副キャプテン 辰馬 作:匿名希望のぽっちゃり
歓声と太鼓の響きがまだグラウンドを包んでいた。スタンドには南葛サポーターの歓喜と、東邦学園を鼓舞する声援が入り混じる。
友坂辰馬がタンカで運ばれてから、わずか数分。東邦ベンチの空気は、張り詰めながらも確かな熱を宿していた。
北詰監督は静かに視線を巡らせ、ひとりひとりの表情を確かめる。汗に濡れた顔、息を荒げる胸。
「後半戦、よくやった」
短くも重みのある言葉がベンチを満たす。「最後に同点に追いつかれはしたが、決して負けていないぞ。さぁ、少しでも身体を休めろ。延長戦は二十分ある。」
イレブン全員が「はい!」と声を揃え、地面に座り込む。膝に手を置く者、タオルで汗を拭う者。だが全員の眼はまだ燃えていた。
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北詰はゴールキーパーへ視線を向ける。「若島津」
名を呼ばれた瞬間、若島津健は背筋を伸ばす。
「右手一本しか使えなくても、ウチの守護神はお前だ」
「はい!もちろんです!」
迷いのない即答。右肩を痛めた痛みなど微塵も見せない。
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続いて監督の鋭い視線はキャプテンへと突き刺さった。
「日向」
ビクリと肩を揺らす日向小次郎。だが、すぐに真っ直ぐ北詰を見返す。
「あと少しで優勝だったのに……翼に勝負を仕掛けるとはな」
低く、しかし叱責ではない声。
「翼と勝負がしたいか?」
日向は一度だけ視線を落とした。悔恨と決意が交錯する。
そして顔を上げ、真っ直ぐに答える。「はい」
北詰は口元にわずかな笑みを浮かべた。
「ならば勝て。男としても、キャプテンとしてもだ」
「……はい!」
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監督は一息置き、声の調子を改める。
「それと、友坂のことだが……」
日向がすかさず言葉をかぶせる。「監督、辰は必ず戻ってきます。だから――」
「分かっている」北詰は遮った。「私もあいつを代えたくはない。だが、戻ってくるまで何分かかるか分からん。ドクターストップの可能性もある。言いたくはないが、それが現実だ。それでも――待つと言うなら、チーム全員の意志が必要だ」
若島津が即座に答える。「なら、決まってます」
反町が続ける。「辰馬さんが戻ってくるのを待ちます」
タケシが拳を握った。「必ず試合中に戻りますよ。辰馬さんは東邦学園の副キャプテンなんですから!」
その言葉に、他のメンバーたちも次々とうなずいた。
「俺たちも同じ気持ちです」
「辰馬さんを信じます!」
日向が仲間を見回す。胸の奥が熱くなる。
「みんな……ありがとう」
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北詰監督は深くうなずいた。
「分かった。交代は友坂本人の意志を尊重する。あいつは自分がチームの重荷になるなら、必ず自ら交代を申し出るだろう」
視線を鋭くして言い切る。「それまでは、チーム全員で守り切る。いいな!」
「はい!!」
全員の声が、まるで一つの雷鳴のようにベンチを震わせた。
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遠くでホイッスルが鳴り、延長戦を告げる笛が響く。
ナイターの光が白くフィールドを照らす。
東邦学園、十一人目の仲間――友坂辰馬が必ず戻ると信じて。
彼らは再び戦場へと歩み出した。
実況の声が、炎天下のスタジアム全体に響き渡った。
「全国中学生サッカー大会、決勝は延長戦に突入です!スコアは四対四。ここまで来れば、どちらが勝ってもおかしくありません!」
真夏の陽射しは、観客席の大観衆を容赦なく照りつけている。青と白、赤と黒――南葛と東邦、両チームの応援旗が揺れるたび、汗の雫が光を反射した。
「史上初の三連覇を狙う南葛か。あるいは、三度目の正直で悲願の初優勝を目指す東邦学園か。前後半各十分、合計二十分の延長戦が再開されます。これでも決着がつかなければ、両校優勝です!」
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10人の東邦
「選手たちが出てきたぞ!」
ざわめく観客席。
先にピッチへ姿を現したのは、南葛イレブン。キャプテン、大空翼が背番号10を背負い、静かに歩み出る。
その視線の先には、同じ10番を纏う日向小次郎――東邦学園の猛将。だが、観客たちはすぐに異変に気づいた。
「……あれ、友坂がいない?」
石崎が眉をひそめる。
「交代したのか?」滝が続く。
井沢が首を振った。「いや、10人しかいないぞ」
来生が口を尖らせる。「あの友坂が、簡単に交代なんてするわけがないだろ。だがチャンスだ。10人の今なら逆転を狙える!」
東邦ベンチから聞こえてくるのは、日向の低くも力強い声。
「お前ら、辰がいない時に点を取られたら、後でどやされるぞ」
東邦メンバーたちは、笑みを浮かべながらも一斉に返す。
「はい、分かってます!」
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延長前半開始
笛の音がスタジアムを切り裂いた。南葛ボールで延長前半がキックオフ。
ボールを受けた翼が、ためらうことなく前線へドリブルを仕掛ける。
反町が叫ぶ。「止めろ!」
だが、その声を振り払うかのように、翼は柔らかなステップで次々と東邦ディフェンダーを抜き去った。
「ボロボロのはずだろ!」と叫ぶ声が東邦から飛ぶが、翼の動きは疲労を感じさせない。むしろ、闘志に燃えている。
東邦ゴール前。翼はドライブシュートの体勢に入る。
その瞬間、猛獣のような気迫を放つ日向小次郎が飛び込んだ。
「させるか!」
鋭いタイガースライディングタックル――翼の足元からボールが弾け、ライン際へ大きく転がる。
⸻
こぼれ球に素早く反応したのは石崎だった。
南葛の面々は怒りと焦燥をあらわにしながら翼へ駆け寄る。
「翼! おれは、おれたちはお前の友達じゃないのか!」
その声に呼応するように、周囲の仲間も叫ぶ。
「翼ぁ!!」
石崎は一瞬も迷わず、まだ倒れ込んでいる翼の方へパスを出した。
ボロボロのはずの翼が、そのボールにいち早く反応する。
渾身の力で立ち上がり、足を振り上げた。
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その振り足を見て、片桐が息を呑む。
(いつものドライブシュートと違う――!)
ゴール前で待ち構える若島津が、構えを取った。
「勝負だ!翼!」
翼は迷わず放った。渾身のドライブシュート。
低く鋭い弾道が、ゴール右隅を狙って飛ぶ。
若島津が叫ぶ。「右手一本でも止めてみせる!」
しかし――。
ボールは予想外の角度で鋭く曲がった。いや、曲がりすぎる。ゴール枠を外れたかに見えたその瞬間、地面に一度だけ跳ね、逆回転のスピンを帯びて逆方向へ急激にカーブ。
観客席から悲鳴にも似たどよめきが湧く。
ボールは若島津の手をかすめ、サイドネットを突き破るように突き刺さった。
⸻
「決まったぁぁぁ!!」
実況の叫びが、スタジアム全体に轟く。
「大空翼、執念の逆転ゴール!まさにミラクル!この試合で初めて、南葛中が東邦学園からリードを奪いました!」
南葛応援席は総立ちとなり、割れんばかりの歓声と拍手が押し寄せる。
フィールド中央、翼は息を荒げながらも、鋭い眼光を失わない。
まだ勝負は終わっていない。
延長戦は、今まさに新たな炎を上げて燃え始めたのだった。
逆転のゴール、その後――
全国中学生サッカー大会・決勝 延長前半
歓声は雷鳴のように響き渡った。
南葛中の面々は大空翼に駆け寄り、抱き合って喜びを分かち合う。
だが――。
翼は笑みを浮かべたまま、ゆっくりと膝から崩れ落ちた。
念願の三連覇が目前に迫ったというのに、その身体は限界を超えていた。
「翼!」
南葛中の仲間たちが一斉に声を上げる。
「翼!」
敵味方関係なく、東邦学園の選手からも叫びが飛んだ。
「翼くん!」
マネージャーの中沢早苗の悲鳴が、ピッチに響く。
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医務室のまどろみ
――薄暗い天井。消毒液の匂い。
翼がゆっくりとまぶたを開けると、心配そうな顔が三つ、目に飛び込んできた。
中沢早苗をはじめ、女子マネージャー三人が翼を囲んでいる。
「……ここは?」
掠れた声で翼が問う。
「医務室よ、翼くん」
早苗がそっと答え、安堵の息を漏らした。
「目が覚めたか、翼」
落ち着いた医師の声に、翼の記憶が一気に蘇る。
――試合。決勝。南葛の仲間たち。
「試合は!? 南葛は!? みんなは!!」
翼は跳ね起きるように上体を起こした。
⸻
「まだ南葛がリードだぜ、翼」
聞き慣れない声が部屋の奥から響く。
振り向くと、ベッドの端に腰掛ける少年がいた。
頭には白い包帯――東邦学園副キャプテン、友坂辰馬だった。
「友坂くん……」
翼の瞳に驚きが宿る。
「お前のゴールから五分くらいだよ」
軽く笑って答える友坂。
「君は……交代かい?」
心配そうに問う翼。
友坂は口の端を上げた。
「なわけないだろ? お前を待ってたんだよ。十人の南葛にゴールを決められないだろ?」
冗談めかしたその言葉に、翼は苦笑いする。
自分の逆転弾を揶揄されたと悟りつつも、まだ彼が交代していないと知り、胸の奥でほっとした。
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「行くか?」
友坂が立ち上がる。
「ああ」
翼も力強く頷き、ベッドから足を下ろした。
「ならん!」
医師の声が鋭く響いた。
「友坂は脳震盪だ。翼は気を失っていたんだぞ!」
しかし二人は同時に微笑む。
「すみません。グラウンドで仲間が待ってるんで」
友坂が軽く頭を下げる。
「俺も仲間が待ってるんで、戻ります」
翼も笑顔で続けた。
マネージャーたちはなお心配そうに眉を寄せていたが、二人の瞳の奥に宿る強い光を見て、言葉を失った。
⸻
夢を語る時間
医務室を出て、二人は並んでスタジアムの通路を歩く。
外からは応援のざわめきが遠くに聞こえてくる。
「翼は、中学卒業したらブラジルって本当か?」
友坂が問いかけた。
「ああ。ブラジルでプロになる。それが俺の夢の一つだからね。前からポルトガル語も習ってるんだ」
翼の声は澄み切っていた。
「夢か……いいな、それ」
友坂は少しだけ視線を落とし、やがて笑った。
「お前がブラジルなら、俺はイギリスかな?」
「イギリス!」
翼の目が輝く。
「サッカーの母国だもんね。レベル高いんだろうなぁ」
友坂は前を見据え、真剣な表情で言った。
「お前が先頭きって海外に行くってんだ。俺も負けてられないよ」
二人はいつしか肩を並べ、旧友のように笑い合っていた。
互いの夢を語りながら、再び熱気渦巻くグラウンドへと足を速める。
⸻
そしてピッチへ
スタンドからは、再び大歓声が沸き起こっていた。
残り時間はわずか。勝負はまだ終わっていない。
翼と友坂。
異なるユニフォームを着た二人の少年は、同じ未来を見据えるかのように、真夏の光の中へ歩みを進めた。
熱闘・延長戦 帰還するふたり
陽は西に傾きながらも、真夏のグラウンドはなお灼熱の輝きを放っていた。
その蒸し返すような熱気の中、スタジアムの一角がどよめく。
――翼と友坂が、帰ってきた。
六分前、翼が医務室へ退いたとき、誰もがこのまま試合が終わるのではと胸を締めつけられた。
だが今、ふたりは再び芝の上に姿を現していた。
「泣いても笑っても、あと少しだな」
友坂辰馬が細く息を吐き、照り返す光に目を細める。
「どうせなら、笑って終わりたいもんだ」
声に決意の色が混じる。
「うん。そしてそれは、どちらかが泣くってことだけどね」
翼も口元を引き締め、澄んだ瞳で友坂を見返した。
「お互い負傷の身だが、出し切ろうじゃないか」
「うん、負けないよ」
二人は軽く笑い、拳を突き合わせる。
乾いた小さな音が、夕陽のスタンドに吸い込まれていった。
⸻
最初に声を上げたのは少年たちだった。
「翼だ!」
続いて大人たちも次々に叫ぶ。
「友坂だ!」「二人とも無事だったのか!?」「出られるのか!?」
観客席は一気に沸騰した。
「南葛一点リードの状況で逆転するには、友坂の力が必要だぞ!」
熱狂と期待が渦を巻く。
⸻
ピッチの中央付近では、東邦キャプテン・日向小次郎がその姿を見つめていた。
「……辰」
思わず名前を呼び、胸の奥で問いかける。
(いけるのか? 本当に――)
友坂の動きに無理がないと分かると、日向はわずかに息を吐き、安堵の色を浮かべた。
⸻
その瞬間、ボールが転がってくる。
日向の足元へ――。
南葛のディフェンダーたちは、一斉に反応した。
(来る、タイガーショット!)
鋭い視線でマークに入ろうとする。
しかし、日向は躊躇なく右足を振り抜いた。
ボールは一直線にサイドラインへ――力強いクリア。
観客席からどよめきが広がる。
「えっ、シュートじゃない!?」
転がったボールは、ちょうど翼と友坂の足元に止まった。
翼がボールを拾い上げると、スタンドはさらに大きく揺れる。
「翼! 友坂!」
名前を何度も叫ぶ声が、グラウンドを震わせた。
その中に、泣き笑いの声も混じる。
「辰馬〜!」
宗像の声だ。涙を浮かべながらも、笑みを絶やさない。
⸻
東邦学園のイレブンが集まってくる。
日向が真っ直ぐに友坂を見つめた。
「辰、すまない。お前の不在を守れなかった……。しかも同点のチャンスだったのに、俺は……」
その言葉には、同点よりも翼を戻すことを優先した自責が滲んでいた。
友坂はそんな日向の肩をたたいて出迎えた。
「すみません、辰馬さん」
他のメンバーも次々に頭を下げる。
友坂は、そんな仲間たちを見回して、静かに首を振った。
「前半が終わるまで、まだ時間はある。まずは同点だ」
短い一言が、東邦学園全員の心を再びひとつに束ねる。
仲間たちの目に、再び炎が宿った。
⸻
夕陽はなお赤く、グラウンドを黄金色に染めていた。
残された時間はわずか――だが、勝敗の行方はまだ決まっていない。
翼と友坂、二人の帰還が、試合の流れを再び変えようとしていた。
夕陽がさらに赤みを帯び、熱気と歓声が渦巻く中、南葛のスローインで再開の笛が鳴った。
ボールを受けたのは、再び戻ってきた大空翼。
翼は視線を素早く前線へ走らせ、ためらいなく――宿命のライバルである日向小次郎へ、あえてボールを送った。
「受けてみろ、日向!」
観客席が一瞬ざわめく。
日向はそのパスを鋭くトラップすると、猛虎のごとき双眸で翼を射抜いた。
「お返しか……上等だ!」
次の瞬間、日向は地を蹴った。
剛力の直線ドリブルが翼へ迫る。
翼も迎え撃つが、真正面からの衝突は避けられない。
――ドンッ。
翼の身体が芝をかすめ、宙に舞った。
「いくぞ! 東邦学園V1だァ!」
咆哮が響く。
「おうっ!」
東邦イレブンの士気が一気に爆ぜ、スタンドがどよめいた。
⸻
東邦学園はその勢いのまま、南葛ゴールへ雪崩れ込む。
友坂、反町、沢田タケシ――誰もが前へ。
しかし南葛も全員守備で立ちはだかる。
翼は身体を起こしながらすぐに戻り、石崎、三杉、松山らが必死にコースを塞ぐ。
「打たせるな!」
井沢の叫びが響く。
日向が右足を振りかけるが、井沢と高杉が同時に飛び込んだ。
ボールはこぼれ、混戦の中で跳ね上がる。
翼がいち早く反応。
ドリブルで持ち込みながら、東邦のマークを次々と引き寄せた。
そしてラストパス――井沢へ。
井沢は冷静に右隅を狙いシュート。
だが、若島津健が吠える。
「まだだ!」
右手一本、渾身の横っ飛び。
指先にかすったボールは、吸い込まれるように若島津のグローブに収まった。
「ワンハンドキャッチだ!」
実況席が沸き立つ。
そのままホイッスル。
延長前半が終わった――。
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「ふー……前半で同点ならずか」
友坂辰馬はタオルで汗を拭いながら、ほっと息をついた。
「後半はウチのボールからスタートだな。早々に決めるなら――アレ、かな」
隣で沢田タケシが心配そうに包帯を見つめる。
「辰馬さん、頭のケガ……本当に大丈夫ですか?」
「大丈夫さ。ちょっと血が出ただけだ。念のため巻いてあるだけだよ」
友坂は笑って答えた。
その余裕の笑みに、タケシもわずかに安堵する。
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見上の視線
スタンドの一角では、日本サッカー協会の見上辰夫が腕を組んでいた。
ヨーロッパ選抜メンバーの選考を終え、久々に観戦に訪れた彼は、試合経過をスタッフから聞きながら唸る。
「南葛も東邦も……どちらが勝っても、日本サッカーの未来は明るいな」
その目は、少年たちの才能と情熱に驚嘆と期待を宿していた。
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東邦ロッカールーム
延長戦後半を前に、東邦学園ロッカールーム。
北詰監督の声が、静まり返った室内に響き渡る。
「ここまで来たら、もう言うことはない!」
低く、しかし力強く。
「悔いのない戦いをしてこい!」
「はいっ!」
全員が一斉に応えた声は、まるで勝利を誓う鬨の声だった。
監督は歩き去る選手たちを見送りながら、ふと二人を呼び止めた。
「日向、友坂」
「はい」
キャプテンと副キャプテンは同時に足を止め、真剣な表情で振り向く。
北詰監督は二人の目を見据え、短く言い放った。
「お前たちをピッチに送り出した以上、この試合はお前たちに託した。――頼むぞ」
その言葉に、日向と友坂は顔を見合わせる。
胸の奥が熱くなる。
「はい!」
二人の声は力強かった。
日向は拳を握り、心の中で呟く。
(まず1点……必ず取り返す)
友坂は監督の背中を見つめながら、静かに心を決める。
(監督……やはり辞める気か。だけど、そんなことはさせない――絶対に)
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延長戦後半、残り10分。
灼熱のピッチに再び、勝負の笛が鳴り響こうとしていた。