祝福に刻む爪痕   作:七曲七竈

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27.安堵

 灼熱の太陽が、容赦なく大地を炙っていた。

 ルインが一人で歩き始めてから、数時間が経過していた。ゼノンと二人で旅をしていた時よりも、疲労の蓄積は遥かに早い。それは肉体的なものだけではなく、精神的なもの――孤独という名の重圧が、彼女の両肩にのしかかっているからだった。

 水は尽き、唇は乾ききっている。何度も幻を見た。陽炎の向こうに、あの黒い外套の幻影が揺らめいては消える。そのたびに、彼女の心には安堵と落胆が交互に訪れた。

 

(もう、無理かも……)

 

 意識が朦朧とし始め、足がもつれる。その場で崩れ落ちそうになった、その時。

 地平線の彼方に、陽炎とは違う、確かな影が見えた。

 最初は小さな点に過ぎなかったそれは、彼女がふらつく足で近づくにつれて、徐々にその輪郭をはっきりとさせていく。

 城壁。建物。

 それは、間違いなく街だった。

 

「……街……!」

 

 希望の光に、乾ききった喉からかすれた声が漏れる。最後の力を振り絞り、ルインはひたすらにその影を目指して歩いた。

 やがて辿り着いたのは、寂れた荒野には不釣り合いなほど、しっかりとした石壁に囲まれた小さな街だった。決して大きくはないが、乾いた大地を渡ってきた者にとっては、まさしくオアシスと呼ぶにふさわしい活気がそこにはあった。

 街の門には、衛兵が退屈そうに立っていた。ルインが力なく近づいてくるのを見ると怪訝な顔をしたが、彼女のまとった白い僧衣に気づくと、少しだけ警戒を解いたようだった。

 

「ひどい有り様だな、僧侶様。どこからおいでに?」

 

 日に焼けた、人の良さそうな顔の衛兵が声をかけてくる。ルインは、まともに言葉を返すことさえできず、ただ水が欲しいと身振りで訴えた。

 衛兵はすぐに事情を察し、門の内側から水差しを持ってきてくれた。

 

「ほら、ゆっくりお飲みください。とりあえず中へ。こんな日差しの中にいちゃ、干からびちまう」

 

 差し出された水を、ルインは夢中で飲んだ。ひび割れた喉を命の水が潤していく感覚に、ようやく人心地がつく。

 

「あ……ありがとうございます……助かりました」

 

 何度か礼を言うと、衛兵は気にするなと手を振った。

 

「教団の方ですかな? 随分とお疲れの様子ですが、大丈夫ですかい」

 

 自身の汚れた僧衣を見下ろし、ルインは慌てて頭を下げた。

 

「は、はい。少し……長旅でしたので」

 

「それはご苦労様です。まあ、こんな何もない荒野の真ん中の街ですが、水と寝床くらいはありますんで、ゆっくりしていってくださいや」

 

 衛兵はにこやかにそう言うと、ふう、と一つため息をついた。その表情には、どこか憂いを帯びた色が混じっている。

 

「とはいえ、この街も最近は少しばかり物騒でしてね。教団の方がいらしてくれると、なんだか安心しますよ」

 

「物騒……ですか? 何かあったのでしょうか」

 

 ルインが尋ねると、衛兵は少しだけ声を潜め、辺りを窺うようにして言った。

 

「ええ……。まあ、大きな事件ってわけじゃないんですが……。騎士様方の一件があってから、どうにも街の空気が重苦しいもんで」

 

「騎士……様?」

 

「ええ。この街には、教団直属の、抑聖騎士団様の九番隊の宿舎があるんですよ。少し前に任務で出払っていかれたんですが……」

 

 衛兵はそこで一度言葉を切り、忌まわしい記憶をたどるかのように、眉をひそめた。

 

「……戻ってこられたのは、たった一人だけだったんです。なんでも、とんでもない化け物みたいな『勇者』とやりあって、隊は壊滅させられたとか……。生き残ったのは、隊長だった『一番』様、ただお一人だけだと」

 

 その言葉の重みに、ルインは息を呑んだ。

 抑聖騎士団。女神の教えの守護者にして、最強の対勇者部隊。その一隊が、壊滅させられた。ただの一人の勇者によって。

 

「その……一番、様は……ご無事なのですか?」

 

「体の方は、もう怪我も治ったそうです。ですが……」

 

 衛兵は、言いづらそうに首を横に振った。

 

「心が、完全に参ってしまわれたそうで。宿舎の自室に閉じこもって、夜な夜な何かに怯えて、『来るな』と叫んで誰にも会おうとしない。誰が訪ねても、扉を固く閉ざしたまま……」

 

 衛兵は困ったように頭を掻いた。

 

「引き継ぎのため、ってんで七番隊の方々も宿舎においでなんですが……それでも駄目みたいでしてね。まったく、英雄であられる騎士様方が負けて帰ってくるなんて、一体どんな相手だったんでしょうな」

 

 ルインは、その言葉を黙って聞いていた。ゼノンの行方を探していたはずなのに、その耳に届いたのは、絶望の淵にいる別の誰かの物語だった。

 心を病み、怯え、閉じこもっている英雄。悪意によって心を砕かれた被害者。

 助けを求める人が、すぐそこにいる。

 食料も、水も、休息も必要だ。ゼノンを探さなければならないという焦りもある。だが、僧侶として、一人の人間として、その声を聞いてしまった以上、見過ごすことは彼女にはできなかった。

 

「あの……その宿舎は、どこにあるのでしょうか」

 

 彼女の問いに、衛兵は少し驚いたように目を見開いたが、すぐに合点がいったというように頷くと、街の東側を指差した。

 

「教団の方なら、もしかしたら……。一番様の心を、少しでも癒してやれるかもしれませんな。あちらです。街で一番大きな、石造りの建物がそうです」

 

「ありがとうございます。……行ってみます」

 

 ゼノンを探すのは、その後でもいい。

 今は、目の前の苦しむ魂に寄り添うこと。それが、今の自分にできる、唯一の正しいことのはずだった。

 ルインは衛兵に深く一礼すると、迷いのない足取りで、騎士団の宿舎へと向かっていった。

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