副キャプテン 辰馬 作:匿名希望のぽっちゃり
三日目のスタジアムは、朝から異様な熱気に包まれていた。
強豪国が次々と決勝トーナメント進出を決めていく中、ついに残された枠を争う大一番──日本対アルゼンチンが目前に迫っている。
まずは、午前の試合。
フランスはマレーシアを相手に危なげない戦いを見せ、ナポレオンが圧巻のハットトリック。
鋭い右足の一閃が三度ネットを揺らし、フランスらしい冷徹で洗練されたサッカーを披露して、堂々と決勝トーナメントへ駒を進めた。
観客は早くも次の試合を見据えてざわめき始める。
今日、もっとも注目される試合──日本対アルゼンチン。
スタンドに掲げられた国旗が強い風に揺れ、観客席の期待がひとつの渦となってピッチを包みこむ。
大舞台の空気は、静かに、しかし容赦なく選手たちの体温を上げていく。
両国のロッカールーム。
日本の部屋では、靴紐を結ぶ音や、スパイクのスタッドを確かめる指先の微かな音だけが響いていた。
静寂の中、緊張はある。しかしそれ以上に、全員の胸には“昨日の誓い”が宿っている。
世界を目指す。
世界一になる。
それを叶えるためには――目の前の強豪アルゼンチンを破らなければならない。
そして、敵のロッカールーム。
アルゼンチンの若き天才・ディアスはすでにユニフォームへ袖を通し、両手を腰に当てながら軽く首を回している。
その顔はどこか楽しげで、しかし獲物を前にした猛獣のような鋭さを宿していた。
「今日は派手に行こうぜ、パスカル。」
その言葉に、側にいたパスカルもニヤリと笑う。
「任せてくれよ、ディアス。」
アルゼンチンサッカー10年に一人の逸材。
ゲームメイクと得点力を同時に備え、すでに前日の試合で五得点を叩き出している“アルゼンチンの至宝”。
そのディアスとぶつかるのは、同じく“天才”と呼ばれながらも、努力と仲間との積み上げを武器にここまで歩んできた大空翼。
同じポジション、同じ役割、同じくチームの心臓。
まるで世界が二人の激突を待っていたかのように、観客の期待が高まっていく。
アナウンスが流れ、観客席がどよめく。
――まもなく、日本対アルゼンチンの試合が開始されます。
「行こう、みんな」
翼が仲間たちの輪の中心で言葉を発した。
静かだが、言葉の奥の炎は誰よりも熱い。
「今日の勝負は、俺たちが“世界”に名乗りを上げる最初の試金石だ。
ディアスに負けない。日本のサッカーはここからだって、証明するんだ。」
全員が立ち上がる。
扉の向こうに広がる歓声の海が、日本ユースを待っている。
そして、ピッチサイド。
アルゼンチンの選手たちがゆっくりと姿を見せる。
ディアスの金色の髪が日差しを浴び、まるで王者の光輪のように輝く。
同時に、翼たち日本のイレブンもトンネルを抜ける。
スタジアムの音が一気に膨れ上がる。
日本の天才・大空翼。
アルゼンチンの天才・ディアス。
二人を軸に広がる、世界レベルの中盤戦。
ここから始まる激突は、まさに“未来のワールドカップ”の前哨戦だった。
試合開始前──翼はひとつの情報に完全に心を奪われていた。
ロベルト本郷が来ている。
それを耳元で告げたのは、アルゼンチンの天才ディアス。
試合開始前、すれ違いざまにささやかれたその一言は、翼の胸に鋭い楔となって刺さった。
翼(ロベルト…ほんとに……来てるのか……?)
視線は宙に浮き、呼吸は浅くなる。
その様子を、仲間の一人が真っ先に気づいていた。
友坂辰馬(翼どうしたんだ? これから試合だってのに……あの顔はまずい)
やがてホイッスルが鳴る。
日本ボールでキックオフ。
岬から翼へ丁寧なパスが届けられる──だが。
翼の集中は、ピッチ上にいなかった。
友坂(バカが!! 抜かれるぞ!)
その瞬間、まるで草を刈る鎌のように、パスカルが低い体勢から翼へスライディングタックルを仕掛けた!
石崎「翼!あぶない!!」
石崎の怒声によって、ようやく翼は正気に戻り、ギリギリでジャンプしてかわす。
しかし──それすら読んでいた男がいた。
ディアス「もらった!」
翼が着地に移ろうとした刹那、ディアスの右足が鋭く伸び、ボールをかっさらった。
翼「なにぃ!!」
ディアスはそのまま日本ゴールへ加速する。
だが、その背中に飛び込んできた声があった。
友坂「させん!」
ディアス「なんだと!?」
ディアスが振り返ったとき、視界から突然ボールが消える。
奪った瞬間、すでに友坂辰馬の足元へ。
パスカル「ディアスが奪われただと!? 嘘だろ!」
友坂はそのまま翼の横を駆け抜ける。
一瞬だけ、鋭く、冷たい視線を送りつけながら。
翼「!」
友坂(おかしな空気だ……なら、一気に流れをぶっ壊す!)
そこからの加速は、もはや追跡すら不可能だった。
味方も相手も置き去りにし、日本の背番号“10”とは別軸の異能がピッチを切り裂いていく。
友坂は次々に迫るアルゼンチン選手たちを、テクニックの連打で切り捨てていった。
マルセイユルーレット。
ファルカンフェイント。
クライフターン。
高速シザース。
どれも普通では見えない速度で繰り出される。
相手選手は「フェイントを見た記憶すらない」ほど一瞬で抜き去られていく。
観客席から悲鳴にも似た歓声が上がった。
そして、友坂の前に巨大な壁が立ちはだかる。
アルゼンチンのセンターバック、ガルバン。
大柄で、突破を許さない守備の鉄塊。
ガルバン「シュートは撃たせん!」
目を血走らせ、足を開き、反応態勢へ完璧に入る。
どんなフェイントにも対応してみせるという覚悟が漲っていた。
だが、友坂は──さらに加速した。
ガルバン「な……にぃ……!?」
視界が揺れ、次の瞬間、友坂の姿が消えた。
股下。
友坂は地面に体を沿わせるようにスライディングで滑り込み、巨漢の足の間をすり抜けると、そのまま反動を利用して起き上がった。
まるで龍がうねりながら大地を切り裂くような軌跡で。
ディアス「止めろ!!」
パスカル「くそっ、間に合わねえ!」
追撃は遅い。
友坂は、すでにゴール前で右足を振り上げていた。
友坂(今度の龍は暴れるぜ!!)
振り下ろす軌道──無回転のための独特のフォーム。
“飛龍”よりも激しく、“タイガーショット”に匹敵する重さ。
友坂「いけぇ──暴龍!!」
ボールは放たれた瞬間、空気を悲鳴のように割き、不規則な弾道を描きながら飛ぶ。
GK「っ……!?」
GKが反応しようとした時には、ボールはすでに何度も軌道を変え、目で追うのが不可能になっていた。
次の瞬間。
──ドゴォォン!!
ゴールネットがうねり、スタジアムに一瞬の静寂が走る。
茫然とした観客。
信じられないという表情の選手たち。
その沈黙を切り裂くように、歓声が爆発した。
日本 1-0 アルゼンチン(開始2分)
友坂辰馬、新技・暴龍(ぼうりゅう)炸裂。
日向が肩で笑いながら歩み寄る。
日向「やったな、辰。ブラックボールでの特訓の成果だな」
松山「暴龍……威力も変化もバケモンだろ、あれ……!」
二人とハイタッチを交わした後、友坂は振り返り翼を睨みつける。
友坂「翼!!
なに腑抜けた顔してんだ! 昨夜の誓いを忘れたのかぁ!!」
翼の心に、雷が落ちる。
昨夜のことが蘇る。
自分の夢を、仲間が真剣に支えてくれたこと。
ワールドカップ優勝を笑わず、同じ高さで目指してくれた仲間の顔。
翼(……オレは……!)
翼は両手で頬を強く叩くと、大きく息を吸った。
翼「みんな! ごめん!!
気を入れなおしたぁ!!」
日本メンバー
「大丈夫だ!」
「これから巻き返すぞ!」
「頼むぜ、翼!!」
仲間の声が翼を包む。
翼は涙をこらえながらニカッと笑い、友坂に向かう。
翼「友坂くん……ごめん! ありがとう!
それから──ナイスシュート!!」
「ナイスシュート!」
「暴龍すげぇ!」
「完全に化けてたぞ、辰馬!」
日本ベンチも大盛り上がりだ。
横の日向はフッと笑う。
松山は友坂の肩を軽く叩きながら、
「軍師も大変だな」
と茶化す。
友坂「安心しろ。腑抜けてたら、お前らの尻は“物理的に”蹴り上げるから」
日向・松山「……お、おい……冗談だよな……?」
友坂はどこ吹く風でポジションへ戻っていく。
日向「……辰、マジで蹴りそうなんだよな……」
松山「同感……」
二人は苦笑いしつつ戻っていった。
そのとき──
友坂は、背中に刺さるような視線を感じた。
ディアスとパスカル。
二人とも、獲物を狙う猛獣のような目をしている。
友坂(お〜怖……この後、本気で来るな……)
空気がまた一つ、戦いの温度を上げていく。
アルゼンチンのキックオフ。
ディアスとパスカル——南米が誇る二人の天才は、まるで合図もなく同時にギアを最大まで上げた。立ち上がりからトップスピード。芝を裂くような加速に、日本の選手たちは最初の一歩から後手に回る。
ディアスが得意のインサイドで細かくリズムを刻むと、すかさずパスカルが寄り添う。二人の横パスは、ただのワンツーではない。ボールの回転すら同じテンポで共有する、翼と岬のゴールデンコンビに匹敵する精密機械のような連動。ほんの半歩でも読み違えれば置き去りにされる、超速のショートパスワークだった。
「速い……!」
思わず友坂辰馬が息を呑む。
その声はチームメイトにも聞こえたほどだ。
最初に立ちはだかったのは巨漢DF・次藤。
丸太のような太い脚をドンと踏み込み、ディアスの進路を塞ぐ。しかし——。
ディアスは笑ったように靴底でボールを軽く引き、後方のパスカルへヒールパス。
その瞬間、次藤の股下を白い閃光が走った。
次藤「な、なんじゃと!?」
驚く間もなく、今度はパスカルがスライディングでボールごと身体を滑らせ、再び次藤の股下を突破する。さっき友坂が見せた“ダブルヒール”の応用にも見える動き。しかし洗練度が桁違いだった。
「くっそ……器用な真似を!」
次藤が振り返った時には、すでにディアスが前を向いていた。
次に挑むのは松山。
真面目な顔で地面を蹴り、低く重いスライディングタックルを放つ。
だがディアスは無造作に——本当に軽く跳ねるように——そのタックルを飛び越えた。
「まだだ!」
松山は空中のディアスに向けて、執念で脚を伸ばす。
だがそれすら利用される。
ディアスは松山の足を踏み台にして、さらに高く跳び上がった。
観客がざわめく。
ただの回避ではない。攻撃の一部として利用しているのだ。
宙で身体の向きを変えながら、ディアスは前線へボールを送る。
だがそのパスは仲間のFWからわずかに逸れ、カーブを描いて別方向へ。
普通ならミスパス。
しかし——。
「来ると思ってたよ」
パスカルが全力の走り込みで軌道に追いつき、そのままノートラップでディアスへ折り返す。
再度ボールを受けたディアスは、急激に身体を沈める。
石崎が慌てて正面に入る。
「う、うわ……っ!」
次の瞬間、ディアスは側転で石崎の横をスルリと抜けた。
ただのフェイントではない。身体能力そのものに差がある。
続けざまにバク転、さらにバク宙——空中で回転しながらシュート体勢へ移行するという、もはや“技”と呼ぶしかないアクロバティックなモーション。
若島津が横っ飛びに反応する。
しかし——ディアスのオーバーヘッドは、その手の先をかすめるほどの速さで抜け、一直線にゴール右上へ突き刺さった。
ゴールネットが勢いよく膨らむ。
観客が爆発するように叫ぶ。
スコアは——
日本 1 - 1 アルゼンチン
ディアスは着地と同時に軽く手を振り、静かに微笑む。
その余裕が、むしろ日本の胸をざわつかせた。
日本ベンチも、ピッチの選手たちも、ただ一つだけはっきり理解した。
——南米の天才は、本気だ。
アルゼンチンのゴールデンコンビ・ディアスとパスカルの鮮烈なコンビネーションにより、試合はあっさり振り出しに戻った。
ディアスのオーバーヘッドがネットを揺らした直後、会場の空気は一変し、観客たちは一様にざわつき始める。
「こりゃ点の取り合いになるぞ…」
そんな声があちこちから上がるほど、たった五分とは思えない濃密な展開だった。
友坂は少しだけ肩を回しながら、深く息を吐く。
(来るとわかってたのにこのザマかぁ……やっぱりディアス。アルゼンチンの至宝って評価は伊達じゃないな)
一方の日本DF陣は、せっかく友坂が奪った先制点を無にしてしまったことに、少なからず落胆していた。
石崎はボールの行き先を見失ったまま、呆然とつぶやく。
「なんてゴールだよ…あんな体操選手みたいなシュート、止めろって方が無理だろ…」
次藤も肩を落としながら唇を噛む。
「やられたタイ…ディアスのジャンプ、まるで大型猫科の獣みたいだったバイ…」
松山は悔しさを押し殺し、友坂のもとへ歩いてくる。
「すまん、友坂。せっかく先制点とってくれたのに、俺が踏み台にされるなんてな…」
だが友坂は、少し笑って首を横に振った。
気にしている様子など一ミリもない。
「気にするなよ。試合はまだ始まったばかりさ。それより——やはりディアスとパスカルを止めるのが先だ。このままだとゲームの主導権を握られる。…翼、ディアスは任せていいか?」
翼は迷いのない瞳でうなずく。
「うん、任せてよ。あの人に勝たなきゃ、世界一は見えないからね。」
そこへ岬が近づき、軽く息を整えながら言う。
「じゃあパスカルは…ボクが——」
その言葉を遮るように、友坂がすっと手を出した。
「いや、パスカルは俺がつく。岬、お前は南米系の選手との対戦経験が少ないだろ。」
岬は驚いた目で友坂を見つめた。
「えっ……辰馬はあるのかい?」
友坂はフッと鋭い笑みを浮かべる。
「あるさ。中学の三年間、ずっと“南米スタイルの天才”を倒すために練習してきたからな。…なぁ、翼?」
翼は少し照れたように笑う。
「えっ……う、うん?」
石崎が横から割り込んでくる。
「そうだよなぁ、翼はロベルト本郷に仕込まれた南米ドリブルだからな。おかげで俺たち、全国でひぃひぃ言わされたんだぞ!」
松山も大きくうなずく。
「そしてそんな翼を倒すために俺たちは努力してきた。…確かに岬より辰馬のほうが向いてるかもしれねぇな。」
岬は肩をすくめ、しかしすぐに爽やかな笑みに変える。
「そうか……わかったよ。じゃあ任せる。攻撃はボクに任せてよ。」
翼と友坂は互いにうなずき合い、すぐにポジションへ戻っていく。
その背中を見届けた岬は、ふと足を止め、ほんの一瞬だけ心の奥に小さな影を落とした。
(少し……うらやましいな。もしボクが日本の中学でやっていたら……翼くんたちと戦っていたのかな。
いや、もしかすると南葛中に入り、翼くんと一緒に、小次郎や辰馬のいる東邦と戦っていたかもしれない……)
ほんの短い妄想。
だが岬にしては珍しく、目が遠くの一点に泳ぐ。
松山が遠くから声を張り上げた。
「おーい、岬!気ぃ抜いてんじゃねぇぞ!」
岬はハッと我に返り、軽く手を振る。
「大丈夫!すぐ行くよ!」
(やれやれ……今は試合に集中しなくちゃ)
岬は表情を引き締め、軽いステップで走り出す。
その軽やかさは、さっきまでの悩みを全て振り払ったかのようだった。
そしてフィールドの中央では、ディアスとパスカルが再開の笛を待ちながら、じっと日本陣を観察していた。
パスカルが小声で尋ねる。
「ディアス、日本がマーク変えてきたな。」
ディアスは口角を上げ、挑発的な光を宿した瞳で前を見据える。
「いいじゃねぇか。ますます燃えるだろ?
なぁパスカル……勝ちにいくぞ。」
パスカルも静かにうなずく。
「ああ、ディアス。」
二人の天才が本気で牙を剥いた。
日本もまた、翼と友坂の判断、岬と松山の奮闘で新たな布陣へ移行していく。
試合はまだ序盤。
ここからが、本当の勝負だった。