せめて手くらい振ってあげればよかったな……)
「おらー! まだまだいくぞ!」
友坂は胸の奥を押し殺し、声を張り上げた。
⸻
埼玉・日向家
その頃、日向小次郎は埼玉の実家に帰省していた。
「ただいま!」
「兄ちゃん!」
三人の弟妹――尊、直子、勝が駆け寄ってきた。
居間に座り、出されたコーラを飲みながら、日向は母に切り出した。
「おれ……東邦を辞めるかもしれない」
「えっ!」
一斉に声が上がる。
「キャプテンとして無責任な行動をしてしまった。監督も怒ってる。部を辞めたら特待生じゃなくなる俺は、学費を払えない。学校も辞めなきゃならないだろう」
「その時は地元の中学に通う。サッカーも、働きながら続けるよ」
母はただ黙って息子を見つめ、尊が叫んだ。
「そんなっ! 兄ちゃん! 辰馬兄ちゃんは何やってんだよ!」
「辰を悪く言うな!」
怒気を含んだ声に尊は涙を浮かべた。
「辰は俺の代わりにチームをまとめてくれてる。巻き込むわけにはいかねぇ」
日向の目には決意の光が宿っていた。
母が静かに言った。
「そうだよ。辰馬くんは、小次郎が忙しい時に代わりに遊んでくれたり、勉強を見てくれたりしただろう。悪く言っちゃだめだよ」
(辰……そんなことまでしてくれてたのか……)
心の奥で友を思う。
(退学になったとしても……どんなことがあっても南葛には、翼には勝つ。この右足で、必ず倒す!)
⸻
宗像尚美との再会
「ふぅ……少し歩いてくる」
日向は外へ出た。足は自然と友坂の家の方へ向いていた。
その途中――。
「あれ、日向くん?」
振り返ると、肩口で切り揃えた栗色の髪、澄んだ瞳。えくぼを浮かべて微笑む少女が立っていた。
「お前は……友坂の彼女じゃないか?」
少女は少しむくれた顔で言った。
「同じ学校だったんだから、名前くらい覚えてよ」
「ははっ、すまん。宗像だろ、宗像尚美」
「まったく……」
尚美は小さく笑い、目を伏せた。
「辰馬は元気かな。少し前から手紙が来なくて……試合も観に行ったけど、集中してて全然こっちを見てくれなかった」
日向は真剣な顔で答えた。
「すまない。あいつは今、俺の代わりにチームを導いてくれてる。……もう少し待っててやってくれないか」
「うん、そうする」
尚美は柔らかく微笑む。
「でも大会が終わったら、デートくらいしてやってって伝えてね」
「ああ、わかった」
尚美はホルンのケースを抱え直し、毅然とした表情で言った。
「そろそろ行くね。部活の練習があるから」
「おう、頑張れよ」
日向はその背を見送り、胸の奥でつぶやいた。
(辰……宗像も頑張ってるぞ。俺たちも……)
⸻
その日、東邦学園のグラウンドでは汗と怒声が飛び交い、友坂辰馬がチームを支えていた。
埼玉の小さな家では、日向小次郎が母や弟妹に支えられながら決意を固めていた。
そしてその陰で、宗像尚美は静かにホルンを吹き、心で友を応援していた。
彼らの思いが交錯する夏。
決勝の舞台は、まだ遠い――。