副キャプテン 辰馬 作:匿名希望のぽっちゃり
ハーフタイムのスタンドには、まだ前半の熱気が渦巻いていた。
観客席の一角――三杉淳の周囲は歓声とどよめきの余韻が残り、芝の匂いが風に乗って届く。そこへ一人のスーツ姿の男が現れる。
「失礼。君が三杉淳くんだね」
落ち着いた声に振り向いた三杉の前に、背筋を伸ばした中年の男が立っていた。
「私は日本サッカー協会の片桐という者だ」
名乗ると同時に、彼の眼差しは鋭さと温かさを併せ持つ独特の光を帯びていた。
「サッカー協会の…?」
弥生が驚いたように目を丸くする。松山と宗像も思わず身を乗り出した。
片桐は淡々と告げる。
「三杉くん。大会が終わったら、Jr.ユースチームの合宿に参加してほしい」
「えっ、でも…」三杉は眉を寄せる。
「その代表への参加資格は、全国大会に出場したチームから選ばれるはずでは?」
「そうよね淳、でも――」弥生が柔らかい声で続ける。
「淳なら代表に選ばれてもおかしくない実力を持っているわ」
「そうだよ、三杉」松山も力強くうなずいた。
宗像も「すごいです…」と素直な賞賛を口にする。
しかし片桐は、淡い微笑を浮かべながら首を振った。
「いや。私が頼みたいのは――選手としてではない。コーチとしてだ」
「コーチ……ですか?」
三杉の瞳がわずかに揺れる。
弥生が息を呑み、松山は思わず声を上げた。
「なんだって!?」
宗像も目を見開く。
片桐は静かに言葉を重ねる。
「君はプレーヤーとしても一級だが、それ以上に――試合を読み、冷静に判断する目を持っている。戦術理解、分析力……その洞察は、今南葛中と死闘を演じている東邦学園の“軍師”友坂辰馬に匹敵すると私は見ている」
「辰馬に……?」
松山はライバル視していた友坂の名前を聞き、複雑な表情を浮かべる。
宗像も驚きを隠せない。
弥生はただ、三杉の横顔を見つめていた。
片桐の声はさらに熱を帯びる。
「同年代の選手たちをコーチすることは、君自身のサッカー人生にとって大きな経験となるだろう。
私たちは君の実力を疑っていない。君は東京都予選の決勝までチームを導き、東邦学園――あの友坂辰馬と堂々と渡り合った。心臓病というハンデを背負いながらもだ」
三杉は言葉を失い、ただ片桐の瞳を見返す。
片桐は続けた。
「今、君と同じ世代の選手たちは世界へ羽ばたこうとしている。大空翼、友坂辰馬……彼らは日本サッカーの未来を背負う存在だ。私たちは日本代表を、いや――ワールドカップ優勝を目指している」
「世界進出……」松山がつぶやく。
「ワールドカップ優勝……」弥生の声は震えていた。
宗像も思わず息を呑む。「辰馬が……世界へ……」
片桐はゆっくりと頷いた。
「ああ。そして君には、その未来の代表チームで指導者としての一歩を踏み出してほしい。
いずれ現役を終え指導者の道を進む時、この経験は必ずや糧となるはずだ」
弥生がそっと三杉の腕に触れる。
「淳……」
松山も複雑な表情を浮かべながら見守る。
宗像は心の中で(やっぱり辰馬って、サッカー界ではすごい存在なんだ。世界かぁ……)とつぶやいた。
三杉は静かに目を伏せ、深く息を吸う。
「……少し、考えさせてください」
「もちろんだ」片桐はやわらかく微笑んだ。
「もうすぐ後半戦が始まる。一緒に見届けよう」
「……はい」
三杉は小さく返事をし、視線をピッチへ向けた。
その眼には、さきほどよりも確かな光が宿っていた――。
ハーフタイムが終わり、再びピッチに戦士たちが戻ってくる。
スタジアム全体がざわめき、観客席から一斉に声が飛ぶ。
「南葛は……」「大空翼はどうした!?」
「翼は出るのか?」「頼む、出てくれ!」
白と青の南葛応援団が祈るように目を凝らしたその瞬間、青空を背負うように一人の影がトンネルから姿を現した。
大空翼――その名を呼ぶ歓声が、爆発する。
「翼だ!」「頼むぞ翼!V3にはお前が必要だ!」
スタンドが割れるような声援。旗が揺れ、太鼓のリズムがさらに早まる。
東邦学園の選手たちも、その光景を真正面から見つめていた。
日向は腕を組みながら低くつぶやく。
(やっぱり出てきたな……)
友坂辰馬は口元にわずかな笑みを浮かべる。
(こうでなくちゃな。遠慮なんていらねぇ、翼)
東邦の仲間も興奮を隠せない。
「翼が出てきたぜ!」
「これでこそ、倒しがいがあるってもんだ!」
日向は仲間を見渡し、わずかに顎を上げる。
「みんな……」
「いい雰囲気だな」友坂がフッと笑った。
その笑みに呼応するように、東邦のベンチにも火が灯る。
⸻
後半キックオフ
主審のホイッスルが鋭く響き、南葛ボールで後半戦が始まった。
ボールは早々に翼の足元へ。
東邦学園は一斉に動き出す――まるで獲物を狩る群れ。
スライディングタックルの連続攻撃。だが翼は、右へ、左へと舞うようにかわしていく。
日向自身も翼へ鋭いスライディングを仕掛けた。
しかし翼はふわりと高く跳び上がり、背中に太陽を背負ったまま着地。
友坂の目が一瞬、細くなる。
(そんな高さ……その足、大丈夫なのか?)
翼は滝、来生の両FWを巧みに使い、怒涛の連続攻撃を繰り出した。
しかし最後のシュートは、東邦守護神・若島津の前に立ちはだかる。
空手家の血を引く次男坊、GKとして今大会No.1の名を欲しいままにする男。
鋭い手刀ディフェンスでボールを弾き出し、スタジアムをどよめかせる。
⸻
南葛は素早くコーナーキックへ。
東邦学園はゴール前へ戻りきれず、ざわめく声が飛ぶ。
「早く戻れ!」
南葛はリスタートの速さで若島津を揺さぶりにかかる。
だが、若島津の鋭い目がボールを捉え続ける。
その背中を見つめ、友坂が叫ぶ。
「今は守りの時間だ!若島津だけに守らせるな!全員で守り抜け!」
「おう!」東邦イレブンの声が重なる。
友坂は中盤を見渡し、即座に判断を下した。
「小次郎!中盤まで下がってくれ!」
日向がすぐさま反応する。
「俺も守る!」
「キャプテンが守る必要はありません!」仲間が驚きの声を上げる。
「今、南葛は乗っている。このピンチにFWもDFも関係ない!全員で守るぞ!」
日向の声は鋼のように響いた。
「はい!」「了解!」
東邦イレブンの瞳に同じ炎が宿る。
⸻
コーナーキック――ボールが高く舞う。
日向がタイミングを合わせ、鋭いジャンピングボレー。
重低音を響かせながら大きくクリア。
「よし!みんなボールに向かって走れ!」友坂が指揮を取る。
東邦学園が一斉に前へ。
南葛も全力で戻る。
先に触れたのは南葛DF。
だが反町が鋭いスライディングでボールを奪い取った。
友坂がわずかに笑みを浮かべる。
(ふん、反町のディフェンスは本職顔負けだ)
反町はサイドをえぐり、日向へのラストパスを狙う。
しかしそこには翼の影。
来生からのパスカット以来、彼は一瞬も日向から離れない。
(くそ……キャプテンには上げられない。辰馬さんもマークがきつい)
反町の歯が悔しさに鳴った。
「構わん反町!俺に上げろ!」
日向の怒号がピッチを突き抜ける。
「キャプテン!はい!」
反町は迷いを断ち切り、高く浮くボールをゴール前へ――。
日向と翼が同時に空へ跳んだ。
二人のヘディングは互角。
宙に弾かれたボールがこぼれる。
その瞬間、南葛の石崎が身体ごと飛び込み、強烈なクリア。
ボールはタッチラインを越え、スタンドへ転がった。
石崎が満面の笑みで叫ぶ。
「南葛!ボールに向かって走れぇぇ!」
歓声が波のように押し寄せる。
後半開始から数分、スタジアムは再び熱狂の渦に包まれた――。
スタンドの空気が揺れた。
片桐は双眼鏡を下ろしながら静かに呟く。
「南葛が攻守ともに冴えているのは、やはり翼だ。要所でのあの動きが試合の流れを支配している。」
隣で腕を組む松山が深く頷いた。
「やっぱり南葛は翼だな。」
三杉も目を細めて同意する。
「だが、東邦には日向と友坂、二人の柱がいる。それに――」わずかに口角を上げる。「目立ってはいないが、一年の沢田タケシ。あの存在も大きい。」
まるで彼の言葉に応えるかのように、ピッチで沢田が鋭く相手パスをカットした。
タケシの瞳が燃える。
(この試合、とことん日向さんに合わせる! それが東邦学園の意志だ!)
芝を蹴り、前線へと一気に駆け上がる。
日向へ送られたボールは高く舞い、翼と再びの競り合い。両雄の気迫がぶつかりあう。
空中戦は互角――ボールはふわりと落下した。
日向の目が光る。
――チャンスだ。
地を裂くタイガーショットが炸裂。
だがその瞬間、翼が左肩を押さえながらも立ち上がり、痛みを押してシュートブロックへ跳び込んだ。衝撃が走る。翼の体がわずかに揺れる。
シュートの威力は僅かに殺され、GK森崎の腕に収まった。
森崎は胸で受け止めながらも驚きを隠せない。
そのとき、翼が左肩を押さえて大きくうめく。
観客席にざわめきが走る。テーピングがずれ、そこに書かれた文字が露わになった。
俺たちの夢、全国制覇V3!
南葛イレブンは一瞬、息を呑む。
それは痛みを超えた誓いの証だった。
翼は笑みを浮かべ、声を張る。
「さあ、行こう!」
森崎が力強く応じる。
「ああ、行こう!」
ボールを味方へ投げ出すと、南葛の仲間たちも次々に叫んだ。
「いこう!」「俺たちの夢に!」「南葛V3に!」
その声はスタジアム全体を震わせ、士気と結束が一気に爆発する。
――だが、東邦も引かない。
友坂は心の奥で熱く叫んでいた。
(本当にいいんだな、翼! やるぞ、俺たちは!)
日向もまた静かに闘志を燃やす。
「どんなことになっても容赦はしないからな!」
翼は真っ直ぐに視線を返した。
「望むところだ!」
強い意志が、目と目のあいだで交わされる。
友坂が一喝。
「東邦学園! 何としても止めるんだ!」
東邦イレブンは全員が応じ、必死に守備を固める。
だが南葛は、翼を核にした華麗なパスワークを展開。
入学以来、無敗という自信と、V3への情熱がチーム全体を包み込む。
来生が一閃、強烈なシュートを放つ。
若島津が横っ飛びで弾き出すも、宙を舞ったボールを石崎が追いかけジャンプ。
その体勢のままオーバーヘッドキック! だが同じタイミングで飛び上がった日向がブロック。
石崎は着地寸前に再び体をひねり、驚異の二段動作で後方へとボールを送り返す。
そこに――大空翼。
左肩の痛みを振り切り、空へ舞う。
オーバーヘッドキック。
スタジアムの空気が一瞬、止まった。
――ゴォォォォォルッ!!
ネットを揺らしたボールに、スタンドが割れんばかりの歓声を上げた。
スコア、三対三。
後半10分 大空翼、執念の同点ゴール!
熱狂は止まらない。
東邦も南葛も、まだ戦いの只中。
勝負は、これからだ――。
スコアは三対三。
残り時間、わずか二十分――。
東邦学園イレブンは、つい先ほどまで優勢だったはずの戦いが振り出しに戻った現実に、ピッチ上で一様に肩を落とした。
汗に濡れたユニフォームが重く感じる。歓声は耳に届くのに、遠く聞こえた。
キャプテン日向小次郎でさえ、悔しさを隠せずに下を向く。
(……オレのせいだ。あの場面で決め切れなかった。)
胸の奥で自責の炎がくすぶる。
観客席。
日向の母は唇をかみしめ、両手を固く組む。
小さな弟は目を潤ませて呟いた。
「兄ちゃん……」
その家族の視線を受けるかのように、吉良監督は腕を組み、低くつぶやく。
「小次郎……辰馬……」
東邦ベンチでは北詰監督が声を張った。
「みんな、これからだぞ!」
一方、自陣に戻った南葛イレブンの中央。
翼が仲間に目を向ける。
「みんな、シュートは右隅を狙っていこう。若島津くん、左肩を痛めているみたいだ。」
驚きの声が一斉に上がる。
「えっ?」「ホントかよ?」「よし、若島津対策はバッチリだ! 逆転だ!」
そのころ、落胆の色を隠せない東邦イレブンの中で――
友坂辰馬は空を仰ぎ、ただひとり心の奥で火を灯していた。
(ここでの同点か……いいじゃないか。)
小さく息を吐き、ふっと笑みがこぼれる。
「ふふっ」
その微笑みに仲間が顔を向けた瞬間、友坂は空を切り裂くように大声で笑った。
「ふふっはははぁぁーーー!」
タケシが目を丸くする。
「辰馬さ、ん?」
反町も驚きに眉をひそめる。
「えっ?」
日向もわずかに目を見開いた。
「辰……?」
その奇妙な笑いに、南葛の面々もつられて視線を送る。
井沢がぼそりと呟く。
「どうしたんだ?」
石崎が口を尖らせる。
「頭でも打ったのか?」
翼も心配そうに眉を寄せた。
「友坂くん……?」
だが友坂の瞳は、鋭く冴えていた。
笑みを浮かべながらも、その奥に燃える闘志が光る。
「強いなあ、南葛! 強いなぁ大空翼! だが、これがいい! 振り出しに戻ったが――これこそが俺たちが望んだ決勝戦よ!」
その言葉に、両チームが息を呑む。
友坂はさらに声を張り上げた。
「ははっ、東京王者だなんて言っても……俺たちは一度も全国制覇をしていない! 俺たちは挑戦者なんだ!」
落ち込みかけていた仲間たちの顔が、少しずつ変わりはじめる。
瞳が戦う光を帯びていく。
「挑戦者がやることはただ一つ。王者に挑み、そして勝つことだ!」
その瞬間、チーム全体の空気が弾けた。
日向をはじめ、東邦学園イレブンが攻撃的な目を取り戻していく。
(そうだ! 勝つんだ!)(まだ振り出しに戻っただけだ!)
友坂が高々と拳を掲げた。
「攻めるぞ、東邦学園! 王者になるために!!」
「おぉう!!」
仲間たちの雄叫びがスタンドを震わせる。
日向も拳を握りしめ、力強く叫んだ。
「よし! 一点取りにいくぞ!」
「しゃあーー!」
声が一つになった瞬間、東邦の空気は完全に変わった。
南葛イレブンはその変化に戸惑いを隠せない。
「なんだってんだ?」
「友坂のやつ……」
「空気が変わった……」
スタンドでは吉良が目を細め、誇らしげに呟く。
「よくやった、辰馬!」
北詰監督も力強く頷いた。
「いいぞ友坂、チームの顔が戻った……いや、もっと良い顔になった。」
センターサークルへ向かう途中、日向は横を歩く友坂に視線を向ける。
(辰……)
友坂は挑戦的な笑みを浮かべ、軽く肩をぶつけた。
「小次郎、久しぶりにオレとお前のコンビプレイでも行くか?」
日向は思わず口元を緩める。
「ああ、やるか。」
残り時間、二十分。
空気は熱を帯び、ピッチ全体が闘志の炎に包まれていく。
試合は、ここからさらに――熱く、激しく、加速する。