副キャプテン 辰馬 作:匿名希望のぽっちゃり
グラウンドに集結した二つのチームは、それぞれ定位置についた。
スタンドを埋め尽くす観衆のざわめきが、まるで波のようにうねり、ピッチへと押し寄せてくる。
開催国フランス。
快進撃を続ける日本。
互いに一歩も譲らぬ視線が交錯する中、主審が笛を口元へ運んだ。
――ピッ。
乾いたホイッスルが鳴り響き、試合はフランスボールで幕を開けた。
ボールは迷いなく、フランスの司令塔ピエールの足元へ渡る。
それを待っていたかのように、岬太郎が一気に距離を詰めた。
(来る……!)
ピエールは岬の存在を視界に捉え、巧みに身体を入れ替えようとした――その瞬間。
横合いから、鋭い影が滑り込む。
「っ!」
日向小次郎のスライディングタックル。
地面を削る音とともに、ピエールは間一髪で跳び、かわした。
だが、着地と同時に岬が体を寄せる。
――ガッ!
二人の身体がぶつかり合い、ピエールと岬は互角の力でせめぎ合った。
その衝突でボールがわずかにこぼれる。
「今だ!」
空中に跳び上がったのは、大空翼だった。
三段目の攻撃。
日向、岬、翼――日本の三段アタック。
翼は空中でボールをさらうと、着地と同時にフランスの包囲網に飲み込まれかける。
「囲め!」「奪え!」
トリコロールの選手たちが一斉に殺到する。
だが――
翼は怯まなかった。
細かいタッチ、鋭い切り返し。
相手の重心を見切り、次々とかわしていく。
「……ごぼう抜きだ」
誰かが呟いた。
フランスの守備陣を縫うように突破する翼の姿に、スタンドがどよめく。
その動きを、前線で見ていた男が歯噛みする。
「なにやってんだ!」
ナポレオンだ。
「俺が取りに行く!」
エースは自ら下がり、翼へと向かっていった。
その瞬間、右サイドで一人がスイッチを入れる。
(ナポレオンが下がった……今だ)
早田誠。
彼は松山の方へ一瞬だけ視線を送る。
松山はそれを見逃さなかった。
――行け。
短く、力強く頷く。
(早田が戻る前にナポレオンが戻るなら、俺がマークにつく)
松山は他のDF陣へ素早く指示を飛ばす。
「ライン上げろ!カバー準備!」
翼の右後方から、ナポレオンが迫る。
その状況を、ピッチ中央で見据えていた辰馬が逃すはずもなかった。
(ナポレオンが下がってる……今なら)
辰馬は声を張り上げる。
「翼!右後ろからナポレオンだ!こっちに回せ!」
翼は一瞬だけ視線を走らせる。
ナポレオンのスライディングタックル――その“来る”タイミングを完全に読んだ。
直前で、ヒール気味に後方へ。
ボールは、辰馬の足元へ。
辰馬は身体を入れてキープすると、視界の端で駆け上がる影を捉えた。
(早田……)
迷いはなかった。
ワンタッチで、サイドへ。
早田は走りながらボールを受け、そのままスピードを落とさない。
ゴール前では、日向と翼が一気に突っ込んでいく。
「来い!」
早田の右足が、鋭く振り抜かれた。
――カミソリパス。
ゴール前を切り裂くような低く速いボールが、日向の前へ。
(撃つ!)
誰もがそう思った。
だが――
日向は、撃たなかった。
タイガーショットと同等の威力で、横へ。
「翼!」
そのパスに、翼は一切の迷いなく走り込む。
ノートラップ。
ランニングボレー。
――ズドンッ!!
GKの反応を嘲笑うかのような一撃が、ゴールネットを激しく揺らした。
一瞬の静寂。
次の瞬間、スタジアムが爆発した。
「よっしゃあああ!!」
日本チームが一斉に駆け寄る。
「最高の連携だったな!」
松山が声を上げる。
「すげぇよ!タイガーショットをノートラップランニングボレーだぜ!」
石崎が興奮を隠さない。
「日向くんが、最高のパスをくれたからね!」
翼は笑顔で応える。
「翼なら合わせられるって信じてたからな」
日向は短く言い、拳を握る。
「早田も良かったぞ!」
辰馬が声をかける。
「オーバーラップから、完璧なカミソリパスだった」
「へへ」
早田は照れたように笑う。
「辰馬が俺を使ってくれたからだよ。またチャンスがあれば狙うぜ!」
だが、辰馬はすぐに表情を引き締めた。
「よし、先取点は取った」
声が、チーム全体に届く。
「フランスはここから本気で来るぞ。気を抜くな!」
「おう!」
辰馬は岬を見る。
「岬!わかってるな!」
ピエールから目を離すな――その意味を、岬は一瞬で理解した。
「ああ!」
力強く頷く岬。
開催国フランス。
しかし、日本はもう引かない。
この一撃は、ただの先制点ではない。
日本が、この試合の主導権を握る宣言だった。
フランスボールで試合は再開された。
先制点を奪われ、空気を変えなければならない――その意志を最も色濃く表していたのは、フランスのエース、ナポレオンだった。
ボールを受けるや否や、彼は前を向く。
「来るぞ……!」
日本の守備陣が一斉に引き締まる中、ナポレオンは力強いドリブルで中央突破を仕掛けた。
真正面から、早田誠が迎え撃つ。
(止める……ここだ!)
早田は迷わず、スライディングタックルに入った。
――その瞬間。
「ナポレオン!」
後方から鋭い声が飛ぶ。
ピエールだった。
「パスだ!」
一瞬の逡巡。
本来のナポレオンなら、そんな指示を無視してでも突き進む男だ。
だが――この試合、この状況、この相手。
ピエールの圧が、それを許さなかった。
「……わーったよ」
不満を隠しきれない声で、ナポレオンは振り返りざまにパスを出す。
その刹那――
ザッ!
早田のスライディングが、ナポレオンの軸足にかすった。
「何すんだ!」
ナポレオンが振り返り、怒声を上げる。
「なんだと!」
早田も即座に睨み返す。
火花が散るような視線。
だが、その間にも試合は動いていた。
ボールはすでに、ピエールの足元へ。
ピエールは一切の迷いなく、ゴールへ向かってドリブルを開始する。
「岬!」
誰かの声と同時に、岬太郎が全力で追いかける。
ピエールの進路上に、今度は石崎が飛び込んだ。
「うおおおっ!」
石崎のスライディング。
だが――
ピエールは跳んだ。
まるで舞うように、軽やかに。
「っ!」
かわされた石崎は、そのまま着地地点で岬と交錯する。
「うわぁ!」
「くっ!」
二人が体勢を崩した一瞬――ピエールの視界が、完全に開けた。
シュートレンジ。
ピエールは一歩、二歩と踏み込み、迷いなく振り抜く。
「これが……新技・スライダーシュートだ!」
放たれたボールは、一直線に日本ゴール左へ。
若島津健は、その軌道を瞬時に分析する。
(ドライブか? ストレートか? それとも……無回転?)
翼のドライブ。
日向の破壊力。
辰馬の無回転。
どれにも当てはまらない――だが、確実に危険な弾道。
「くっ……!」
若島津は飛ぶ。
手は、届く距離にあった。
だが――
ボールは、ほんのわずかに、しかし急激に“滑るように”落ちた。
若島津の指先をすり抜け、ゴールネットを揺らす。
――ゴール。
スタジアムが、歓声に包まれる。
「よっしゃああ!!」
「決めたぞピエール!」
フランスチームが一斉に駆け寄る。
一方、日本チームには、重たい沈黙が落ちた。
「……くそ」
若島津は悔しそうに地面を叩く。
だが――それ以上の異変が、ピッチの別の場所で起きていた。
「てめぇ!」
「ふざけるな!」
ナポレオンと早田が、互いの胸ぐらを掴み合っていた。
「何やってんだ早田!」
松山が叫ぶ。
「離れろって!」
井沢も割って入る。
フランス側も慌てて止めに入る。
「ナポレオンもだ!」
「退場になっても知らねーぞ!」
だが、両者は引かない。
「はなせ!こいつから殴ってきたんだ!」
「もとはお前のスライディングが原因だろうが!」
怒声と怒声がぶつかり、場は完全に混乱していた。
――その中で。
一人の男が、静かに歩み寄る。
友坂辰馬。
その表情には、激情ではなく、冷えた怒りが宿っていた。
周囲の選手たちが、無意識に道を空ける。
興奮状態の早田だけが、それに気づいていなかった。
次の瞬間。
ガツン――。
辰馬は、早田の頭を掴み、自身の額をぶつけた。
「……落ち着け」
低く、短い言葉。
だが、その一言に込められた圧は、怒鳴り声よりも重かった。
早田の目から、怒りがすっと引いていく。
「……あっ、ああ……すまねぇ」
一方、ナポレオンも――
ピエールに、乾いた音を立ててビンタされる。
「冷静になれ、ナポレオン」
その一撃で、彼も我に返った。
ようやく、乱闘は収束へ向かう。
ピッチ中央。
辰馬とピエールが、自然と向かい合う。
互いに、一歩も引かない視線。
「……ウチのナポレオンが失礼した」
先に口を開いたのは、ピエールだった。
「……いや、こっちこそ」
辰馬はそれだけ答える。
余計な言葉は、いらなかった。
二人は同時に背を向け、それぞれのチームへ戻っていく。
主審の笛。
イエローカードが、早田とナポレオンに提示された。
ポジションへ戻りながら、ピエールは辰馬の背中を見つめる。
(7番……友坂辰馬)
(岬や10番の大空翼と同じくらい――いや、それ以上に厄介な男かもしれない)
フランス対日本。
この試合は、ここからが本当の戦いだった。
辰馬は、静かに日本チームの輪の中へ戻った。
先ほどまでの騒然とした空気は、まだ完全には消えていない。
だが、誰もが自然と彼の言葉を待っていた。
「……すまない、辰馬」
最初に口を開いたのは早田だった。
悔しさと後悔が混じった声。
「向こうが殴ってきたから、つい……」
辰馬は一度、深く息を吐いた。
「わかってる」
短く、だが即座に否定もしない。
その上で、低く言い聞かせるように続ける。
「だがな、それに付き合う必要はない。殴り合いは“勝ち”にはならない」
はっきりとした言葉。
早田は視線を落とし、肩をすぼめる。
「……ああ」
辰馬はそれ以上責めなかった。
ぐるりと周囲を見渡す。
「岬、石崎。怪我はないか?」
「うん、大丈夫だよ」
岬はすぐに答えた。
「俺も平気だ……」
そう言いながら、石崎は歯を食いしばる。
「でもよ……俺が無理にスライディングなんてしたから、ピエールがフリーになって……シュートまで持ってかれた」
自責の念が、はっきりと声に滲んでいた。
だが辰馬は、首を横に振る。
「違う」
即答だった。
「アグレッシブにいった結果だ。仕方ない」
その一言で、石崎の表情がわずかに緩む。
「……それに、早田もだ」
辰馬は早田の方を見る。
「プレー自体は気にするな」
「……ああ」
「おう……」
早田と石崎、二人が小さく頷いた。
だが、辰馬はそこで終わらせない。
「ただし」
空気が、引き締まる。
「無理に“奪いに行く場面”なのか、“侵攻を抑えるだけでいい場面”なのか――そこは、もっと考えよう」
「抑えるだけ……?」
松山が首をかしげる。
辰馬は即座に説明に入る。
「ああ。石崎の場面だ。あそこは、ピエールの動きを制限するだけでよかった。岬が戻ってきて、ダブルチームで奪える形を作れたはずだ」
岬が、はっとした表情で頷く。
「確かに……」
「早田もだ」
今度は早田に視線を向ける。
「ナポレオンがバックパスするって読めたなら、スライディング以外の選択肢もあった」
早田は少し考え、そして大きく頷いた。
「……ああ、そうだな」
「マーカーだけじゃない」
辰馬は全員を見回す。
「周りも、もっと声を掛け合おう。情報を共有すれば、無理なプレーは減らせる」
誰も反論しない。
それだけ、彼の言葉が“正しい”と感じていたからだ。
辰馬は、軽く拳を握る。
「よし。まだ時間はある」
その声に、熱が戻る。
「もう一点、取りに行くぞ!」
「おう!!」
日本チームが、一斉に応えた。
それぞれが自分のポジションへ戻っていく中――
松山は、辰馬の背中を見つめながら、心の中で呟く。
(……こういう時の辰馬の存在感、翼以上かもしれないな)
ふっと、前の方から笑い声が聞こえた。
「大変だな、軍師は」
日向小次郎だった。
「ほんとだよ」
反町も肩をすくめて笑う。
「でも、辰馬は頼り甲斐があるからな」
その言葉に、辰馬は振り返り、ニヤリと笑った。
「お前ら、頼むぞ!」
その一言は、**“点を取ってこい”**という無言の檄。
日向と反町は、同時に背筋を伸ばす。
「……!」
「任せろ」
二人の目に、闘志が宿る。
そして辰馬は、翼と岬に目を向けた。
「翼、岬。次は日本ボールだ」
「……」
「二人で、攻めていけ」
翼と岬は、一瞬だけ視線を交わし、同時に頷いた。
「わかったよ」
「ピエールのフォローは頼むよ」
「任せろ」
三人は、自然に笑い合う。
日本代表――再び、前を向いた。
失点は終わりではない。
ここからが、日本の反撃だった。