副キャプテン 辰馬   作:匿名希望のぽっちゃり

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鋼鉄の巨人

 

 

決勝トーナメント一回戦当日。

日本代表はスタジアムの観客席に陣取り、西ドイツ対ウルグアイの一戦を見つめていた。

 

ピッチでは、すでに点の取り合いが始まっている。

西ドイツの若き皇帝・シュナイダー。

ウルグアイの弾丸ストライカー・ビクトリーノ。

 

互いに一歩も引かぬ攻撃力を誇る両チームは、前半から激しく火花を散らしていた。

 

だが――試合が進むにつれ、流れは次第に歪み始める。

 

「……西ドイツ、少しおかしいな」

 

低く呟いたのは、友坂辰馬だった。

 

その視線はボールだけでなく、両チームの配置、間合い、テンポの変化までを捉えている。

 

「ビクトリーノの速さについていけていない」

 

隣で腕を組む松山も頷いた。

 

「ああ……南米特有のリズムだな。

 速いだけじゃない。間の取り方、加減速、フェイント……全部が噛み合ってない」

 

新田は身を乗り出すようにして、ビクトリーノの動きを追っていた。

 

「このまま行ったら……ウルグアイ、ありえますよ」

 

言葉とは裏腹に、その目は真剣そのものだ。

“勝ちを予想する”というより、敵を研究している眼差しだった。

 

日向は腕を組み、低く唸る。

 

「……俺は西ドイツと戦いたいな」

 

その声音には、隠しきれない感情がこもっていた。

 

「借りも返したいしな」

 

――ハンブルク戦。

あの日の屈辱は、この場にいる日本代表全員の胸に、今も焼き付いている。

 

自然と、皆が無言で頷いた。

 

その時だった。

 

辰馬の視線が、ふとドイツベンチに向く。

 

(……?)

 

ピッチ脇、ベンチの奥。

そこに――異様な存在感を放つ巨漢が立っていた。

 

辰馬は眉をひそめる。

 

(前の試合には……あんなの、いなかったよな?)

 

違和感は、確信へと変わる。

 

「若林」

 

不意に声をかけられ、若林は驚いたように振り向いた。

 

「ドイツベンチにいる、あの大男……何もんだ?」

 

「えっ?」

 

若林は一瞬戸惑いながらも、視線を送る。

 

「いや……そんな奴、知らな――」

 

そう言いかけて、言葉が止まった。

 

影に隠れていたその巨体が、わずかに身じろぎした瞬間、はっきりと視界に入る。

 

「……本当にいるな」

 

若林の表情が、硬直する。

 

「だが……見たことは――」

 

次の瞬間、記憶の奥底から、ある噂が浮かび上がった。

 

「……ハッ」

 

思わず息を呑む。

 

「まさか……」

 

若林の低い声に、周囲がざわつく。

 

「幻のゴールキーパー……」

 

全員が一斉に振り向いた。

 

「幻のゴールキーパー?」

 

若林は静かに頷いた。

 

「ああ……昨シーズン、優勝したシュトゥットガルトがな」

 

遠い記憶を辿るように語る。

 

「田舎チームとの親善試合で、まさかの完封を喫したんだ」

 

「その時のゴールキーパーが……俺たちと同年代だって噂があった」

 

辰馬は、唇の端をわずかに上げた。

 

「それが“幻のゴールキーパー”か……」

 

「とんでもない隠し玉を持ってきたな、西ドイツ」

 

日本の選手たちは、自然と身を寄せ合い、声を潜めて話し始める。

 

そして――その直後。

 

ウルグアイが、西ドイツゴール前でフリーキックを獲得した。

 

スタジアムがざわめく。

 

その瞬間だった。

 

西ドイツベンチが動く。

 

「……GK交代だ」

 

誰かが呟いた。

 

ピッチに送り出されたのは、先ほどまでベンチにいた巨漢――

デューター・ミューラー。

 

彼は無言でゴール前に立つと、フリーキックの壁を腕一本で押しのけるように整えた。

 

圧倒的な存在感。

 

怒り心頭のビクトリーノが、ボールの前に立つ。

 

(叩き潰す……!)

 

渾身のフリーキック。

 

強烈な弾道でゴール隅を突く――

 

だが。

 

ミューラーは一歩も慌てなかった。

 

横っ飛び。

 

片手。

 

――ワンハンドキャッチ。

 

完璧だった。

 

スタジアムが、凍りつく。

 

ビクトリーノは、その場に立ち尽くした。

 

「……そんな、バカな……」

 

呆然と呟く。

 

だが、衝撃はそれだけでは終わらない。

 

ミューラーは着地と同時に、すでに視線を前へ向けていた。

 

間髪入れず、スローイン。

 

一直線に――シュナイダーへ。

 

「速い……!」

 

慌てて戻るウルグアイの選手たち。

 

しかし、ビクトリーノだけが、まだ現実を受け止めきれていなかった。

 

(俺の……シュートが……)

 

西ドイツの猛攻が始まる。

 

連続攻撃。

 

圧力。

 

そして――

 

シュナイダーの、スライディングシュート。

 

ゴール。

 

この一撃で、流れは完全に変わった。

 

観客席で、辰馬は静かに呟いた。

 

「……試合はまだ前半だが」

 

立ち上がる。

 

「決まったな」

 

日本選手たちが、一斉に彼を見る。

 

日向が低く言った。

 

「……決まったか」

 

「ああ」

 

辰馬は即答する。

 

「ビクトリーノの心が折れた以上、ミューラーから得点するのは今のウルグアイじゃ無理だ」

 

「そして……」

 

視線をピッチに向けたまま、言い切る。

 

「今の西ドイツの攻勢を、止める術もない」

 

そう言って、辰馬はボールを持ち、通路へ向かって歩き出した。

 

松山が声をかける。

 

「おい!まだ途中だぞ?」

 

辰馬は振り返らない。

 

「これ以上見たって、得るものはない」

 

「軽く動いてくる」

 

「次、試合だからな!

 試合前の練習には合流しろよ!」

 

片手を上げて、背中越しに応える。

 

「分かってる」

 

日向が肩をすくめた。

 

「……ま、軍師として考えをまとめたいんだろ」

 

「そっとしとこうぜ」

 

その言葉に、日本チームは再び観戦に集中する。

 

そして試合は進み――

6-1。

 

西ドイツの圧勝。

 

優勝候補大本命、最強軍団の実力を、まざまざと見せつける結果となった。

 

日本代表は、静かにそれを見届けていた。

 

次に立ちはだかる“壁”の高さを、

誰よりも強く、誰よりも冷静に――理解しながら。

 

 

スタジアムのざわめきが、背後で遠ざかっていく。

 

 

友坂辰馬は観客席を離れ、係員の視線をやり過ごすように通路を抜けると、そのままスタジアムの外へ出た。

昼間にも関わらず外の空気は、ピッチの熱気とは違い、涼しげに肺に染み込んでくる。

 

「……少し、体を動かしてくる」

 

誰に向けたでもない言葉を残し、辰馬は持ってきたボールを軽く地面に落とした。

 

――トン。

 

乾いた音が、思考のスイッチを入れる。

 

ボールを足元に置き、軽くインサイドで蹴る。

リフティングではない。ただ、感触を確かめるように。

 

(……ミューラー)

 

頭に浮かぶのは、あの巨漢の姿だった。

 

途中出場。

だが、その一瞬で流れを変えた存在。

 

(今まで見てきたヨーロッパのGKとは……次元が違う)

 

辰馬は歩きながら、ボールを蹴る。

トラップ、ワンタッチ、インサイド、アウト。

 

(反応速度、ポジショニング、判断……)

 

(全部が一段上だ)

 

遠征で数々のGKを見てきた。

フィジカルだけの者、反射神経頼みの者、経験で立つ者。

 

だが、ミューラーは違った。

 

(“完成形”に近い)

 

思わず、苦笑が漏れる。

 

「……若林以上、かもしれないな」

 

口に出した瞬間、その言葉の重みを自分で噛み締めた。

 

若林源三。

日本が誇る、絶対的守護神。

 

その若林と比べてなお、上かもしれないと思わせる存在。

 

(西ドイツ戦……失点は極力、抑えなきゃいけない)

 

辰馬はボールを止め、足裏で転がす。

 

(若島津には悪いが……)

 

頭に浮かぶのは、ゴール前で身体を張る若島津の姿。

気迫も、闘争心も、一流だ。

 

だが――

 

(ミューラー相手なら……若林が必要だ)

 

冷酷なほど冷静な結論だった。

 

(失点を減らすためじゃない)

 

(“勝つ確率を上げるため”だ)

 

辰馬は再びボールを蹴り出す。

今度は強めに。

 

――カンッ。

 

コンクリートに当たる音が、思考を加速させる。

 

(問題は……どうやって点を取るか)

 

ミューラーから点を取る方法。

 

ミドルか?

無回転か?

連携崩し?

こぼれ球?

 

(……全部、甘い)

 

どれも“普通のGK”相手なら通じる。

だが、ミューラーには――

 

(読まれる)

 

想像の中で、あの巨体がゴールを覆う。

一歩目の速さ、横への反応、空中での支配力。

 

(正面突破は無理だ)

 

(パワー勝負も無理)

 

辰馬は足を止め、深く息を吐いた。

 

(じゃあ、何だ?)

 

(どうすれば……)

 

答えは出ない。

 

それでも、思考を止めることはしなかった。

 

(“GKを倒す”んじゃない)

 

(“GKを無力化する”んだ)

 

ボールを拾い、軽く回転をかけて蹴る。

 

(ミューラーが動けない瞬間)

 

(判断を一瞬、遅らせる状況)

 

(視界を奪う、重ねる、選択肢を増やす……)

 

辰馬は空を見上げた。

 

スタジアムの歓声が、遠くで波のようにうねっている。

西ドイツ対ウルグアイの試合は、まだ終わっていない。

 

スコアも、流れも、結末も――

この時点では、まだ分からない。

 

だが。

 

(相手が誰であろうと……)

 

(勝つための準備は、今から始める)

 

ボールを足元に落とし、強く踏みしめる。

 

友坂辰馬は、再び歩き出した。

 

――軍師として。

――まだ誰も気づいていない“次の戦い”を見据えながら。

 

スタジアムの外で、一人、静かに。

 

 

スタジアムのざわめきは先ほどまでとは質を変え、期待と緊張が混じり合った音へと変貌していた。

 

――第二試合、日本対フランス。

 

開催国であり、優勝候補の一角。

その相手との一戦を前に、日本代表はすでにピッチ脇へと集まり始めていた。

 

友坂辰馬も、自主練を終え、何事もなかったかのようにチームへ合流している。

汗はかいているが、呼吸は落ち着いていた。頭も、冴えている。

 

(……問題なし、だな)

 

自分自身の状態を、そう判断したところで、見上監督の声が全体に届いた。

 

「フランスの軸は二人だ。ピエールとナポレオン。この二人に自由を与えない」

 

簡潔だが、迷いのない指示。

 

「ピエールには岬。ナポレオンには早田。基本はマンツーマンだ」

 

その瞬間、辰馬は内心で小さく笑った。

 

(やっぱり、同じ結論か)

 

以前、自分が“軍師”として提示したプラン。

それと寸分違わぬ配置。

 

だが、だからこそ分かる。

この策は――機能する。

 

「辰馬!」

 

早田が、拳を握りしめて声をかけてくる。

 

「ナポレオンは俺が完全に抑えてみせるぜ!」

 

その眼には、闘志が宿っていた。

相手が開催国のエースであろうと関係ない。

 

辰馬は短く、だが力強く応える。

 

「おう、頼むぜ」

 

そしてすぐに視線を巡らせ、全体を見渡す。

 

「松山。ナポレオンのマークで早田が前に出る時は、俺か井沢で必ずフォローする。声、切らすなよ」

 

「ああ」

 

松山は頷きつつも、慎重な表情を浮かべる。

 

「ただ、攻勢に出る時の3バックは……最初は少し怖いな。誰か一人、ディフェンシブに動けると助かる」

 

「なら俺だな」

 

井沢が自然に名乗り出る。

 

「サイドハーフの位置から下がる。辰馬は真ん中にいた方が、状況を動かしやすいだろ?」

 

一瞬の間。

辰馬は盤面を頭の中で組み直す。

 

「……そうだな。基本はそれで行こう」

 

即断だった。

 

「ただし、状況次第では俺が下がって井沢が前に出るパターンもある。その切り替えは全員、頭に入れておいてくれ」

 

「了解」

 

石崎が腕を組みながら口を挟む。

 

「俺は?」

 

「今日は守り重視だ。早田が抜ける以上、オーバーラップはリスクが高い」

 

「だよな」

 

納得した様子で頷きながらも、石崎は少し不安そうに続ける。

 

「でもさ、攻撃は大丈夫なのか?」

 

辰馬は、ピッチの中央に立つ一人の少年を見た。

 

「翼のゲームメイクと……今日のツートップに期待だな」

 

そう言って、声を張る。

 

「頼むぜ、小次郎、反町!」

 

視線が一斉に、先発FW二人へ集まる。

 

日向は腕を組み、短く言った。

 

「ああ、任せろ」

 

反町は、やや緊張を含みつつも笑う。

 

「初先発だしな。気合い入れていくぜ」

 

その言葉に、周囲の空気が少し和らいだ。

いい雰囲気だ、と辰馬は感じる。

 

一方で、若林が若島津に声をかけていた。

身振りを交え、何かを伝えている。

 

若島津はそれを聞きながらも、どこか落ち着かない表情を浮かべている。

 

(……気になるよな)

 

事情を知らなければ当然だ。

先発から外された若林が、不満も見せず、淡々としているのだから。

 

(若林も、そろそろ言えばいいのによ)

 

辰馬は肩をすくめる。

 

(まったく……素直じゃない)

 

その視線が、今度は岬へ向く。

 

「岬」

 

静かに、だが真剣な声で呼びかける。

 

「前にも言ったが、ピエールをどこまで抑えられるかで試合の流れは変わる。アイツの好きにやらせるなよ」

 

岬は、はっきりと頷いた。

 

「わかってるよ。ピエールとは……大会前から少し因縁があるからね」

 

その瞳には、珍しく強い闘志が宿っていた。

 

「負けられない」

 

(……頼もしいねぇ)

 

辰馬は内心でそう呟き、隣に立つ翼にも声をかける。

 

「翼。今日は攻撃パターン、限定されるだろうが……頼むぜ」

 

翼は冷静に状況を整理して答える。

 

「うん。確かにサイドバックのオーバーラップの回数は限られるだろうから難しい。でも、その分ツートップは東邦の二人だ。連携は問題ないし、安心してるよ」

 

「だな」

 

辰馬は頷き、さらに続ける。

 

「ただ、選択肢が少ない分、マークは集中しやすい。だから――」

 

指を立てる。

 

「俺も翼も、ミドルだろうがロングだろうが積極的に狙う。マークを散らす。それがFWへの最大の援護だ」

 

翼は小さく笑う。

 

「俺のドライブシュートに、辰馬くんの暴龍……相手にとっては、確かに脅威だね」

 

「だろ?」

 

岬も加わる。

 

「二人のシュートは本当に厄介だよ。それに……相手GKは、イタリアのヘルナンデスや西ドイツのミューラーほどの圧は感じなかった」

 

「だからこそ、だ」

 

辰馬は締めくくる。

 

「どんどん狙う」

 

三人の間で、無言の確認が交わされた。

 

やがて、主審の合図が近づく。

日本チームは、グラウンドへと歩き出した。

 

快進撃を続ける日本代表。

立ちはだかるのは、開催国フランス。

 

――この一戦が、どんな未来を引き寄せるのか。

 

キックオフまで、あと少し。

 

 

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