副キャプテン 辰馬 作:匿名希望のぽっちゃり
雨は弱まる気配を見せず、スタジアムの照明に照らされた水滴が、まるで無数の火花のように宙を舞っていた。
日本Jr.ユースはベンチ前に円陣を組み、短い時間で戦術と覚悟をすり合わせていた。延長戦は10分ハーフ。わずか20分。だが、その20分が、世界への扉を開くか閉ざすかを決める。
そのとき――
ロッカールームの方から駆け戻ってくる小柄な影。
「はぁ……はぁ……!」
沢田タケシだった。
それを見た瞬間、辰馬の鋭い声が飛ぶ。
「タケシ!何チンタラしてんだ!」
空気が一瞬、張り詰めた。
タケシは背筋を伸ばし、即座に頭を下げる。
「すいません!」
辰馬は、タケシの性格を知っている。きっと早田を励ましていたのだろう。だが、だからといって許すわけにはいかない。
直属の先輩後輩。
甘やかすことと育てることは違う。
(今は世界と戦ってる最中だ。甘えは許さねぇ)
タケシもそれを理解している。怒鳴られたことに、不満も言い訳もない。むしろ、その叱責に感謝している自分がいる。
辰馬はすぐに全員を見渡した。
「延長戦は10分ハーフだ。」
低く、力強い声。
「一点取ったから終わりじゃねぇ。最後まで油断も諦めも絶対にするな!」
「おお!」
雨を打ち破るような返事。
「最後まで点を取りに行くことを忘れんな。」
その視線が、三杉へ向く。
「三杉、大丈夫か?」
辰馬の声は、ほんの少しだけ柔らかくなる。
「試合は任せて座ってたって構わないからな。」
三杉は、ふっと微笑んだ。
「ああ、ありがとう。見上監督にも言われたよ。」
「まぁ、あの人の采配が原因なんだけどな……」
辰馬のぼやきに、三杉は苦笑する。
「志願して出してもらったのは僕だからね。」
辰馬は真剣な目に戻る。
「前半のうちに点を取る。それまで頼むぞ。」
「ああ、任せてくれ。」
その短いやり取りに、互いへの信頼が凝縮されていた。
辰馬は立花兄弟へ向き直る。
「攻めの時はオレが上がる。二人はダブルボランチとして守りに加わってくれ。」
「ダブルボランチ?」
「やったことないぜ?」
双子は顔を見合わせる。
辰馬は言葉を選ばずに続けた。
「二人の俊敏性と双子ならではのコンビネーションがあればいける。守備の要になってくれ。」
一瞬の沈黙。
そして――
「……やってみるか。」
「おう。」
双子は同時に頷いた。
翼も声を張る。
「DF陣には三杉くんの負担を軽くするためにも頑張ってもらうよ!」
「ああ!」
「まかせろタイ!」
「熱血根性で頑張るぜ!」
それぞれの言葉が、雨の中でぶつかり合い、ひとつの意思になる。
翼は若島津の横へ歩み寄る。
「シュナイダーにやられた右手はどうだ?」
若島津の目がわずかに揺れる。
(辰馬さんだけじゃない……気づいてたのか)
「……大丈夫だ。」
短く、だが強く。
「どっちにしろ、もう交代はできない。俺が日本ゴールを守る。」
翼は静かに頷く。
その横で辰馬は、日向と岬へ。
「延長前半で一点取る。奪われても諦めるな、粘れ。」
日向は不敵に笑う。
「ああ、点を取ってDF陣を楽にしてやるさ。」
岬は柔らかく、だが芯の通った声で。
「僕も最後まで諦めないよ。」
その光景を、見上監督は黙って見つめていた。
(……私は一瞬、勝ち目はないと考えてしまった。)
(だが、この二人は……翼と辰馬は、最初から諦めていなかった。)
(なんというキャプテンと副キャプテンに成長したんだ……)
そのとき、タケシが声を張る。
「みなさん!早田さんが何としても点を取ってくれと!」
「おう!!」
一斉に拳が握られる。
辰馬が最後に叫ぶ。
「延長前半はフランスボールからだ!」
「ピエールとナポレオン!エッフェル攻撃に注意しろ!」
「わかった!」
「おう!」
主審が中央へ歩く。
ボールが置かれる。
雨は、まだ降っている。
だが、日本Jr.ユースの目に、曇りはない。
延長戦――
それは、体力の勝負ではない。
覚悟の勝負だ。
そして今、日本の覚悟は、誰よりも熱く燃えていた。
主審の笛が鋭く鳴り、延長前半が始まった。
フランスボール。
雨は依然として降り続き、ピッチは至る所に水たまりを作っている。ボールは転がるたびに失速し、スパイクは踏み込むたびに水を跳ね上げた。
中央でボールを受けたピエールが、すぐに横へ流す。
ナポレオン。
そして再びピエールへ。
――エッフェル攻撃。
鉄骨のように組み合わさる二人の横の連携。左右に揺さぶり、守備の綻びを探すフランスの必殺パターンだ。
「来るぞ!」
翼と岬が同時に動く。
岬がナポレオンに寄せ、翼がピエールの進路を読む。横へ出る瞬間――
「そこだ!」
翼の足が伸びる。水飛沫を上げながら、正確にパスコースを切り裂いた。
ボールは翼の足元へ。
「よし!」
そのまま前へ押し出す。
岬が並走し、背後から辰馬が駆け上がる。三人のトライアングルが、雨の中で形を成す。
最前線には日向。
翼は迷わず縦へ通した。
「日向!」
鋭いパスが雨を切り裂く。
日向は胸で収め、中央へ直線的に突進した。
「うおおおお!」
フランスDFが二人、三人と寄せる。
それでも止まらない。タイガーのごとき突進。
だが――
ザァッ!!
荒いスライディングタックルが、泥水を巻き上げながら日向の右足を削った。
「ぐっ……!」
血がにじむ。
本来ならファウル。しかし、激しい雨と水しぶきが視界を奪い、主審の笛は鳴らない。
「くそっ!」
こぼれ球をフランスDFが奪う。
一瞬でカウンター。
ボールはピエールへ。
立花兄弟がダブルボランチとして挟み込もうとするが、ピッチの重さと疲労が足を鈍らせる。
動きは悪くない。
だが、万全ではない。
ピエールはすり抜ける。
日本は満身創痍だった。
若島津は右手を負傷。
三杉は心臓のタイムリミットを過ぎている。
日向は出血し、袖を破って止血している最中。
それでもフランスは容赦しない。
ピエールの瞳が鋭く光る。
(ここで決める)
その前に立ちはだかったのは岬だった。
「ここで止めるぞ!ピエール!」
気迫を込める。
だがピエールは低く唸る。
「邪魔だ!」
普段なら華麗にかわす男が、力で押し切る。
体をぶつけ、弾き飛ばす。
岬がよろめき、抜かれる。
(よし!)
ゴールまで一直線。
敵はいない。
そう確信した瞬間――
「だからさせねぇーよ!!」
横から飛び込む影。
辰馬。
水を裂くスライディング。
バシャァッ!!
正確にボールだけを刈り取る。
ピエールの目が見開かれた。
辰馬はすぐに立ち上がる。
そのままフランスゴールへ向かって疾走。
(立花兄弟も厳しい。三杉も若島津も限界だ。)
(ここで決めるために――アレをやる。)
止血を終えた日向が叫ぶ。
「こっちだ!俺が決める!」
翼も並走する。
「俺が決める!」
だがナポレオンを含む三人が立ちはだかる。
「止めるぞ!」
辰馬はトップスピードのまま突っ込んだ。
一瞬でボールを浮かせる。
そのまま足でリフティング。
ぬかるんだ地面に触れさせない。
スピードを落とさず、三人を抜き去る。
「なに!?」
ナポレオンが振り返る。
ミドルレンジ。
その瞬間、ピエールが叫んだ。
「7番が無回転シュートを打つぞ!壁になれ!」
暴龍――無回転特有の不規則な揺れ。
数で囲えば防げる。
フランスが壁を作る。
翼と日向にはマーク。
辰馬の前には人垣。
だが辰馬の目は、揺るがない。
(わかってんじゃねーか、ピエール。)
左脚を振りかぶる。
「うおおおおお!!」
炸裂。
ボールは高く、壁の上を越えた。
「ふかした!?」
歓声が漏れる。
日本も驚く。
だが翼だけは違った。
「あれは……!」
高く上がったボールが、頂点で一瞬止まる。
そして――
鋭く落ちる。
ドライブ回転。
フランスゴールへ急降下。
「うわぁ!」
GKが飛ぶ。
届かない。
ズドン!!
ネットを揺らす衝撃。
笛が鳴る。
スタジアムが爆発した。
辰馬は右手を突き上げる。
「しゃああああーーー!!」
真っ先に抱きつく翼。
「すごいよ辰馬くん!ドライブシュートだ!」
日向が笑う。
「やったな辰!練習してたもんな!」
松山も駆け寄る。
「50%とか言ってたくせに!」
石崎が叫ぶ。
「ホントすげぇ!」
だが辰馬は首を振る。
「完成はまだだ。」
「右じゃまだダメだ。左ならいけるがな。」
翼は息をのむ。
(両足でドライブシュートを……?)
ロベルト本郷も立ち上がっていた。
「……友坂辰馬。」
アルゼンチン監督バルバスが顎を撫でる。
「翼が来なければ彼でもいいな。」
パスカルが即座に反応。
「ダメですよ。アイツは俺のライバルなんですから。」
一方、ドイツ陣営。
カルツが楊枝を動かす。
「本当に勝つかもな。」
シュナイダーは低く呟く。
「若林がいなくても、か……。」
前半終了の笛。
スコアは――
日本 5-4 フランス。
雨の中、満身創痍の日本が、執念で奪った勝ち越し弾。
だが戦いは、まだ終わっていない。
あと10分。
世界への扉は、まだ半分しか開いていなかった。
延長前半終了の笛とともに、フランスの選手たちは重い足取りでベンチへと戻ってきた。
濡れたユニフォームが身体に張り付き、スパイクは泥をまとっている。ピエールは無言でタオルを受け取り、ナポレオンは悔しさを隠そうともせず地面を蹴った。
あと一歩で勝ち越し――その確信を砕いたのは、雨を裂く一撃。
友坂辰馬。
その名が、フランスベンチに重くのしかかっていた。
対照的に、日本ベンチへ戻る選手たちの足取りは軽い。
満身創痍であることに変わりはない。だが、心は確実に前を向いていた。
「やったな!」
「辰馬、よく決めてくれた!」
「あと10分守れば勝ちだ!」
ベンチメンバーやスタッフの声が飛ぶ。
だが歓喜は長くは続かない。選手たちはすぐに腰を下ろし、黙々と身体のケアに入った。
テーピングを巻き直す者。
氷嚢を当てる者。
荒い息を整え、目を閉じる者。
戦場の小休止だった。
日向は右足首に巻いた包帯を見下ろす。
赤く滲んでいる。
「……うっ」
痛みが走る。
辰馬が横にしゃがみ込む。
「小次郎……大丈夫なのか?」
日向は顔を上げ、獰猛に笑った。
「任せろ。あと少しで勝てるんだ。這ってでも出るぜ。」
辰馬は安堵の息を吐く。
(まぁ、交代枠は使い切ってるから出てもらわないと困るんだがな……)
誰も口には出さないが、多くの選手が同じことを考えていた。
――守り切ればいい。
一人少ない。
怪我人も多い。
ならば、引いて守り、時間を使い、笛を待てばいい。
その空気を、辰馬の一言が切り裂いた。
「みんな、もう一点取りにいかないか?」
「えっ?」
「なに言ってんだよ辰馬!?」
「俺たち一人少ないんだぜ!」
「そのうえ怪我人だらけだ!」
当然の反応だった。
だが辰馬は構わず続ける。
「早田が退場になった時、俺は言った。借りは倍にして返すってな。」
一瞬、空気が止まる。
「あれは俺一人が言ったことだ。……でもな、俺はチームの約束だと思ってる。」
静まり返るベンチ。
泥と雨の匂いが漂う中、言葉だけがはっきりと響いた。
早田の退場。
あの悔しさ。
数的不利で戦い続けたこの時間。
全員の胸に刻まれている。
翼だけは、最初から目を逸らさなかった。
闘志を宿した瞳で、辰馬を見つめている。
辰馬は視線を向けた。
「策はある。やらせてくれ、キャプテン。」
数秒の沈黙。
翼は小さく頷き、監督へ視線を送る。
「監督、やらせてください。早田の借りは、俺たちの借りでもあるんです。」
三上監督は腕を組んだまま、選手たちを見回す。
次々と頷く面々。
「やらせてください。」
「借りを返したいんです。」
しばしの沈黙の後、監督は口を開いた。
「……わかった。しかし守りを疎かにはできんぞ。」
「分かってます。」
辰馬の目は真剣だった。
「まず、後半は日本ボールから始まる。フランスは同点を取りにガムシャラに来る。俺たちが引いて守ると読んでな。」
選手たちが耳を傾ける。
「だから最初は本当に引く。ボールを下げて、徹底的に守る。フランスを日本の奥深くまで引き寄せる。」
松山が眉をひそめる。
「引き寄せてから?」
辰馬はゆっくりと言った。
「俺と翼と日向の三人でカウンターだ。」
ざわめきが起きる。
「三人で点を取ると?」
「残りは守りに徹してもらって構わない。」
日向が低く笑う。
「点が取れるってのか?」
翼も冷静に問いかける。
「カウンターで?簡単じゃないよ。」
辰馬は一瞬、口元を上げた。
「組み立てはな。あとは現場判断だが……」
そして二人に近づき、小声で囁く。
日向の目が鋭く光る。
「ああ……なるほどな。」
翼も思い出したように頷く。
「うん、あれの応用だね。」
辰馬が言う。
「うまくいく保証はない。」
日向が笑う。
「面白ぇじゃねぇか。」
翼も微笑む。
「どんなゴールが生まれるか楽しみだね。」
三人が顔を見合わせる。
ニヤリ。
その笑みは、守り切る者のものではない。
狩る者の笑みだった。
ベンチの空気が変わる。
守備だけではない。
攻める覚悟。
借りは倍にして返す。
延長後半、残り10分。
世界への道は、まだ終わらない。