「よお、ロンメル」
夕暮れの竹林を抜け、将和は見慣れた軍帽の男に手を振った。
エルヴィン・ロンメル――外の世界では“砂漠の狐”と呼ばれた名将。
だが幻想郷では、寺子屋の教師であり、将和とも今では気の置けない飲み仲間となっていた。
ロンメルも軽く手を上げ、穏やかな笑みを返す。
「やあ、将和。今夜は少し飲みたくてね。付き合ってくれるかい?」
「もちろん。あんたと飲むと、話が尽きないからな」
二人は並んで歩き、八目鰻の香りが漂う屋台の前で足を止めると、中へと入る。
「いらっしゃい……あっ、ロンメル先生!」
「今日は将和と一緒に飲ませて貰うよ、ミスティア」
ロンメルの姿を認めたミスティア・ローレライはぱっと表情を明るくした。
二人が入った店は彼女が経営する八目鰻の屋台だった。
そしてロンメルは時折、慧音や妹紅と一緒にこの店へ来る常連でもあった。
「へぇ、珍しい組み合わせね。じゃあ、二人とも鰻と冷酒でいい?」
「もちろんだ」
将和とロンメルは席に腰を下ろし、湯気の立つ八目鰻を前に杯を交わした。
ロンメルは杯を半分程飲み干すと静かに切り出した。
「そういえば将和、この前――異様な覇気を感じたのだが、誰と戦ったんだい?」
将和は少し驚き、杯を置いた。
「ああ……八雲紫が、俺の憧れた世界の勇者を喚んでくれてな。それで手合わせしてもらってたんだ」
ロンメルは納得したように頷く。
「なるほど、境界の妖怪の仕業か。あの威圧感……私も慧音も飛び起きてしまったぞ」
「それは……すまん」
将和が素直に頭を下げると、ロンメルはニカッと笑った。
「構わんよ。久しぶりに“軍人としての本能”が目覚めそうになっただけさ」
その言葉に、将和は思わず目を細めた。
ロンメルもまた、戦場の空気を知る者――その“勘”が今も生きていることが嬉しかった。
ふと、将和は気になっていたことを口にする。
「そういえばロンメルって……弾幕勝負とかできたりするのか?」
「ん? まあ、多少は」
その答えより先に、ミスティアが身を乗り出した。
「できるどころじゃないわよ。私やリグル、チルノたちが束になっても敵わないんだから。ロンメル先生に勝てるのは……慧音先生くらいじゃない?」
「それは言い過ぎだよ、ミスティア」
ロンメルは苦笑したが、否定しきれない雰囲気だった。
「人里の自警団に戦術指南役を買って出て教えてるから、剣の腕だって立つのよ」
ミスティアが続けると、将和の興味はさらに深まった。
「ほぉーん……なら、今度手合わせしてくれないか、ロンメル。お前の実力を俺も見てみたい」
ロンメルは杯を置き、将和を見据える。
「構わないが……そうであるなら将和。海では百戦錬磨でも、陸ではキミに負けるつもりはないぞ。私にも“陸の将”としての矜持があるのでな」
将和も負けじと笑う。
「望むところだ。俺だって前世で伊達に修羅場を潜ってきたわけじゃないぜ」
二人の間に、軍人同士の静かな火花が散る。
幻想郷に馴染んでもなお、根底にある“軍人の魂”は消えていない。
その空気を感じ取りながら、ミスティアは微笑んだ。
「ねえ、将和。あなたとロンメル先生って、まるで長年連れ添った“戦友”のように見えるんだけど、前世ではどんな関係だったの?」
ミスティアはロンメルが転生者だと知っているので、将和とは前世で交流があったのだと推測していた。
しかし、将和は苦笑しながら首を横に振る。
「いや、ほとんどロンメルとは交流は無かったよ。国同士で同盟は組んでたけど、アジアと北アフリカじゃ戦場が違うしな。名前だけは知ってたけど、まさか幻想郷で飲み仲間になるとは思わなかったよ」
ロンメルも笑う。
「私もだ。だが、戦場を知る者同士というのは、不思議と話が合うものだよ。これが“同郷のよしみ”という奴なのかもしれないな」
将和とロンメルは、軍人同士の昔話と幻想郷の雑談で盛り上がる。
ミスティアはそんな二人の杯に酒を注ぎながら、「ほんと、あなたたち戦友みたいね」と笑う。
──その時だった。
屋台の暖簾が、風もないのにふわりと揺れた。
「ねえ、隣……空いてるかい?」
低く、しかしどこか楽しげな声。
振り向くと、そこには――瓢箪を肩に担いだ小柄な少女が立っていた。
伊吹萃香。
幻想郷最強格の鬼。
ミスティアが思わず声を上げる。
「す、萃香さん!? 珍しいわね、こんなところに来るなんて」
萃香は笑いながら将和の隣に腰を下ろした。
「いやぁ、ちょっとね。さっきから面白い匂いがしてたんだよ。“強者の匂い”ってやつさ」
将和は一瞬だけ驚いたが、すぐに杯を置いて挨拶する。
「伊吹萃香……鬼の大将か。俺に何か用か?」
萃香は瓢箪を傾け、酒を一口。
その目は、将和をまっすぐに見据えていた。
「用ってほどじゃないよ。ただ――この前の“決闘”を見ててね。あんた、なかなか面白い剣を振るうじゃないか」
ロンメルが眉を上げる。
「やはり、見ていたのか。あの覇気を感じ取れるのは、鬼か軍人くらいだと思っていたが」
萃香は笑う。
「そりゃそうさ。あれだけの火花を散らされたら、鬼が気づかないわけないだろ?」
将和は苦笑しながら杯を持ち直す。
「見られてたのか……恥ずかしいな」
「恥ずかしがることないよ。むしろ誇りな。あんたの剣、あれは“戦いの匂い”がする。幻想郷じゃ珍しいタイプだ」
ミスティアは興味津々で身を乗り出す。
「萃香さんがそんなこと言うなんて、珍しいわね」
萃香は将和の杯に自分の瓢箪から酒を注いだ。
「だからさ――ちょっと飲んでみないかい? 鬼の酒を飲める奴なんて、そうそういないんだ」
萃香が注いだ酒は、その香りだけで空気が濃くなるような代物だったが、将和は迷わず杯を掲げる。
「望むところだ。俺も酒は強い方だしな」
ロンメルが苦笑し、ミスティアは心配そうに眉を寄せる。
「将和、鬼と飲み比べはやめておいた方が……」
「萃香さんの酒って、普通の妖怪でも倒れるレベルよ……?」
しかし、もう遅かった。
萃香はニヤリと笑い、杯を合わせる。
「じゃあ、勝負だ。あんたがどれだけ強いか、鬼が見てやるよ」
──その瞬間、屋台の空気が変わった。
ミスティアは背筋を震わせる。
「うわ……なんか空気が濃くなってない?」
ロンメルは静かに頷く。
「“能力”を使っているな。まだ本気ではないが」
将和は気づかぬまま、杯を一気に飲み干した。
萃香も同じく飲み干し、笑う。
「へぇ……いい飲みっぷりだね。気に入ったよ、博霊の禰宜、三好将和」
萃香は瓢箪を傾け、将和の杯に次から次へと酒をとくとくと注ぐ。
将和は一切ためらわず、杯を一気に飲み干し、気付けば10杯目に差し掛かっていた。
──ゴクリ。
屋台の空気が止まる。
「飲んだ……これで10杯目よ……!」
「表情が変わらない……だと?」
二人の飲み比べを見ていたミスティアとロンメルは目を丸くする。
同じ量を飲んでいた萃香も目を丸くし、次の瞬間――楽しげに笑った。
「いいねぇ!じゃあ次はこれだ!」
萃香は瓢箪を振り、さらに濃い酒を注ぐ。
鬼の酒の中でも“上物”――普通の妖怪なら一口で倒れる代物だ。
将和はそれも一気に飲み干した。
「……ふぅ。ちょっと強いな、これ」
「ちょっとで済むの!?」
「将和……君、前世で何を飲んでいたんだ……?」
ミスティアとロンメルが呆気にとられ、萃香はついに立ち上がった。
「よし、分かった!あんた、本気で飲める奴だ!なら――鬼の本気を見せてやる!」
萃香は瓢箪を逆さにし、自分の杯に“鬼の原酒”を注ぐ。
そして将和にも同じ量を注ぐ。
「これが飲み干せたら、あんたの勝ちだ!」
将和は杯を持ち、萃香を見た。
「じゃあ――勝負だ」
二人は同時に杯を傾けた。
──その瞬間。
「……っ……!」
「……うん。これは……旨いな」
萃香の顔が、ぴたりと止まった。
一方の将和は平然としていた。
萃香は震える手で杯を置き、そのまま、ぐらりと身体を揺らした。
「……か、勝ったのか……?」
「萃香さんが……飲み比べで……負けた?」
ロンメルとミスティアは目を見開き、思わず立ち上がる。
萃香はしばらく黙っていたが、やがて、ぽつりと呟いた。
「……あんた……本当に……面白いねぇ……」
そして、どさりと将和の肩にもたれかかった。
「……次は……負けないからね……?」
将和は苦笑しながら、萃香の頭を支える。
「大丈夫か?」
萃香は目を閉じたまま、笑った。
「……鬼の私が……人間に負けた……こんなの……久しぶりだよ……」
その声は、悔しさと楽しさが入り混じっていた。
──この夜。
伊吹萃香は、人生で数えるほどしかない“敗北”を味わった。
そしてその悔しさは、後に幻想郷を巻き込む“宴会異変”の火種となる。
鬼は、負けたままでは終われない。
ましてや――気に入った相手になら、なおさら。
萃香の胸に、静かに炎が灯った。
「……次は……勝負で勝つからな……?」
その呟きは、誰にも聞こえなかった。
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